■ トップページ  ■ 目次  ■ 一覧 

SU・DA・CHI2 〜今訪れるは巣立ちの時〜 作者:殻鎖希

第7回   Love is War ベリーハッピースタートデイ
「ビックリした……」
 額に滲んだ汗を拭い、コージは後ろを振り向いた。幸いにして、学校でも噂になっている鬼教師が追いかけてくる様子はない。
「シゲゾーの野郎、しつけーんだよな。学校の外まで見回りするか、普通?
 なぁ、未来……」
 彼女へと視線を移し、そこでコージは言葉を失った。
 道端に膝をつき、未来は胸元を強く握りしめていた。いつしか、顔からは血の気が失せ、表情も険しいものとなっている。
「未来?もしかして体調悪いのか?」
「……うん」
 弱々しく呟く未来。
「ちょっと今朝から、頭が痛くて……さっき走っちゃったから、少しひどくなったみたい。
 ……そんなに心配そうな顔しないで。大丈夫だから」
 とても平気そうには見えない顔で、未来は無理に笑ってみせた。
 よろよろと歩みを進める未来。だが数歩も行かぬ内にその足が縺れ、まともバランスを崩してしまった。
「あっ!」
「未来!」
 未来を支えようとするコージ。しかし間に合わず、未来は倒れ込んでしまった。車の往来の激しい横断歩道の真上に。
 異変に気付いた一台の乗用車が急ブレーキをかけて停車する。だが、それはあまりにも遅すぎた。
 何人かの通行人が悲鳴を上げた。
 大きくはね飛ばされた未来の身体は、数度地面を転がった末に停止する。指一つ動かさぬ未来の頭からは、赤い液体が流れ出ていた。

 事故の知らせを受けた豪徳寺とニャン子は急ぎ病院へと向かった。
 看護婦に病室の場所を確認して、急ぎ階段を駆け上る。程なくして、二人は目的地に辿り着いた。
 二階の廊下、『面会謝絶』のプレートが提げられた病室の前で、一人の少年がソファーに腰を下ろし、がくりと項垂れている。
「コージ」
 豪徳寺が呼びかけるとコージはその顔を上げた。
「豪徳寺さん……ニャン子さん」
 赤く腫れた目を豪徳寺に向ける。
「すんません……俺……俺……」
「謝ることないて」
 ガタガタと震えているコージの肩に、ニャン子は優しく手を置いた。
「看護婦さんから聞いた。未来ちゃん、命に別状はないってな。救急車を呼ぶんが早かったから、迅速に手当てができたそうや。
 救急車を呼んだのはコージやろ?コージの行動が早かったから、未来ちゃんは元気になるよ」
「けど……けど、未来が事故に合ったのは俺のせいなんです。
 あいつ、体調が悪かったのに……無理して、俺に付き合ってくれてたんすよ。それで、ふらっとよろめいた拍子に……
 俺が……俺がもっと、あいつのことを分かってやれてたら。だったら、今日だってデートなんかしなかったのに……未来が怪我することもなかったのに」
 一言一言を吐き出すように告白するコージ。堪えきれなくなったのか、言葉の端々には嗚咽が混じっていた。
「こんなんじゃ……彼氏失格すね……」
「気付かなかったのはお前だけじゃないよ。俺だって、全然分からなかったんだ。
 お前だけのせいじゃない。だから、そう自分を責めるなよ」
 常にかけているサングラスを懐にしまい、豪徳寺は努めて優しい口調でコージにそう語りかけた。そんな豪徳寺に、コージはすがりつくようにして訊ねる。
「豪徳寺さん……俺、どうしたらいいんすか? もしも、もしも未来に何かあったりしたら俺……」
「信じるんだ、未来を。未来が早く意識を戻して元気になるように、精一杯応援することだってできるさ」
「でも……」
「彼女がヤバい時にこそ、支えとなり信じてやることこそが……彼氏の役目だろ」
 豪徳寺の返した答えに、コージはハッと充血した目を見開いた。
「俺の……役目?」
「そうだ」
 強く頷く豪徳寺。
 コージは頬に流れた雫を袖口でごしごしと擦った。彼自身の手によって涙と弱音が拭い取られ、その眼の中に一つの決意が宿される。
「未来から聞いたことがあるんです。あいつの名前は……これからの新しい時代を幸せに生きて欲しいって、願いを込めてつけられたものなんだって。
 豪徳寺さん。俺、信じるっすよ。あいつの未来は俺が一緒に作るっす」
「コージ……」
 その台詞に驚きを覚える豪徳寺であったが、少年の心の強さを感じ取り、すぐに相好を崩した。
「未来が聞いたら……きっと喜ぶぜ」
「よして下さいよ。言えるわけないじゃないすか。あいつの前でそんなこと」
 つられて、コージも目元を綻ばせる。笑顔を交わしたことにより、緊張の糸が解れ、和やかな空気が二人の間に流れていた。
「あ〜……熱うなっとるとこに水差すようで悪いんやけどな」
 そんな二人に対し、いささか居心地が悪そうにしてニャン子が声をかけた。豪徳寺とコージは彼へと視線を移す。
「さっきから気になっとるんやけど、未来の親御さんはまだ見えてないんかな?」
「そう言えば……」
 ニャン子の言葉に豪徳寺は周囲を見渡した。娘が交通事故に遭い、尚も意識が戻らないという事態だ。すでに事故からかなりの時間が経過していることもあり、本来ならば知らせを受けて病院に駆けつけているはずである。
「おそらく、今日は来られないっすよ」
 苦虫を噛み潰したような表情で、コージは二人に告げる。
「あいつのお父さん、海外出張で昨日アメリカの方に出かけたらしいっすから……」
「お母さんは?」
 ニャン子の問いかけに、コージは俯く。
「あいつ、幼い頃にお母さんを亡くしてるんすよ」
「……悪い」
 ばつが悪そうに、ニャン子は自らの気配りのなさを詫びる。
 さして気にした様子もなく、コージはさらにこう告げた。
「だから、俺が傍にいてあげたいんすよ。あいつの意識が戻るまで……俺、梃子でも動かずに、ここで待ってます」
「……分かった」
 コージの意志を汲み取り、豪徳寺は力強く頷いた。
「なら……待つといい。ただし、無理はしすぎんなよ。
 また未来が元気になったら、一度二人でライブに来な。とびっきりのステージを見せてやるって約束するから」
「すいません、豪徳寺さん。ありがとうございます」
 頭を下げるコージ。
「それから、親御さんには連絡しとけ。何時になっても息子が帰って来ないとなると、心配されるだろうからな。
 どうせ、親御さんの許しがもらえなくても、意地でもここに残るつもりなんだろ?」
「勿論っす」
 真摯なコージの眼差しを受け、豪徳寺は思わず苦笑を漏らした。
「ったく……いい男だよ、お前は」
「……はい?」
 豪徳寺の言葉の意味する所が分からなかったらしく、コージは眉をひそめた。
「いや、こっちの話だ。気にすんな。
 ところで、ニャン子。ちょっと小便でも行かないか?」
「え?」
 突然肩を叩かれて、目を丸くするニャン子。
 戸惑いの色を見せる相方に豪徳寺は目で合図を送った。
 豪徳寺が目配せをした方へと視線を移し、ニャン子は彼の意図を察する。
「……おう、そうやな。連れションと洒落込もうか」
 陽気な声を出し、ニャン子は豪徳寺とうまく調子を合わせる。
「じゃあコージ、行ってくるな」
「はい、分かりました」
 返事をするコージ。
 ソファーに一人座ったままの少年を残して、二人は一旦その場を後にした。

 廊下の突き当たりを曲がったところに、一人の男が立っていた。知人の登場に驚いた様子もなく、豪徳寺とニャン子は歩を止める。すでに二人とも彼の存在には気付いていた。
「未来の容態はどうだ?」
 男はその口を開き、豪徳寺に話しかける。
「頭を強く打っていて、今は意識が戻っていない。幸いにして、直に回復するらしいけどな」
「そうか」
 豪徳寺の説明を聞き、男は男は納得したような素振りを見せる。しかし、その顔から安堵の色を見受けることはできなかった。この男から感じられるのは、どこまでも不遜な態度でしかなかったのである。
「全く……教師の言うことを守らぬから、こういう目に合うんだ。不良の溜まり場のような場所に足を運ぶとは、問題児の極みだな」
「ちょっと先生……」
 自分達の音楽を蔑むような発言をされて黙っていられなくなったのか、ニャン子が一歩足を踏み出す。常に温厚な彼であったが、この時ばかりは強い怒りを露わにしていた。
 だが。そんなニャン子を手で制す者がいた。豪徳寺である。
 平静を装いながら、豪徳寺はかつての恩師、円山に問いかけた。
「先生。さっきの俺達の会話、聞いてたんだよな」
「ああ」
「コージは未来が目を覚ますまで、ずっと傍についていると言ってる。あの分じゃ、看病に忙しくて、学校にも顔を出せないだろう。
 さて、どうする?先生」
「決まっている。引っ張ってでも学校に来させるよ。
 最近の子どもは本当に分からん。そうまでして学校をサボる口実が欲しいとでも言うのかね?誰が看病していたところで、病状が急に良くなるわけもな……」
 円山はその言葉を最後まで紡ぐことができなかった。形相を変えた豪徳寺が、急に詰め寄ってきたためである。
 豪徳寺は掴みかからんばかりの勢いで、壁を背にした円山を追いつめた。
「確かにそうかもしれねえよ」
 感情を押し殺した声で、喋る豪徳寺。
「コージが必死で看病したからって、急に未来が良くなるわけでもないかもしれないさ。
 でも、だからってなぁ……」
 一度言葉を切り、豪徳寺は大きく溜め息をついた。一言には表すことのできぬやり切れなさが、彼の胸を打つ。
「……一体どうしちまったんだよ、先生?
 昔の先生は、今のコージを見て、あんなことは絶対言わなかったはずだぜ」
「恋愛ごっこなど、教育には邪魔なだけだ。子どもの本分は勉強にこそあるだろう」
「……っ」
 胸の奥から沸き上がるものを必死に堪えるようにして、豪徳寺は奥歯を強く噛みしめた。苦渋の思いを味わいながら、豪徳寺は円山に語りかける。。一言一言を絞り出すようにして口にするのが、今の彼には何よりも辛かった。
「ごっこ遊びなんかじゃない。コージは……愛する者のために必死に頑張ろうとしてるんだ。あんたからしてみれば意味のないことなのかもしれない、てんで無駄なことなのかもしれない。だが、それでもあいつは今頑張ってるんだ。
 自分の生徒が頑張る姿を喜んでやれない、認めてやることすらできない。そんなんで、あんた本当に自分が教師だって胸張って言えるのかよ?」
 ほんの一瞬。豪徳寺の言葉を受けて、円山は大きく目を見開いた。彼の僅かな表情の変化を豪徳寺は見逃さなかった。
 幾分手の力を緩めて、豪徳寺は先を続ける。
「昔……先生、言ってたよな。
 知識を教えたり、校則で縛りつけたりするばかりが教育じゃない。子どもの心を育むことも、絶対に必要なんだってよ」
「教え……育む……」
「ああ、そうだ。
 今のあんたは、初心を……教師の心ってやつをすっかり忘れちまってるんじゃないのか、円山茂森!」
 響き渡る豪徳寺の声。
 その声に気圧されたように、円山はがくりと膝をついた。放心しきった様子で、虚ろな瞳を豪徳寺に向ける。
「私は……何十年も教師をやってきた。日々の忙しさや、時代の変化に流されるまま、いつしか考えることを忘れていたのか……」
 呟きを漏らす円山の傍らに、豪徳寺はしゃがみ込んだ。くたびれた服を正し、その肩を揉んでやる。
「随分と凝ってるじゃないか。
 先生も、色々と苦労してきたんだな」
「ああ……」
 憑き物が落ちたように、円山はただ一度頷いてみせる。
「だが、しかし……教師としての務めを見失ってしまうとは、全く本末転倒だ」
「焦んなよ。定年まであと一年しかなかったって……生徒達のために、何かできることはあるはずだぜ。
 先生ならできるさ。俺が中学の頃、生徒から誰よりも好かれていた先生ならな」
「昔の話は止してくれ」
 苦笑いを浮かべ、円山はゆっくりと立ち上がった。しっかりとした足取りで、未来の病室の方向へと歩く。
「生徒達のところに行くのか?」
「そうだ。
 ……コージが頑張ろうとしているのは分かったが、担任教師として生徒に無茶をさせるわけにはいかんからな。夜が更けた後は、看病を交代することにしよう」
「ああ。それでいい」
 『よっぽど言い聞かせないと、コージは絶対聞き入れないだろうけどな』と豪徳寺は心の中で付け加える。尤も、生徒を諭すことは教師の役目でもある。教師の本分を思い出すことのできた円山であれば、きっと大丈夫だろうとも豪徳寺は考えていた。
「さあ、ニャン子。俺達も戻ろうぜ」
 一つ大きく伸びをすると、豪徳寺はすっかり置いてきぼりにされていた相方に声をかけたのであった。

 コージの思いが通じたのか、翌日になって未来は無事に意識を取り戻した。その時のコージの喜びようは言葉には表すことのできないほどのものであった。
 その後、未来は順調に回復の兆しを見せ、数週間後には退院することができた。
 未来の退院からさらに数日が経った頃、すだちの二人は約束通り二人のためにライブを行った。ライブ当日、会場にはコージや未来を始めとして多くの客が訪れていた。そしてその中には、かつてライブ会場を不良の溜まり場と蔑んだ円山の姿もあった。
 大歓声の中、すだちはギターを弾き、そして歌う。あっという間に時は流れ、とうとう最後の曲を迎えようとしていた。
「コージ!」
 マイクを手にした豪徳寺が、ステージの上からコージに語りかける。
「次がいよいよ最後の曲だ。二人の門出を祝ってこの歌を歌うから、しっかり聴いててくれよな。
 それから一つ覚えときな。ただ優しいばかりが男じゃないってな!」
 スタンドにマイクを戻すと、豪徳寺はギターの弦に手をかけた。
 メロディに合わせて、豪徳寺はリズミカルに身体を動かす。イントロが終わるのを耳で確認し、彼はフレーズを口ずさむべく一つ息を吸い込んだ。
 マイクを通した豪徳寺の歌声が、会場内に響き渡る。

優しいだけの男じゃ あの娘は口説けない
You must be wild 
ルールなんて無いのさ 力ずくで
それがLOVE
理屈なんかは要らないさ
そろそろ今夜もBorn to Be Wild
Love is War!
You must be keep on fait 愛を掴むまで
Love is War!
You must be keep on fait 愛を守るため

甘い言葉ささやく だけじゃだめさ
You must be crazy
あの娘も誘われること 待ってるのさ
It’s just a love
言葉なんかは要らないさ
そろそろ今夜もBorn to be wild
Love is War!
You must be keep on fait 愛を掴むまで
Love is War! 
You must be keep on fait 愛を守るため

言葉なんかは要らないさ
そろそろ今夜もBorn to Be Wild
Love is War!
You must be keep on fait 愛を掴むまで
Love is War!
You must be keep on fait 愛を守るため
Love is War!
You must be keep on fait 愛を掴むまで
Love is War!
You must be keep on fait 愛を守るため
愛を掴むまで 愛を守るため

 頭の中に渦巻く記憶を断ち切ると、豪徳寺はフッと笑ってみせた。
「……な〜んてこともあったよなぁ。
 もうあれから、四ヶ月以上が過ぎたってわけだ」
 話を終えると、豪徳寺はジョッキを一気に呷った。
「コージと未来ちゃんか。今でも、あの二人の関係は続いてるらしいな」
「そりゃあ、あの二人は切ろうとしてもなかなか切れないだろうよ」
 ジョッキから口を離し、豪徳寺は唇の端をつり上げる。
「あれ以来、先生も本腰入れて教育に携わってるっていうことだ。何にしても、良かったよな」
「豪ちゃんも久々にキレただけの甲斐があったやんか」
「だから、別にあれはキレてないっての」
 茶々を入れるニャン子の頭を軽く小突き、豪徳寺はさらに付け加える。
「ただ、どうにも我慢できなかっただけだよ。昔の先生を知っていただけに、尚更な」
「そっかそっか」
 料理を箸でつまみつつ、ニャン子は何度も頷いてみせる。本当に分かっているのかどうかと不審に思った豪徳寺であったが、話がややこしくなりそうだったので特に追求しないことにした。
「ま、何にしても良かったさ。未来もすっかり元気になって、先生もまた新たなる一歩を踏み出すことができたんだからな」
「みんなが幸せになることのできた、ハッピーエンドってやつ?」
「ハッピーエンド?……そいつは違うぜ」
 ニャン子の台詞を否定する豪徳寺。
 大きく頭を振った後に、彼はこう言い放ったのである。
「あれはゴールなんかじゃないさ。新しい門出……スタートだよ。彼ら自身の物語のな」

← 前の回  次の回 → ■ 目次

Novel Editor by BS CGI Rental
Novel Collections