6 洞窟の奥へと歩を進める俺達の眼前にて、嫌な気配が猛烈に膨れ上がった。 これは……肉人形? 「チッ!」 剣を抜き、周囲に視線を配る。近くにそれらしき影はないようだが…… いや……やはり近くに何かがいる! 「フィズ、足下!」 ミレアが叫ぶより早く、俺は上へと跳躍していた。やや遅れて、地より魔物の物と思しき爪が地より這い出て空を掴む。 成程な。こいつらは、自分の肉体を地面と同化して動く事が出来るんだ。最初に不意打ちを食らった時の謎が、ここに来てようやく解けたぜ。 「地面に気を付けろ!」 「分かってる!」 地より蠢く爪に向かってミレアが水晶の玉を投げつける。コイートの城下町で買っておいた魔法のアイテムだ。こいつを使えば、《大地を穿つ剛の拳》と呼ばれる地魔法と同等の効果が得られる。 アイテムの力に呼応して、肉人形の潜んでいる辺りの地面がごっそりと抉られる。隠れ蓑を失った魔物は、為す術もなくその姿を露わにした。 「………………」 ふと、脳裏にオヤジの言葉が蘇ってくる。 『ああなってしまっては、元通りの人間に戻す事は不可能だ』 『未来永劫、化け物として生き続けさせるよりも楽にしてやるのが慈悲ってものさ』 そう……なんだよな。それしか、他に方法がないんだよな。 「ちっ……きしょうがあぁっ!」 俺は魔物に向かって、剣を振り下ろした。 狙いは急所。人間で言うところの、心臓がある場所だ。 刃が深々と肉人形に突き刺さる。断末魔の声を上げ、魔物はピクリとも動かなくなった。 後味が悪いなんてもんじゃない。斬らずに済むならば……他の方法があるならば、斬りたくはなかったさ。元の人間に戻す方法がないからこそ、せめて苦しまぬ様に止めを刺してやるしかないんだ。 だけど……だけど…… 迷いを抱き苦悩する俺に、ミレアが叱咤を飛ばしてくる。 「まだ終わってないよ、フィズ! 魔物は……肉人形はまだまだいる!」 「……んな事は分かってる! ミレア、一旦俺の後ろに退がりな!」 怒鳴ると同時に、心の迷いも誤魔化して。俺は素早く魔法の構成を編む。 狙うは、ミレアが空けた穴! 「迫れ!」 咆吼と共にかざした左腕を振り下ろす。《迫り来る烈風の波動》により発生した衝撃波が脆くなった地盤に激突して、さらに多くの面積が掘り起こされる。 こうしておけば、肉人形の地中移動とやらも意味を成さなくなるだろう。地面の下から忍び寄ってきたとしても、一目瞭然で見抜く事が出来るからな。 「流石!と言いたいところだけど……ここ、洞窟の中だって事忘れないでね。あんまり無茶苦茶してたら、崩れちゃうかも知れないわよ」 「……ぞっとしない話だな、そいつは」 すでに随分な深さまで潜ってきているんだ。ここで生き埋めになったとしたら、まず助かりはしないだろう。 出来るだけ気を付けて、適度に力を使う事にしよう…… 「進みながら倒してくのも面倒だ。この場で一気に数を減らすぞ!」 「了解!」 俺はがむしゃらに剣を振るい続けた。 少しでも気を抜くと、この生ける屍達に取り込まれてしまいそうになる。いつしか俺は彼らの呻き声を耳にしたような錯覚に陥ってしまっていた。幻聴といってしまえばそれまでなのかも知れないけれど。 『助けて……助けて……』 本来眼球が定まるべき箇所にぽっかりと空いた空洞。ドロドロになるまで爛れた肌。自らに近付く者を容赦なく斬り捨てるであろう爪。あまりにも痛々しい姿をして、彼らは俺に語りかけてくる。 やめろ……もう、俺達に刃を向けるんじゃない!俺だって、出来る事ならばあんた達を斬りたくはないんだ。なのに、なのに…… 「う……うわああああぁぁっ!」 俺の喉を突いて、悲鳴とも泣き声とも着かぬ叫び声が飛び出す。 精神の限界なんざとっくに超えてしまっていた。おそらくは相棒も似たようなものだったのだろう。ふと隣を見ると、ミレアは鬼の様な形相をして魔物達に矢を放っていた。 散る鮮血を拭う事も忘れて、俺はただ斬りまくる。何も考えずに、ただただ腕を動かして。 そして、ふと我に返る。 俺達の前にあるのは死体の群ればかり。動く魔物は今や一匹たりともいない。 闘いの幕がとっくの昔に下ろされていた事を理解するまでには……本当に多くの時間を費やしたもんだ。
「こんな事、初めてだ」 さらなる地下へと続く階段を下りながら。俺は疲れた様子の相棒へと話しかけていた。 「昔の俺はさ、確かに剣に頼りきっていたのかも知れない。それは認めるよ。でも、闘いの最中に自分を見失っちまった、なんて事はこれまでに一度もなかったんだ」 「………………」 「風魔法を覚えて、ソードレボリューションの道を目指すようになってからだってそうさ。俺はそこいらの破落戸なんかじゃあない。探偵なんだ。自分が何をしているのかくらい、きっちりと把握出来てる……はずだった」 なのに、今回ばかりはそうもいかなかった。闘いながら、自分が涙をこぼしていた事にすら気付かなかった。 「正直、あんなのは二度と御免だ」 「……私も」 ずっと口を閉ざしていたミレアが、大きな嘆息と共に言葉を発する。 「私も、あんなに恐くなったのは初めて。無我夢中で……相手を倒すしかなかった」 「………………」 今度は俺が口を噤む番だ。と言うより、何と言葉をかければいいのか分からない。 今まで探偵として働いてきて、それなりの修羅場も何度もくぐり抜けてきて……一端のプロを気取ってたんだがな。俺もミレアも、まだまだ経験が足りなかったらしい。 かつて立ち会った事のない、本物の修羅場ってヤツを目の当たりにした気分だぜ。 今更になって喉元から込み上げてくる酸っぱい物を飲み下し、俺はさらに歩み続けた。 どれだけ歩を重ねただろうか。 いい加減にだるくなってきた足腰にうんざりし始めた頃、俺とミレアはようやくにして目的地と思われるへと辿り着いた。 俺達の前には、ぽっかりと空いた大きな空洞が広がっていた。先程オヤジと話をした場所よりもさらに大きい。一軒の家が建つくらいのスペースがありそうだ。 空洞の奥に目を配る。先に続く道はもうない。つまり、ここが洞窟の最深部ってわけだ。 「………………」 広々とした石の部屋の中へと足を一歩踏み入れる。周囲に注意を配りながら、ミレアがすぐ後ろをついてくる。 部屋の中には多くの本棚が置かれていた。本棚には難しそうな書物が隙間なくぎっしりと詰め込められている。生憎と、俺のおつむでは何を書いてあるのかすら理解出来そうになかったが。 部屋の中央には大きな机が置かれている。その上に乗っかっているのは、読みかけであると思われる数冊の本。 「ここは、何だ?」 一通り部屋を見渡して、俺は疑問を口にした。 「人がいた事だけは間違いなさそうね。これだけの蔵書を貯えている事から考えても、この森の中に住んでいたんじゃないかしら」 「妖しの森の中に隠れ住んでいたってのか?一体誰が?」 「それをこれから確かめるのよ」 そう言って、ミレアは手近な本棚の前に立った。何冊かの書物を手に取り、パラパラとページをめくる。 「ここにある本は、生物学や魔法学についてのものがほとんどだわ」 「……こんなに難しい本が読めるのか?」 相棒の言葉を聞き、俺は目を丸くする。 「学生時代には沢山本を読んだから」 澄まし顔で答えるミレア。流石と言うか何と言うか……とにかく頼りになる。 よし。本棚の方を調べるのは彼女に任せよう。俺がいたとしても、きっと邪魔になるだけだろう。 その事を相棒に告げる。同意してくれるものと思っていたのだが、意外にもミレアは唇をとがらせた。 「私一人でこれだけの量を調べるの?」 心底うんざりした様子で不平をこぼす相棒。部屋の中にズラリと並べられた本棚を一つ一つ調べて回るのは、如何にミレアと言えども億劫であるらしい。 「丹念に調べていく必要はないさ。どんな本があるのか、ざっと目を通してくれればいい。 俺は他の所を調べてみるから、もしも気になる事があったら教えてくれ」 半ば強引に話を終わらせ、俺は本棚から離れる。ミレアには悪いんだが、俺には手伝う事の出来ない作業だから仕方がない。 尚も口を開きかけたミレアだったが、結局諦めたらしく本棚へと向き直った。 さて。こちらも本格的な部屋の調査に取りかかるとするか。後からミレアに文句を言われないように、しっかりと仕事しないとな。 「どこから手を付けるかな」 独りごちつつ、俺は改めて部屋の中を見渡した。 フム。どうやら、ここにあるのは大量の本棚と机のみの様だ。肉眼で確認出来る範囲においては、他の部屋に繋がる道もない。 「妙、だな」 眉をひそめ、俺は疑問を口に出した。 この部屋の造り……どうにも引っかかるんだよな。さして広々としているわけでもないし、あまりに物がなさすぎる。こうした部屋を持ちたいのであれば、町で家を建てるなり、借りるなりすればいい。わざわざ、辺鄙な洞窟の最奥部に引き籠もる必要がないんだ。 きっと何かあるぜ、こいつは…… 乾いた唇を舐め、俺は中央に置かれた大きな机へと歩み寄った。まずはこいつから手をつけてみるのが良いだろう。 机の上に置かれている本の内の一冊を手に取る。相変わらず難しすぎて、書いてある事がさっぱり分からない。二、三行を読み終えただけでも全力疾走した後の様に疲れそうだ。 それでも少しでも手がかりを探そうと、何とか内容を読み進める。その結果。多少は苦労が実ったのか、その本が召喚について書かれているものであるという事だけは理解出来た。 肉人形を創った奴であれば、魔法学の知識にも長けている筈だ。オヤジの言葉が真実であるならば、あの魔物は召喚に手を加えた技術により、生み出されたと言う事になる。そんな芸当が可能な人間となると、自然と限られてくるだろう。魔法の専門家……いわば魔導士ってところかな。 魔物の登場に加え、ここに来て魔法の力を持つ者の存在が徐々に明らかになり始めているわけだ。 「全く、何てこった」 俺は嘆息を漏らさずにはいられなかった。 何の事はない。今回もそっくりじゃねえか。先に起きた、あの二つの事件とよ。 「なぁ、ミレア。 こいつは俺達の想像していた以上に、とんでもない事件かも知れないぜ」 本棚の方で尚も書物と格闘しているミレアに声をかける。 「今回の仕事がただじゃ済みそうにないって事?そんなの、この森に入った時から分かってるわよ」 俺の方に振り返らぬまま返事をする相棒。 「確かに……この森に漂う狂気は尋常じゃない。しかも魔物がそこいら中を徘徊していると来たもんだ。 だがな。この森には、もっともっととんでもない物が隠されているような気がするんだ」 「……どういう事なの?」 「俺は今、ある一つの仮説を考えてるんだ。もしもその仮説が当たっていたとしたならば、本当に恐ろしい事になる。森の狂気や肉人形などが比べ物にならぬ程の……恐ろしい事が起こるような気がするのさ」 言葉を紡ぎながらも、俺は机の上の本を手早く確認していく。やはり、ほとんどが魔法学の本であるらしいが…… 「ん?」 ふと……俺は一冊の本に目を奪われた。 その本には、題名が付けられていなかった。おそらくは手記であると思われる。 裏返してみる。そこにはこの手記の筆者であると思われる者の名前が認めてあった。 その名を口に出して読み上げる。 「ジュオウ……」 初めて聞く名じゃないな。そう、この名を聞いたのは、確かあの事件の時…… 「フィズ?」 俺の台詞が途切れた事を怪訝に思ったのだろう。ミレアが呼びかけてくる。俺は何も答えずに手記を繰った。 一ページ目の内容を黙読する。 『幾年もの間、儂は兄者の陰として永らえてきた。やがて陰は増大し、兄者をも凌ぐ程の力を得る事となる。 そして今。儂は最早陰に非ず。かつて名乗りし偽りの名を棄て、真の名をここに刻む。我が名は呪翁。深遠たる無の力をこの世に知らしめる者。即ち、〈魔を超えし者〉なり』 読み終えた後も……俺は暫くの間、言葉を発する事が出来なかった。 全身の血が凝固し、髪の毛が逆立つような錯覚に襲われる。 当たってしまった……頭のどこかで抱き続けていた、ある一つの仮説が…… 「……ズ……フィズ!」 俺の肩を揺り動かす者がいる。その事に気付き、俺はようやく我に返った。 「ミレ……ア?」 焦点の定まらぬ瞳で、いつしか俺の傍へと歩み寄ってきていた相棒の顔を覗き込む。 「どうしたの?唇まで真っ青だよ」 「あ、ああ…… ちょっと、水を一杯飲ませてくれるか?」 ひとまずは……少しでも動揺を鎮める必要がある。 ミレアから渡された水筒で喉を潤し、何とか一息つく。冷たい水を飲んで、少しは落ち着く事が出来た。冷静さを取り戻すには今暫く時間がかかりそうであったが。 「何を見たの?」 訊ねかけてくるミレアに、水筒と一緒に手記を渡す。 「一ページ目だ。ビックリしすぎて気絶しないようにな」 そう促すと、ミレアは手記を読み始めた。たちまちにして、その顔からさっと血の気が引く。 「まさか……どういう事?」 「どうもこうもないさ。深遠たる無の力を持つ者なんざこの世に一人しかいないんだ。 そして、ここに記されている兄者というのは俺達のよく知るあの人……」 「でも!」 声を荒げるミレア。 「そんな筈ないわよ!だって……だってこの人物は、一七年も前に大戦で命を落としているんじゃ……」 「生きていたとしたら?」 相棒の言葉を遮り、俺は口を開く。現実がどれ程に無情であっても、俺達はそいつを受け入れねばならない。ここで逃げ口上を並べ立てるわけにはいかないんだ。 「俺の父さん……ロゼ・ライアスにしても、ベルナ・ノウカンにしても死亡が確認されたわけじゃない。シャドウマスターにしても、同じ事さ」 「シャドウ、マスター……」 「ああ」 呻くミレア。降りかかる絶望に押し潰されそうになりつつも、俺はさらに言葉を連ねる。 「コイートの猟奇殺人に端を発する一連の事件。その背後ではシャドウマスターが暗躍している。そう考えると、辻褄も合っちまう。 あの男が生きていたんだ……!」
地水火風天魔在無の八属性の中で、無の属性をその身に授かる事の出来た天才が存在した。その天才の名はシャドウマスター。〈魔を極めし者〉マスターの弟にあたる人物だ。 シャドウマスターは、その秀ですぎた力を持って世界を制圧しようと目論んだ。それに抗うべく立ち上がったのが、マスター、クリマ、ロゼ、ベルナの四人。今も伝説として語られる強者揃いのパーティーだ。 程なくして、戦火は世界中に広まる事となる。四大陸の至る所で闘いが繰り広げられ、多くの地区が戦場となった。有史に残る程の大惨事が引き起こされちまったわけだ。 大戦の最中、マスターとクリマが戦線を離脱する事となる。彼らを残し、〈剣を求めし者〉と呼ばれた二人は新たなる戦地へと赴いていった。程なくして……二人は行方をくらませた。全ての災いの元凶である、シャドウマスターと共に。 三人が消息不明となった事により、大戦は終結の時を迎える。そうして、ようやく平和な時代が訪れた……その筈だった。 シャドウマスター……この男が生きていたとはな。いつしか俺も、先の大戦で命を落としたものだとばかり思っていたぜ。だが、奴の黒幕であるとするならば、これまでに解けなかった謎も解ける。 そう。あのキソウがシギの遺体を持ち去ったのも、シャドウマスターがシギを欲したからこそではないだろうか。シギは、マスターとシャドウマスターによって創り出された存在。研究を行う上でも、色々と利用する事が出来るだろうしな。奴がどんな研究をしようとしているのかは、正直想像もしたくないけど…… 「ねぇ、フィズ」 頭の中で情報を整理する俺にミレアが声をかけてくる。俺は一旦思考を中断し、意識を現実へと引き戻した。 「見て。ここにコイートの事が書かれているわ」 「……何だって?」 ミレアから差し出された手記に目を配る。 『近頃、五月蠅く鳴きくさる犬が鬱陶しく思えてきた。この辺りで、一度コイートの主に圧力をかけ、犬共を駆除する事とする』 ……何て事だ。俺は愕然とさせられた。 シャドウマスターの手により、コイートに圧力がかけられていただと?つまり、コイートのお偉方連中はシャドウマスターの存在を認知している、という事か! 「ここに書かれている『五月蠅く鳴きくさる犬』というのは、おそらくジョーナンドさんの事ね」 ミレアの漏らした呟きを耳にして、背筋に寒気を覚える。 そうだ……ジョーナンドは?ジョーナンドは一体どうなった? 手記の続きに目を通す。ジョーナンドの事と思しき記述がなされていたのは、それから数ページも後ろであった。 『身の程を知らぬ虚け者めがとうとうこの森へと足を踏み入れた。飼い犬風情に何が出来ると高を括っておったが、それなりの切れ者であったようだ。 しかし、所詮は飼い犬が一匹。我が子供達の玩具にもならぬ……』 そこまで読み進めた時であった。 首筋にスッと冷たい物が突きつけられる。そして、聞き覚えのある声が俺の鼓膜を震わせた。 「よく来たな。探偵」 この、声は…… 生唾を飲み下し、首から上だけを用いて後ろを振り返る。そこには蒼のフードに身を包んだ、隻眼の大男の姿があった。 「探偵は推理をするのが商売だろう。いきなり答えを見てしまうというのは、いささかいただけないな」 どこか冗談めいた口調で喋る大男。その一方、俺には軽口を叩く余裕すらなかった。この大男の恐ろしさは身を持って実感している。 彼の名はキソウ。格闘や投げを織り交ぜた剣技の使い手だ。かつてこの男と剣を交えた時も、俺は為す術もなく惨敗してしまったんだ。 キソウの出で立ちは以前とほとんど変わらない。唯一変わったものがあるとすれば、それは奴の得物だろうか。 俺は自分の首筋へと視線を移す。そこには光り輝く刀身があった。 輝きの剣。幾多の危機を共に乗り越えてきたもう一人の相棒は今、俺にその刃を向けていたのである。
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