明くる日の昼過ぎ頃。昨日ライブが行われた公園の中に、豪徳寺とニャン子の二人の姿があった。マイクスタンドを立てギターを手にした二人は、訪れるであろう一人の客の到来をじっと待つ。 だが、予定時刻を一時間ほど過ぎた後も、ブレザーを身に纏ったロングヘアーの少女がやって来ることはなかった。 「……遅いなぁ」 退屈さに耐えられなくなったのか、大きな欠伸をするニャン子。 「来るさ。あの娘はきっと来る」 サングラスの奥の瞳を四方に動かし、豪徳寺は少女を探し求める。 今日のライブは彼女のために開催されたものである。彼女がいなければ、演奏を始めたとしても意味はない。それが分かっていたからこそ、予定時刻から大幅に遅れをとっていても、二人は演奏を始めなかったのだ。 寒空の下、二人はただただ待ち続けた。 時計の長針が半周ほど移動した頃、公園の中に制服姿の一人の少女が現れた。 「あの娘か?」 豪徳寺に訊ねるニャン子。 「いや、違う。サキじゃない。 だが、あの娘は確か……」 豪徳寺は自分達の方に歩み寄ってくる少女の顔を確認する。 「そうだ。確か、あの娘は、昨日サキと一緒にいた……」 「じゃあ、サキっていう娘とも顔見知りなんやな」 「ああ」 ぼそぼそと言葉を交わし合う二人の前に、当の少女、梓がやって来た。 少し戸惑ったように二人の男を見比べる梓だったが、やがて意を決したように豪徳寺に向かって話しかける。 「あの……昨日、サキと話をしたっていう人ですよね」 「ああ、そうだよ」 梓の問いに豪徳寺は頷く。 「サキ、今日ここに来てませんか?」 「いや、見てないな。今日、ここに来るはずなんだけど…… サキに何かあったのか?」 豪徳寺がそう問い返すと、梓は顔を伏せた。そして蚊の鳴くような声で、二人に向かってこう告げる。 「サキが……学校辞めちゃったって……」 唐突な彼女の発言に豪徳寺とニャン子は互いの顔を見合わせた。 「辞めたって……一体どういうことなのかな?」 できるだけ梓を刺激しないようにと注意して、豪徳寺はさらに質問を続ける。 「今朝のホームルームの時間に、担任の先生から連絡があったんです。サキが問題行動を起こして、学校を辞めさせられることになったって……」 「……問題行動?」 「学校でも変な噂流れてるし、サキの携帯に電話かけても全然繋がらなくて……」 梓の話を聞き、豪徳寺は頭を強くハンマーで殴られたかのような衝撃を覚えていた。 (昨日、俺と別れた後、何かがあったんだ。サキの周囲で何かが……) 内心の動揺を表に出さず、豪徳寺は努めて平静を装ったまま言葉を紡ぐ。 「それで君はサキを探しに?」 「ええ。 あのサキがそんなことするなんて信じられないんです。先生達の様子も何か変だったし」 「確かにな。問題を起こして退学させられる生徒がいたとしても、学校側がそれを皆の前で公表するなんて……おかしな話や」 横から口を挟むニャン子。 「それで、心当たりのある場所は探してみたん?」 「はい。でもどこにもいないんです。家の場所を知っていれば、そこに行くこともできるんですが……」 途方に暮れたように梓は頭を振った。 豪徳寺は昨日サキと話したことを思い出していた。彼女の口から発せられた言葉の一つが彼の脳裏に浮かんでくる。 『どの地でも、あまり長居はできませんでしたから。またすぐ、この街からも去ることになるかと思います』 以前にもサキは一度この街を去っていると言う。その一件の経緯については豪徳寺も深く関わっていたので、よく覚えていた。 「チッ……」 彼女は長居をしなかったのではなく、長居をすることができなかったのだ。そのことに気付けなかった自分の不甲斐なさに豪徳寺は舌打ちを漏らした。 「どうするよ、豪ちゃん?ちょっと予想外の事態になってもうたみたいやけど」 「そうだな……」 自らを叱咤し、豪徳寺は考えを巡らせる。 おそらくは彼女はこの街を離れるつもりであろう。あるいはもうすでに去っていった後なのかも知れないが。 逆に、もしも彼女がまだこの街に留まっているとすれば、何らかの未練ややり残したことがあるということだろう。 思考の末に豪徳寺は決断する。 「もう少し、このまま待とう。 もしもサキがまだこの街にいるならば……本当に俺達の音楽を聴きたいと思ってるならば、きっとここにやって来る」 「分かった」 豪徳寺の出した答えに、ニャン子も同意の意を示した。 「私も……ここで待たせてもらっても構いませんか?」 どこか遠慮しているように梓がおずおずと二人の男に訊ねる。 「ああ、勿論」 相手を安心させることのできるような優しい笑顔を見せ、ニャン子は梓の肩をポンと叩いた。 彼らはさらに待ち続けた。この度のライブ にはかかすことのできない客がやって来るのを。
陽が山の向こうに沈みかける頃合いに、猫を連れた女子高生は現れた。 「申し訳ありません。随分と待たせてしまったようですね」 すだちの二人に対して頭を下げ、サキは自らの非礼を詫びる。 「この子が怪我をしてしまったもので、その看病をしていたのです」 遅刻の理由を説明しつつ、サキは左腕に抱いたホタルの頭をそっと撫でた。 「サキ……あんた……」 「……梓さん」 疲れ切った顔をした梓を前にして、サキは悪戯っ子のように笑って見せた。そうでありながらもどこか哀愁を覚えさせる彼女の表情は、豪徳寺もニャン子も、そして梓もかつて一度も目にしたことのないものだった。 「ごめんなさい、梓さん。あなたにも心配をかけてしまったようですね。詳しいお話は後でします。 でも、まずは……」 口を動かしながら、サキは梓から豪徳寺へと視線を戻す。 「だいたいの事情は梓さんからお聞きになられたようですね、豪徳寺さん」 「ああ」 豪徳寺は首肯する。 豪徳寺はサキに対して、多くを訊ねようとはしない。最早、二人の間に問答など必要なかった。 「これからがすだちライブの始まりだ。友達と二人でゆっくりと楽しんでいきな。 ニャン子、準備は大丈夫か?」 「いつでもいけるで」 「よし、じゃあ早速始めるぜ」 「ええ。 さぁ、座りましょう。梓さん」 梓を促し、サキは手頃なベンチに腰を下ろした。梓もまた、その隣に肩を並べて座る。 二人の客が一つのベンチに陣取ったのを確認し、豪徳寺とニャン子はギターの弦に指を乗せる。 夕刻の公園にギターの音色と豪徳寺の歌声が響き渡る。静寂を打ち破るように、豪徳寺は腹の底から声を出し、熱唱した。
その涙の理由は 判っているから 君の心の中に(もう)他の誰かが 手を伸ばせばいつも 君が居たから それが当たり前のように(ただ)思い込んでた これきり二度と 会いたくないと 強がってみたけど 今も君のことまだ愛してるから 今更友達なんかになれないけれど さよならは言わずに行くよ また会える日まで
すだちの音楽に耳を傾けるその一方で、二人の少女達は語らいの一時を過ごす。 「じゃあ本当なの?教頭先生と同棲していたっていう噂」 「ええ。秋の終わりにこの街にやって来て以来、ずっとお世話になっていました。 でも、昨夜ふとしたことから、出て行かなければならなくなったんです」 「そう…… 教頭先生も今朝から学校に来ていないそうよ」 「女生徒と同棲していたなどという事実が白日の下に晒されてしまったならば、職を失うことにもなりかねないのでしょうね……」 「サキ。あんた、これからどうすんの?」 「私は……もうこの街を離れようと思っています」
君の部屋の窓を 見上げていたんだ 笑顔で手振る君の 幻が見えた いつかどこかで 偶然会っても 友達みたいに 話がしたいなんて虫が良すぎるぜ 今更友達なんかになれないけれど さよならは言わずに行くよ また会える日まで
曲は二度目の間奏へと映る。同時にサキはベンチから立ち上がった。 「もう……行くの?」 「はい、行きます。 すだちのお二人に……あなた方の曲を聴くことができて良かったとお伝え下さい」 「うん……分かった」 何かを我慢するように、梓ははにかんでみせる。 「止めても、無駄なんだよね」 「ええ。こういう性分ですから」 微笑するサキ。別れ際の彼女は、消え入りそうなほどにどこか儚くも弱々しくもあった。 「では……参りましょう、ホタル」
少女が去り行こうとしていることに豪徳寺もまた気付いていた。 引き留めようとはせず、彼はサキの背に向かって歌いかける。より一層、強く強く……
夜が明けると 愛は消えてく そして二人は 別々の路をまた歩き出す 今更友達なんかになれないけれど さよならは言わずに行くよ また会える日まで
そうして一つの曲が終わる。 余韻を楽しみつつも、豪徳寺は視線を巡らせる。しかし、もう黒髪の少女と黒猫の姿を公園内に見受けることはできなかった。
一年以上も前のできごとについての回想を終え、豪徳寺は大きく嘆息した。 全ては過去に起こったことである。今となって変えようと躍起になったとしてもどうすることもできない。そう理解してはいるものの、心のどこかで何かが彼を苛もうとする。 「あれ以来、サキともすっかりご無沙汰してる。今もどっかの誰かの元でパラサイトしてるのかもな。 今になって思うんだ。もしもあの時プッチーがいたならば、話も少し違ったものになってたんじゃないかなって」 「……どうだろう」 そんな彼を慰めるようにニャン子は言葉をかけた。 「世の中には変わった奴もおってな。自分の信念を曲げへんっていう頑固者もおるし、一つ所にずっと居座ることのできんって奴もおる。 たとえ誰であったとしても、あの娘の生き様を変えることなんかできなかったんとちゃうかな?」 「……そうかも知れないな」 「俺らはすだちとして、できるだけのことはやった。それで十分やで」 屈託なく笑うニャン子。つられて、豪徳寺も思わず吹き出してしまう。 「何かしんみりしてもうたな。いっぱい食うて飲もうや」 「おう」 しばしの間、二人は料理に舌鼓を打ち、そして盃を進めることに専念した。
「そういやよ、ニャン子」 目の前に置かれた皿の上を綺麗にしたところで、豪徳寺は意地悪そうな笑みを浮かべて相方に話しかける。 「お前、島津(しまづ)さんとは何か進展あったのか?」 「あのなぁ、豪ちゃん。俺らはもう学生とちゃうんやで」 呆れたようにニャン子は肩を竦めた。 「どうなんだよ?」 「進展も何もない。前と変わらんよ」 「つまんねえの」 豪徳寺はそっぽを向く。まるで子供のような相方に苦笑し、ニャン子は喋り続けた。 「でも、あのラジオがなかったら俺とあの人が再会することもきっとなかったと思う。ラジオに携わることで、本当に色々と出会いがあったんやな」 「……あれはいつ頃のことだったっけ?」 明後日の方角を向いたまま、そう訊ねかける豪徳寺。 「確か今年の二月の初めだったと思うで。まだまだ寒い季節やったしな。 そう、確かあの時も俺らはライブをやってたんやっけ……」 ニャン子は当時のできごとを語り始めた。いつしか豪徳寺も彼の方に向き直り、その話に聞き入っている。 二人の脳裏には制服姿の少女の代わりに、ある一人の婦人の顔が浮かんでいた。
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