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SU・DA・CHI 作者:殻鎖希

第8回   迫り来る危機
 それから十数日。すだちの面々はいつもと変わらぬ日々を過ごしていた。昼には路上で音楽を奏で、夜にはラジオ番組でトークに花を咲かせる……それは彼らにとっての何気ない日常。特に変哲もなく、だからこそ何にも変えられぬ大切なもの。
 だがその静けさは、やがて起こる大事を示唆していたのかも知れない。
 事件が起こったのは、八月に入って間もないのある日のことだった。
 猛暑と言う言葉がぴたりと当てはまるその日の午後、豪徳寺とプッチーはいつものようにライブを行うべく、公園にやって来ていた。
 すでにライブ開始予定時刻から随分な時間が経っている。けれども、もう一人のメンバー、ニャン子が現れる気配は一向にない。
「またサボリですか、あのオッサンは」
 顎を滴る汗をぬぐい、豪徳寺は呆れた様子で頭を横に振った。
「ここしばらくはずっと真面目に来てたんですけどねえ」
 少しでも涼を取ろうと、プッチーも手でパタパタと周囲の空気をかき乱す。
「全く……明日のラジオの件と言い、あいつ一体何考えてんだよ」
「アレですか。ニャン子さんが大野さんに直談判して、強引に決めたそうですけど」
「何のつもりか知らないがな。ディレクター泣かせなパーソナリティーだぜ」
 大きく溜め息をつき、豪徳寺は愛用のギターを手に取った。開始時刻を過ぎてしまっている以上、ニャン子が来ないからと言って、呆けているわけにはいかない。
「始めようぜ、プッチー」
「……はい」
 促され、プッチーもマイクを手にする。
 一通りのスタンバイが整い、愛用のギターを爪弾こうとする豪徳寺。
 だがその時、視界の片隅に見覚えのある人物の姿が映る。ぴたりと手を止め、豪徳寺は面を上げた。
 サングラス越しに、一人の女子高生が自分達の方に近づいてくるのを確認する。
「またあいつかよ」
 何度か相見えたことのある顔との再会に、豪徳寺はやれやれと言った風にギターを下ろした。
 豪徳寺の眼前まで来ると、少女はぴたりと足を止める。
「よう」
「お久しぶりですね」
 挨拶を交わす二人。だが、その間には久闊を叙するといった雰囲気からはほど遠い、緊迫した空気が張り詰めていた。
「……ところで魚住はどうしたんだ?俺からの伝言は伝えてくれたんだろ?
 ここしばらくは嘘みたいに息を潜めていたようだが……」
「勘違いしないでほしいです」
 そのセリフを遮り、少女はどこか冷めた様子で呟いた。そんな彼女に、豪徳寺はいささか違和感を覚える。
(この女……以前とは何か雰囲気が違う)
 内心の動揺をできるだけ悟られぬように配慮しつつ、言葉を紡ぎ出す豪徳寺。
「勘違い、とは?一体何のことだ?」
「今日の私は連絡係じゃありませんから」
「そうかい。なら、どういう風の吹き回しでここに来た?俺達の音楽でも聴こうってのか」
「そう言えば、もう一人のメンバーの方は?」
 またも豪徳寺の言葉を無視し、少女は勝手に話を進めようとする。一瞬額に青筋を浮かべそうになった豪徳寺であったが、ここで腹を立てていては大人げないと無理やり自分を納得させた。
「ニャン子か。あいつ、たまにこうやって来ないことがあるんだよ。
 ったくどこをほっつき歩いてるのか……」
 その時、ふと豪徳寺の胸中である考えが芽生えた。
「まさか」
 言い表しようのない悪寒が背筋に走る。
 あるはずがない。勘違いか何かであってほしい。けれどそう思えば思うほどに、不安はどんどん膨れ上がっていく。
 そして……豪徳寺の不安を確信に変える一言が少女の口から発せられた、
「早く行った方がいいと思いますよ。もう手遅れかもしれませんけど」
「……!」
 最早、疑う余地などなかった。少女のセリフが全てを物語っていた。
「どこだ?」
 掴みかからんばかりの勢いで、豪徳寺は少女に詰め寄る。
「あいつは、ニャン子はどこにいる!」
 必死に問い質そうとするその表情には、第三者の目から見ても鬼気迫るものがあった。
「……今日は総合病院にいるはずです。私は魚住からそう聞いていますので」
 多少気圧された様子で、答える少女。それを聞くや否や、豪徳寺は駆け出していた。
「豪徳寺さん!」
 プッチーの声にも耳を貸さず、豪徳寺はただひたすらに駆けていく。
 その後ろ姿が完全に見えなくなるまで見送ると、少女は大きく嘆息を漏らした。そして、彼女自身もまたその場から去るべくきびすを返した。
「待って」
 そんな少女に声をかける者がいた。この場に残されたメンバーの一人プッチーである。
「何ですか?」
 不快感を隠そうともせず、少女はプッチーを睨みつけた。対するプッチーも臆した様子もなく、負けじと相手を見据える。
「あなたには……訊きたいことがある」
 顔を合わせる二人。
 しばし後、先に目を逸らしたのは、女子高生……サキの方であった。

 もう少しで、この風景も見られなくなる。
 そんなことを、どこか他人事のように思いながら、拓也はぼんやりと窓の外を眺めていた。
「………………」
 ここ何日も、ニャン子は彼の前に姿を現していない。毎日のように見ていた人懐こそうな笑顔。鬱陶しく思ったことも一度ならずあったが、会えない日々が積み重なれば重なるほど、妙に寂しさがこみ上げてくる。
「ねぇ……知ってる?」
 女性の声で、拓也の意識は引き戻された。
 拓也に声をかけたのは、その日見舞いに訪れていた滝沢であった。持参してきた花を花瓶に生けながら、滝沢は先を続けた。
「明日、花火大会があるの。この病室からなら、綺麗に見えると思うわ」
「僕には……もう関係ないよ」
 あえて滝沢と目を合わさないようにして。拓也は小さな声でそう答えた。
「関係ないなんてことじゃない。花火大会は明日なのよ」
「どうせしょぼい花火だろ。そんなの見たってしょうがないよ。それに……どうせもうすぐ、何も見えなくなるんだし」
「拓也……」
 そっぽを向いたままの拓也になおも何かを語りかけようとする滝沢。しかし、拓也がそれに耳を貸す様子は全くない。
 気まずい空気が病室を支配する。
 ……沈黙を破ったのは、コンコンという乾いたノック音だった。
「失礼するで」
 続いて扉の開く音と共に、聞き覚えのあるしゃがれ声が耳に飛び込んでくる。拓也は声の主の方へと視線を移した。
「久しぶりやな、拓也。ああ、先生もいらしてたんですね」
「ニャン子」
「ニャン子さん」
 拓也と滝沢、二人の声が重なる。
 扉を閉め、ニャン子は真っ直ぐ拓也が横たわっているベッドに歩み寄ってきた。
「今日はな、お前に一つ頼みがあって来たんよ」
 拓也の側に立ち、ニャン子は話を切り出す。
「頼み?」
 ニャン子の意図が読めず、訝しがる拓也。
「明日のラジオ、お前には絶対聴いといてほしいんよ」
「ラジオ?」
「そう。オレ達が……すだちがやってるあのラジオ番組や」
「どうして?」
 当然の疑問を口にする拓也。
「さあ?」
「さあ?って……」
「まぁ、お前へのプレゼントみたいなもんやから。明日のお楽しみにしといてや」
 言い終わると、ニャン子は背を向けた。
「もうお帰りですか?」
 そんなニャン子に声をかける滝沢。
「ええ。それ伝えに来ただけですから。今日はこれで失礼します」
 軽く頭を下げ、退室するニャン子。
 後に残された拓也は、わけが分からぬといった様子でただただぽかんとするばかりだった。

 病院から一歩外に足を踏み出し、ニャン子は大きく深呼吸をした。
(伝えることは伝えた。後は明日次第)
 頭ごなしに言い聞かせたところで、おそらくあの少年の耳には届かない。それでは何の意味も為さないのだ。
(明日が……勝負どころや)
 決意を固め、ニャン子は早足で歩き始めた。まずは明日のことよりも今日のことである。昼からのライブにも少々遅れはするだろうが、すっぽかすわけにもいかない。
 病院の敷地を出て歩を進めること数分。その惨劇は遂に幕を開けることとなる。
 それは、ニャン子が学生服に身を包んだ数人の少年達のグループとすれ違った瞬間。
「グ……ッ!」
 ニャン子の腹部に鈍く激しい痛みが走る。
 殴られたと理解するより先に堪えきれなくなり、ニャン子は肺の中の空気を吐き出した。そんな彼に第二撃が襲いかかる。
「……っ!」
 後頭部を強く殴られ、たまらず地に足をつくニャン子。その上からのしかかるようにして、幾人もの少年らの足蹴りが頭を、腹を、背を、そして全身を打つ。
「何……を……」
 まともに喋ることすらままならず、ニャン子は倒れ伏した。けれども、少年らの攻撃は休まることを知らぬかのように、さらにニャン子を痛めつけ続ける。
 全身に激しい苦痛を覚えながら、ニャン子の意識は薄れていった。

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Novel Editor