9 一つの個性と言うべきものであろうか。剣技には、使い手の癖が強く表れる。 そして、俺は肉人形の用いる剣技を見た事があった。 リック・ジョーナンド。 かつて俺が引き受けた案件で、二度も面を合わせた男であり……俺にとっては戦友だ。そして、今回の仕事で俺達が行方を追っていた男でもある。 「……何でだよ? 何で、こんな事になったんだ?」 全ての元凶たる老人を見据え、俺は詰問した。 「ジュオウ…… あんた、ジョーナンドに何をしたんだ?」 「その男の事か? フン。大した力も持ち合わせておらぬのに、出しゃばった真似をするからその様な事になるのだ」 「何だと?」 「国王には忠告をしておいたのだ。コイートを滅ぼされたくなければ、儂の邪魔をせぬように、とな。 にも関わらず、飼い犬が一匹迷い込んできおったのよ。そこで炎に包まれておる、その男がな」 ……耳を塞ぎたかった。いっその事、削ぎ落としてしまっても良いと思った。それで、全てが嘘になるのなら。延々と続く、この悪夢から目覚める事が出来るのなら。 今度ばかりは……現実を受け入れる事が出来なかった。 「森に入ってきたところを肉人形に捕らえさせ、自らも魔物として創り替えてやったのだ」 「黙れ……黙れ、黙れ!」 「結果は上々。それまでの肉人形を遙かに上回る出来映えとなりおったわ。虚け者風情にしては、役に立ったものよ」 「黙れええぇぇっ!」 俺は頭を抱えて、その場に蹲った。 もう、何も出来なかった。次から次へと溢れ出る涙を拭おうともせず、子供の様に泣きじゃくる事以外は。 (何、泣いてんだよ? 今は闘いの最中なんだぞ……早く構えろよ。でないと、殺されるんだ) 頭のどこかで自身を諫める声が響く。 分かってるさ、そんな事。だけどよ……俺はもう闘えないんだ。 一体あいつが何をした?ジョーナンドがどんな悪事をやらかしたって言うんだ?奴はただ、事件解決のために闘っていただけなのに。王に裏切られる形になろうとも、ただ国の事を考え、ずっと働き続けていたってのによ。 こんな事って……こんな事ってあっていいのかよ?畜生が! 「フィズ!起きて……お願い、フィズ!」 ボロボロと涙をこぼす俺に、追い打ちをかけたのはミレアの金切り声だった。 「もう、魔法も持たないわ!早く立って!」 「……斬れって言うのか?」 頭を上げ、虚ろな瞳を相棒に向ける。 ミレアがハッと息を呑むのが分かった。無理もない……今までこんな姿を見せた事はなかったからな。 ぼんやりと独りごちるようにして、俺は呟く。 「ジョーナンドを斬れと。 お前はそう言うのか?なぁ、ミレア……」 喋りながら、つくづく自分が嫌になってくるのが分かる。 ミレアを責めたってどうしようもないのに。ミレアが悪いわけじゃないのに。 「無理だよ、そんなの。 どうして、あいつを斬らなきゃいけないんだ……」 「お兄ちゃん……」 「ごめんな……ミレア」 そう言って、俺は立ち上がった。鼻水を啜り上げ、嗚咽を必死に抑える。 眼前には、炎の障壁から脱しようと藻掻く男の姿があった。変わり果てたかつての戦友に、俺は努めて優しく語りかける。 「ごめんな……ジョーナンド。俺がもっと早くここに来ていれば、お前をこんな風にする事もなかっただろう。 今までさ、お前はずっと独りで闘ってたんだよな。辛かったよな……痛かったよな……」 「ウ……アゥ……」 燃え盛る炎の音に紛れて、ジョーナンドの呻き声が聞こえてくる。 「本当に悪かったよ……今までお前独りばかりに酷い目に合わせてさ。 これからは、俺も……共に歩ませてくれよ」 剣を腰に携えたまま、俺はゆっくりとジョーナンドへと歩み寄った。熱気が髪や皮膚を焦がすが、まるで気にならない。 俺の中で、覚悟はすでに決まっていた。 「どうするつもりなの? まさか……お兄ちゃん!」 「いかん……戻れ!戻ってこい、フィズ!」 ミレアの戸惑う声も、オヤジの叱咤の叫びも。最早俺には届かない。俺の決心を、揺るがせてはいけないんだ。 丸腰のまま、俺はジョーナンドの目と鼻の先にまで迫った。 「……斬れよ」 哀しき友に向かって、穏やかに語りかける。 「俺を、斬れ。もう、こんな闘いは終わりにするんだ」 「ア……アアアァァァ……」 俺が接近したのを確認したのか、ジョーナンドはさらに両の腕を振るい、暴れ狂う。 そうだ、それでいい。早く、終わらせてくれ。もう……こんなのは沢山だ。 俺は静かに両手を広げ、その時を待った。 そして…… 「ウオオオアアアアアァァァッ!」 業火の滝が真っ二つに裂かれる。遂にジョーナンドが枷を外したのだ。 光宿らぬ双眸を俺へと向けたその直後。ジョーナンドは刃を大きく振りかざした。 次の瞬間、鋭い突き技が繰り出される。 「これで、終わりだ」 俺は……そっと瞼を下ろした。
「嫌あああああっ!」 耳を劈く様なミレアの悲鳴に、俺はカッと目を見開く。 「ん……?」 頬や身体に何やら温かい物が付着している事に気が付く。手で触ってみると、ぬるぬるとした感触が伝わってきた。 だがしかし……脇腹の傷を除けば、俺自身には痛みはない。 いや、そもそも……何故俺は尻餅をついているんだ?俺は確か、ジョーナンドに斬られた筈じゃなかったのか? 状況を確認するべく、前方に視線を向ける。そうして初めて、俺は何が起こったのかを悟った。 「ぁ……ああ……」 口を半開きにして、俺はわなわなと身体を震わせた。 「オ、オヤジ……」 そう。俺の目の前には、オヤジが立っていたんだ。その身を朱に染め、ぐったりとした姿のオヤジが。 その背を深々と貫いているのは、紛れもない友の腕。 俺が攻撃を喰らう刹那。横合いから、オヤジは俺を突き飛ばしたんだ。そうして俺を庇って、オヤジは友に刺された。 「グ……アア……オオオオッ!」 尚も獲物を斬り刻むべく、異形の物と化したジョーナンドは腕を引き抜こうと足掻く。だがしかし、刃はびくとも動かない。 「ぐっ……」 歯を食いしばり、オヤジはその身を蝕む痛みを堪えていた。敵の刃をがっしりと掴み、ジョーナンドが暴れ出すのを必死に止めながら。 「離さねぇ。 もしもこの命が尽きたとしても……この手だけは絶対に離さねぇ!」 「ガアッ!」 オヤジの抵抗が気に障ったのか、ジョーナンドは言葉にならぬ叫びを発し、もう片方の腕を無我夢中に振り回した。 オヤジの全身の肉が裂け、傷口から鮮血が噴き出す。それでも、まだオヤジはジョーナンドを抑え付けている。 いけない!このままだと……このままだとオヤジが本当に死んでしまう。 「止めろ! オヤジ、もう止めるんだ!」 「……フィズ」 俺の呼びかけが届いたのか、オヤジはその口を開く。 「け、剣を抜くんだ……フィズ。剣を抜いて、俺ごとこいつを……倒すんだ」 弱々しくも芯のある声で、オヤジは俺にゆっくりと語りかけた。 「友を斬ると言う事が、どれ程の苦しみであるか……お前の気持ちも分かる。 けど、よ……こいつは斬らなきゃいけねえ」 「そんな……」 「分かってるだろ…… 今倒してやらなければ……こいつは未来永劫、化け物として生き……世界中に災厄をもたらす事になる。愛する者すらも、その手にかけてしまう事になるかも知れねえんだ」 俺には……オヤジの言葉を否定する事が出来なかった。 彼の言っている事は事実だ。今のジョーナンドであれば、決して躊躇う事なく、簡単に人を殺してみせるだろう。たとえ相手が子供であっても、女であっても。最愛の妻、エルザであったとしてもだ。 「そんなの……望んじゃいねぇ筈だろ。リック・ジョーナンドって男はよ。 そうじゃねぇのか、フィズ・ライアス!」 「っ……!」 その通りだ。俺の知っているジョーナンドは、絶対にそんな事を望みやしない。それに俺も探偵として、災いをもたらす者を放っておくわけにもいかない。 刃を振るい止めを刺せば、結果的に奴に安らぎを与えてやる事になるんだ。俺は必死に自分に言い聞かせようとした。 だけど……どうしても出来ない。ジョーナンドをこの手で斬るなんて、あまりにも不憫すぎる。 「……俺には、無理だ」 「このっ……馬鹿野郎が! 手前の言う友ってのは……馴れ合うばかりなのか?そうじゃねぇだろが……」 がくりと項垂れた俺に、オヤジの怒声が飛ばされる。 「こいつを倒すのは……俺でもねぇ。ミレアでもねぇ。友である、お前の役目なんだ」 「俺の、役目?」 「そうだ!」 言葉と共に、オヤジは口から鮮血を迸らせる。正視に耐えぬ光景であったが、俺は決して目を逸らさなかった。もしも逸らしてしまったなら、俺はきっと自分を一生恨む。その事が、痛い程に分かっていたから。 壊れてしまわんばかりに力を込めて、拳を握りしめる。皮膚が裂け、生温かい物が指の間より伝い落ちるのが実感出来た。 ……その時である。 「ラ……イ……アス……」 地の底より響く様な重く、低い声が俺の鼓膜を振動させた。 この場にいる誰の物とも思えぬ声……いや、しかし確かに聞き覚えのある声。 「ラ……イ……ア……ス……」 俺の名を呼ぶ謎の声は、尚も発せられ続ける。 俺は面を上げ……そして、息を呑んだ。 「ライ……アス……ト……モ…… オレ……ノ……トモ……ラ……イア……ス」 その声を発していたのは他でもない……ジョーナンドだった。邪悪なる者の意志により、魔物と化した筈の彼が、俺の名を呼んでいる。ドロドロに溶けた口元を開き、途切れ途切れになりながらも、俺の名を紡ぎ続けている。 『なっ……!』 この事態に言葉を失ったのは、俺やミレアばかりではなかった。 常に余裕を見せつけていた、あのキソウが。そして、肉人形の創造主であるジュオウすらが。驚きを隠せぬ様子で目を見開き、ジョーナンドを凝視している。 「ジョーナンド!俺の事が分かるのか!」 俺は必死に呼びかけた。 ジョーナンドには、まだ自我が残っている。そして俺に何かを伝えようとしているんだ。 「ライア……ス」 「ああ……聞いてる。俺はここだ、ジョーナンド!」 呼びかけながら、俺はジョーナンドの声に耳を傾ける。 奴が俺に何を伝えようとしているのか。 「ラ……イアス……オレ……ヲ、コ……ロセェ……」 「……! ジョーナンド……」 「タノ……ム、コロセ……ライア……ス……コロシ……テク……レ…… モウ……モタナイ。 オ……レガ、オレ……デ、アルウ……チニ、タノ……ライア……コロセ……ライ……アス」 ……俺は、静かに瞼を閉じた。改めて、友の思いを悟ったんだ。 結局、俺は逃げていただけなんだよな。残酷な真実ってやつから、必死に目を逸らそうとしてた。その真実の中で、ずっと苦しみ続けていた奴もいたってのによ…… すまなかったな、ジョーナンド。ずっと、シカトしちまってよ。 「けど、もう逃げないぜ……」 そう呟いて、俺は再び剣を抜いた。
「この虚け者めが!」 森の静寂をぶち破るかの様な怒声が響き渡る。声の主、ジュオウは鬼の形相を浮かべて、ジョーナンドを睨み付けた。 「失敗作のコピーマンのみならず、貴様までもが儂に刃向かうのか、肉人形! 一体何をしておるのだ?その失敗作もろとも小僧を葬るがよい!」 「ゥ……ガッ!ウアオォァッ!」 ジュオウの命を受け、ジョーナンドは咆吼する。しかし、一向に動きを見せない。 魔物の性と人間の意志。相容れぬ二つの情が、奴の中で争っている。そうだ、奴もまた闘っているんだ。 「殺れ、肉人形よ!」 「ウアアアアッ!」 度重なるジュオウの命令に、声を裏返らせて叫ぶジョーナンド。刃と化した腕を振り回し、再び暴れ出そうとする。 「そうは、させるかあっ!」 そんなジョーナンドを、オヤジは正面から羽交い締めにした。その胴は尚も刺し貫かれたままだと言うのに…… オヤジ……あんたも、そうなのか? 「言ったろうが……たとえ死んでも、離さねえってよ。 今だ……フィズ!俺達を……斬るんだ!」 「やっぱり……あんたもそれを望むのかい?」 剣を手にしたまま、俺はオヤジにそう問いかける。先程までとは打って変わって、不思議と冷静さを保つ事が出来た。 「……俺は、深手を負いすぎている。どの道、長くは生きられねぇさ。 それによ……やっぱり、俺はクリマの偽物でしかねえんだ」 「……父さん」 頬を涙で濡らしたミレアが、小さな声で養父を呼ぶ。その呟きが届いたらしく、オヤジはフッと相好を崩してみせた。 「ミレア……嬉しかったぜ。お前に……お前達に父と呼んでもらえた事。 俺は、本当に幸せ者だ。もう、思い残す事もねぇ。誇りを持って……逝く事が出来る」 「父さん……!」 ミレアの悲痛な叫びは、痛い程に俺の胸に響いた。 畜生……! 俺は絶対に許さない。この悲劇を生み出した、あの野郎だけは! 怒りや悲しみが複雑に絡み合ったやり場のない憤りを抱きながら……俺は呼吸を整えた。 「さぁ……フィズ」 オヤジの呼びかけに応じる様にして、脳裏で魔法の構成を編む。 「………………」 詠唱の時間は、いつもより遙かに長く感じられた。 構成を編み終え、俺は吼える。 「包め!」 俺の声に呼応し、刀身を包み込む様にして風の障壁が発生する。風魔法の一つ、《具を包む真空の矛》だ。 風の力を宿した魔法剣を携え、俺は構えを取った。 目標をじっと見据える。 狙うは二人。戦友と養父。俺にとって、大切な存在…… 心の内より沸き上がってくる迷いを、俺は必死に押し留めた。 「ウ……」 そして、 「ウオオオオッ!」 地を蹴る。 瞬く間に間合いを詰め……俺は大きく剣を振りかぶった。 「ハアッ!」 そのまま、一気に振り下ろす。 「フィズ!」 斬撃の刹那、誰かが俺の名を呼んだ。果たしてそれが誰であったのかは知る由もない。 永遠とも思える程の時間が過ぎた後。 二人は力尽き果てた様にして、地に倒れた。 「………………」 風のコーティングを解除して、俺は剣を鞘に納める。 その時になって、俺は初めて気が付いた。自分が、泣きながら剣を振るっていた事に。 (ごめんな……ジョーナンド) 俺は沈黙を保ったまま、ただただ二人の男を見下ろしていた。
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