プロローグ
夜の帳が降りた世界は、文明の発展と共にいつしかその姿を変えてしまっていた。煌々と輝くネオンの光は、時代を経ると共にその数を増やし、漆黒の闇をも蝕む。たとえ寂れた田舎町であったとしても、その事実が変わる事は決してない。 夜が訪れようとも決して眠らぬ街。その一角を歩く一人の男がいた。行き交う人の流れに身を奪われることも、風俗店の呼び込みの声に足を止めることもなく、ギターケースを肩にかけたその男はしっかりとした足取りで黙々と歩を進める。 足を止め、男が面を上げたのは一軒の酒場の前だった。閑古鳥の鳴くような佇まいをしたその店の中に男は入る。 決して綺麗とは言い難い内装。両の手で数えられるほどにしかおらぬ客。店内もまた、外見に違う事なくどこか寂れた雰囲気を醸し出していた。 男はあらかじめそうすることを決められていたかのごとく、真っ直ぐにカウンター席へと向かう。カウンター席の片隅には、小太りの男が一人、のんびりと盃を傾けていた。 「よう、豪ちゃん」 ギターを提げた男……豪徳寺の姿を確認し、太った男は赤ら顔で手を振った。 「だいぶペース早いんじゃないか、ニャン子?」 苦笑いを浮かべ、豪徳寺はその男、ニャン子の隣に腰を下ろす。 「打ち上げやからな。今日は無礼講やで」 「潰れたって知らないからな」 ギターを下ろし、豪徳寺は苦笑混じりにサングラスを外した。黒眼鏡の下から、どこか人の良さそうな瞳が現れる。 「豪ちゃん、何飲む?」 「とりあえず生チュー」 奥にいる店の主人に注文をする豪徳寺。程なくして、ジョッキに並々と注がれたビールが運ばれてきた。 『お疲れ』 乾杯し、二人はアルコールを嗜み合う。 「……早いもんやなぁ。気が付いたらもう五年もやってたなんてよ」 しばし喉を潤した後、ニャン子はぽつりと言葉を漏らした。豪徳寺もどこか神妙な面持ちをして頷いた。 「ああ、ちょうど五年前の今頃だっけ。俺達すだちがいきなり新番組を任される事になって……結構あくせくしてた頃もあったよな」 「そうやな……いろんな事があったし、沢山の人とも出会えたと思う」 しみじみと語り合う二人。 豪徳寺とニャン子が話しているのは、とあるローカルのラジオ番組のことである。すだちという名でデュオを組んでいる二人は、その番組でパーソナリティーを務めていたのだ。 だが、始まりがあればいつか終わりが来るのが世の常である。五年間に渡って続けられたラジオ番組も遂にその幕を下ろすこととなった。最終回が放送されたのは、つい一ヶ月ほど前のことである。 「そうや……ホンマにいろんな事があったんや」 空になったグラスを置き、しみじみとニャン子は呟く。 「出会いもあった。それと同じくらいの数の別れもあった。でも、何よりもやってて楽しかったよ。 ……今日はいっぱい語り合おうや、豪ちゃん」 「今夜は帰さないぜ、ニャン子」 早くも顔を赤く染めた豪徳寺は、がっしとニャン子の肩に手を回す。 「ええ年こいたオッサンに言われたら適わんわ」 堪らず苦笑を漏らすニャン子。 「ま、冗談は抜きにしてもとことん付き合うで」 「そう来なくっちゃな」 豪徳寺は意気揚々として、追加の注文を頼むのであった。
「……っ!」 肴をつまみ、盃を傾けるニャン子であったが、急に押し殺したような声を出しその表情を歪める。 「どうした?」 訝しげに眉をひそめる豪徳寺。 「ああ……いや、大したことない。傷が疼いただけや。一年前の古傷がな」 「……去年の花火の時か」 額に滲んだ汗を拭い、ニャン子は大きく息をついた。 「あの事件があってすぐだったよな。プッチーが東京行っちまったのも。 あの頃も本当に色々あったっけ……お前が絶対安静の身体で、病院抜け出してスタジオ行ったりとか……」 「今から思うと、ちょっと無茶やったかもな」 「おいおい、ちょっとかよ?」 ニャン子の頭を小突く真似をする豪徳寺。ニャン子は照れたように頬を掻いた。 「そういう豪ちゃんこそ、えらい無茶やらかしたらしいで。一人で殴り込みかけに行ったんやって?」 「俺もまだまだ若いって証拠よ」 酔いに任せて、豪徳寺は呵々大笑する。 「けど、まぁお互いヤバい橋渡っただけのことはあったよな。 あの子も今じゃ元気にやってるんだろ?」 「拓也(たくや)のことかい? あの時の手術も成功したし、退院もできた。今は施設の方で元気にやってるよ」 「必死に歌っただけの甲斐はあったよな。 施設か……また一度、あそこでもライブやろうぜ」 「おう、モチロン」 豪徳寺とニャン子は目を見合わせ、相好を崩した。 「それで、豪ちゃんの方はどうなんよ?ほら、あの昔の同級生の……」 枝豆に手を伸ばしながら、ニャン子はそう訊ねかける。 「ああ。魚住(うおずみ)はあの後、自首したらしいよ。親の金や権力にばっかり頼っていた昔のあいつからはとても考えられないことだけどな。 この街から魚住一派の影が消えたってのも大きかったぜ」 豪徳寺も焼酎のグラスを空にすると、またつまみを口に放り込む。 「魚住の方は務所暮らしとは言え、今も元気にやってるらしいんだけど……」 「けど?」 どこか含みのある豪徳寺の言葉に引っかかりを覚え、ニャン子は聞き返した。 「魚住の傍にいたあの女子高生は今どこで何をしてるのやら……」 「ああ……」 豪徳寺の言わんとすることを察し、ニャン子もその表情を固くする。 「あの娘、確かサキって言ったかな。まあ、まさか今もこの街にいるってことはないだろう」 「そう言えば」 ふと思い出したようにニャン子は呟いた。 「あの娘が一度、この街に戻ってきたことがあったっけ。あの事件の後に……」 「ああ」 頷く豪徳寺。 「確かあれは去年のクリスマスの頃だったか」 酒を飲みながら、豪徳寺はぼんやりと十ヶ月ほど前のできごとを思い出していた。
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