5 「こいつはまたひどいな……」 恥ずかしい話だが告白しよう。胃の中身を逆流させそうになった。 ミレアもよく堪えてるよ。全く、感心しちまうな。 「んー、だってさ。 私こういうの馴れてるし」 「俺だって、ある程度なら馴れてるさ」 「応用生物学を専攻してたからね。グロテスクとも縁があるのよ」 ……脱帽します。俺はそんな分野取ってなかったもんな。 だが実際、ここに来たのは正解だった。 ターミアル城。この地域を治める国王が暮らしていた場所だ。 昨日も一度、俺達二人はこの城を訪れている。つまりは火災の調査のためだ。その時に見て回ったのは一階のみ。即ち、二階以降にはまだ手をつけてなかったんだよ。 そこで今日、ゆっくりと朝を満喫した後でこうして足を運んだんだけど…… 「………………」 「ちょっと、フィズ?平気?」 「平気じゃない……かもな」 口の中に酸っぱい物がこみ上げてくるのが分かる。 「無理しないでいいよ。こんなの普通に見てたら、気分悪くなって当たり前だもん」 「俺も……生物にしとくんだったな」 真面目に情けねえ。プロが聞いて呆れるぜ。 でも、こればっかりは駄目だ……畜生! 唯一の階段を上がってすぐの扉を開けた瞬間、俺達を待ちかまえていたのは、腐敗臭と虫の群れに覆われた正視に耐えない屍の山だった。死体に寄生した幼虫野郎が増殖して、まさにここは虫の根城と化してたんだ。 ともあれ最初の重労働は、窓を全開にして臭いと虫を追い出す事だった。結果、虫は何とかなったんだが……臭いの方は今一つ効果がない。 致命的だったのは、昨日の時点でこれだけの臭いに気付かなかった事。ここら一帯に渡って、鼻の曲がるようなのが充満してやがるから……嗅覚がイカれてたのかも知れない。 「参ったな。これじゃ、ろくに調べる事も出来ないぜ。 今の状態の俺じゃ、現場を荒らすのが関の山だ……」 「任せてよ」 ミレアは、ふがいない俺を責めようとはしなかった。 「私が遺体を調べてみるから。 フィズは……」 「床や壁の損傷具合から、何か手がかりを探ってみる」 「よろしい」 満足そうに頷くミレア。 悪い……ありがとな、相棒。 こうなったら、俺も四の五の言ってられない。回れ右してとんずらしたいのは山々だけど。ここで歯を食いしばらないと、俺はもう二度とプロの探偵を名乗れない。 なるべく死体を避けるようにして、俺は近くの壁に歩み寄った。 城建築の典型と言える石造りの壁と床。そのあちこちにひびが入っている。所々に飛び散ってるどす黒いのは、血の痕みたいだな。 小突いてみても砕ける事はなかった。抵抗はまだ残ってる。一般家屋ほどには脆くなっていない。尤も、威力は小さいにしろ、どうやらここでも風が荒んでいた事に変わりはないらしい。 それから火災の跡もしっかりと残されてる。外に比べてここの方が、火の勢いが強かったみたいだが…… 「………………?」 ……背筋に冷たい物が走った。 まさか、と笑い出したくなる。何かの間違いと考えたい。しかし……現実と照らし合わせてみれば、真実はもはや明らかだ。 思い出してみろ。この仕事で見てきた、あるいは聞いてきた全てを。 答えは……自ずと見つけられる! 「ミレア!」 俺は叫んでいた。 「ちょっと変じゃないか?」 「あなたもそう思うんだ」 さすがは相棒。すでに察してくれてるらしい。 「なあ、ミレア。確かあそこの扉って、閉まってたんだよな」 俺は入ってきた扉の方を指さした。 「一階に通じる階段は……あの扉の向こうにしかなかった。そいつも間違いない。 つまり、ここで燃えていた炎は、一階から飛び火したんじゃないって事になる」 「逆もまた然りだよ。それに風についても同じ事が言える」 付け加えるミレア。 「どの遺体でも、烈風による切り傷が著しく目立ってるの。中にはバラバラに四散してるのも混じってるわ」 「その上から放火か。いい趣味してやがる」 酷すぎる光景が視界に入ったせいか、一層気分が悪くなってきた。 「ねえ、本当に大丈夫?」 「あ……ああ」 ……脂汗が額ににじむのが分かった。 俺には仕事があるんだ。こんな所でへたれこんでる時じゃない。 「問題は……どこから魔法を放ったのか、だ」 頭を振って俺は続けた。 「窓口の状態から判断すると、外から放ったという可能性は低い」 「もう一回言うよ。どの遺体においても、著しい切り傷と火傷の痕が見られたわ。最もひどいのなんかだったら……」 「いや……もういい」 今でさえ卒倒しそうなんだ。これ以上、その話を進めると非常にまずい。 知らなかったよ。俺ってこんなにデリケートだったんだ。 「とにもかくにも、はっきりしてきたみたいだな」 なるべく死体を意識しないようにして、俺は部屋の奥に目を向けた。 そこにあったのは壁にぽっかりと空いた穴。向こうには廊下が見られる。そして、その廊下の上に放置されている、焼けただれた板きれ。 近づいて確認する。……どうやら、かつては扉としての役割を果たしていた物らしい。 「廊下側に向かって倒れた扉か。裏付けの証拠がもう一つ出てきたぜ。 現場が物語ってる。ターミアル城、第二の出火元はこの部屋だったんだ」 そうだ。誰かがこの部屋の中で、風と火の魔法を使ったんだ。 とすると、逃走経路があるはず。一階を通らずに燃え盛る城から脱出するための道が。 よし。そいつを探すとしよう。 「俺は廊下の向こう側を調べてくる。ミレアは、ここをもう少し調べといてほしい」 「私が先を調べてくるから、フィズがここに残るってのはどう?」 「……勘弁してくれ」 「冗談よ」 ウーム……どういうわけか、時々ミレアの方が年上と錯覚する事がある。精神的な年齢は、案外逆だったりして。 何か……複雑な気分だな。 「フィズ?」 ……と、いけないいけない。 「とにかく、行ってくる」 「うん。気を付けてね」 気を付けて、か。 「そっちもな」 「了解」 異臭の漂う部屋から一刻も早く去るべく、俺は早足で廊下へと進んだ。 ミレアの言う通りだ。一旦のほとぼりが冷めた事を理由に気を許すのは愚の骨頂。この城の中に危険が潜んでいないという保証はどこにもないんだ。 いつでも剣が抜けるように構えつつ、俺は廊下に一歩踏み出した。 実際……注意を怠らなかったのは正解だった。
何かが飛んでくる? ……俺は咄嗟に反応して、横薙ぎを繰り出した。 刀身にまとわりつくそれは……燃え盛る炎! しまった!魔法だったのか! この剣には、魔法に対する耐性が備わっていない。燃えて使い物にならなくなるまで、さして時間もかからないだろう。 「……包め!」 素早く構成を編んで、魔法を展開する。 炎の下から刀身を守るがごとく発生した障壁、《具を包む真空の矛》。主として、物体のコーティングに用いる魔法だ。こいつをかけておけば、少なくとも刃そのものには被害が及ばない。 「なかなかいい反射神経をしてるんでしゅねえ。相手に不足はない、でしゅか」 「……誰だ?」 俺は周囲を見回した。……気配はない。 調査を進めていくうちに、俺は玉座らしき場所にたどり着いていた。ターミアル城の最上階。ここから先に部屋はない。 二階の一番最初にあったあの部屋以外には、屍は見当たらなかった。この場にも死体はなく、本来国王が座るべき椅子の上にも、誰もいなかった。ただし、火事の跡はしっかりと残されている。 で、ここを調べてみようとした矢先にこの騒ぎだ。 火の粉を振り払い、俺はもう一度訊いた。 「誰だ?出て来やがれ!」 「おいらはここにいるでしゅよ〜。ほらほら、ここでしゅってばあ〜」 ……あからさまに人をくったような態度。不意打ちの事と言い、気に入らないな。 どこだ? 俺は目を閉じ、意識を第六感に傾けた。 確かに大きな魔力を感じる。 出所は……上? 「天井か?」 俺は頭上を見上げた。同時に剣を振るう。 「飛べ!」 剣に込められていた風の魔力が、一筋の矢となって標的を急襲する。《具を包む真空の矛》からの派生魔法の一つだ。 しかし…… 「楽しいでしゅ!」 相手の声と共に、あっさりとかき消されてしまう。 ……何だ、今のは? 魔法……なのか?でも、あんな魔法は聞いた事がないぞ。第一、あのタイミングで詠唱が間に合うわけがない。 何よりも俺を驚かせたのは、ヤツの風貌だった。 丸くてデカい鼻。真っ白に塗りたくった顔。そして、紫一色の衣装。 「道化野郎……!」 ここで対面出来るとはな。この瞬間を待ち焦がれたぜ。 そうだよな……青紫のピエロ! 「降りてこい」 抗うなら、容赦はしない。剣の錆にしてやる。 「まあ、いいでしゅよ」 さして抵抗もせず、道化は静かに地に降り立った。 浮遊魔法だと?こんな魔法も見た事がないぞ。 この野郎は一体……? 「用がある。俺と一緒に来い」 「それは嫌でしゅ」 頭を振る道化。 「拒否は許さない。従わないのなら……手段は選ばない」 左手をかざす。いつでも魔法が撃てるよう、準備を整えた。 「嫌でしゅよ」 「こっちは別に、頭と胴体が離れてても構わないんだぜ。殺っちまったって、何の問題もないさ。 加減してやるつもりなんざ毛頭ない。下手な期待は今すぐ捨てな」 「それでも嫌でしゅ。おいらにはやる事があるんでしゅ」 どうせ、ろくでもない事だろ。腐れ外道が。 「やれやれ、仕方ないな」 「どうするんでしゅか?」 「俺から退く気はないね。 そういうわけで……戦うしか道はなさそうだな」 時間は充分に稼げだ。構成もまとまったし、あとは発動させるだけだ。 「仕方ないでしゅね……」 いかにも面倒臭いといった風に、道化は背中に背負った杖を取った。魔力増幅を目的として作られた、どこにでも市販されてるような木の杖だ。 体術より魔法を重視するタイプか。剣と魔法を使える俺が、やや有利だな。 互いの得物を手に、睨み合う俺達。独特の緊張感が、その場に満ちていた。 ……そうだ。 「おい、道化」 「それは、おいらの事でしゅか?」 「ああ。 あんたの名前を聞かせてくれないか」 少し興味があった。通り名でない、ヤツの本名について。 「名前でしゅか?おいらの? ……シギでしゅよ」 「シギ……!」 変わった名だな。本名である可能性も決して高くないし。 それでも、手がかりに違いなかった。青紫のピエロに一歩近づくための。 「覚えといてやるぜ、シギ!」 張りつめていた空気の流れが変わった。 『吹き荒べ!』と俺は吼える。呼応して、振り下ろした腕から竜巻が発せられた。 間髪入れずに走る。両手で剣を支え直しながら。 これこそまさしく、剣と魔法の二段構えなり! 「効かないでしゅよ!」 先ほどと同じく、竜巻はかき消されてしまった。原理も不明のままだ。 けれど……まだ、こっちがある! 「喰らいな!」 猛然と距離を縮めて、俺は突きを狙った。数ある剣技の中でも、殺傷力の高い代物だ。 「………………」 悪党には似合わない、つぶらな瞳をわずかにひそめ、道化野郎ことシギは、これを紙一重でかわした。 このスピードの攻撃を避けるとは……ただ者じゃないな。身のこなしにも自信ありってか。 だが……勝負はここからだぜ。 すかさず、俺は剣を翻した。攻撃が横薙ぎに変換される。場に応じて臨機応変に対応出来る事もまた、突きの強みなんだ。 鋭い刃は相手の腕を浅く裂いた。 「逃がすかあっ!」 続けて、肩口からタックルをかます。 完全にバランスを見失ったところで、最後の仕上げに下から大きく斬り上げてやった。 飛び散る鮮血。 「よし」 勝利を確信し、俺は剣を鞘に納めた。それから改めて、地に伏したピエロに目をやる。 「立てる……はずもないか」 俺の剣をまともに受けたんだ。手も足も出ないうちに殺られちまったってわけだ。 「大人しくしてれば、もう少しは長生き出来たんだろうがな。 ともあれ、こいつもこれで……」 「勘違いしないでほしいでしゅ」 なっ……! 俺は数歩後ろに跳んだ。 「ここにいた人達よりは強いみたいでしゅね。でも、おいらからしてみればまだまだでしゅよ」 「嘘だろ……」 背筋に冷たい物を覚えながら、俺はただ呆然と見ているしかなかった。ヤツがゆっくりと身を起こすのを。 馬鹿な……あれを喰らって、何故立てるんだ?最後の一撃は、遅かれ早かれ死に至らしめるほどの痛手だったのに。 立ち上がったシギには、傷口はおろか服の破れすら残されていなかった。 治癒したのか?それも一瞬にして、痕跡も残さぬまでに? 「反則だっつーの!」 「そう言われても困るんでしゅがねえ」 本当に困ったように、シギは帽子を掻いた。 一体、どうなってやがるんだ?あの女剣士と言い、こいつと言い……常識の域を軽く越えてるぞ。 悪い夢でも見てるのか、俺は? 「今度はこっちの番でしゅ。たっぷりお返ししてやるでしゅよ。 ちょっとは痛かったでしゅからね。おいらも怒り心頭でしゅ」 杖を構えるシギ。 「クソ野郎が!」 我に返って、俺は再び剣を抜いた。 「心配しなくていいでしゅよ。おいらは剣とかよりも、魔法の方が得意なんでしゅ。だったら、そっちの方が断然有利でしゅよね」 そいつは常識内での話だろうが! むしろ、この場合は…… 「行くでしゅよ!」 シギは叫んだ。 「チッ!」 杖から幾つもの暗黒弾が放たれる。それらは一斉に、俺めがけて飛来してきた。 こっちも魔法……は駄目だ。構成を編むのが間に合わない! 仕方ない。右に跳んで時間を稼ぐ! しかし、シギはそうさせてくれなかった。 「じっとしてるでしゅ!」 「……ッ!」 不意に何かに足を取られる。俺は足下に視線を移した。 そこにあったのは。床から隆起した巨大な二つの手だった。そいつが、がっしりと俺の両足首を掴んでる。 「《怒れる大地の束縛》?」 この魔法は知っていた。属性は地。素早い相手の動きを封ずるための物だ。本来はその名の通り、大地上で使うのが好ましいが、屋内でもやれない事はない。 「放せ!放しやがれ!」 必死に俺はもがいた。けれど、それも徒労に終わる。 弾は全て、違える事なく俺の右腕を直撃した。 「グ……アウッ!」 闇がもたらす激痛に、剣を取り落としてしまう。 あ、熱い……腕が灼ける! こいつは大マジにヤバいぞ…… 「次は足を潰してやるでしゅ」 続いて、掴まれた足首に凄まじいまでの圧力が加えられた。 骨の折れる嫌な音が響く。 「……!」 何とか一矢報いようと、俺は魔法を繰り出そうとした。 でも……無理な話だった。こんな緊迫した状況じゃ、絶対に間に合わない。それ以前に、痛みに意識を奪われすぎて、詠唱そのものが成り立たない。 「痛いんでしゅかぁ?所詮は口だけだったって事でしゅかねえ」 へらへらと笑うピエロ野郎。 魔法は継続され続けていて、石造りの手はなおも俺の足を放そうとしない。 「は……放せ」 「何でしゅか?」 「放し……やがれってんだ……」 意識が朦朧とし始めた。 腕の方にも痛手を負ってるんだ。このままだと、長くはもたない。だが、魔法は使えないも同然で、剣すらも手元にない。攻め手も守り手も、もう俺には残されていなかった。 ……青紫のピエロは俺の手でどうこう出来る相手じゃなかったか。なぶり殺しの運命はさけられないのか…… 杖を背に戻し、いかにもつまらなそうにシギは溜め息を漏らした。 「随分と元気がなくなったんでしゅねえ。おいらが強すぎるんでしゅかあ?」 全くその通り……反則だぜ。 「しょうがないでしゅね。次で決めてあげるでしゅよ」 その両の手に炎が灯される。 こいつ……一体、いくつの属性を操れるんだ?まるで、きりがないぞ。 「おいらを斬った人間は数少ないんでしゅ。だから誉めてあげるでしゅ。でも、それが限界みたいでしゅね。 覚悟はいいでしゅか?おいらの《業火灼熱無限大》で、灰にしてくれるでしゅ」 「クソ野郎が……」 俺は最後の抵抗を試みようとした。しかし、すでに身体が言う事を聞いてくれない。 駄目だ…… 諦めを悟ったのか……シギは魔法を発動させた。 「業火!」 まずは左の掌から怒濤のごとく、火炎が押し寄せてくる。 何て魔法だ……こんなの受けたら、ひとたまりもないぞ! 愚かな事とは知っていた。でも、そうするしかなかった。俺は……目を閉じた。戦いを放棄したんだ。 ……その時だった。 「させん!」 突如、正面に人影が躍り出る。俺と魔法に挟まれる形で。 俺は驚愕に目を見開いた。 「……あんたは!」 「話は後だ」 肌を灼く熱風にも臆する事なく、彼女は得物に手を伸ばした。 「………………」 目にも止まらぬスピードで、抜く。 それを納めた時には……炎は真っ二つに割れていた。 よし、これで…… 「気を抜くな」 「何……?」 「次がある」 彼女のセリフが終わるか否かの内に、それは来た。 「灼熱!」 シギが吼え、右の掌から同じように炎を撃ち出すのを、俺はぼんやりと眺めていた。 ここまで人間離れしてるとはね。驚きを通り越して、呆れちまうぜ…… 二度目の炎も全く同じ要領で、彼女は一刀のもとに斬り捨てた。 ほぼ同時に、俺は地面に投げ出される。鬱陶しい足枷が、ようやく解除されたためだった。 「治癒魔法に専念しろ。尤も、その痛手では困難だろうがな」 「……あんたが助けてくれるとは思わなかったよ」 よく、ここまで無事だったもんだ。と、俺は素直に感心してしまった。あまりにナンセンスな現実が多すぎて、頭も少々馬鹿になってたみたいだ。 危機一髪で、俺を助けたのは、昨日一戦を交えたばかりの女剣士だった。火だるまにしてやったとばかり思ってたんだが…… 「貴公らがこの地に足を踏み入れた以上、命を奪う理由はなくなった。冥府への旅人をむやみに増やす必要もあるまい」 「またあんたでしゅか〜?おいらの邪魔をするなでしゅよ」 横槍が気に入らなかったらしく、どことなく怒気をはらんだ口調でシギは言った。 「何なら、二人まとめて殺してやってもいいんでしゅよ」 「貴様風情が、よく吠える」 対して、女剣士の声は、相も変わらず抑揚がない。 「私を討つだと? ……討てるものなら討つがいい。可能性は皆無に等しいが」 「どうでしゅかねえ?おいらをあまり甘く見ない方がいいでしゅよ」 改めて、シギは杖を手にした。剣士もまた、いつでも刀を抜けるように構えを取る。 俺は……悔しいが、寝ているしかなかった。満足に立てないし、加勢したところで足手まといになる。心を鎮めて構成を編み、腕と足の治癒を完了させるしかない。 微動だにせず、視線をぶつけ合う二人。 俺に言わせれば、どちらも常識外れの化け物だ。魔法の定理そのものを根本から覆しかねないほどの使い手、シギ。東国の剣と目にも止まらぬ技を操り出す居合いの達人、名も知らない女剣士。 ……今さらながらに震えが来た。別世界に迷い込んぢまったみたいな気がする。 でも、何故だ?そこまでの強者がこんな所に何の用がある? 「……行くでしゅ」 ぴんと張りつめた静寂を破ったのは、シギだった。 杖から発せられる数個の暗黒弾。俺がまともに受けちまった技だ。 「遅い!」 剣士が一閃を繰り出した。 抜刀と同時に斬る。さらに休む間もなく、残りの相手をするために刀を振るった。 納刀をし終える頃には、弾は全て見事なまでに捌かれていた。 次の魔法を撃たれる前に、彼女は一気に距離を詰めた。 「………………」 神速の攻撃は、しかしながら難なく避けられてしまう。 続けざまに仕掛けようとした彼女だったが、さすがにそうはさせてもらえなかった。 「冷たいでしゅよ!」 シギは床に手をついた。 力を送り込んで、魔法を展開。 あたかも荒れ狂う大海がごとく、氷の波が床づたいに押し寄せてきた。 刀を鞘に納めようとしている最中の反撃だ。こいつを斬るには間に合わない。 剣士にもそれは承知の上だったのか。焦りも見せずに、あっさりと柄から手を離した。迫る氷に掌をかざす。 「迫れ」 そこから発せられたのは《迫り来る烈風の波動》。昨日の戦いで、俺が使ったやつだった。 衝撃波と氷波の正面激突。 結果は……相殺。 本来の風ってのは、氷を含め水に強くて地に弱い属性なんだがな。やはり魔法に関しては、シギが一枚上手なのか。 「いいでしゅねえ。やっぱりあんたは、おいらにとって好敵手でしゅよ」 「戯れ事をぬけぬけと……虫酸が走るわ」 唾を吐いて、剣士は再び柄を握った。 「そうこなくっちゃ、でしゅよ」 「無に帰すのは貴様一人のみ。 許されがたき己が罪、死の苦痛を伴ってこそ知るがいい」 「遊ぶのはここまででしゅ。本気で殺してやるでしゅ」 ……今までの分でも、まだまだ本気じゃなかったのかよ。ふざけるのもいい加減にしろってんだ。 俺の思いなど、どこ吹く風。こちらに振り向こうともせず……剣士は天井を見上げた。 「……邪魔だ」 邪魔?一体、何を…… と、疑問に感じたのも一瞬の話だった。 彼女は真上に刀を振り上げた。 ……速い!これまでのスピードなんざ、てんで参考にならないほどだ。 しかし、驚くにはまだ早すぎた。 刃を納めると同時に、天井に大きな亀裂が入ったんだ。 まさか……剣圧で天井を斬ったってのかよ。 無数の石塊が落下してくる。当然ながら避けられるわけもなく、俺は直撃を受けた。 「グッ……!」 「耐えろ」 耳に響く剣士の声。石塊を刀で弾きつつ、彼女は冷たいながらもよく通る声でこう告げた。 「ここより先こそが真の修羅。十二分に心するがいい」 「簡単に言いやがって……」 「貴公の選んだ道だ」 そういや、そうだったか。これからは、人の忠告をもう少し聞いてみようかな。 ……石の雨が止んだ。天井が見事になくなって、無限に広がる大空と、眩しく輝く太陽が露わになった。 「派手でしゅねえ。まあこういうのも、気持ちよくていいでしゅよ」 さしてダメージを受けたようでもなく、シギの野郎もケロッとしてやがる。ちょっとは期待してたんだけどな。 「で、次はどうするんでしゅか?」 「こうだ……」 剣士は叫んだ。 「降雷!」 刹那。俺は間違いなく目に捉えていた。雲一つない青空から稲光が発生し、彼女めがけて落ちたのを。 が……実際、彼女自身は火傷の一つも負っていなかった。 「天駆ける一閃、己が身に刻んでくれるわ」 「そうくるでしゅか。なら、こっちもでしゅよ」 対抗して、シギも杖を振りかざす。 「包闇!」 直後……杖に異変は起こった。 まともに動かぬ身体をよじり、俺は食い入るようにしてその杖を凝視する。 「魔の……力!」 そうだ。その時、俺が目にしたのは……杖を包むようにして生じた、魔力の刃だったんだ。急ごしらえではあるが、そこいらの魔法剣とは比べ物にならないほどの代物だろう。剣にはうるさい俺が言うんだ。間違いはないはずだよ。 「まさか……魔属性? そう言えば、さっきの暗黒弾にしても……」 魔法とは、自身の持つ属性を力に変換して用いる物。 じゃあ、その属性が魔力だとしたら?地水火風にとらわれぬ、むしろそれらをも凌ぐ何かを秘めていたとしたらどうなるか? 化け物共が……こいつらの魔力は底なしなのか…… 「終わりにしてやるでしゅ」 「この一閃をもってな」 女剣士が刀を抜く。 その瞬間、鞘の内から光が満ちあふれたのを、はっきりと俺は目に焼き付けていた。 雷の刀と魔力の杖。二つの武器がぶつかり合う。それを最後に俺の記憶はぷっつりと途絶えている。
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