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SU・DA・CHI 作者:殻鎖希

第9回   伝説の再来
「……豪ちゃん!」
 自分を呼ぶ声に、豪徳寺はゆっくりと瞼を上げる。目の前には、険しい顔をした居村が立っていた。
「ああ、アッコか」
「アッコか、じゃないわよ」
 挨拶もそこそこに、居村は豪徳寺に詰め寄った。
「ねえ、一体何があったの?第一、あなた達お昼にライブしてたはずじゃ……ううん、それよりニャン子は、ニャン子はどうなったの?」
「まあ、とりあえず座れよ」
 一気にまくしたてる居村に対し、豪徳寺は至って落ち着いた様子で席を勧める。
「ちょっと、聞いてる?」
「……少し静かにしてやれって」
 豪徳寺に言われて初めて気付いたように、居村は口をつぐんだ。
「ゴメン……」
 勧められるがままに、ソファーに腰を下ろす居村。
 そのまま互いに会話を交わすこともなく、幾ばくかの時間が流れた。
「ねぇ」
 どれほど経った頃だろうか。場の雰囲気に耐えきれなくなったように、居村が口を開いた。
「どうして……そんなに落ち着いていられるの?」
「………………」
 豪徳寺は居村が来るまでと同じようにして、腕を組み目を閉じている。そんな彼をちらりと一瞥し、居村は先を続けた。
「奥さんから伺ったわ。頭を強く殴られていて……もしかしたら、一生意識が戻らないかもって……」
 今にも消え入りそうな声で呟く居村。それは、これまで豪徳寺にも見せたことのない彼女の一面だった。
 ひとしきり喋り終え、居村が大きく嘆息したその時。豪徳寺はそっと目を開けた。
「ニャン子だから、だろうな」
 沈黙を破り、言葉を発する豪徳寺。
「例えば……今あそこで眠ってるのがアッコやプッチーや大野君だったら、こんなには落ち着いていられないと思う。どうしようもなく……怖いと思う」
「豪ちゃん……」
「けど、ニャン子だと、何故か大丈夫って思うことができるんだ。今はちょっとフテ寝してるだけ。あいつは……こんな所でくたばるようなヤツじゃない。
 俺はそう信じてる」
 居村は横からそっと豪徳寺の瞳を覗き込む。そこに絶望の色はまるで見られなかった。上辺だけの言葉ではなく、本当にニャン子が無事であることを信じている……居村はそう悟った。
 居村の視線を気に留めることもく、豪徳寺はすっと立ち上がった。
「どこ行くの?」
「小便。ずっと我慢してたんだ」
 訊ねられ、少し照れくさそうに頬を掻く豪徳寺。
「豪ちゃん」
 そんな彼の背中に、居村は声をかけた。
「さっきはゴメン……行ってらっしゃい」
 振り向かぬまま、豪徳寺は手を振って答えた。
 居村と別れ、人気のない廊下を豪徳寺はただ一人歩く。
 階段を降り、踊り場にさしかかったところで、ふと彼は歩みを止めた。
 そこには以前に居酒屋で酒を飲み交わした二人の男の姿があった。
「……行くのか?」
「ああ、行く」
 男の一人、山下の問いに豪徳寺は首肯する。
「なら、話しておく必要があるな」
 再び歩き出そうとした豪徳寺であったが、その言葉に反応し振り返った。
「こないだの話なんだが……」
「教え子から魚住の名前を聞いたことがあるってやつかい?」
「うん。
 何でもその子の通っている高校で、魚住という男の息のかかった連中がいるらしい。いずれも随分と柄の良くない連中だそうだ」
「なるほど」
 相槌を打つ豪徳寺。
「それに……何でもOBの連中までもが、その魚住という男に加担しているという話を耳にしている」
「……サンキュ」
 豪徳寺は納得した様子で一つ頷いた。そんな彼を山下は真摯な眼差しでひたと見据える。
「くれぐれも気を付けるんだ。魚住の一派は、かなりでかい勢力になりつつある。この街でも、自分のテリトリーをどんどん伸ばしているらしいからな」
「心配すんなって……すぐに終わらせてやるよ。猿山の大将気取りもな」
 山下の肩を軽く叩き、豪徳寺は階段を下りていった。
 その足音が完全に聞こえなくなったところ、山下はもう一人の男と顔を見合わせた。
「よく止めなかったね」
「それはお互い様でしょう」
 始終口を閉ざしていたもう一人の男、大野は苦笑いを浮かべる。
「あれほどおっかない顔をした豪徳寺さん、見たことありませんよ。……止められるはずないじゃないですか」
「違いない」
 山下もまた相好を崩す。
「さて……僕達も、ニャン子のところへ行こうか」
「そうですね」
 二人は揃って歩き始めた。
 階段を登る二つの足音。静寂を破るようにしてそれは響き渡る。
「ニャン子さん……」
 階段に足をかけ、大野は大きく溜め息を漏らした。山下の耳に届かないほどの小さな声で独りごちる。そうすることで、やるせなさを紛らわすかのように。
「どうしてこんなことに……明日は……ニャン子さんにとって大切な日だったのに」
 大野は強く唇を噛みしめたのだった。

 その夜、魚住覚はいつものようにビールをあおっていた。ただ普段と異なるのは、彼の側に付き従っている一人の少女の姿が見えないこと。しかし、当人がそれに気付いている様子はない。
「ニャン子とかいう男は潰したよ……ざまあみろ、豪徳寺」
 破顔し、狂ったように歓喜の声を上げる魚住。
「なぁ……サキ」
 傍らに視線を向ける。しかし、そこにいるべき者の姿はない。その時初めて、魚住はサキの不在に疑問を抱いた。
「サキ……サキ、どこだ?」
 缶ビールを取り落とし、周囲を見渡す魚住。されども、少女はどこにも見当たらない。
「サキ?」
 すだちの面々と接触するよう、指示を出した覚えはない。それでは、一体どこへ行ったというのか。
 焦りを募らせる魚住の耳に、ガチャリというドアの開く音が飛び込んでくる。
 ドアのある方を凝視する魚住。だが、予想に反して部屋の中に入ってきたのは、魚住がその名すらも覚えていないような男子学生だった。
「おい、サキを見な……」
「た、大変です!」
 魚住の質問を遮り、切羽詰まったように少年は叫ぶ。
「どうした?」
 いささか機嫌を損ねはしたものの、彼を咎めることなく問い質す。さすがに魚住もその様子にただならぬものを感じていた。
「ウチの傘下に加わっているグループが次々と潰されているそうです。……それも相手はたった一人だと」
 少年の報告に魚住は眉間に皺を寄せる。
「豪徳寺……康成か」
「ど、どうします?」
 黙考する魚住。ほどなくして結論に達する。
 嘲るようにして、魚住は言い放った。
「あの男も歳を取った……昔に比べれば、明らかに腕を落としているさ。
 仲間をやられた恨みってとこだろうが、全てのグループを相手にして五体満足でいられるわけがない。所詮は僕達に太刀打ちできるはずもないんだ……」
「ですけど……」
「まあ全員終結させて一度にかかればどうとでもなるだろ。それに向こうから出向いてくれたのなら話は早い」
 男子生徒の不安を一笑に付し、魚住は残酷な指示を出した。
「豪徳寺をここに連れてくるんだ。生きてさえいれば、どんな状態でも構わない。せいぜい痛めつけてやれよ」

「……そういう事情があったわけか」
 一通りの話を聞き、プッチーの中で一つの謎が解けた。即ち、ここしばらくにおいての豪徳寺の不可解な行動の謎。
 だが、事実を把握できたからといって、納得がいったわけではない。事実、まだ分からないことも残されている。
 プッチーは改めて、女子高生サキをじっと見つめる。
「ねぇ、サキさん。どうしてあなたはそんな男の元にいるの?」
「そんな男……魚住のことですか?」
 昼間とは違い、サキもプッチーから視線を逸らすことはなかった。
「魚住という男……豪徳寺さんと同い年ってことは、あなたよりもかなり年上のはずよね。それに話に聞く限りでは性格も最悪だと思う。あなたがどうしてそんな男を?」
「簡単なことですよ」
 以前の彼女と同じ、淡々とした口調でサキはこう述べた。
「魚住はお金持ちでしたから」
「……それだけ?」
 一瞬返答に窮し、訊き返すプッチー。
「ええ、それだけです」
 臆面もなく、制服姿の少女は言ってのける。
「けれど、いくら何でもお金のために危険過ぎる橋を渡るわけにはいきません。あの豪徳寺康成を敵に回すなど……愚かなことです」
「魚住を切り捨てたの?」
「そういうことになりますね。まあどうせいつかは切り捨てることになったと思いますけど」
 サキからは後ろめたさはまるで見受けられない。プッチーは表情を強張らせた。
「怒りましたか?」
 プッチーの反応を楽しんでいるかのように、サキはさらに語る。
「でもお金が欲しいっていうのも、当たり前の欲求だと思いますよ。それとも……あなたは人の心はお金で買えない、なんてお説教でもするつもりなんですか」
「……別に私はあなたにお小言を言うつもりはないわ」
 プッチーは小さく頭を振った。
「ただ……あなたも魚住の一件に絡んでいたことは間違いない。そして……結果としてニャン子さんは襲われた」
 その肩を震わせる。怒りか、悲しみか、憤りか……底知れぬ感情がプッチーを支配していた。
「私は……今のあなたを許すことはできない。ニャン子さんを傷つけたあなた達を認めることはできない……それだけよ」
 吐き捨てるようにそう言うと、プッチーはサキに背を向けた。
「さよなら。二度と会わないことを願うわ」
「それはお互い様です」
 眉一つ動かさぬまま、サキは最後までずっとその顔に冷笑を張り付かせていた。

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Novel Editor