その日、あまりにも意外な場所にて、ニャン子は彼女と遭遇した。 (あれ?) すれ違い様に気付き、慌てて振り返る。しかし、向こうはまるでニャン子の存在など目に入っていない様子で歩み去っていく。 (何で、あの娘がここにおるんやろ?) その女性をニャン子はよく知っている。だが二人が鉢合わせるには、この状況ははいささか不自然なものだった。 「……まあ、いっか」 また次に会った時にでも本人に尋ねればいいだけの話だ。かようにニャン子は考え、目的の場所に向けて歩を進めた。 白い扉の前に辿り着いたところで、足を止める。プレートに書かれた名を確認し、ニャン子は数度ノックを繰り返した。 「お邪魔するで、拓也」 返事を待たず、扉を開く。 そこは殺風景な病室だった。部屋の中に置かれているのは、ベッドと椅子とテレビ。そして、見舞いの品と思しき生けられた花だけである。 ベッドに横たわっていた十歳前後くらいと見て取れる少年……拓也が、見舞客の来訪にゆっくりと身を起こす。 「ニャン子……また来たの?」 ニャン子の姿を目にして、呆れた様子で呟く拓也。 「おう。今日はお見舞いの品はなしやけどな」 歯を見せて二カッと笑い、ニャン子は手近な所に置かれていた椅子に腰を下ろした。 「毎日毎日、飽きもせずによく来るね」 「俺がおらんかったら、一人で寂しいんちゃうか?」 「一人の方が楽でいいよ」 そっぽを向く拓也。 「……そろそろ決心はついたか?」 「またその話? 放っといてって言ってるだろ」 視線を合わそうとしない拓也に、ニャン子はなおも語りかける。 「随分心配されとったで、園長先生も。このままやと、お前は永遠に光を失うことになるかもしれん言うてなあ」 「ふ〜ん。それで?」 「手術の時期が決まったらしい。後はお前の心の持ち方次第ってわけやな」 「俺、受けないよ。誰に何て言われても、絶対に手術なんて受けない」 「そうはいかん。今の内に何とか手を打たないと、大変なことになるで」 「……だから何!」 それまでずっと我慢していた何かを吐き出すように、拓也は声を荒げた。 「そんなこと、ニャン子には関係ないだろ! どうしてニャン子は俺に構うの?先生に頼まれたから?」 そこで、初めて拓也はニャン子と目を合わせる。 真摯な眼差しで向かい合う、年齢の離れた二人の男。 「どうして……か」 しばしの沈黙の後。腕を組み、ニャン子は一言一言を噛みしめるように言葉を紡ぎ始めた。 「確かにお前の言う通りでもある。園長先生に頼まれたからってのも、理由の一つや。 あの人な。番組宛てにメール送ってきてくれたんや。わざわざ俺を名指しにして、な」 「やっぱり、そうなんだろ」 「まあ聞け」 視線を逸らそうとした拓也を制するニャン子。 「俺がここに来るようになったきっかけは先生のメールだった。でも、今の俺は俺自身の意志でここにいる。 お前達はすだちの曲を聴いてくれた。それに、ラジオ番組の大切なリスナーさんでもある。 俺って、とことんお人好しやからな。俺達を受け止めてくれたお前のことを、放ってはおけないんや」 「………………」 俯いたまま、拓也はシーツを握りしめる。そんなニャン子はある質問を投げかけた。 「お前さあ。怖いんやろ?」 「怖い?」 目を丸くして、顔を上げる拓也。 「違うか?」 返答に詰まる拓也を見て、ニャン子はさらにこう続けた。 「幼い頃に両親を亡くし、お前は施設で孤児として育てられた。そして、今また新たな問題が、お前の前に立ちはだかったわけや。目が見えなくなってしまうかもしれんっちゅう問題がな。 これだけ色々なことがあったら、まあ怖くもなるわな。自棄っぱちになるんも仕方ないかもしれん」 ニャン子はありのままの事実を述べた。今までに、この拓也というこの少年が背負ってきた重みの全てを。 「怖がることが悪いとは言わん。 でも、な」 太い手で、小さな頭をグリグリと撫でる。その行為を嫌がる風でもなく、拓也はニャン子の次の言葉に耳を傾けている様子だった。 「それでも突っ走らなきゃならない時がある。そうでないと、人間は前に進むことができないんだぜ」
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