10 「ゥ……」 微かな呻き声が俺の耳に飛び込んできた。発しているのは、異形の姿となった友! 「ジョーナンド!」 俺は、ジョーナンドの下へと駆け寄った。 「分かるか、ジョーナンド! 俺はここにいる!ここにいるぞ!」 「ラ……イア……ス……」 息も絶え絶えになりながら……ジョーナンドは必死に俺の事を呼んでいた。 「アリ……ガ、ト……ウ……ライ……アス。 コレ……デ、オ……レ……モ……」 「……ああ」 最早言葉など要らなかった。 俺は友の身体を起こし……力強く抱きしめた。 「ラ……イ……ア……ス…… ト……モ……ダ……チ……」 「ジョーナンド……」 「ア……リ……ガ……ト……ウ…… ス……マ……ナ……イ……、エ……ル……ザ……」 そう言い残すと、ジョーナンドはその口を閉ざした。 そして……俺は気付いた。俺の腕の中で、異形の肢体が徐々にその姿を失いつつある事に。まるで空気に溶かされていくかのごとく、ジョーナンドの身体は実体を失っていく。 魔物となってしまった者は、屍を残す事すら許されずに消滅してしまうと言うのか。だとしたら、あまりにも不憫すぎる。 「ジョーナンド!」 俺は堪らず、もう一度ジョーナンドの名を叫んだ。 彼は口元を微かに緩め……その笑い顔は俺への返礼と別れを告げるものであったのかも知れない……そうして、跡形もなく消えた。俺の腕の中で、音を立てる事もなく、静かにその生涯を閉じたのだ。 「………………」 俺は、腰を上げる事が出来なかった。全身から力が抜けてしまったみたいだ。 堰を切った様に流れる涙を止める術をも知らずに……俺はその場に座り込んでいた。 「フィズ……」 誰かが俺の名を呼んだ。今にも消え失せてしまいそうな、弱々しい声で。 「今のは良い一太刀だった……効いたぜ、フィズ。 その鋭さならば、どんな奴にも負けやしねえさ……」 「……オヤジ」 そう、それはオヤジの声だった。全身に深手を負ってはいたが、オヤジにはまだ息があったんだ。 「父さん!」 蹌踉けそうになりながら、ミレアがこちらに歩み寄ってきた。身体から力が抜けちまったのは、彼女も同じみたいだ。 「テメエら……何て顔してんだよ」 俺達二人の顔を交互に見比べ、オヤジは愉快そうに笑ってみせた。俺達にとってはとても馴染みのある、裏表のないオヤジの笑顔だ。 「二人には、感謝してる…… 俺達に、人としての……死に場所ってやつを、与えてくれたんだから、よ…… あいつも……そう思って、逝った筈さ……」 ミレアがオヤジの腕を取る。手首に指を添えるものの、直に顔を俯かせて首を横に振った。 泣きじゃくるミレアの肩を、オヤジはポンと叩く。 「泣くな……ミレア…… これが……運命だったんだ。残酷であったかも知れねえが……俺ぁ、悔いはねぇ」 「……うん」 小さな声で頷くミレア。 ボロボロになるまで傷を負い、まさに満身創痍であった俺達だったが、この一時だけは身体の痛みを忘れる事が出来た。ほんの僅かな時間であったとしても、家族としての暖かさの中に身を委ねる事が出来たんだ。 だが、次の瞬間。 俺の背筋にゾッとする様な寒気が走った。 (何だこれは?殺気……!) 嫌な気配を感じる方向に視線を向けようとしたその時。 俺の腕を何かが掠めた。 この感覚、どこかで覚えがある。 「……まさか!」 傷口の熱さに気付き、慌てて視線を戻した時には……遅かった。 「ぁ……ぁあ……」 言葉にならぬ声を漏らすミレア。そして、その膝元には……魔法の力による攻撃を受けたオヤジの姿があった。 オヤジはもう何も喋る事が出来なかった。貫通性の強い水魔法で心臓部を撃ち抜かれている。おそらくは……即死だろう。 「臭い茶番はそこまでにせい!」 言葉と共に放たれるは強烈な殺気。今までに感じた事のない程の、凄まじいものだ。 「心だと?そのような物など要らぬわ!雑兵如きに心なぞあってたまるものか! この……失敗作の愚図共めが!」 「っ!」 「貴様等にも分かるだろう?そこに倒れておるのは、貴様等の父親などではない。人間ですらないのだ。所詮は戦場にしか生きられぬ、駒に過ぎぬわ!」 魔物達の創造主は……ジュオウの怒りは頂点に達しているらしかった。恐ろしいまでの殺気を放ち、杖を四方に振り回している。最早、我を忘れているのかも知れない。 「貴様等も、そこに並べい!出来損ないの肉人形やコピーマンの後を追わせてやるわ! 儂の顔に泥を塗る者を許しはせぬ!」 「……許さねえのは、俺も同じだ」 俺は、ゆっくりと立ち上がった。つい先程まで失せてしまっていた力が、一気に蘇ったかの様な感覚にとらわれながら。 ミレアが後に続こうとするのを手で制す。 「初めて分かった気がするよ。 父さんが……俺の本当の父が、家族を捨ててまでシャドウマスターを討とうとした理由がな!」 次から次へと沸き上がってくる怒りや憎しみ。それらの全てを言葉に込め、俺はジュオウにぶつけた。 「俺は、あんたを許さない。あんたのやり方だけは、絶対に認めない!」 「ほざけぇ!若造が!」 杖をかざすジュオウ。 攻撃が来る! 咄嗟に俺は身を翻した。 「………………」 ……随分と時間が過ぎた様な気がする。けれど、いつまで経っても奴の魔法が放たれる気配はない。 体勢を立て直し、俺は素早く周囲に目を配った。 そして、理解する。ジュオウが攻撃を仕掛けなかった、その理由を。 ジュオウの首筋には、刃物が突きつけられていた。見覚えのある輝く刀身が。 「女のヒステリーなら、まだ可愛げがあるってもんだがな。相手が爺さんみたいな老いぼれだと、どうにも始末に負えない」 老人の背後から剣を突きつけた男、キソウは口元を歪めて軽口を叩いてみせた。 それにしてもこの男、一体どうやってジュオウの背後を取ったんだ?状況から考えるならば、ジュオウが俺に攻撃を仕掛ける直前に忍び寄ったんだろうが……それが真実だとすると恐るべき身のこなしだ。ジュオウとキソウの立ち位置やその距離から考えてみても、一瞬にして間合いを詰めるなど常識で考えるならば不可能な筈なのに。 この男に常識が通じないのは重々承知だけど…… 「鬼蒼殿……どういうつもりか?」 「それはこっちの台詞だぜ、爺さんよ」 輝きの剣を突きつけたまま、キソウは大仰に天を仰いだ。 「これ以上、見苦しい様を見せてどうするよ?伝説のシャドウマスターが聞いて呆れるぜ」 「ぬ……」 「そこの探偵坊主に勝手に止めを刺すのもやめていただきたい。奴には少しばかり興味が出てきたものでね」 「………………」 忌々しげに表情を歪めるジュオウ。対照的に、キソウは口元に笑みすら浮かべている。 この男、もしや……ジュオウよりも強いと言うのか?伝説と謳われた、シャドウマスターよりも秀でた力を宿している……? 「それとも、ここで俺と一戦交えてでも、あの探偵を今殺すのかい?あんまり賢い選択とは思えないがね」 「……承知した。確かに儂も頭に血が上っていた様じゃ」 大きな嘆息を漏らすと、ジュオウは杖を持つ手を下ろした。 それを確認すると、キソウもまた剣を鞘に納める。 「分かってくれて嬉しいぜ。あんたを相手に斬り合うのは、流石に少々骨が折れるんでな」 「………………」 ジュオウは深く帽子を被った。心中は相変わらず穏やかじゃなさそうだが、少なくとも今すぐに仕掛けてくる様子はなさそうだ。 「それじゃあ今日のところは、俺達も退かせてもらおうか。 おい、探偵。命拾いしたな」 「ふざけんな。誰が逃がすかよ」 すかさず俺は剣に手を伸ばした。 この二人を逃がすわけにはいかない。これ以上、悲しみの火種を世に振りまくわけにはいかないんだ。 「折角拾った命なんだ。今すぐ捨てる事はないだろう」 呆れた様子で肩を竦めるキソウ。 「お生憎様……あんた達を自由にさせておく方が危険なんでね」 「まあそう急くなよ。どうせ今闘り合わなくとも、また追ってくる気なんだろ? この場は一度仕切り直させてもらおうってだけの事さ」 俺は注意深くキソウの様子を窺った。殺気はおろか、戦意すら感じられない。どうやら本気で言っているらしい。 俺の反応を楽しんでいるかの様に、キソウはさらに言葉を紡いだ。 「北の大陸にマリカバと言う名の地区がある。知っているか?探偵」 「……シルウォナ大陸のマリカバと言えば、世界有数の大地区の一つだったな。 それがどうした?」 突然の話題の変化に戸惑いを覚えながら、俺は答えを返した。 「手の内を明かしてやろうかと思ってな。 俺達はこれからその地区に向かう。新たなる世界大戦の幕開けとして、マリカバの城下町で大きな花火を打ち上げてやるのさ」 「なっ……」 あまりと言えばあまりの告白に、俺は言葉を失った。 「俺達を止めるつもりならば、来るがいいさ。 先刻も告げた通り、手前等は俺達と対等ではない。利用出来るならば、利用させてもらうがね」 くっ…… 俺はキソウの言葉に言い知れぬ歯痒さを覚えた。 奴の言っている事は正しい。今の俺達が剣を交えたとしても、確実に負けるだろう。二対二ではあるものの実力差は明白であるし、加えて俺は脇腹に重傷を負っている。まともな勝負になるとは思えない。 眼前に犯罪を目論む者達がいるってのに、手も足も出せないなんて…… 動く事の出来ない俺達を尻目に、キソウは一歩前に進み出た。 「さ、もう行こうぜ爺さんよ。この場所には用がないだろ」 ジュオウの肩に手を添えるキソウ。 「承知した」 心得た様子で、ジュオウは首肯を返してみせる。 ……まずい! 「ま…」 『待て!』と叫ぼうとしたが……それすらも間に合わなかった。 「転移!」 咆吼と共に。風景に溶け込む様にして、老魔法使いと隻眼の剣士の姿が透け始める。 「しまった!」 手を伸ばそうとするが、時すでに遅し。 程なくして、二人の姿は完全にかき消えてしまう。 「……クソッ!」 がくりと膝をつき、俺は地面を殴りつけた。自らの拳を痛めつけるようにして、ただひたすらに振るい続けた。 何がプロの探偵だ?ソードレボリューションの道って何なんだ?結局……俺達は何も出来なかったんだ!ジョーナンドも助ける事も、奴らを止める事さえも! 拳を朱に染めながら、俺はそっと呟いた。 「俺、知らなかったよ……無力である事が、こんなに苦しいなんてさ。 なぁ……ミレア」 俺は背後のミレアにそっと視線を配った。 物言わぬまま、相棒もまたがくりと頭を項垂れていた。 オヤジと名乗った魔物の遺体はすでに形を留めてはいなかった。露と消えた彼の事を偲び続けながら……ミレアはただただ熱き涙を滴らせていた。
俺達がシダノの森を発ったのは、すっかり日が暮れた後だった。心身共にボロボロの身体で夜の森を歩くのは骨が折れるどころの話ではなかったけれど、それでも気力を尽くして歩き通した。 森を抜けてからさらに歩く事幾ばくか。俺達は近くの小村に宿を取った。着いたその日は、飯も食わずに泥の様に眠ってしまった。 日が変わった後も、俺達は暫くその村に留まった。森での戦闘で受けた傷を癒すためだ。幸い、村には医者がいたので、治療に困る事はなかった。俺達は存分に休息を取った。 そして……脇の傷も完全に治った頃、俺達は馬車に乗り、コイートの城下町を目指した。
11 幾多の装飾が施された壁に、床に敷かれた豪華そうな絨毯。実に見事な廊下である。 城ってのはなかなか煌びやかに見えるもんだ。尤も、今の俺はコイート城を愛でる気持ちなど持ち合わせていないのだけれど。 内装に目を奪われる事もなく、俺は一心に目的の場所へとひた進む。 「待て!これ以上の狼藉は許さんぞ」 「うるせえ。いい加減にどけよ」 後ろからしつこくまとわりついてくる衛兵達を振りほどきつつ、俺は尚も歩き続けた。 兵士の一人が焦燥に駆られた声で叫ぶ。 「自分が何をしているのか分かっているのか、貴様!我が国に対しての反逆に値するぞ!」 「反逆だと?」 俺はその兵士をギロリと睨みつける。 「じゃあ何か?あんた達に言わせれば、あいつも反逆者だってわけかい?」 「あいつ?」 「そうだ。あんた達と同じく、ここの王宮騎士団の一員だった男の事さ!」 「リック・ジョーナンドの事……であろう?」 嗄れた声が俺の耳に入ってきた。兵士達のそれとは、明らかに異質であり、どこかに威厳を感じさせる声。 「陛下……!」 俺の周りを取り囲んでいた兵士達が驚きに目を丸くする。彼らの視線の先には大仰な冠を頭に乗せた、一人の男の姿があった。 「フィズと言ったな。私に何か用があるのではないかね?」 「ああ。手間が省けて助かるよ、コイート王。 どうしても言いたい事があってね。丁度あんたの所に行こうと思っていたんだ」 「フム」 初老と呼ばれる年頃に差し掛かっているのであろう。どこか疲れた印象を受ける一国の主は、逞しい髭を撫でつけながら、兵士達に命を下した。 「その者を放せ。そして、退がるが良い」 「しかし……!」 「私の事なら心配要らぬ。この者も用が終わればすぐに帰るだろう。 さあ、退くのだ」 「……畏まりました」 凛とした様子の王に気圧されたのか、主君に逆らうべきではないと判断したのか。兵士達は大人しく命に従った。 俺以外の者が全員いなくなったのを確認して、国王は口を開く。 「話があると言う事だが、一体どういった用件かね?」 「挨拶を抜きにして本題に移らせてもらえるとは有難いね。 先日……ある人から依頼を受けて、シダノの森に出向いたんだ」 俺の台詞を耳にして……国王の顔色が変わった。 「森の中で何が待ち受けていたのか……あんたなら知っている筈だよな?国王様よ」 「シャドウマスターに、手を出したのか?」 声を震わせ訊ねかけてくる国王。俺は一つ頷いてみせる。 額に滲んだ脂汗を拭う事も忘れて、国王は言葉を紡いだ。 「何故、手を出した?何故、森に赴いたのだ? あの者だけには……決して手を出してはならぬ」 「理由なんざ問われるまでもないさ。探偵が、犯罪を見過ごす道理はないだろう」 「あれはただの犯罪者ではない!」 唾を飛ばし、国王は激昂する。 「あれの怒りを買う事になれば、どうなるか分かっているのか?あれの手にかかれば、この地区など瞬く間に滅ぼされてしまうのだぞ」 「あの、猟奇事件の時の様にか?」 俺の問いかけに、国王は返事に窮した様子を見せた。 「やはり、あんた知ってたんだな。あの事件の黒幕が、シャドウマスターだって事を」 「……あれが私の前に現れたのは、猟奇殺人が収まってから数ヶ月程が過ぎた頃の事だった」 暫しの沈黙の後。国王は再び重きその口を開いた。 「私が床につこうとしていた時の事だ。あれは突然、私の目の前に現れた。私が一人になる時を見計らっていたのだろうな」 突然現れた、か。俺の脳裏に、ジュオウ達の使う魔法の一つが蘇る。『転移』の一言で、瞬時に場所を移動する事の出来る、陣地を越えたあの魔法が。 国王は近くの窓へと寄りかかった。窓の外には、平穏な城下町が広がっている。 「あれは全ての真相を私に話した。そして、私を脅迫したのだ」 「事件の調査をやめさせろ。さもなくば、戦争を仕掛ける事になるぞ……ってところかい?」 「そうだ」 「成程ね……」 俺もまた、窓の外を眺めやった。 美しい町並みだ。かつての凄惨なコイートの面影は、最早失われつつある。 この町を守りたい。二度とこの町に血の臭いを漂わせたくはない。その気持ちは俺にも分かる。一地区の主としては、当然の望みであろう。 だけど……だけどよ…… ……唇を噛みしめたまま、俺はくるりと踵を返した。 背を向けたまま、国王にこう告げる。 「これだけは伝えておく。 あんたの懐刀と呼ばれた男は……リック・ジョーナンドは、もうこの世にいない」 「……そうか」 国王の声の響きには、驚きは含まれていなかった。おそらくは予想していた事なのであろう。 激しい憤りを胸の内に抑え……俺はさらに先を続けた。 「奴はずっと、この国の事を考えていた。この国の為と思い、一人でずっと闘い続けていたんだ」 「………………」 国王からの返事は、ない。彼がどの様な表情を浮かべているのか、俺には知りようもなかった。 「奴こそは、真の王宮騎士だ」 それだけを言い残して、俺はその場を後にした。
城門をくぐった所では、相棒が待ち構えていた。 「フィズ……」 俺の姿が目に止まったらしく、声をかけてくる。 実際に俺が目を引かれたのは……ミレアの後ろに佇んでいる人物だった。 整った顔立ちをした、俺達よりも少し年上と見て取れる女性。今回の案件を持ちかけてきた人物だ。 「………………」 依頼主の目は真っ赤に充血していた。何日も泣き明かした様にも見える。真相を知らされたのは、ついさっきの筈なのに…… 俺は、ゆっくりと彼女の元へと歩み寄った。 そして、その場に膝をつき……頭を地面に擦り付ける。 「……申し訳、ありませんでした」 言葉と共に、目元から涙がこぼれ落ちるのが分かった。 「俺は……リックを助ける事が出来なかった。奥さんに会わせる事も、もう叶わない…… 本当に……本当に、申し訳ありません……」 言葉を紡げば紡ぐ程に、大粒の涙が滴り落ちる。それでも俺は詫びずにはいられなかった。 「顔を上げて下さい、ライアスさん」 肩を震わせて泣きじゃくる俺に、エルザはそっと手を差し伸べる。 「事情は……全て、タガーノさんから伺いました。 主人もきっと……満足して死んでいったのでしょう」 エルザの声は、今にも枯れてしまいそうだった。 「私、ライアスさん達には本当に感謝しているんです。主人を……人間として、看取っていただいた事を…… もしもライアスさんがいらっしゃらなければ……主人は永遠に苦しみ続ける事になったのでしょう。無理矢理に剣を持たされ、戦場に立たされて…… 主人は、きっと幸せだったんです。ですから……どうか、立ち上がって下さい」 「奥さん……」 エルザの優しさが……俺には何より辛かった。いっその事、非難を浴びせてくれた方が、どんなに気が楽だったろう。たとえ、それが自己満足に過ぎなかったとしても。 「さあ……立ち上がって下さい」 エルザに促され、俺は重い腰を上げた。涙と鼻水でグチャグチャになった顔を、両腕で交互に拭う。 俺の涙が収まったところで……エルザは深々と頭を垂れた。 「ライアスさん、タガーノさん…… この度は……本当にありがとうございました」
「強い人ね……エルザさんって」 ミレアがぽつりと呟きを漏らしたのは、帰路の馬車の中だった。丁度、コイート地区を過ぎたあたりであっただろうか。 「私も……もっと、強くならなきゃ。 いつまでも、父さんの事で悲しんでいられない」 俺はぼんやりとしたまま、ミレアの言葉に耳を傾ける。 「もう、二度と……父さんを死なせたくない。大切な人達を、この手で守れるくらい、強くなりたい」 「……俺もだよ」 俺は返事をした。頭の中は、尚も靄がかかったみたいにぼんやりとしたままだったけど。 「俺も、強くなりたい。 でも……俺は、もう二度と人を斬りたくないんだ」 「………………」 そう答えると、ミレアは口を閉ざしてしまった。 馬車の中に沈黙が流れる。 「……これから、どうするの?」 随分と時間が経った後、ミレアが再び声をかけてくる。 返答は、すでに決まっていた。 「旅に出る」 「……シルウォナに渡るつもりなの?」 「ああ」 キソウの言葉が真実ならば……奴らはマリカバで何か騒動を起こそうとしている事になる。それを見過ごすわけにはいかない。奴らが何を企んでいるのかはまだ分からないが、これ以上に悲劇を重ねるわけにはいかない。 「そうか、そうだよね……旅に出ないとね」 笑顔を見せるミレア。無理をしているのは明らかだった。 「また、忙しくなりそうだね」 「……ああ」 努めて明るく振る舞うミレアを見ている内に、俺はいつしか自らの決心を口に出す事が出来なくなってしまっていた。 そう遠くない未来に伝えねばならぬ決心であるが、今はそっと心の内にしまっておく。 (お前は連れて行けないよ、ミレア。これ以上、誰かを巻き込みたくはないんだ。 奴らとの決着は……俺一人でつけてやるから) 頬杖をついたまま、俺は大きく溜め息を漏らした。 黄昏色に染まりし空の下。平坦に続く道の上を、一台の馬車が悠々と走り続けていた。 決して交わる事のない、俺達二人の意志を乗せて。
《完》
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