7 コピーマンの死体は地面に溶け込むようにして消え失せ、後には何も残らなかった。 魔物の死を確認し、俺は大きく息を吐く。 「癒せ」 《癒しの風の息吹》を使い、腕と胸の出血を止める。体力の完全回復とまではいかないが、応急処置としては丁度良い。 さて……と。 軽い手当てを終えたところで、俺は茫然自失として突っ立っているアニタへと歩み寄る。 「まさか……コピーマンが一介の探偵ごときに倒されるとは……」 ぶつぶつと独り言を呟くアニタの喉元に俺は輝きの剣の切っ先を突きつけた。 「洗いざらい喋ってもらうぜ。あんたには聞きたい事が山程あるんだ。 過去の事件記録からシギの情報を集めたり、こうやってシギの遺体を回収しようとしたりして……あんたが一体何を企んでいたのか。そして、あのコピーマンを造り出したのがどこのどいつなのか」 濁りきったアニタの瞳をひたと見据え、俺は糾弾する。 魔物を造り出す魔法……召喚を扱える者は例外を除けば天属性の人間だけだ。だが、アニタの属性は地。天の力を持たぬアニタに召喚を扱う事が出来ようはずもない。 即ち、今回の事件では少なくとももう一人、天属性の人間が関わっているという事になる。 「どうなんだい?」 詰問するも、アニタはただぶるぶると震えるばかり。こりゃあ駄目だ……てんで話になりゃしない。 「ま、いいさ。後でじっくり吐いてもらうとしよう」 今喋らなくとも、後々にきつく取り調べがなされる事は間違いない。積もる話はまた、その時にじっくりと…… 「……ん?」 そこで俺は初めてある事に気付いた。 応援を呼びに行ったはずのヘルゼーラがまだこちらに戻ってきていない。いくら何でもそろそろやって来てもいい頃なんだが…… まさか、何かあったのか? 俺の懸念が確信に変わったのは、その直後の事だった。 「お探しの相手はこの子かな?探偵の坊や」 「誰だ!」 すかさず反応し、俺は声のした方向に身を翻す。 そこには一人の大柄な男が立っていた。全身は蒼きフードに包まれており、その右目には眼帯が付けられている。お顔から察するに年は三十から四十といったところか。まるでどこかの盗賊の頭とでもいった風貌だ。 だが、それよりも俺が目を奪われたのは男が無造作にその手に掴んでいる人物であった。 「……ヘルゼーラ!」 俺の叫びに反応し、ヘルゼーラがうっすらと目を開く。 「に……兄さん……」 自らの流した血にまみれたヘルゼーラはか細い声を絞り出すようにして喘いだ。 「ごめんよ……兄さん……俺……」 「喋らなくていい……ヘルゼーラ。 てめえ……その手を放しやがれ!」 「そんなに喚かなくとも、返してやるよ」 男はそう言うと、腕を一振りする。次の瞬間、ヘルゼーラの身体が軽々と宙を舞い、地面に叩き付けられる。それは人間を相手にしているとは思えない程の無造作な投げだった。 「ヘルゼーラ!」 慌てて俺はヘルゼーラへと駆け寄る。 「あんたの弟だったのかい。悪い悪い、目障りだったんで、ボロ雑巾にさせてもらったよ」 黒き前髪を手で弄びながら、男はさして悪びれた様子もなくそう言い放った。 このフード男の事も許せないが、まずはヘルゼーラだ。俺は地に横たわったヘルゼーラの容態を手早く調べる。 打撲や切り傷を全身に負っているが、致命傷に至る程のものはない。せめてもの救いってところか…… 俺は《癒しの風の息吹》を発動させ、今出来る限りの手当てを施した。 「鬼蒼様……」 俺がヘルの容態を看ている間に、やや落ち着きを取り戻したらしいアニタが、男の方でと歩み寄る。 この隻眼の男がキソウ…… 「申し訳ございませぬ、鬼蒼様。この度はとんだ失態を……」 頭を下げるアニタの胸ぐらをキソウは物も言わずに掴みあげた。アニタの身体が片手一本で軽々と持ち上げられる。 「がっ……」 相手の靴が自分の目の位置に来るほどにアニタを高々と掲げたキソウは、先程までとは一変した厳しい口調でこう告げた。 「ハル・アニタ。お前の犯したミスの中で特に二つ、許されぬものがある。 一つはコピーマンをむざむざと無駄にしてしまった事。そしてもう一つは……この俺の名を出してしまった事だ」 そう言うと、キソウは一片の容赦もなくアニタを後頭部から地に叩き落とした。 「どこまでも墜ちてゆけ……己の無能さを悔やみながらな」 頭から血を流し、倒れたまま動かなくなったアニタに、キソウは唾を吐きかける。 治癒魔法をかけ終えた俺は改めて俯せに倒れたアニタを注視した。首がおかしな方向に曲がり、頭からは血が流れ出ている。すでに息がない事は一目瞭然。あの高さからあのスピードで投げ落とされたんだから無理もないが……それにしてもこのキソウという男、何て力してやがるんだ。 俺は隻眼の黒髪男をキッと睨む。意に介した風でもなく、男は元の様に軽口を叩く。 「そっちの坊主の時とは違う、手加減なしの投げだ。こいつは助からんよ。 色々と喋られても厄介なんでね。先手を打って、口を封じさせてもらった」 「随分と非情なんだな、オッサン。ミスがあれば即座に切り捨てるってのかよ」 「それが大人の社会ってもんだ。よく覚えておけよ、若いの」 どこまでも人を小馬鹿にしたような態度を見せるキソウ。全く、食えない男だ。 「さてと。それで用件なんだがな、探偵。お前の持っているその剣を渡してもらおうか」 そう言って、キソウは片手を差し出してくる。その身体から凄まじいまでの威圧感を覚え、俺は思わず一歩後退った。 「嫌だ……と言ったら?」 乾いた唇をやっとの事で開き、何とか声を発する。 「手段は選ばんよ。悪いがお前に選択の余地はない。 そう怯えなくとも、言う事を素直に聞けば、五体満足に帰してやるさ。尤も邪魔をすると言うなら……俺も容赦はしない」 背に手を伸ばすキソウ。 「……?」 一体、何を…… 訝しがる俺を尻目に、キソウは背中から一本の大剣を抜き放った。 なっ……! 「そう驚く事もないだろ。投げよりも、こっちの方が得意なんだ」 輝きの剣に比べて何回りも大きな剣を軽々と振り回し、キソウは構えを取った。 「どうする?探偵」 「………………」 俺もまた剣の柄を握りしめ、構えを取る。 「これが……俺の答えだ」 「ホウ」 少し驚いたようにキソウは目を細めた。 「勇ましい事だな。いや、あるいは剣の腕に自信があるというわけか。 まあいい。お前がそう望むのならば、少しばかり稽古をつけてやろう」 キソウが足を前に踏み出す。 さて、どう闘う?この男の属性も何も分かっちゃいないし、投げ技だけでも脅威だってのにあの大剣まで使いこなすとなると…… 動けない俺の姿を見て、キソウは鼻でせせら笑う。だがその直後、表情が一変して険しいものとなった。 「来ないのなら、こっちから行くぞ」 言うが早いか、キソウは駆け出した。俺との距離を一気に詰めてくる。 早……! 飛んできた大剣の一撃を何とか剣で受け止める。こちらの得物が輝きの剣でなければ、まず間違いなく刀身が折れていた事だろう。 「思ったよりは使えるらしいな」 接吻が出来る程に距離を縮めたキソウがその口をつり上げる。 「だが、まだまだ甘い!」 ……ヤバい! 咄嗟に退こうとしたが、間に合わなかった。剣を持っていない左手から繰り出される拳打を腹部に何発も受けてしまう。 「がっ……はぁ……っ!」 堪らず血を吐き出した俺の首元に、さらに追い打ちをかける様にキソウの手が伸びてくる。 避ける間もなく、俺は地に押し倒された。 キソウの手に力が込められ、呼吸が全く出来ない状態に陥る。 力の差が……ありすぎる…… 「覚えとけよ、探偵」 手の力を緩める事なく、キソウは俺にこう言った。 「剣ってのはな、臨機応変に使いこなせてこそ剣なんだ。あたかも身体の一部であるかの様にな」 「ぁ……」 俺は何とか抵抗しようと剣を振り回すが、狙いがまるで定まらず、相手の身体にかすりすらしない。 クソ……もう……駄目か。 俺が死を覚悟したその時。不意にキソウの力が弱められた。 「勝負あり、だな」 そう言って、キソウは俺の身体の上から立ち退く。直後、俺は何度も何度も激しく咳き込んだ。 「動かん方がいい、と言うよりも動けないか」 「………………」 キソウの言葉は正しかった。悔しいが、金縛りにでもあった様に、まるで動く事が出来ない。 キソウは俺が取り落とした輝きの剣を拾い上げた。 返せ、と叫んだつもりだったが、声すらも満足に出せない。 「こいつは預かっていくぜ。 それから……」 キソウは俺から視線を離し、アニタが空けた穴の方を見やる。 「その中で眠ってる奴にも用がある。そちらも有難く頂いとこうか」 一人呟きを漏らし、キソウは穴の中に入る。程なくして、キソウはある者を抱えて戻ってきた。 青紫のピエロ……シギだ。奴を葬ってからすでに随分な時が経っているはずだが、その遺体には腐敗が全く見受けられない。生前のままの綺麗な姿をしている。 輝きの剣とシギを得たキソウは倒れたままの俺とヘルゼーラに改めて向き直った。 「それじゃあ俺は帰らせてもらう。 またいずれ会う機会もあるかもしれないが、こいつに懲りたならもう二度と俺に手を出さない事だな」 勝ち誇ったように言い放つキソウ。 待て……あんたには、まだまだ聞きたい事が…… 「あばよ、探偵。」 浮遊!」 叫びに呼応し、キソウの足が宙に浮く。 空高く舞い上がったキソウは、そのままどこかへと飛び去っていってしまった。
その後、満身創痍の俺とヘルゼーラはスクールの教師により発見された。 卒業試験場より戻ってきたミレアの治療の甲斐もあり、何とか俺は傷を癒し、体力を回復させる事が出来た。ただ、ヘルゼーラの方は傷が完治するまでに暫く時間がかかるとの事だ。 事件の主犯であるアニタは死亡し、裏で手を引いていたと思われる男、キソウは逃亡。この事件は俺にとっても後味の悪い結末を迎える事となってしまった。 俺にもっと力があれば……輝きの剣を奪われる事もなかったのに……
事件の終末から二十数日程が過ぎたある日。 俺は〈クルーヴ〉というバーを訪れていた。その目的はこの店の店主である。 「今回は面倒をかけたな」 カウンター席に腰を下ろすなり、俺は話を切り出した。 「書状の事ですか?あれくらいはおやすいご用ですよ。この度はとんだ事件に出くわしたものですね。 一杯奢りますよ。何がよろしいですか?」 「……バーボンでも貰おうか」 「かしこまりました」 店主、フェイカーの労いの気持ちが今の俺にとってはこの上なく心地よい。本当に今回の事件は疲れる事ばかりだったからな。 バーボンを飲み、干し肉を囓る。暫し俺はくつろぎの時を楽しんだ。 グラスが空になったところで本題に入る。 「フェイカー。キソウ、という名に聞き覚えはないか?」 「キソウ?」 「情報屋のあんたなら何か知ってるんじゃないかと思ってな。キソウについての情報があるなら、買わせてもらうよ」 俺の言葉にフェイカーは首を傾ける。 〈クルーヴ〉の主、フェイカーは腕利きの情報屋でもある。俺はいつもこの店で案件や情報を買い、事件に臨んでいるんだ。今回の偽の依頼状も、このフェイカーから預かった物さ。 ちなみに、俺の相棒ミレアもこの〈クルーヴ〉でアルバイトをしていたりする。 「………………」 考え込むような素振りを見せたフェイカーだったが、やがて首を横に振った。 「いえ、覚えのない名前ですね。その名前がどうかしましたか?」 「スクールでの事件で、裏で糸を引いていたと思われる人物でな。右目に眼帯をしていて、全身を蒼いフードで包んでいた。年は大方中年ってところだろう……黒髪の大男だ」 「名だたる犯罪者の中にはその様な者はいなかったかと」 「……やっぱりか」 俺も探偵なんていう職業をやってるくらいだから、そっちの方面にはそこそこ詳しいつもりなんだが、あんな犯罪者がいたなんて全く知らなかった。あれ程の力を持っているならば、無名というわけでもないだろうが。 「一体何者だってんだよ……」 「……また情報が入り次第お知らせしますよ」 「ああ、よろしく頼む」 口直しに干し肉をもう一つ口に放り込むと、俺は立ち上がった。 「ご馳走さん。また来るぜ」 「くれぐれも無理はなさらぬように。ライアスさん」 「ああ……」 気のない空返事をして、俺は馴染みの酒場兼食堂を後にした。
キソウがシギや輝きの剣を用いて何をしようとしているのか、今の俺には分からない。ただ一つ言えるのは、あの男とはまた剣を交えなければいけないって事だ。奴は俺の大切な相棒を奪ってしまったんだからな。 あの剣だけは……絶対に取り返してみせる! 俺は新たなる闘いへの決意を深く心に誓ったのである。
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