「……別れて下さい」 唐突に飛び出した言葉に、しかしながら飛鳥は驚きを覚えることもなかった。あるいはすでに、頭のどこかでそのセリフを予期していたのかもしれない。 取り乱すこともなく、落ち着いた口調で飛鳥は瀬奈に理由を尋ねた。 「どうしてそう思う?」 瀬奈は答えなかった。 しばし、二人の間に静寂の時が流れる。 「……答えられないか?」 沈黙に耐えられなくなったのか。先に口を開いたのは飛鳥の方だった。 「ん……」 瀬奈は少し何かを考えている様子だったが、やがて意を決したようにこう言った。 「私……好きな人がいるから」 瀬奈の告白を耳にしても、飛鳥はさして衝撃を覚えることもなかった。 さらに飛鳥は瀬奈に訊ねる。たとえ答えが分かっていることであったとしても、瀬奈自身の口から真実を聞きたいと思ったからだ。 「それは……俺の他の誰かってこと?」 「……うん」 返ってきた返答も、まさに飛鳥が予想していた通りのものだった。 「そっか」 飛鳥は大きく溜め息をつく。 この瀬奈という少女と付き合ってから実に半年の時が流れた。半年という期間は決して長くはない。しかし、人の心が移ろいゆくには十分な長さであったようだ。 「………………」 「………………」 二人の間にまた長い沈黙が訪れる。どちらとも何を喋るということなく、ただ時間ばかりが過ぎていく。 (さて……どうするか) 言葉を交わさぬまま、飛鳥はずっと考えていた。 別れたくない、と言うことは容易い。その言葉を口にすれば、あるいは今すぐに別れる、といった事態にはならないのかもしれない。 だが…… (迷うまでもないよな) 飛鳥は大きく一つ頷いた。彼の中で、最初からすでに答えは決まっていたのである。 「もう一つだけ……訊いていい?」 瀬奈に問いかける飛鳥。 「……うん」 「もし俺と別れたとしても……瀬奈は後悔しない?」 「しないよ」 次に返ってきたのは返事は即答であった。 「私、後悔をするような生き方だけはしたくないから」 「そっか」 (もう、俺の出る幕じゃあないってことか) 声に出し、そしてまた胸中で呟きを漏らす飛鳥。現実に二人の別れの時が近づいていることを、彼はひしひしと感じていた。 「もしも……な」 飛鳥は諭すようにゆっくりと言葉を紡ぐ。 「もしも、お前がこのまま俺と一緒にいても、絶対に幸せになれないって言うのなら……俺じゃなくて、その人と一緒にいたなら幸せになれるって言うんなら……もう俺が言うことは何もないよ」 ある者が聞けば、疑問を覚えるかもしれない。またある者が聞けば、異論を挟もうとするかもしれない。けれども、それは飛鳥にとっての偽りなき本心だった。 「………………」 「………………」 もう何度目かになる静寂の後、瀬奈は飛鳥を促した。 「ねぇ、そろそろ……」 「ああ」 思い詰めたような瀬奈のセリフに、飛鳥はこう答えた。 「……じゃあな。幸せになるんだぞ、絶対に」 「……うん」 ようやく聞き取ることができるほどのか細い声で、瀬奈は肯定の意を示す。 それが……二人が恋人として交わした最後の言葉となった。
そしてまた、道は二つに大きく分かれる。
分かれ道を選んだ日。 共に生きることはできないけれど、それでも二人は歩いていく。それぞれの道を……それぞれのパートナーと…… けれども決して……二人にとって変わらないこともある。 I Wish・・・ 貴方の力になることを。
《完》
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