7 「信じられない……」 まるで幽霊か化け物を目にしたかのごとく、ミレアは驚愕と恐怖に打ち震える。 「その男……何者なの?どうやって現れたと言うの?」 彼女が驚くのも無理はない。正直、俺だって度肝を抜かされたんだ。 奴はこの場に突然出現した。瞬間移動とでも呼ぶべき能力だろうか。無論ながら、ただの人間にそんな芸当が出来る筈もない。たとえ魔法の力を用いたとしても、瞬時に場所を移動する事など不可能だ。 以前にアンパスで、あの爺さんが似た様な技を使っていたのを見た事があったが……この男もまた、並外れた魔法の力を宿しているというわけか。 ただただ惚けてばかりの俺達を余所に、キソウは勝手に話を進める。 「どこまで掴んでいるんだ?探偵」 「……ジュオウって奴の正体がシャドウマスターだって事は分かったよ」 重い唇をこじ開け、何とか声を出す事に成功する。 「スクールでの騒動の際に、アニタはジュオウの名を口にしていただろ。あんたとジュオウがグルになっている事もすでにお見通しさ」 「ハル・アニタ……か。あの男もつくづくミスをしてくれたものだ。早々に始末しておいたのは正解だったな」 「相変わらず非情なんだな、キソウさんよ」 俺の言葉に、ミレアは目を丸くしてみせる。 「キソウ?この男が?」 隻眼の男を凝視するミレア。そう言えば、彼女はキソウと顔を合わせた事がなかったんだな。 それにしても、この体勢では落ち着いてお話をする事もままならない。後ろからいつ斬りつけられるか分からないってのは、結構嫌なもんだぜ。 「とりあえず、その剣を納めてくれないか?」 そう頼むと、キソウは怪訝そうに顔をしかめてみせた。彼にとっては、予想外の反応であった様だ。 「別に抵抗するつもりもないさ。仮に俺達が一暴れしたとしても、あんたなら簡単にねじ伏せる事が出来るだろ?」 「……フン」 鼻で笑い、納刀するキソウ。どうやら、俺達は完全にナメられているらしいが、現実問題として実力に差があり過ぎるのだからしょうがない。 物騒な物がなくなったところで、改めてキソウと対峙する。 「これから俺達をどうするつもりだい? 煮て食おうか、焼いて食おうか迷ってるって面してるぜ」 軽口を叩いてみせる。少しは余裕を取り戻す事が出来たみたいだ。 大仰に肩を竦めてみせるキソウ。少しはユーモアの通じる相手であるらしい。 「俺は別にお前等なんぞに用はない。用があるのは爺さんの方だ」 「爺さんってのは、ジュオウの事かい?」 「ああ。 ついでに言っておくがな。俺はお前が思っている程、サディスティックな男じゃないぜ」 ……嘘付け。 喉元から飛び出しそうになった突っ込みをかろうじて飲み込む。いや実際、この男がスクールでやらかした事を思い起こす限りでは、どう考えても正真正銘のサドなんだが。 「いい趣味をしているのは爺さんの方だ。ついこの間まで、年端もいかぬ幼子を相手に人体実験を繰り返していたんだからな」 「幼子相手に人体実験……だと?」 脳裏に嫌な予感が掠める。ミレアの方へと視線を移すと、彼女もまた顔を強張らせていた。俺と同じ事を考えたのかも知れない。 シダノの森より聞こえてくる子供の泣き声。カークス村で起こった誘拐事件。そして、ジュオウが繰り返したという幼子相手の人体実験。これらの情報を整理すると、答えは自ずから見えてくる。 「成程な。あんたの話が正しいのなら、確かにジュオウって奴の非人道性は相当のものだと思うぜ」 なりを潜めていた感情が、再び沸々と込み上げてきた。その感情とは即ち……激しい怒り。 「ジュオウはどこだ?キソウ」 先程まで抱いていた驚愕や恐怖は、すでにどこかへと吹き飛んでしまっていた。俺は 「そう急かすな。もうそろそろ上がってくる頃だと思うぜ」 「上がってくる、だと?」 どういう意味だ? 首を傾げたその時。俺の背後から大きな物音が響き渡った。まるで重たい何かが床を擦れる様な、そんな音が。 「……何だ?」 俺は迷わず振り返る。 先程まで整然と並べられていた本棚の一つが、姿を消してしまっている。そしてぽっかりと開いた空間の奥には、さらなる地下へと続く階段が見え隠れしていた。どうやら、件の本棚は左右に動く仕組みになっているらしい。 「こんな所に隠し部屋があったなんて……」 目を丸くするミレア。いや、俺もこの光景を目にするまでは、隠し部屋の存在など想像すらしていなかった。探偵として、情けない限りだ。 だが、俺にはそんな反省している暇などなかった。 『コツ……コツ……』 新たに出現した階段の奥底より、足音が近付いてくる。 そして、この場に響き渡る第四の声。 「久しいな、小僧。 貴様とこの地で再会する事になろうとは、運命とやらも面白いものよ」 忘れもしないこの声。そう、俺達は以前にこの声の主と相対した事がある。むせ返る様な血の匂いに支配されたあの事件の折、探偵と犯罪者という立場の元、俺達は邂逅を果たしたんだ。 「お生憎様。運命やら伝説やらってのは趣味じゃないんだ。そんなものに縛られるなんざ、反吐が出るくらいに嫌なんでね。俺は自分の意志でここに来たんだ。真実を知るためにな。 ……アンパスでの借りは返させてもらうぜ、爺さん」 台詞を言い終えた直後。眼前の階段に人影が現れた。程なくして、その人物は階段を上り終え、姿を見せる。 お伽話の魔法使いの様な出で立ちをした老人。黒いローブと帽子に身を包み、その右手には杖が握られている。 この老人こそ、コイート連続猟奇殺人事件の首謀者。魔物を操り、多くの命を奪った犯罪者だ。 「儂の素性を知ったのであろう?それでも尚、刃を向けるのか?」 唇の端をつり上げ、顎を撫でる爺さん。人を小馬鹿にした態度は相変わらずの様だな。 「勿論さ。俺が探偵である限り、あんた達みたいな輩を野放しにしておくわけにはいかないんだ。 ……今にして思えば、あの時に気付くべきだったよ。どこかで見た様な覚えがあったんだ、あんたの面は」 「儂の顔がどうかしたかの?」 そう言って、爺さんは頭に手を伸ばした。鍔の広い帽子を脱ぎ、素顔を露わにする。 その面構えに、ハッと息を呑むミレア。 「マスター……?」 そう。この老人の顔は、どこかマスターに面影があったんだ。瓜二つとまではいかないが、改めて意識してみると目元なんかは本当にそっくりだ。 「似てて当たり前だよな。あんたとマスターは血を分けた双子、なんだからよ。 そうだろう?シャドウマスター」 「今は呪翁という名じゃよ。昔の名には未練も愛着も湧かぬものでな」 そう言って、シャドウマスター……いや、ジュオウは僅かに表情を曇らせる。手記の内容から察するに、かつての通り名にあまり良い印象を抱いていないんだろう。何十年もの間、マスターの陰なんて呼ばれ方をしていたのであれば、嫌になるのも分かる気はするけどな。 「しかし、四方や貴様等がここまでの手練れであるとはな。少々侮りすぎておったわ。 のう、鬼蒼殿?」 「全くだ」 ジュオウに同意を求められ、キソウは大きく頷いてみせた。 「常人であるならば、この場所まで辿り着く事すら出来なかった筈だ。リザードマンやコピーマンを倒した事も、評価に値する。一度は死戯を葬ったと言うのも、強ち偶然でもないらしい」 「かの伝説のパーティーとやらの足下にも及ばぬ実力ではあるがな。 予想以上の損害を被った事も事実だが、反面嬉しい誤算でもあったか」 嬉しい誤算、だと? 「どういう意味だよ?嬉しい誤算ってのは」 男達に疑問を投げかける。 無反応のジュオウ。暫し、沈黙の時が流れる。 それを破ったのは、小さな含み笑いであった。キソウだ。口元を隠す様にして手を添え、隻眼の男は笑い声をこぼした。 「何が可笑しいのよ?」 彼の態度に反発を覚えたのか、ミレアがいささか怒気のこもった声を上げる。 「可笑しいさ、お嬢さん。 この坊やと来たら、自分の立場すらも理解出来ていないご様子なんだからな」 「何だと?」 今度は俺が声を荒げる番だ。坊や呼ばわりされた事も勿論だが、何よりも相手の意図が掴めない事が一番腹が立つ。 「分からないかい?」 俺達二人の反応を楽しむかのごとく、キソウはさらに台詞を続けた。 「まぁつまり、あんた達は俺達とは対等じゃないって事だ。 仮に、今この場で俺や呪翁と刃を交えたとして、まともな勝負が出来ると思うか?探偵」 キソウの問いかけに、俺は口にすべき言葉を失う。 ……勝てない。勝てるわけがない。キソウも、そしてジュオウも、おそらくはあの青紫のピエロすらも上回る実力を秘めている。そんな化け物みたいな相手と闘っても一矢を報いる事すらままならないだろう。 「ようやく分かったらしいな。 つまり、手前等が生きようが死のうが、俺達にとっては大した問題じゃないという事だ。尤も、生きてさえいれば多少役に立つ事もあろうがな」 「これからも私達をとことん利用出来る……だから、嬉しい誤算だと言うわけね」 わなわなと拳を、そして身体を震わせるミレア。改めて、眼前にいる者達の持つ力を思い知ったのだろう。 「全ては」 ……それまで沈黙を保ち続けていたジュオウが、徐に口を開いた。 「全ては、儂の余興に過ぎぬと言う事よ」 クソ……反論出来ぬ現実が悔しいぜ。 「あんた、一体何を企んでるんだ?」 ジュオウをひたと睨み据え、俺はそう訊ねかけた。 氷の様な眼差しを俺に向け、ジュオウは答えを返した。 「再び、世に争いをもたらす事だ」 「……何だと?」 「かつて儂はこの世界を掌握しようと目論んだ。だが、結局儂の望みが事成就される事はなかった。 何故だか分かるか?小僧」 「伝説のパーティーとやらが邪魔をしたからだろう?」 「そうだ」 大きく頷くジュオウ。 「兄者、クリマ、ロゼ、ベルナ……儂に刃を向けた者達がいたのだ。奴等は強く、あの闘いで儂もまた甚大な被害を受けた。 〈剣を求めし者〉と呼ばれた二人を葬る事こそ出来はしたがな。傷を癒し、力を蓄えるまでに随分と長い時間を要したものだ」 なっ…… ジュオウの言葉に俺は少なからず衝撃を覚えた。 〈剣を求めし者〉が……俺の父さんが葬られた?父さんは、本当にもうこの世を去ってしまっているのか…… 心のどこかで考えていた。シャドウマスターが生存しているならば、あるいは父さんも生きているのかも知れないと。だが、それも所詮は絵空事でしかなかったというわけか。 「時代は変わった。最早儂の障壁となろう者はこの世に存在しない。 儂はかつて成し得なかった目論みを実現させる事が出来る。この儂の力を以て、強者が弱者を踏みにじり続ける、争いの絶えぬ世界を創るのだ。 この世界に、儂は再び大いなる災いを呼び起こす!」 カッと目を見開き、ジュオウは声を張り上げた。凄まじいまでの気迫がビンビン伝わってくる。流石はマスターの兄弟……〈魔を超えし者〉と自ら名乗ろうとするのも伊達じゃあない。 だがそれでも……俺達は退くわけにはいかない! 「再び大戦を起こそうってわけかよ。ふざけんな!」 「ふざけてなどおらぬ。儂は以前とは比較にならぬ程の力を手に入れた。魔法の使えぬ今の兄者と〈槍を尊ぶ者〉の二人には、最早どうする事も出来ぬわ。 加えて今の儂には、パートナーもおる。今この世界に生きる者の中で最も優れた剣技を持つであろう男がな」 キソウに視線を向けるジュオウ。 「俺は別に爺さんの様に大層な野望を抱いているわけじゃないがね。しかし、爺さんの創る世界とやらには興味がある。争いがあれば、強い輩と剣を交える機会も増えるというものだろう」 「まさか……じゃあ、貴方はただ強い相手と闘いたいという理由だけのためにジュオウと手を組んでいるの?」 信じられないといった表情でミレアは声を上げる。対するジュオウはさして悪びれた様子もなく大仰に頷いてみせた。 「その通りだよ、お嬢さん」 「そんな理由で……」 あまりの事に絶句し、言葉を失うミレア。驚きを通り越して、呆れているのだろうか。 「俺にとっては、剣を振るう事こそが生き甲斐だ……と言っても分かってはくれないだろうがな」 「この者共に我らの大儀が理解出来る筈もなかろう」 頭を振るジュオウ。 「新世界の創造に立ち会いながら、なおも牙を向こうとするとは……実に愚かなものだ」 その言葉に俺は激しい憤りを覚えた。 新世界だと?数多の滅びをもたらした上で、自分達の都合の良い世の中をこしらえようとしているだけじゃないか。つくづく身勝手な話だぜ。 胸を内にある怒りを吐き出す様にして、俺は言葉を紡ぎ出した。 「大儀だの何だのと言われてもよく分からないがな。ただ一つだけはっきりしている事ならあるぜ」 恐怖はすでに吹っ飛んでしまっていた。 今為すべき事はただ一つ。この二人の暴走を止める。勝てぬ相手であったとしても、探偵が犯罪者を野放しにしておく道理はない! 「それはな。あんた達のやろうとしている事が気に入らないって事さ!」 語気を強め叫ぶと同時に、俺は剣を鞘から引き抜く。 心の中に迷いはしなかった。迷いが生じる筈もなかった。 ジュオウを、そしてキソウを斬る。それが探偵としての俺の務めだ。
「………………」 刃を突きつけられていても、ジュオウは顔色一つ変える事はなかった。 「正気か?小僧」 嘲笑するジュオウ。彼もキソウも、自分達が敗北する事など想像すらしていないに違いない。そして……二人が油断している今ならばチャンスが廻ってくるかも知れない。 そう、これはチャンスなんだ。そう自分に言い聞かせ、俺は二人の隙を窺う。傍らではミレアも俺と同じくいつでも戦闘態勢に入る事の出来る様に準備を整えていた。 俺達の態度を目にし、ジュオウはさらに笑みを浮かべる。 「四方や、儂や鬼蒼殿の腕前を肉人形と同程度に考えているわけでもあるまい? そもそも貴様達の倒した肉人形は、いわば試作品。完成された魔物ではない。戦闘能力も不十分なものなのだぞ。子供を素体としたためか、身体能力が予想以上に低下してな」 「子供を素体に、か。 もしや、その子供というのはエベルから攫われてきた……」 俺の言葉にジュオウはピクリと眉を動かした。 「ホウ、よく知っているな。 いかにも。肉人形の素体は、エベル大陸にある小村から調達させたものだ」 やはり、そうだったのか…… 俺は先程頭をよぎった嫌な予感が現実のものである事を悟った。 何て事だ。俺やミレアがこの洞窟の中で倒してきた肉人形が……カークス村で誘拐された子供達だったなんて…… 改めて実感させられた。人買いの正体がジュオウ達であったと言う事。そして、その目的が、魔物を生み出すための研究にあったという事。そして……俺が、この手で子供達を斬ったという事。 そうだ。俺が、殺したんだ。何の罪もない子供達を、事件の被害者であった筈の、護らなければならなかった子供達を…… 「フィズ!」 ミレアの声が鼓膜を震わせる。そうして初めて俺ははたと我に返った。 「しっかりして!今は……今は悩んでいる時じゃないよ」 そうだ。今は、ジュオウ達を倒さなければならない。 俺はキッとジュオウを睨み据えた。 「許さねぇ。あんただけは絶対に許さねぇ!」 大きく剣を振りかぶる。そして怒りに任せて勢いをつけ、斬りかかった。 だが、しかし。 「未熟者が」 涼しい顔をしたまま、ジュオウは難なく剣の刃を杖で受ける。 俺の動きが一瞬止まった。その隙に、腹部へと拳打を叩き込まれてしまう。 「グッ!」 凄まじい激痛が俺を苛んだ。脇腹の傷が開いてしまったらしい。 「その程度の腕でどうにかなるとでも思うたか?」 「うるっ……せぇ!」 痛みを無視し、俺は反撃を試みた。ジュオウの胴を薙ぐべく、剣を振るう。 さっとかわすジュオウ。 それでも俺は攻撃の手を休めようとはしなかった。ただひたすらに敵を斬り倒そうと腕を動かし続ける。 その全てを受け流しながら、ジュオウは俺に訊ねかけてきた。 「何故だ?何故そこまでに抗おうとする? 儂に手を貸すと言うならば、貴様も我らが同志として迎え入れようぞ」 「謹んでお断りするぜ。 あんたの研究、あんたの行為……何一つとして、俺は認める事は出来ないんだ!」 「愚かな」 「その台詞は聞き飽きたってんだよ!」 そう叫ぶと同時に、頭の中で素早く構成を編む。 「交われ!」 俺が声を発すると同時に、ジュオウを取り巻く様にして二つの大きな竜巻が発生した。最近になって新たに習得した風魔法、《交差する対の大嵐》だ。この魔法を受けた者は、対の大嵐によって身体中をズタズタに切り裂かれる。洞窟の中であるため威力は落としているものの、まともに受ければ致命傷は免れない……筈だ。 「効いてくれ……!」 「小賢しいわ!」 俺のささやかな期待はジュオウの声によってあえなく裏切られた。 「フン!」 ジュオウの杖の一振りにより、竜巻がかき消される。あるいは、竜巻を斬ったとでも言うべきだろうか。 多少は魔法を喰らった筈のジュオウであったが、全くの無傷である。服すらも乱れていない。一筋縄ではいかない相手だとは思っていたが、相変わらず化け物じみてやがるな。 「成程。〈剣を求めし者〉の息子というのも伊達ではない、か。その覇気は大したものだ」 「父親の事なんざ関係ないね。 俺の名は……フィズ・ライアスだ!」 腹の痛みを堪えて、何とか叫ぶ事に成功する。少し動くだけでも刃物で貫かれるかの様な感覚に襲われるが、そんな事に構っていられない。 「退く事を知らぬその気迫。そしてその腕。未熟とは言え、やはり今殺すには惜しい存在だ。 そう思わぬか、鬼蒼殿?」 意見を求められ、キソウは苦笑をこぼしてみせる。 「さてね。俺には爺さんの趣味がよく分からないが、あんたがそう思うのならそうじゃないか?」 「フム…… ともあれ、此処では満足に相手をする事も出来まい。下手に暴れられて、この場を崩されでもすると少々面倒だ」 顎に手を添えるジュオウ。何か考え事をしているらしい。 斬りつけてやろうかとも思ったが、思い留まる。この男にはまるで隙がない。悪戯に攻撃を仕掛けても、返り討ちに合うのがおちだ。 暫し後、考えがまとまった様子でジュオウは一つ頷いてみせた。 「鬼蒼殿。すまぬがこの二人を連れて、上がっていてもらえぬか?」 「別に構わんが、爺さんはどうする?」 「儂は今一度下に行って、あれを持ってこようかと思うてな」 「ああ……あれを使うのか。 全く、爺さんも人が悪いものだな」 唇の端をつり上げるジュオウとキソウ。 二人のやり取りを見ながら、俺はごくりと唾を飲んだ。 背筋に妙な寒気を覚える。何故だろう?とても嫌な予感がする。このままでは終わりそうもない、とんでもない何かが起こりそうな、そんな予感が…… 「分かった。では先に上で待っているよ」 「忝ない」 再び帽子を深々とかぶり、ジュオウは踵を返した。そして、元来た隠し通路へと歩を進める。どうやらまた地下へと戻るつもりみたいだ。 このままジュオウを行かせてはならない。俺の直感がそう告げていた。 「待て!」 追いかけようと足を踏み出したところで肩を掴まれる。もう一人の黒幕、キソウだ。 「おっと。そこまでだ、探偵」 「離せ!俺はまだジュオウに用があるんだ」 「心配するな。爺さんとは、すぐに再会出来る。お日様の下でな」 「……お日様の下?」 言葉の意味を問い正そうとしたその時。 不意に俺は立ち眩みにも似た錯覚を感じた。平衡感覚を失い、蹌踉けそうになる。周囲の景色が靄がかかった様にぼやけ、程なくして視界は白一色に包まれた。 何も見えない。ミレアの様子すら把握出来ない。辛うじて聞き取る事が出来たのは、『転移』というキソウの漏らした呟きのみであった。
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