分からなくなることがある。 私は一体何者なの。そうしてこの世の中に生を受けたの。何のために私は生きているの。抜け出すことのできない迷路の中で私は今日も彷徨っている。 誰か、教えて。私のことを。 I Wish・・・
じっとりとまとわりつくような暑さと湿気に支配された炎天下の元。国道を走る一台の車の助手席に瀬奈は座っていた。 近くのコンビニで買ったパンを一口囓り、瀬奈は運転席に座る男……飛鳥の横顔をち らりと見る。 (何だか……不思議な人) 瀬奈がこの飛鳥という男と会ってから数週間が経つ。最初に彼を見た時に瀬奈が抱いた印象は、数週間経った今でも変わることはない。一度飛鳥自身にそのことを話してみたところ、「よく言われる」という返事を苦笑混じりに返された。そんな彼に、瀬奈はどこか好感を覚えていた。 「瀬奈」 そんな飛鳥に声をかけられ、瀬奈は「何?」と聞き返す。 「もうすぐ着くよ」 促されて、瀬奈は慌ててパンの残りを口の中に詰め込んだ。
眼下に広がるのは青く澄んだ海。小高き丘の上に設けられたベンチに腰を下ろし、二人はその絶景を眺めていた。 「一年の時のゴールデンウイーク以来、だったかな」 飲料水を喉に流し込み、飛鳥は吐息を一つ漏らした。 「ここ来るのも随分久しぶりになる」 彼の隣りに座った瀬奈は遙か彼方にまで続く大海原を眺める。 彼女もまた缶ジュースを傾け、喉の渇きを潤しながらぽつぽつと言葉を漏らし始めた。 「ねぇ、飛鳥」 「うん」 「私ね……こうやって海見てるとね、悩みとかあっても、ちょっと楽になる気がするんだ」 「そっか」 「うん。何かね……自分が誰なのかとか、そういうこと、何だかどうでもよく思えてくるって言うのかな」 喋り終え、瀬奈は口を閉ざす。 しばしの沈黙の後、次に口を開いたのは、飛鳥の方だった。 「……空気、か」 「え?」 「いやな……前にある人から聞いた話をちょっと思い出したんだ。聞きたいか?」 「うん、聞きたい」 瀬奈が答えると、飛鳥は腕を組んでその話を始める。 「その人が言うにはな。人と人が一緒にいると、一つの空気が生まれるらしいんだ。 友達といる時に楽しいって思ったり、好きな人といる時に嬉しいって思ったりするだろ。それはな……人間同士が出会って一緒に過ごして、一つの空気を作ることができてるからなんだって」 口を動かしつつ。飛鳥はポンと瀬奈の頭の上に手を置く。 「俺も今まで、いろんな奴といろんな空気を作ってきた。好きな奴とも、そうでない奴ともな。 勿論……お前とも」 瀬奈が飛鳥の顔を見上げると、彼は少し照れくさそうに頬を掻いた。 「俺もそういう空気ってあると思うよ。 そんでな……その空気ってのは一人では作れないものなんだ」 「一人では、作れない……か」 瀬奈は飛鳥の言葉を反芻する。 「俺も、ちょっと悩んでたことがあったんだけどな。お前と会って、何か分かった気がする。 俺、お前といると何かほっとするんだ」 その台詞を耳にして、瀬奈は大きく目を見開いた。 「ありがとな、瀬奈。お前がいないと、俺一人じゃこんな空気作ることができなかったよ。 だから、その……これからも一緒に作ってこ。俺らの空気をさ」 「うん」 瀬奈は大きく頷き返した。 人同士が作る空気の話……それは瀬奈自身に大きな影響を与えることとなるのだった。
それから二週間ほどが過ぎた後、二人は互いの想いを打ち明けることとなる。 こうして、夏はいつも通りに過ぎていく。
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