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| 4 それから数日。特に何が起きると言うわけでもなく、コイートには平穏が訪れていた。
 あの老人については未だに謎に包まれたままである。奴がどこの誰なのか、今回の猟奇殺人事件に本当に関わっているのか……分からない事は増えていくばかり。
 尤も、俺にしてみればこうなる事は予想の範疇にあった。決して負け惜しみなんかじゃない。頼むから信じてくれって。
 今まで全く尻尾を掴ませてくれなかった相手だ。ここに至ってへまをやらかすとも思えないだろ。調べてみたところで、何も出てこなかったとして不思議じゃないさ。
 ただ一つ明らかなのは、やっこさんが俺を狙っているって事だけだ。ならば……待っていればその内に向こうから喧嘩をふっかけてくるんじゃないかな。
 そう信じて、俺は敵の襲来をじっと待っていた。
 何日も何日も……
 
 いつか襲ってくるだろうと予想はしていた。それなりの心構えもしていたつもりだ。
 だがまさか……真っ昼間の街中でいきなり戦闘になるとは、さすがの俺も想像していなかった。
 「……っ!」
 ヤバい!
 直感的に悟った俺は、隣を歩いていた相棒を突き飛ばす。
 「きゃ」
 ミレアが小さく悲鳴を上げる暇もあらぬ内に。俺達二人の間を、圧縮された何かが超スピードで通り過ぎた。
 例の水魔法か!
 避けられてもなお、魔法は止まる事なく直進し、
 「ぎゃあっ!」
 俺達の前にいた通行人の一人の胸を貫く!
 な……野郎!
 「ミレア、その人を頼む!」
 突然の惨事にパニックを起こした人々に揉まれつつも、俺は素早く相棒に指示を出した。もちろん、周囲への警戒も怠ってはいない。 猟奇殺人の影響で随分静かになっちまったアンパスの街だが、昼間ともなるとそれなりに人通りは多い。まあこの中で、派手に斬り合うわけにもいかないだろうな。
 それにしても、どういうつもりだ?
 あのジジイ……とうとうなりふり構わずに仕掛てきやがったか!
 「フィズ」
 人の波をかき分けて、ミレアがこちらに駆けてくる。
 「さっきの人は?」
 「残念だけど……」
 「そうか」
 《吹き荒ぶ真空の刃》をも軽々とぶち抜く技だ。生身の人間がまともに受けて、無事でいられるはずもないか。
 「ミレア、俺から離れるなよ」
 「分かってる」
 こくりと頷くミレア。
 戦力を分断されるのは、正直言ってかなり辛い。援護なしでは、かなり分の悪い闘いになるだろうからな。
 そのまま待つ事しばし。いつしか、通りには俺達以外には誰もいなくなってしまっていた。
 いや、もう一人……
 「大した勘の良さだ。誉めてやろう」
 背後から声をかけられ、俺達は後ろに振り向いた。
 そこには見覚えのある爺さんが一人。
 こいつ……どこから現れた?さっきまで、まるで気配がなかったのに。
 「まあ、今のを素直に受けていればのたうち回らず、楽に旅立てたのだろうがな」
 「ふざけんなよ、この人殺しが!」
 怒りに任せて、俺は剣を抜いた。相棒も背の大弓をその手に取る。
 「えらく思い切った手に出たもんだな。前回は何も喋らなかったくせによ」
 「黙る必要がなくなったからの」
 いけしゃあしゃあと言い放つ老人。
 必要が……なくなった?どういう事だ?
 「ともかく」
 爺さんは一歩足を前に踏み出した。
 来るか?俺達は身構える。
 「ああ、心配せんでいい。今回の相手は儂ではないからな」
 「何?」
 「貴様の始末はこやつらに任せるとしよう」
 まさかっ!
 杖で地面を軽く小突く爺さん。それを合図にしたかのごとく……俺達の周囲に幾つもの気配が生まれた。
 「これは……っ!」
 突如眼前に現れたそれを見て、ミレアが心底驚愕した様子で呻く。
 「魔物、か」
 俺はさして驚きもしなかった。あるいは慣れてしまったのかも知れない。いや、あんまり慣れたくないけど。
 それは明らかに異形の生命体だった。不自然に発達した前足……いや、もはや腕と呼んだ方がいいか……を備えた、二足歩行を行う事の出来るワニとでも言うべきか。
 そいつが全部で……一三体もいやがる。
 「名はリザードマン。新時代の尖兵となる者共だ。素手とは言え、戦闘力は人間の比にならぬぞ。
 さて、こやつらを倒せるか?フィズ・ライアスよ」
 「やはり、一連の猟奇事件は……」
 「左様。儂が指示を出し、こやつらに実行させたまでの事。
 このリザードマン共を倒せなければ、次の被害者は貴様という事になる。世に未練があるならば、存分に闘えぃ!」
 爺さんが飛ばした一喝を合図に、一三体のリザードマンが一斉に襲いかかってくる。
 だが、こっちも呑気に構えていたわけじゃない。魔法の構成はすでに整っている!
 俺は相棒を一瞥する。どうやら彼女も同じ事を考えていたらしい。
 俺が魔法を発動するより早く、ミレアが声高らかに叫んだ。
 「屠れ!」
 ミレアの声に呼応して、俺の目と鼻の先に赤々と燃え上がる炎が出現する。火魔法が一つ、《其の身を屠る火炎》だ。
 おーし、この上から……
 「迫れ!」
 俺は吼え、左腕を一振りさせて、そこから衝撃波を発生させる。
 風魔法《迫り来る烈風の波動》によって生まれた衝撃波は、先の炎にぶち当たる。そして……
 俺の魔法に後押しされる形で、炎はより威力を増し、リザードマン達に向かう!
 それを確認する間もなく、俺は次の行動を起こしていた。
 「ハアッ!」
 振り返り様に後ろから仕掛けてきた奴に斬りつけ、素早く身体を方向転換させてさっきの炎を追いかける。
 リザードマン数匹を巻き込んで、見事に炎が命中する。休ませる間もなく、俺は手にした剣で目の前の一匹の腹を薙いだ。
 為す術もなく、そいつは血飛沫を上げて崩れ落ちる。
 おし、これで残りは一二匹……って、それでも無茶苦茶多いぞ!
 「そもそも一三対二なんて反則だろうが!」
 心の不満を思い切りぶちまけて、俺は他の奴に攻撃を仕掛けた。
 勢いに任せて渾身の突きを繰り出す。
 ところが……
 「……!」
 俺の一撃は軽々とリザードマンの腕に受け止められてしまう。
 そんな馬鹿な!
 次の瞬間、俺は咄嗟に首を後ろに仰け反らせていた。少し遅れて、敵の腕が何もない空間を通り過ぎる。その手には獣独特の鋭さのある、爪がびっしりと生えていた。
 なるほど。この腕と、でかい口に並んだ歯が、猟奇殺人の凶器ってわけか。
 当然ながら、こんなワニが自然に存在するはずもない。人工的に創られた魔物ってわけさ。
 攻撃がかわされたと知るや、ワニ達は一斉に大口を開く。
 噛みついてくる気か……いや、これは違う!
 「オオオッ!」
 「クッ!」
 敵の咆吼を耳にし、慌てて身を屈める。直後、俺の頭上を、凄まじい熱気が通過していった。
 敵の炎はそのまま突き進む。直線上にいるのは……
 「ミレア!」
 俺の声で気付いたのか、リザードマン数体と立ち回りをしていたミレアは間一髪のところで身を翻し、魔法をかわした。
 代わりにリザードマンの一体がとばっちりを喰らう。
 その機を逃さず、ミレアは敵の胸に矢を撃ち込んだ。
 さすがにこれは応えたのか、バタリと地に伏すリザードマン。
 「気を付けて、フィズ!こいつらの鱗は並みの固さじゃないみたいよ」
 「鱗?」
 ミレアのセリフで、初めて俺はその事に気付く。
 なるほど。先程、俺の突きをやり過ごせたのも腕の鱗のお陰ってわけか。
 なら、話は早いぜ!
 俺は迷わず一匹の懐に飛び込み、腹から胸にかけて大きく斬り上げた。
 ……手応えあり。
 「ギャウゥゥッ!」
 断末魔の叫びを残し、敵はあっさりと地に倒れた。
 要するに鱗のない部分に、攻撃すればいいだけの話なんだ。それに、魔法も効果があるらしい。
 そうと分かれば一気に決める!
 俺は頭の中で構成を編み、
 「包め!」
 新たな魔法を展開させた。七色に輝く刀身を、風の力でコーティングする。《具を包む真空の矛》と呼ばれるものだ。
 「さあ、こっからが本番だぜ!」
 魔力を備えた剣を構え、俺はリザードマンの群れの中に突入する。
 決着がつくのに、そう時間はかからなかった。
 
 空を裂いて迫るは一条の矢。矢尻部分には赤き炎が込められている。
 狙い違わず、矢はリザードマンのどてっ腹に深々と突き刺さった。
 瞬時にして燃え上がるリザードマン。
 すかさず俺が追い打ちをかける。
 「飛べ!」
 刃を纏っていた風の力を解き放ち、敵に向かって撃つ。《具を包む真空の矛》からの派生魔法の一つだ。
 火に続いて風の直撃を受け、悲鳴の一つも上げられぬままに絶命するリザードマン。
 それが……最後の一匹だった。
 「ハア……ハア……
 それなりに数を揃えたつもりだろうが、所詮は烏合の衆だったようだな」
 荒い息を整えつつ、俺は残された一人に向き直った。ミレアも矢をつがえ直し、いつでも射る事の出来る状態になっている。
 「さあ、爺さん。残るはあんた一人だぜ」
 「そのようだな」
 爺さんにはさして焦っている様子もない。その実力を考えれば当然と言えば当然か。
 「お縄についてもらうぜ。連続猟奇殺人事件の犯人として、な」
 「そうはいかぬよ。儂にはやらねばならん事がある」
 俺は奥歯を噛みしめた。
 「それが……そのやらなければいけない事ってのが、人殺しだってのか。ふざけんな!」
 「貴様は何か勘違いをしているらしい。それで私立探偵などと、よく名乗れたものだな」
 俺の激昂もどこ吹く風といった様子の爺さん。
 クソ……本っ気で腹立つ。
 「儂はもうこれ以上、猟奇事件とやらを起こすつもりはない」
 「……それを私達に信じろと?」
 冷静な口調で問いかけるミレア。けど、俺には分かった。彼女もまた、相当頭に来ているらしい事が。
 「これだけは言っておこう。
 もう必要がなくなったのだ」
 必要が……なくなった?
 刹那、俺の脳裏を爺さんのセリフがよぎる。
 『黙る必要がなくなったからの』
 『名はリザードマン。新時代の尖兵となる者共だ』
 背筋に冷たい物が走る。
 このジジイ、一体……?
 「何にせよ、事件はこれで幕引きだ。加害者はそこに転がっておるしな」
 「残念ながら、納得出来ないわね」
 「貴様には聞いておらぬよ」
 「なっ……!」
 あくまで小馬鹿にした態度を取る爺さんに、ミレアも怒り心頭の様子である。
 「儂が話しておるのは、フィズ・ライアス。あくまでこの男一人じゃからな」
 「随分と俺にご執着らしいな。相手が可愛い女の子なら文句もないが、生憎とあんたみたいなジジイじゃな……」
 「先程の戦闘、じっくりと見せてもらったぞ」
 俺の軽口をまたまた無視し、爺さんは勝手に話を進める。
 ちったぁ人の話聞けよ、ジジイ。
 「とりあえずは誉めておこう。さすがは死戯を倒したほどの手練れよ」
 何……?どうして、この男がその事を知ってるんだ?
 「その強さに免じ、この場は一度逃げるとするかの」
 「フィズ!」
 ミレアの声で、俺は我に返る。
 しまった!……と気付いた時には、すでに時遅し。
 「転移!」
 一喝する老人。
 直後、その姿はフッとかき消えてしまった。
 「チッ……」
 周囲を見渡しても、それらしき気配はない。残されたのは、一三にも及ぶリザードマンの屍だけだった。
 あの野郎……本当に何者なんだ?
 
 5
 それから間もなくして、ジョーナンドが現場にやってきた。まああんだけ派手に暴れてて、来ない方がおかしいよな。
 俺達は事の顛末を説明した。初めは半信半疑の様子だったジョーナンドも、リザードマン共の屍を目の当たりにしては、もはや異の唱えようがなかった。
 直ちにジョーナンドは事実を城に報告。俺達もお偉いさんの前で延々と話をさせられる羽目になった。しかも、頭の固い連中は俺達の出した結論に今一つ納得出来なかったらしい。戦闘に立ち合ったわけでもなし、あまりにも突拍子もないもない話だからにわかに受け入れられないってのは分かるが……何か悔しいぞ。
 まあ何はともあれ、血生臭い猟奇殺人はこれで一応幕引きだ。黒幕の老人をまんまと逃がしてしまったのは痛いが、奴がこれ以上事件を起こす事はないだおう。
 別に奴の言葉を鵜呑みにしたわけじゃない。ただ……俺には分かるんだよ。
 
 太陽が南の空にて煌々とと輝く昼下がり。少しずつではあるが平穏を取り戻しつつあるコイート城下町を、俺達は歩いていた。
 リザードマンとの戦いから過ぎる事数日。鬱陶しい聴取からもやっと解放され、晴れてこの地を発つ事が出来るってわけだ。
 事件の真相も白日の下に晒された。国王から報酬も受け取った。これ以上、ここに留まる理由はない。
 「じゃあ、ここで別れるとするか」
 街の外に差し掛かったところで、俺は見送りに来てくれたていたジョーナンドに声をかけた。
 「そうだな。また次はいつ会えるか分からんが……」
 「今度こそ仕事抜きで会いたいもんだぜ」
 「まあ、ライアスは別にいいとして」
 オイ、コラ。
 「ミレアとは、是非一度プライベートでお目にかかりたいな」
 「ええ、楽しみにしてるわ。一度〈クルーヴ〉にも飲みに来てね」
 こいつはこいつで、ちゃっかり自分のバイト先を売り込んでやがる。
 「まあライアスも機会があったら、うちの騎士団に来な」
 「就職はしないぞ」
 あくまで、俺はフリー探偵。組織に属するのは嫌いなんだよ。
 「それじゃあ……またな」
 最後にそう言って、ジョーナンドは俺達に背を向ける。
 「ああ、いつか……な」
 「ここまでどうもありがとう」
 俺達二人の声に手を振って答え、調子のいい巨漢は一人街中へと消えていった。
 「……あの減らず口さえなけりゃ、良い奴なんだけど」
 「年下のセリフじゃないよ、それ」
 ミレアに横から小突かれる。
 「何だかんだ言いながら、結構信頼してるんでしょ、彼の事?」
 「さあな」
 「だって彼、あなたの事、ライアスって呼んでた。それって……」
 「よせやい」
 わざとそっぽを向いて、俺はぶっきらぼうな態度を取った。
 「そうね。ごめんなさい」
 ミレアも俺の気持ちを汲んでくれたのか、それ以上はこの話題を続けようとはしなかった。
 ライアスという性は、あまりにも有名すぎる。実際、世間様からいらぬ詮索を受ける事も多いんだ。そして……俺はそういう詮索が大嫌いなのさ。
 だから俺は大抵の場合、心から信のおける相手にしか自分の性を明かさない。その多大勢の人間にとっては、俺はしがなく探偵稼業を営む、ただのフィズという男でしかないんだよ。
 父さんの息子としてではなく、一人の人間として見てほしいから……
 「さあ、行こうぜ」
 きびすを返して、俺は歩き始めた。後から慌てて、ミレアもついてくる。
 「ちょっと、そんなに急がなくても……」
 「あんまり、のんびりしてる場合でもないだろ」
 俺の言葉にミレアは口をつぐんだ。
 そう。今回の事件は根底において、何も解決していない。肝心の首謀者の正体すら分かっていないんだからな。
 はっきりしている事が一つ。即ち……俺があの爺さんに狙われてるって事。
 アンパスで初めてあの爺さんに会った時、殺気は俺に向けられていた。一緒にいたミレアにではなく、だ。
 もしかすると、と俺は思う。今回の事件は、俺をおびき寄せるために起こされたのではないだろうか。
 だとしたら、俺は……
 「フィズ」
 「……ん?」
 「今ね、すっごく怖い顔になってたよ」
 「ああ……悪い」
 ミレアに指摘され、俺は無理やりにでも相好を崩した。
 それからしばし、俺達は歩を進める。
 「絶対に」
 五分ほどの時が過ぎた頃、相棒は再び口を開いた。
 「絶対に……あなたのせいじゃないよ。私はそう信じてる。
 だから、あまり思い詰めないで」
 「……サンキュ」
 それはただの気休めでしかなかったのかも知れない。その言葉には何の根拠もないのだから。
 けど、思うんだ。あの時の俺は、その気休めを何よりも一番欲していたんじゃないかってね。
 こうして……様々な感情を胸に秘めつつ、俺達二人は帰路についたのだった。
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