5 洞窟は思いの外深かった。 内部には所々に明かりが施されており、地下に下りるための階段も備えられている。道幅もそこそこに広くて歩きやすい。まるで人間が行き来するために掘られた様な洞窟だ。人工的に作られたものである事は間違いないだろう。 オヤジを先頭にして、俺達は延々と歩を進める。どういうわけかは知らないが、オヤジはこの洞窟の造りについて把握している様だ。まああるいは、俺達が森にやって来る前から、調査をしていたのかも知れないがな。 奥に潜れば潜る程、例の嫌な気配もどんどん大きくなっていく。尤も、すでに感覚が麻痺しちまったらしく、最初の頃みたいに変に焦りを感じる事はもうなかったがね。 やがて。先頭を歩くオヤジの足がピタリと止められた。 「着いたぞ」 俺達二人に声をかける。 そこは、随分と大きな空洞が広がってきた。俺達の通っていたスクールの、教室くらいの広さはあるだろうか。 空洞の奥にはさらに道が続いている。この分だと、まだ先は長いと考えた方がいいかも知れない。 「ここであれば、さっきの化け物に襲われてもすぐに気付く事が出来るだろう。今の内に手当てをしておきな」 槍を手にして、オヤジは元来た道の方……空洞の入り口に立つ。どうやら見張り番の役を買って出てくれるらしい。ここは有難くお言葉に甘えておくとするか。 適当な壁にもたれかかりつつ、俺はどっかりと座り込んだ。 汗を拭い、大きく嘆息する。ようやく一息つけそうだ。 「傷、見せて」 傍らに腰を下ろしたミレアに指示されるまま、上着を脱ぐ。想像していたよりも大きめ傷口の中では、薄桃色をした肉と濃紅色の血液が鈍い光を発していた。 う〜む……我ながら、なかなかグロテスクなもんだ。変に感心してしまう。 「痛むかも知れないけど、我慢してね」 「分かってるよ。ガキじゃあるまいし」 携帯していた水と薬を用いて、ミレアは手際良く傷口を消毒し、止血する。なかなか慣れたものだ。 「包帯巻く前に、一応風魔法をかけておく?」 「……そうだな」 応急処置を施してもらった後で、《癒しの風の息吹》をかける。一度魔法を用いてみたところでこれだけの大怪我が完治するわけでもないが、こうしておけば治りは早くなるだろう。 「これで良し、と」 胴に包帯を巻き終え、ミレアは満足げに大きく頷いた。 「ひとまずはこれで大丈夫よ」 「サンキュ。助かったよ」 上着を着終えた後で、一言礼を告げる。 流石は相棒、頼りになるもんだ。俺一人だと、こうも手際よく処置を施す事は出来なかっただろう。 さて。手当てをしてもらったところで、少し話を聞いてみるとするか。 「オヤジ」 「何だ?」 声をかけると、オヤジは振り向かぬまま返事をする。 「どうしてオヤジがこの森にいたのか。そして、どうしてオヤジがこの洞窟の造りを知っていたのか。色々と聞きたい事があるんだがな」 「ある人物から依頼を受けたんだ。シダノの森を調査するように、とのな」 ……ある人物?俺に依頼をしてきたエルザの事ではないようだが。 「誰なんだい?その人物って」 「〈魔を極めし者〉」 オヤジの言葉にミレアが驚愕の表情を見せる。面には出さなかったものの、俺も内心ではかなり驚かされていた。 「マスターが?どうして……」 問いかけるミレアに、オヤジは答える。 「数日前、マスターはある強大な力を感じたらしいんだ。ラスロウド大陸のコイート地区南西……このシダノの森の辺りからな」 「それで、オヤジはその力とやらの正体を探りに来たってわけか」 「ああ」 頷くオヤジ。 確かに……マスター一人では、いざ力を感じ取ったところでどうしようもなかったのだろう。マスターが〈魔を極めし者〉と称される程の力を有していたのはあくまでも昔の話だ。年を重ねると共に魔力も衰えてしまった今のマスターでは、最早強大な力に対抗する事は出来ないだろう。 「シダノの森は、少し曰く付きの場所でもある事だしな。もしや何かあるかも知れんとは思っていたが、あんな化け物達がうろついているとは思わなかったぜ」 「化け物達、か……つまり、まだ他にもいるという事になるわね」 溜め息混じりにぼやくミレア。あんな奴らをまだ相手にしなければならないとなると、嫌にもなってくるよな。 「オヤジ。ありゃあ何者なんだ?」 「お前も見た事があるだろう。魔物って奴だよ」 魔物。天属性の人間の手によってこの世に生を受けた者達の事だ。本来ならば絶対に自然界には存在しなかったはずの生物達…… 「ただし、ありゃあ普通の魔物じゃあないがな」 「……どういう意味だい?」 俺は眉をひそめる。 「魔法により生物を創る業……召喚については知っているよな?」 「ああ、勿論だ。その召喚によって生み出されたのが魔物なんだろ?」 「そうだ。 極端な話、魔法技術を身に付けていれば、誰だって簡単に魔物を生み出せるようになる。他に必要な物があるわけでもないからな」 理論上ではその通りだ。だがしかし、現実として魔法技術を身に付けている人間はほとんど存在していない。生まれつきの才能を持ち合わせた者が、厳しい鍛錬を繰り返した末にようやく出来るようになる秘技……言ってしまえばまさに神業なのさ。 俺もミレアもその事をしっかりと理解していた。だからこそ、オヤジが何を言わんとしているのかが分からなかったんだ。 オヤジはさらに言葉を紡ぐ。 「では、もしも召喚にさらに手を加えた技術があったとしたらどうだ? 魔法の力を用いて、無から生物を創る技法。それを改良したものがあったとしたら?」 「……まさか」 隣の相棒と顔を見合わせる。そんな技術があるなんて、これまで一度だって耳にした事がない。例外として、かつてマスターとシャドウマスターが用いたという、無から人間を造り出す技法というものがあったが、それは二人の超天才が力を合わせたからこそ出来た事のはずだ。 ちなみに、魔の属性を持つ唯一の人間であったシギの奴も召喚を扱えたらしいが……そいつもまた例外中の例外だな。基本的に、あれが出来るのは天属性の人間だけだ。それ程に難しい業に改良を加えるなんて話は聞いた事すらないが…… 「あるんだよ。召喚を上回る技術がな」 たっぷりと呼吸を置いてから、オヤジは先を続けた。 「あの魔物の名は肉人形。生きている人間に魔法の力で改良を加えた結果、出来上がった生物なんだよ」 『な……っ!』 俺も。そしてミレアも。あまりの事に言葉を失ってしまった。 この世に生きている人間を改良して生み出された、だと?召喚を扱う事の出来る者であれば、あるいは可能かも知れないが……しかし、そんな事が…… 「信じられない」 怒りからか憤りからか。ミレアは膝の上で握りしめた拳をわなわなと震わせる。 「一体、人を何だと思っているの?あまりにも酷すぎるわ」 「……ちょっと待てよ」 ともすれば混乱しそうになる頭を何とか整理し、俺は考えたくもない現実を口にする。 「じゃあ何か?さっきの奴も、元々は普通に生活を送っていた人間だったってのか?」 「無論だ」 返ってきた答えはあまりにも残酷だった。 「残念だがな。ああなってしまっては、元通りの人間に戻す事は不可能だ。 未来永劫、化け物として生き続けさせるよりも楽にしてやるのが慈悲ってものさ」 「………………」 そう、かも知れない。 もしも俺があんな化け物になったならば。あんな姿のままで生き永らえたいとは絶対に思わない。冗談ではなく、本当に死んだ方がマシだと思う。 オヤジの言っている事はよく分かる。分かるけれども……あんまりにも理不尽だ。 「クソ野郎!」 俺は地面を強く殴りつけた。この心から溢れてくる怒りを抑える事が出来ずに。 「許さねぇ……絶対に許さねぇぞ。 あの肉人形って魔物を創った奴だけはよ」 俺は……プロの探偵として一年以上仕事をしてきた。その間に様々な事を経験してきたものだ。中には腹の立つ事だってあったし、残虐な犯罪者を許せないと思った事もあったさ。だけど……ここまでにに怒りを覚えた事はかつてなかった。 千切れる程に唇を噛みしめ、俺は壁に手をついて立ち上がった。 こんな所でいつまでも休んでいられない。肉人形を創り出した連中が、もしもまだこの森にいるならば……一刻も早く、そいつらを捕まえなければならないんだ。 「……お前達もこの森の調査をするのか?」 「当然。 ここまで事情を聞いておいて、知らんぷりなんて出来るわけないさ」 「私も、フィズと同じ気持ちです」 ミレアもまた、その腰を上げた。俺と同じ志をその胸に強く抱いて。 俺達二人の決意がそうさせたのか。オヤジは初めて振り返った。俺とミレアの顔を交互に見比べながら、こう告げる。 「この洞窟の最深部へと進むと、ある部屋に辿り着く。そこに新たなる手がかりがあるはずだ。行ってみるといい」 「オヤジはどうするんだ?」 「この洞窟の内部についてはすでに調査を終えているんでな。俺は少し外を探ってみる事にするさ。 例の強大な力を追わねばならんしな」 ……そうだった。俺達とオヤジはそれぞれ違う仕事を請け負っている。それぞれに今成すべき事があるんだ。 「分かった。じゃあ、行ってくる」 「父さんも……気を付けて」 別れの言葉を口にして、俺とミレアはオヤジのいるのと正反対の方向へと歩き出した。 「……ちょいと待ちな。最後に、お前達に言っておきたい事がある」 だが幾ばくも行かぬ内に、オヤジからストップがかけられる。 最後に、だと……? 懸念を覚える俺を余所に、オヤジはさらに言葉を続ける。 「洞窟の奥に進めば、お前達はある真実を知る事になる。 その真実が如何に残酷なものであったとしても、決して絶望するんじゃねぇぞ。子供ってのは、親の背を乗り越えていくもんなんだからよ」 「……すまないが、何を言いたいのかよく分からないな」 こんなところで嘘を付いたって仕方がない。俺は正直に答えを返した。 「すぐに分かるさ……」 オヤジは少しはにかんでみせた。 「………………」 理由は分からなかったけれど。そんなオヤジの姿は、どうしようもなく寂しそうに見えたんだ。 「父さん……」 ミレアの目にも、同じ様に映ったらしい。踵を返して、オヤジの方へと駆け寄ろうとする。 だが、彼女を制したのは他ならぬオヤジ自身だった。 「戻ってきちゃあいけねぇぜ、ミレア。 お前にも……お前達にも仕事があるんだろ?」 「……うん」 「呼び止めて悪かったな。 もう……行け」 顎をしゃくり合図を送ると、オヤジは背を向けた。洞窟の外へと出るべく、俺達が歩いてきた道を戻る。 分かったよ……オヤジ。 「さぁ、行こうぜ。俺達もさ」 俺はミレアの肩にそっと手を置いた。声を出さずに、ミレアは首を縦に振る。 目指すは洞窟の奥。オヤジの言葉に間違いがないなら、そこに何かしらの情報があるはずだ。
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