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ソードレボリューション 作者:殻鎖希

第10回   決意を秘めた親孝行
      4
 港町から東方に歩いて一時間ほど。開けた平野のど真ん中に、スクールは位置している。
 移動の不便さもあり、生徒達は皆、寮に入れられる。帰ってこられるのは、まとまった休日のみ。その上、近くに、街らしい街の一つもなし。魔法の実技等を行う際にも、周りに迷惑はかからないし、誘惑も少ないと言える。まさに勉学には打ってつけの環境だな。
 ただ……昔の俺は、どうにもこの環境に馴染めなかった。ある意味、スクールは閉鎖された空間とも見て取れるだろ。四六時中、あの建物で過ごすってのは、どうにも息が詰まるんだよ。
 学生時代には、楽しい思い出なんてほとんどなかった。あの頃の俺は、魔法が使えない事に苛立って、躍起になってたんだ。そしてその分、剣に頼ってばかりいた。そして……いつしか俺は剣を手放せなくなっていた。
 本当に、馬鹿みたいな話だよ。結局は自業自得だってのにな。
 あれから一年。そろそろ探偵稼業も板に付いたかと思ってた矢先に、魔法が使えるようになった。青紫のピエロとも初めて対峙した。まるでレベルの違う戦いを、見せつけられた。
 そして、俺は再びここに戻ってきたんだ。
 全てを学んだ場所、スクール。そこの正門前に、俺達はいた。
「……全然、変わってないな」
 やたらと大きな校舎を見上げながら、俺はそう漏らした。
「一年ぶり、なんだよね。すごく、久しぶりの気がする……」
 ミレアもまた、感嘆の思いを口にした。
「やれやれ、どうしたもんかな?」
 胸の内から熱い物がこみ上げてくる、そんな気がした。
 緊張?まさか……感動って事はないよな。
 何をするでもなく、俺はしばし立ち尽くしていた。
「……入らないの?」
「いや、その……お前、先行けよ」
「ふ〜ん」
 な、何だよ、その『ふ〜ん』てのは。
「ま、いいわ。早く行こうよ」
 そう言って、ミレアは俺の前に立って歩き始めた。
 あ……
「久しぶりだよな」
「ここに戻ってくるのが?」
「さて、どうだかな」
 お前の後ろ姿を見るのが、さ。
 俺はあえてはぐらかした。
 先陣を切ったり、隣に並ぶ事はあっても、誰かの後ろを歩く事は滅多にない。相手が相棒であっても例外ではなく、いつしか俺もミレアの背中をすっかり忘れてしまっていた。
 でも、悪くない気分だ。
「変なフィズ」
 ミレアは訝しがるばかりだった。
 正門をくぐり、正面の玄関口へと向かう。そこで、俺達は声をかけられた。
「ん?
 そこにいるのは……」
「あ、先生!」
 すかさず挨拶するミレア。
「どうも、ご無沙汰してます」
「タガーノ……ミレア・タガーノじゃないか!
 久しぶりだなあ。元気にやっとるか?」
「はい、おかげさまで」
 どの辺がおかげさまなのか知らないが、そこは礼儀ってもんだ。見知ったかつての恩師に対して、ミレアは懐かしそうに話しかけていた。
「先生の方こそ、いかがですか?」
「ああ、儂も変わりはないよ。
 そうそう、確か君の弟になる……」
「ああ、ヘル君」
「あ、うむ。あのお方のご子息殿だったな。彼も実にいい生徒だよ。
 儂も教師という立場ゆえ、あえて彼にもそういう態度で接しているんだが……」
「存じております。昔から、ご立派な教育方針をお持ちでしたものね」
「優等生だった君に言われると、儂としても誇らしく思えるよ。
 まあ、積もる話は後にして、とにかく中に入りなさい。かれこれ一年ぶりなんだ。後輩達にも会いたいだろう?」
 何やら勝手に話を進め、教師A(何の事はない。本名を忘れただけだ)はミレアを連れ添って中に入ろうとした。
 って、ちょっと待て。
「……先生」
「うん、何だ君は……ゲッ!」
 俺の姿を見つけ、たじろぐ教師A。
「どうも、先生」
「ラ……ラ、ラ……ライア……」
「フィズ・ライアスですよ。お忘れですかねえ、先生?」
 『先生』の語尾を強め、凄みを利かせる。教師Aの顔は、大量の脂汗をにじませて、今にも泣きそうになっていた。
「かつての教え子がこうして母校に帰ってきたってのに、シカトとは随分な挨拶じゃないですか。
 何なら……」
 剣の柄に目を落とす。
「久々に、実技テストとしゃれこみましょうか?」
「タ、タタ……タガーノ!悪いが、先生用事があったんだ。一人で行っててくれ!」
「一人で?」
「あ、いや……二人でだ。頼むぞ!」
 その場から逃げるようにして、教師Aは校内へと走り去ってしまった。
「あんたなんかに頼まれる筋合いはねえ」
 姿が完全に見えなくなったところで、俺は構えを解いた。
 魔法の一発でもかましたかったが、意識容量を無駄に減らす必要もない。
「今のあなたは、無視されたくらいで剣を抜くほど、心が小さいわけでもないでしょ」
 溜め息をつく相棒。
「本気で抜く気はなかったよ。あんな野郎相手に、輝きの剣を使うのも勿体ないしな。ワンパンで十分さ」
「先生、本気でびっくりしてたけど」
「いい薬だろ」
 ああいうタイプの人間が、俺は一番嫌いなんだよね。
 昔からそうだった。先輩だろうが教師だろうが関係なし。ふざけた口を利く馬鹿野郎には、問答無用で一閃をくれてやってた。
 そう、あの時からしてみれば……
「俺も優しくなったもんだよなあ」
「て言うかさ。昔のあなたが、でたらめすぎるのよ」
 またミレアが俺の前に立ち、正面扉に手をかけた。
「……お前も、成長したよ」
「ん?」
 かすかな音を立て、扉が大きく開かれる。
「泣いてばっかりだったろ?
 少なくとも、ああいう時の俺に対して軽口を叩こうとはしなかったはずだぜ」
「当然だよ」
 先にミレアが、続いて俺が入る。
「だって……」
「だって?」
 扉を閉めながら、俺は答えを促した。ある程度、予測はついていたけれど。
「だって、今は大切な相棒じゃん」
 ミレアは微笑んでくれた。
 ……サンキュ。
「さ、マスターに会いに行こうよ」
「分かってる」
 俺達は揃って、廊下を歩き始めた。
 中の様子も、一年前と何ら変わっていないみたいだ。あまり掃除の行き届いていない床も、やたらと大きな窓も。
 全ての生徒用教室が二階以上にあるため、ここでは生徒達の姿は見受けられない。一階にあるのは、玄関ホールと教員部屋、マスタールームに応急処置室兼休憩室の四つのみ。
 そして、俺達が目指すのはマスタールーム。スクール創立者にして伝説の男が一人、〈魔を極めし者〉専用の個室だ。大抵、マスターはここにいる。
 ……さして時間をかける事なく、俺達は部屋の前にたどり着いた。
「………………」
 扉に貼られたプレートの文字、『マスタールーム』。
 とうとう、来ちまったな。
 ミレアに目配せをする。彼女は頷いてくれた。
「よし……」
 意を決して、俺は三度扉をノックした。
「入れ」
 しゃがれた声が返ってくる。
 この懐かしい声……忘れもしない、あの人の声だ。
 ごくりと生唾を飲んで、俺は静かにノブを回した。
 戸が開放され……中の様子があらわになる。
 部屋の奥に置かれた机。そこに一人の老人が腰を下ろしていた。外見からもすぐに高齢と分かる。しかしながら、その身体に漂う威厳はいささかも衰えてはいない。
 この人こそがマスター、〈魔を極めし者〉だった。
 俺達二人は肩を並べて直立の体勢を取る。くだけた性格の俺でも、このシチュエーションではそこそこに改まらざるを得ない。
「フィズ・ライアス」
「ミレア・タガーノ」
 それぞれの名前を読み上げる。
「現時刻をもって、ここスクールに到着しました」
 締めをくくったのは俺だった。
「うむ、ご苦労。久しぶりじゃな、二人とも。
 ミレアについては特に要請していなかったが、まあいいじゃろうて」
 マスターは、机の正面にあるソファーを指さした。
「まあ座れ。楽にしてよいぞ」
「あ、そうかい。じゃ、お言葉に甘えて」
 即座に反応して、俺は勧められるままに座らせてもらった。
 うーん、何て座り心地のいいソファーなんだ。伊達にマスターやってないってか。
「相変わらずじゃのう、フィズは」
「礼儀も建前よ。律儀なんて言葉、俺にゃ一生縁がないね」
「あのねえ……フィズ」
 相棒は呆れ顔。
「それって自慢出来ないよ」
「ベタな突っ込みはいいから、お前も座れっての」
「でも……」
 どうもミレアは、マスターが気になってくつろげない様子だった。
「楽にせよ、ミレア。私も話がしやすい」
「……恐縮です、マスター」
 二度目でやっと、ミレアも心を決めたらしい。俺の隣に腰を下ろした。
「どうじゃ、調子は?」
「探偵もいいもんだ。のんびりやらせてもらってるよ」
「聞くところによれば、魔法を使えるようになったらしいが」
 大方、オヤジかヘルゼーラか、さもなくばフェイカーあたりが話したんだろう。
「風に関しては、だいたい」
「そうか。それはよかったな」
 茶を勧められたが、俺は受け取らなかった。
 さっさと話をしたかった。何故、俺がここに呼ばれたのか、きちんとこの人の口から聞きたかったからな。
 向こうもそれを察してくれたみたいだ。
「ところで、フィズよ。
 あやつの手記とやらを持っておるか?」
「皆まで言うなって」
 道具袋に手を入れ、俺は中からそれを取り出した。
 かつてのターミアル城下町の調査で、ミレアが城から持ち出してくれた唯一の物。表紙に書かれたサインは『ロゼ』と読める。
「オヤジにも見せてくれって頼まれたよ。
 俺自身も、何度も何度も繰り返して、暗記するほど読ませてもらった」
 ロゼの日記帳をマスターに手渡した。
「おお……」
 表紙に目をやり、感嘆の吐息を漏らすマスター。
「このサインは……間違いなくあやつの物じゃよ。もうあれから、一六年も経つと言うのになあ。
 私もクリマも半ば諦めておったんじゃ。その矢先にこんな物が発見されるとは……それもフィズの手で……」
「感涙に伏せりかかってるところ悪いんだけど、見つけたのはミレアだぜ」
「……フィズ!」
 舌を出して、俺は明後日の方を向いた。
「わざわざ雰囲気を壊す必要もなかったかい?」
 いやあ、悪い悪い。どうも緊張してるせいか、今一つテンションの上げ方が掴めないんだよ。
「すまぬが、フィズ。
 この帳面、よければ、私に預けさせてはくれないか?」
「出来ない」
 俺は即答した。
「いくらあんたの頼みでも、こいつだけは譲れないんだ。分かってくれ、マスター」
「……気に病む事はない。お前にはこれを持つ権利がある」
 一旦言葉を切って、マスターは俺の顔をじっと見据えた。
 それから、こう続ける。
「お前は……ロゼ・ライアスが血を分けた、実の息子なのだからな。
 いわば、これはあの男の遺品。ならば、身内の者が持つべきなのだろう」
 それは……違う。俺は、この日記帳を遺品として手元に置いておきたいわけじゃないんだ。
 俺は……俺はただ……
「父さんが」
「ム?」
「父さんが……何を成し遂げたのか、知りたいだけなんだ。
 生まれてもいない俺と、母さんを置き去りにしちまうほどに、父さんが惹かれた物が何なのか、見極めたいだけなんだ」
 養父の、クリマのオヤジから聞かされている。
 俺の本当の父さん、ロゼ・ライアスは何故〈剣を求めし者〉の片割れとして、伝説とまで呼ばれるようになったのか。
 ……オヤジは言った。ロゼは、全てを投げ出して大戦を終わらせたんだ、と。そしてその全ての中に、母さんと……母さんの腹の中にいた俺も含まれてたんだ。
 俺が探偵になろうと思ったのも、不可視の類を信じられなくなったのも、この話を聞いた後の事だった。
「ロゼは……ある種の天才だ」
 過去形を用いるのをあえて避けるようにして、マスターは呟いた。
「そして、世界はあやつを必要とした。それはお前達のためでもあった。
 こういう言い方をすればお前は怒るかも知れないが……所詮はそれだけの話だ」
 その言葉に、俺はどうしようもない憤りを感じた。
 ……理屈じゃ分かってたよ。あの時の父さんの選択は正しかった。その事は、後の世が証明してくれている。父さんが、伝説とまでに称えられる偉業を遂げたのも、文句の付けようのない真実なんだ。
 でも……でもさ……父さんはそれで満足だったのか?少なくとも、息子である俺には納得出来ないよ。
「……もう分かった」
 感情を押し殺し、俺はこの話題を打ち切った。
 今はやるべき事がある。
「ミレア」
 そんな俺の心中を見透かしてか、マスターは隣の相棒に声をかけた。
「すまぬが、少し席を外してくれぬか?
 フィズと二人だけで話したい事があるのでな」
「かしこまりました、マスター」
 別に不満もない様子で、ミレアは席を立った。元々呼ばれたのは俺一人だし、ここで異を挟む理由もないんだろう
「授業の方が終わって、生徒達も帰寮しとる。そちらに行って、時間を潰したらどうだ」
「そのようにさせてもらいます。
 フィズ。そういう事だから、後で寮まで来てね」
「分かった」
「どうせ今晩は泊まっていくんじゃろう。空き部屋があるから、寮の教師に聞いてみるといい」
「お心遣い、感謝いたします」
 一礼して、ミレアは部屋から出ていった。
 どうでもいいが、いちいち馬鹿丁寧なヤツだよな。ああいうのは、昔から変わってないぜ。
「さて……」
 咳払いと共に、マスターは俺に向き直った。
「本題に入るか」
 再び、俺の身体に緊張感が戻ってくる。
「何故、お前を呼んだのか……全てを話すとしよう」

 ……凄まじい威圧感だ。
 俺は喋る事も出来ないまま、マスターの次の言葉を待っていた。
 相棒がいれば少しは気が楽になるだろう。が、これからの話は俺にとって非常に重要な物となる。逃げ道を作らず、しっかりと受け止めなければならないんだ。
「お前は……」
 沈黙を破り、切り出すマスター。
「お前は、大戦についてどの程度を知っておる?少し、話してくれぬか?」
「ん……ああ」
 大戦についてか……
「あんたの弟にあたる人間が野心を抱き、秀ですぎた力をもって世を制圧しようとした事が、全ての始まりだった。
 後にシャドウマスターと呼ばれるようになったその弟を討つべく、あんたは三人の協力者を得てパーティーを組んだ。その中には、オヤジや俺の……本当の父さんも混じっていた。
 大戦だなんて大仰な言い回しをしているが、蓋を開けてみると何でもない。単なる兄弟喧嘩の発展だ」
 しかし、その兄弟喧嘩は洒落で済まされるスケールではなかった。ほどなくして、戦火は世界中に広まっちまった。
「あんたとシャドウマスターは、天才にして対極の存在だ。
 在のあんたに対して、弟は無。即ち、創造と破壊の力を持つ者の争い。
 未来においても、これだけの戦争はそうそう起こらないだろうな」
「……結末については?」
「パーティーは最終的に分散した。
 〈魔を極めし者〉と〈槍を尊ぶ者〉が戦線離脱。戦いは〈剣を求めし者〉が二人に託されたんだ。
 その後……ある時を境にして、シャドウマスターと〈剣を求めし者〉達は行方知れずとなった。
 最終決戦の勝敗はおろか、彼らの生死すら今となっては謎のまま。三人が姿を消してから、もうかれこれ一七年が経つ。いつしか世間は平穏を取り戻し……彼らは伝説となった」
 それが……大戦に関する俺の知識の全てだった。
 ロゼ・ライアスやベルナ・ノウカン、それにシャドウマスターが生きている可能性もある。しかし、この一七年、音沙汰がないのも事実なのさ。故人と扱われても仕方ない。
 ともかく、俺はこれ以上を知らなかった。だから、次のマスターの言葉は返答に窮せざるを得なかった。
「大戦の引き金になった物については?」
 ……引き金、だと?
「全ての原因にあたる、忌まわしき者についてはどうだ?」
「悪いな。何の事だか分からない」
 知ったかぶっても、得になりはしない。ありのままに俺は告白した。
「俺が知ってるのは概要のみだ。つまりは、ここの授業で習った事くらいしか答えようがないんだよ」
 ……俺は確かに、伝説の英雄の息子さ。でも、だからと言って大戦の多くを知っているわけではない。
 関係のない他人事だったから。そして、俺自身が伝説を拒んでいたから。
「で、それがどうしたんだよ?」
「……フィズよ。私はお前に全てを打ち明けるとしよう。
 この話をするのは、あの時のパーティーを除けばお前が初めてとなる。下手な混乱を避けるため表には出さなかったのだ」
 さあ、いよいよか……
 改めて、俺はマスターの次なる言葉に耳を傾けた。
「今からおよそ四〇年ほど前になるが……」
 四〇年前……大戦が勃発したのが二五年前だから、戦前においての話か。
「かねてより組み立てていた計画は、私とシャドウマスターの手で実行に移された。
 その計画とは即ち……魔法の力をもって、この世に人間を生み出すといったものだった」
「人間を……魔法で?」
 俺は耳を疑った。
 魔法により生物を作り出すといった技法は、確かに存在する。それは、俗に召喚と呼ばれている。
 尤も、その術を扱えるのは……例外を除いて……自然界における最高位の属性、天を保持する者に限られるのだ。また天属性の人間ならば誰でも生み出せるのかと言えば、そうではない。生まれつきの才能を持ち合わせた者が、厳しい鍛錬の果てにようやくたどり着ける、まさに境地に値する世界なのさ。
 魔法によって生み出されし者は、魔物と称される。魔物は人間を含め、自然界のいかなる生物にも類さない。姿形こそ動植物と瓜二つであったとして、実際には全く異なる存在なんだ。
 常識の範囲で物を言えば、魔法で人間を作り出すなんて芸当は不可能。空想の絵空事に過ぎない。
 しかし……伝説の男達の器は、常識程度に収まろうはずもなかった。
「可能、かも知れないな。あんた達の力があれば」
「理論の上では完璧だった。
 私には命を創る事が出来る。そしてシャドウマスターには死を呼び覚ます力がある。私達二人の力を持ってすれば、確実に成功するはずだった」
「その顔じゃ、大した成果は上がらなかったみたいだが……そうなのか?」
 本当のところ、俺は召喚についてあまりよく思っていないんだ。たかが人間風情が、創造主気取りで命を弄ぶ。……それは許されない事ではないんだろうか。俺にはそう思えて仕方がない。
 だからだろうな。内心どこかで安堵を覚えながら、確認の意味で俺は尋ねてみた。
「どうなんだい?」
「失敗した。一度はな」
「……二度目は?」
「成功したよ」
 ……何だと?
「あの時に、私達が作り出したのは魔物ではない。外見は勿論、身体機能や知性思考に及ぶまで、何一つ私達と違わない完全なる人間だったんだ」
「そいつは……よかったな」
 皮肉の意味で、俺はこの偉大なる男に対して賛美を述べてやった。
「成功したのが三〇年前。その当時は、まだ乳飲み子でしかなかったがな」
 なるほど。人為的な生物とは言え、人間と等しいのであれば、ミルクを飲むのも当たり前か。
「唯一、あの子には他人と違った所があった。
 あの子の力は自然に属さない。まさに、魔の使い手だったのだよ」
 魔属性、ね。
 天属性と似て非なる能力を保有する、人間が作り出した属性だ。この力を宿せるのは、魔物の類しかいない。
 魔属性の人間……俺には一つの心当たりがあった。
「あの子の名付け親はシャドウマスターだ。
 あの子の名は……私達の故郷の言葉で、死と戯れるという意味が込められておる」
「死と戯れ……寂しい名だな」
 シャドウマスターが望んで付けたのか。そこには、如何なる真意があったんだろう?
「私が気付いた時には、すでに遅すぎた。シャドウマスターは……自らの駒として操るために、あの子を生み出したのだとな。
 思えば、可哀想な子じゃよ」
「あんたにとっても、その子は我が子同然の存在。テメエの兄弟のチンケな野望の片棒を担がせたくなかった、と」
「……シャドウマスターは妥協を許さぬ男だった。頑固一徹とも言える性格は、長所でありながら短所でもある。
 そして……あやつが破壊思想を抱いた時から、全ては狂い始めていたのだ。
 神への冒涜に手を染め、世に生を受けた子供……死戯はシャドウマスターの手に落ちた。私達の戦いは、死戯の争奪より始まったのだ」
 俺はもう、驚かなかった。そう考えると、ヤツに関するほぼ全ての説明がつく。
「……大戦の終着と共に行方をくらませた人物は三人ではない。
 〈剣を求めし者〉が二人。我が弟、シャドウマスター。そしてもう一人……我が子、死戯の姿もまた、この一七年において一度も確認出来なかった」
 そこで……マスターは一息ついた。
「ターミアルの件の報告書を情報屋から読ませてもらった。……心底から驚かされた」
「あの時……道化野郎は名乗ったんだ。自分は、シギだと」
 にわかに信じがたい話ではある。
 青紫のピエロなる通り名で知られるあの犯罪者が……大戦の引き金となった存在?普通ならたちの悪いジョークとみなされるのがオチさ。
 でも……マスターはくだらない冗談を飛ばすような人じゃない。加えて俺は、あの道化の常識外れの実力を目の当たりにしてるんだ。
 条件は揃ってる。少なくとも、俺に疑いの余地はなかった。
「まさか……生きていたとはな」
 マスターが気付かなかったのも、当然だろう。青紫のピエロは神出鬼没で、特徴と言えば(どうしてそんな格好をしているのか分からないが)あのふざけた身なりくらいのもの。これだけの数少ない情報から相手を推測しろって方が無理だ。
「それで……マスター。
 あんたは俺に何を望んでいる?」
 一通りの筋は成り立った。残るは……これからについてだ。
「私は、別に」
「隠すなよ。わざわざ人をこんな所まで呼び出したからには、何かしてもらいたい事があるんだろ。
 あんた、依頼状で言ってたよな。面倒を頼むかも知れないって。その面倒ってのは、一体何なんだ?」
 ねばり強く、俺は問いつめてみた。
「……死戯を」
「シギを?」
「あの子を……楽にしてやってくれ。それが、私の本心だ」
 がくりとマスターはうなだれた。それは、彼にしてはとても珍しい仕草だった。覇気が失せたと表現すべきか。少なくとも、先に感じた威厳は完全になくなっていた。
「面を上げな、マスター」
「………………」
 マスターは動こうとしない。
「……あんたでも、そうやって苦悩する事があるんだな」
「………………」
「俺の知ってるあんたは、まさに伝説を絵に描いたような男だ。常に冷静で威風堂々としてて……何者をも寄せ付けない気迫がある。
 だが、完璧な人間なんざこの世にゃ存在しねえ。あんたにだって、感情はあるんだよな。悲しんだり、悔やんだり、やるせなくなったり……」
 父さん達二人だけを戦地に送った時にも、この人は悩んだに違いない。元々は自分の内輪もめだったんだ。他人任せには出来ないはずだった。
 しかし、当時点でマスターの魔力は弱りすぎていた。負けると知れた勝負を挑むのはただの無謀でしかない。だからこそ、最終決戦の舞台から降りざるを得なかったんだ。
 そして……今、同じ事を繰り返そうとしている。よりにもよって、運命を託す相手はこの俺だった。
「俺は探偵だ。あの野郎とは、いずれ戦わなければいけないさ。
 断る理由なんてない。仕事として引き受けてやるよ」
 すでに、覚悟は出来てるんだ。
「……フィズ」
 やっと、マスターが顔を上げてくれた。
 俺はソファーから立ち上がり、この九〇を過ぎた老人の正面に立つ。
「報酬代わりに一つ条件がある」
「……何だ?」
「今だけでいい。
 〈魔を極めし者〉の肩書きも、スクールのマスターとしての地位も……全て忘れちまえ。それで、自分に正直になってみなよ」
 見逃さなかったぜ、マスター。顔を上げた時、あんたの目に光る物があったのを。
「すまない」
 机の上に数粒の水滴が落ちた。
 この瞬間、本当に久しぶりに……マスターは自らをさらけ出した。泣く事しか術を知らない赤ん坊のように。
「俺にとって、あんたとクリマ・セイルは父親だ。たまには、親孝行もしとかないと、な」
 これが……最期かも知れないなら、なおさらだ。

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Novel Editor