8 気が付くと、俺は鬱蒼と生い茂る樹々の中で立ち尽くしていた。 ここは、どこだ?俺は……さっきまで洞窟にいたのに。ミレアは……それにキソウはどこだ? 周囲を見渡してみると、ミレアとキソウの姿はすぐに確認する事が出来た。二人とも俺のすぐ近くにいる。ミレアも俺と同じく、何が起こったのかを理解出来ていない様子で、目を白黒させている。 とにかく状況を整理しなければ…… 俺はキソウに声をかけた。 「今何をしたんだ?ここはどこだ?」 「空間転移の魔法を使った。そしてここはシダノの森……別に何という事はない、ただ地上に出てきただけの事だ」 質問に答えるキソウ。 空間転移の魔法?そんな物、存在するわけがない。人間の持つ意識容量では、空間を渡り歩く程の魔法を編み出せる筈もないし、扱う事も叶わない。 だが、キソウはそれを現実にやってのけた。おそらくは俺の背後に現れた時にも同じ術を用いたんだろうが……まさに人外の力の持ち主というわけだ。 「どうせ闘うのならば、広い場所の方が良いだろう。地下で生き埋めになる心配も要らんし、存分に力を発揮出来る」 「お心遣い、どうも。 ならこっちも遠慮なく闘わせてもらおうか」 キソウと対峙し、俺は構えを取った。ミレアもまた、キソウと距離を取って矢を番える。 「まぁ待てよ、お二人さん」 冗談交じりに戯けてみせると、キソウは両手を上に掲げた。別段、何かの魔法を使うというわけでもないらしく、本当にお手上げという意味のポーズであるらしい。 「早とちりしてもらっては困る。何も俺が闘うわけじゃない。 お前達の相手は別の者がする事になっているからな」 「生憎と、こっちはあんたに用があるんでね。腰に提げてる輝きの剣、いつまでも預けとくわけにはいかないんだ」 スクールでの事が脳裏に呼び起こされる。キソウに奪われた俺の相棒を、一刻も早く取り戻してやらないと…… 「どうしても闘りたいのなら、それでも構わんがな。 しかし、二対一であってもお前達に勝ち目があるとは思えんぞ」 徐に手を下ろすと、キソウは腰の得物を掴んだ。光り輝く剣を抜き、数度素振りを繰り返す。 場の空気がピンと張り詰めた、その時であった。 「ハァッ!」 気合いの込められた声と同時に、キソウの背後から突如長く鋭き武器が突き出される。無論ながら、攻撃を仕掛けたのは俺でもミレアでもない。 武器の正体を知るべく、素早く目を配る。 あれは……槍だ! 身を捻って、避けるキソウ。が、完全には避け切れなかったらしく、左腕を浅く裂かれる。 あのキソウに傷を負わせる程の芸当が可能な槍使い。そんな奴は、おそらくこの世に一人しかいない。 「父さん!」 その男……オヤジに呼びかけるミレア。 「父さん!来てくれたのね」 「ああ……」 槍を一振りして、オヤジもまた構えを取る。 「……?」 ふと俺は妙な事に気付いた。 オヤジの目だ。キソウと相対するオヤジの目には、どこか迷いの様なものが見受けられる。 その事について俺が訊ねようとするよりも早く。キソウがオヤジに声をかけた。 「お前、何をしている?この俺に刃向かおうと言うのか?」 「……?」 意味不明なキソウの発言に、思わず俺は首を傾げてしまう。彼の言わんとする事が何なのか、全く掴めない。 奴は一体? 「どうなんだ?本当に俺に楯突くつもりなのか?」 「恐れながら……その通りでございます」 オヤジは槍をそっと地に置いた。そして深々と跪き、頭を垂れた。 「お許し下さい、鬼蒼様。 俺はもう……昔の自分に戻る事は出来ないのです」 『なっ!』 俺とミレアの驚きの声が、見事にハモる。 まさか……いや、一体これはどういう事なんだ? オヤジは一体何を言っているのか?いや、そもそも何故オヤジがこの男の元に跪かねばならないのか?オヤジとキソウはどういった関係にあるのか?疑問が次々と湧き出てくる。 「一体何をしているの……父さん?」 弓を取り落とし、唖然とした表情でミレアは呟く。 「まさか、父さんもキソウ達の仲間だと言うの?」 「……そうか。お前達は知らないのだな。この男の正体を」 ミレアの投げかけに返事をしたのはオヤジではなかった。キソウである。 「正体?父さんの正体って何よ?」 声を荒げるミレア。 あのミレアが……いかなる時も冷静沈着を保つ事を忘れぬ俺の相棒が……取り乱している。俺達の前に突きつけられた現実は、それ程までに過酷なものだと言う事か。 「そういきり立つな、お嬢さん。折角の美人が台無しじゃないか」 「茶化さないで!早く答えなさい!」 「真実が知りたければ、その男に直接訊いてみてはどうだ?」 キソウに促され、俺とミレアはオヤジへと視線を移した。 オヤジは大きく嘆息を漏らす。そして、ゆっくりとその腰を上げ、立ち上がった。 「フィズ、ミレア。 さっき俺が言った事を覚えてるか?」 「『真実が如何に残酷なものであったとしても、決して絶望するな。子供は、親の背を乗り越えていくものだ』……ってやつかい」 「そうだ。 俺が今からお前達に語るのもまた一つの真実。惑う事なく聞いてほしい」 オヤジは静かに瞼を閉じた。大きく息を吸い、吐き出す。深呼吸を二、三度繰り返した後、彼は再びその口を開いた。 「俺は……クリマ・セイルではない」 『なっ……!』 二度目の驚きは前の比ではなかった。あまりに衝撃が大きすぎて、全身に鳥肌が立つ様な寒気を覚えちまったくらいだ。 「見てくれれば分かると思うが、出で立ちはそっくりだ。クリマとしての記憶だってある。 けどな、俺はクリマじゃねぇ。俺の持つ好みや癖も、全てはクリマの複製に過ぎねぇんだよ」 「どういう事?言ってる意味が分からないわ」 困惑するミレア。相方には彼の言葉の真意が伝わっていないらしい。 その一方。俺は大凡において彼の言わんとする事を把握出来た。複製……という単語で、ピンときたんだ。 「成程な。そいつが真実ってわけか。 全く気付かなかったぜ。まさか……あんたも魔物だったなんてな」 オヤジは……いや、オヤジと瓜二つの風貌の魔物は首肯する。その仕草こそが、俺の推測が間違っていない事を裏付けていた。 「フィズ……魔物って、一体どういう事なの?」 未だ戸惑うミレアに対し、俺は真実を告げる。 「この男はオヤジじゃない。オヤジの情報を複製してこの姿を形取っているんだ。 そういう事なんだよな?コピーマン」 「ああ……その通りだ。俺は呪翁様の手によってこの世に生を受けた。尖兵として、闘うためにな」 「マスターから依頼を受けたって話も全くの嘘ってわけかい?」 「……すまなかったな。ああでも言わなければ、俺がこの森にいる事の説明がつかなくなると思ったからよ。全くの出鱈目話をでっち上げたってわけだ。 本物のクリマ・セイルなら、今頃のんびりと家でとくつろいでると思うぜ」 やや俯き加減になりつつも、コピーマンは告白を続けた。 それにしても、よく似ている。見た目のみに留まらず、喋り口調や雰囲気を取ってみても、本当にオヤジの生き写しだ。前に俺が闘ったコピーマンは、ここまでに完全なる模写を為す事は出来なかった筈だが。 「本当に……父さんじゃないの?」 怪訝そうに眉をひそめるミレア。ここまで似ているのだから、疑ってかかるのも無理もない話だ。 「ああ、そうだ。俺はお前の父さん……クリマじゃねぇ。 騙す様な真似をして、本当にすまなかった」 「でも、どうして?どうして、父さんとそっくりな魔物がここにいるの?」 「その事については、儂から答えさせてもらおう」 ミレアの疑問に答えたのは、嗄れた老人の声。おそらくは、コピーマンの創造主である男、ジュオウだ。 声の聞こえた方へと視線を向ける。 キソウの後方に佇むのは黒ずくめの老人。一体いつの間に現れたのやら……全く気が付かなかったぜ。 「ん……?」 ジュオウの後ろにもう一つ、人影がある事を確認する。 一体、誰だ……? 「よう、爺さん。こいつを見てくれよ。飼い犬に手を噛まれたってところなら、まだ可愛げのあるものだがな」 戯けた調子で、傷ついた腕を掲げるキソウ。当然と言えば当然なのかも知れないが、さしてダメージを受けた様子もない。 「所詮、出来損ないは出来損ないに過ぎぬか。もっと早くに処分しておくべきだったやも知れぬ。この儂の顔に泥を塗ろうとはな」 「呪翁様……」 自らの親たる存在であるジュオウを前にして、コピーマンは申し訳なさそうに表情を歪める。 「無礼をお許し下さい。俺は……俺はフィズやミレアの力となってやりてえんです。 それに……やっぱり俺には貴方の力となる事は出来ねえ」 「黙れ。貴様の様な失敗作の言葉など聞きとうもないわ」 地に唾を吐きかけるジュオウ。 失敗作、だと?どういう意味だ? 俺が頭に疑問符を浮かべているのに気付いたのだろう。ジュオウはちらりと俺の顔を一瞥する。 「先程の質問にまだ答えていなかったな。話してやろう」 また視線をコピーマンへと戻し、ジュオウは先を続けた。 「そもそもコピーマンとは、達人の体技や魔法を完全に複製するだけの能力を備えた魔物なのだ。かつて貴様が剣を交えた物も、そうであったろう?」 「ああ、確かに。以前に俺と斬り合ったコピーマンは喋りもしなかったし、まるで感情を持ち合わせていないみたいだった」 「うむ。 技術のみを受け継ぐ事の出来るオリジナルにさらに改良を加えて創り出したのが、目の前にいるこの男なのだ。身体能力に加え、記憶や嗜好に至るまで全てを複製する事が出来る」 オヤジの姿を模したコピーマンを、ジュオウは杖で指し示す。 「現存する達人、〈槍を尊ぶ者〉。きゃつの複製戦士を手駒とすれば、世に災いを起こすという儂の望みも楽に成し遂げる事が出来る。そう思うて儂は密かにクリマの元にコピーマンを忍ばせ、複製を行ったのだがな。その結果がこれだ」 一旦言葉を切り、大きく溜め息をつくジュオウ。 ハル・アニタ曰く、コピーマンは対象となる人物を一見するだけで複製を行う事が可能であるという事だ。オヤジ程の達人からコピーを取るとなればなかなか厄介そうにも思えるが、一目見るだけであればいとも容易であろう。必要以上に近付かず、距離を保って複製させればオヤジに気付かれる心配もないのだから。全く……よく出来たシステムだ。脱帽させられるぜ。 だがジュオウにとっては、このオヤジのコピーは満足のいくものではなかったらしい。一体どこに問題があったんだろう? 「こやつはクリマの記憶のみならず、クリマの心までも受け継ぎおったのだ。情に絆されおって、儂や鬼蒼殿の命を聞かぬ事もしばしばある。 この様な欠陥品が出来上がるとは、全くとんだ誤算だったわ」 「何……だと?じゃあ、この魔物は……」 ……そうか、そうだったのか! ようやくにして、俺は眼前に佇むコピーマンの事を悟った。 何故、魔物である筈の彼が俺達を助けるべく手を差し伸べたのか。どうして、自分の仲間である筈のキソウに攻撃を仕掛けたのか。 それは、彼がクリマ・セイルの心を持ち合わせていたからに他ならない。俺やミレアの養父としての心が存在しているからこそ、奴は俺達を守らずにはいられなかったんだ。 何て……こった…… 「お許し下さい。貴方達と共に歩む事の出来ぬこの俺を……」 地面に膝をつき、コピーマンはがくりと項垂れる。 ジュオウの返答は、あまりにも冷徹であった。 「くだらぬ情に絆されおって……雑兵が心なぞを持つな! コピーマンよ!貴様の身体も、技も、そして心とやらも!何もかもクリマの模倣に過ぎぬ!貴様は最早人間としても魔物としても生きられぬのだ!」 「心得ております」 頭を上げようとしないコピーマンに、ジュオウは益々苛立ちを募らせている様だった。 鬼の形相で、杖を大きく振りかざす。 「貴様をのさばらせておく事……もう我慢がならぬ。儂の手で、黄泉へと送ってくれるわ!」 そう叫ぶが早く、杖の先に光が灯る。 ……いけない! コピーマンの前へと駆け出すべく、俺は足を踏み出していた。 けれども、間に合わない! 「集束せよ!」 ジュオウが吼え、杖より魔法が放たれる。あれは、アンパスの事件の折に用いていた水魔法だ。 観念してしまったのか、コピーマンはまるで動きを見せない。 神速で迫る水流がコピーマンを貫こうとしたその刹那。 横からコピーマンを突き飛ばした者がいた。 突然の事にバランスを崩し、蹌踉けるコピーマン。だが、そのお陰で攻撃を喰らわずに済む。 当の水魔法は背後の樹木へと命中。大穴を穿ったものの、この場の誰一人として傷つける事はなかった。 「………………」 コピーマンは目を丸くして、自分を助けた人物を凝視する。 「ミレア……どうして……」 そう、彼を救ったのはミレアであった。 赤く充血した目を瞬かせ、ミレアは嗚咽を混じらせながらこう漏らした。 「父さんを……父さんを、見殺しになんて出来ないよ……」 「……まだ、俺の事を父さんと呼んでくれるのか」 「うん……」 こくりと頷くミレア。 「けどよ……俺は、クリマじゃねぇんだぜ?本当は、人の血も通っていない様な化け物なんだ」 「とえ魔物であっても……貴方は父さんの全てを持ってる。本当の両親のいなかった私を育ててくれた、父さんの心を持ってる! だから貴方も……私にとって本当の父さんだよ」 ミレアは、そっとコピーマンの肩に手を置いた。その背を優しく撫でる。 「………………」 俺も……ミレアと同じ事を考えていた。 クリマの複製に過ぎないのかも知れない。紛い物と言えば、そうなのかも知れない。けれども……このコピーマンは紛れもなく俺達のオヤジだ。俺達の事を気遣い、仲間である筈のジュオウ達をも裏切ってまで俺達の力となってくれた。それもオヤジの心を持っているが故の話だ。 コピーマンだろうが何だろうが関係ない。彼は……オヤジなんだ。 「……くだらぬ!」 怒気をはらんだ一喝が、和みかけていた雰囲気を見事にぶち壊してくれた。 「この親にしてこの子供あり、か。 それが親子の絆とでも言うのか?そんな物、偽りに過ぎぬわ!」 「……貴方の様な人にはきっと一生分からないのでしょうね」 怒りを撒き散らすジュオウを、ミレアは鋭く睨み付けた。 「貴方だけは絶対に許さない」 「小娘が!」 ミレアに向かって、杖を突きつけるジュオウ。逆上しているのか、周りが見えていないらしい。 今がチャンスだ! 「相手を間違えるなよ、爺さん!」 俺は地を蹴った。相手の懐へと滑り込み、強烈な突き技を繰り出す。 後方へと退くジュオウ。驚愕に染まったその表情から察するに、俺の動きは予想だにしていなかったらしい。 「あんたの相手はこの俺だ。そうだろ?」 二人の仲間を守る様にして、俺は構えを取った。 「フィズ……」 コピーマンの……いや、オヤジの元に寄り添うミレアが、心配そうに声をかけてくる。 「いいって。ここは俺に任せときな。ミレアはオヤジの事を頼む。 正直さ……はらわた煮えくり返ってんだよ、俺も。だから、ここは任せてくれ」 振り返らぬまま返事をする。 これだけの怒りを覚えたのは、おそらく生まれて初めてだ。多くの人の命を奪い、常軌を逸した研究を繰り返し、自らの生み出した魔物の命すらも弄ぶ。あまりにも人道に外れたジュオウの行いを、決して許すわけにはいかない。探偵としても、人間としても。 「どけ……小僧」 憤怒の形相を浮かべるジュオウ。 「どかしたければ、俺を倒しな」 「貴様……」 まさに空気は一触即発。いつ爆発してもおかしくはないって感じだ。 「いいじゃないか、爺さん。その探偵坊主から相手をしてやれよ」 逆上したジュオウの様子を見かねたらしく、それまで口を閉ざしていたキソウが声をかける。 「地下からあれを持ってきているんだろう?生意気な探偵に見せてやったらどうだ?」 「……そうだな」 フッと、ジュオウは頬の肉を緩めた。キソウの言葉により、少しばかり冷静さを取り戻したと見える。 「貴様なぞ、この儂が相手にするまでもない。貴様の相手は我が手駒に任せるとしようぞ」 「……また魔物を差し向けようってのかい」 この期に及んで尚も魔物を使うとはね。つくづく腐った野郎だ。 「覚悟するがいい。此度の相手は、今までに貴様が葬ってきた物達とは格が違うぞ」 数歩ばかり後退るジュオウ。入れ替わるようにして、彼の背後に佇んでいた人影が、前へと歩み出る。 「誰を連れてきたのかと思ったが……成程ね。俺と闘う魔物を呼び寄せたってわけかい。 それで、今度はどんな相手なんだ?」 軽口を叩き、俺は魔物へと視線を移す。 「……!」 その魔物の風貌を確認し……俺は驚愕に目を見開いた。
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