「今日は」 聞き覚えのあるしゃがれ声に、滝沢(たきざわ)は頬をほころばせた。 「お久しぶりですね、美馬さん」 「またまたあ。美馬さんはなしですよ、先生。ニャン子でええですから」 しゃがれ声の男、ニャン子もまた相好を崩す。 「まあ立ち話も何ですから、どうぞ中にお上がり下さい」 「いえ、今日はこの後行く所がありますから」 ニャン子の言葉に滝沢の表情に影が差す。 「あのメール、読んで下さったんですね」 「ええ。今から、拓也(たくや)にも会いに行くつもりです。 それで、今日は少し先生にも伺いたいことがありましてね」 「あの、ニャン子さん」 口を開こうとする滝沢を、ニャン子は手で制した。 「分かってますよ。他言は無用……ですよね。ご心配なく。誰にも話していませんよ。ラジオのスタッフの中でもこのことを知っているのは、俺と大野君だけですから」 「お心遣い、感謝いたします」 深々と頭を垂れる滝沢。 「やめて下さい、先生。俺が勝手にやってることですから。 それで、先生はどう思われますか?あいつには……今、一体何が見えているんでしょうか?」 優しい瞳で、ニャン子は滝沢をじっと見つめる。初めは迷っていた様子の滝沢だったが、やがて腹を決めたのかぽつりぽつりと話し始めた。 「あの子は、何よりも恐れているんです。永遠の闇の到来を」
「ったく、どういうつもりだよ、ニャン子のヤツ……」 ペットボトルに入ったスポーツドリンクを喉に流し込み、豪徳寺は悪態をついた。 「ホントに女にうつつぬかしてんじゃないだろうな」 「まあいいじゃないですか。今日は私も歌いますから、二人で頑張りましょうよ」 そう言って、豪徳寺をなだめるのはプッチーである。 この日も、すだちの面々は路上ライブを行う予定だった。ところが、急遽ニャン子からキャンセルとの連絡が入ったのである。 「ちょっとは真面目になったかと思えば、すぐこれだからなぁ」 「まあまあ、そう言わないで。そろそろ始めましょうよ」 マイクを持つプッチー。 「ま、ぼやいてても始まらないからな」 豪徳寺も愛用のギターに手を伸ばそうとした。 その時。 「すみません」 豪徳寺とプッチーの背後から、突然声がかけられた。 「ん?」 振り返る二人。 そこに立っていたのは、学校帰りと見受けられる女子高生だった。ストレートに伸ばした長い黒髪。化粧のない顔立ちに温かみのある笑顔が非常によく似合う。 「ヒュウ」 少女の姿を目に留め、豪徳寺は吐息を漏らす。居村章子とはまた違ったタイプであるが、彼女が素晴らしい美貌を持ち合わせていることには違いなかった。絶世の美女と言っても過言ではない。 「あの、すだちの方々ですよね。豪徳寺康成さんとプッチーさん」 豪徳寺の反応などお構いなしに、話を進める少女。 「少しよろしいですか?豪徳寺さんとお話がしたいんですが」 「俺と?」 豪徳寺は微かに眉をひそめる。これほどの奇麗どころと談話できるのは、願ってもないことである。しかしその一方、何か言い知れぬ引っかかりを覚えているもう一人の彼がいた。 (どうにも匂うな) 別段根拠はない。ただの勘である。昨夜居村を笑い飛ばしたことなどどこ吹く風で、豪徳寺は周囲に目を配った。そして、あることに気付く。 (フ……ン。なるほど、な) 「あ〜、すみません。私達これから演奏するんですよ。それが終わってからに……」 「いいぜ」 プッチーのセリフを遮り、承諾する豪徳寺。 「って豪徳寺さん、何言ってるんですか?」 「お話をするくらいなら構わないだろ、別に」 「ライブはどうするんですか!」 「今日は中止」 「え〜っ!」 「それで、何のお話をしたいのかな?」 なおも抗議しようとするプッチーであるが、豪徳寺は全く聞く耳を持とうとしない。 「ここでは話しにくいことなので……」 「あ、そう。 プッチー、これ頼むわ」 「ほ、本気なんですか?ニャン子さんのこと、偉そうに言える立場じゃないですよ!」 ギターを手渡され、戸惑いが隠せない様子のプッチー。 「それじゃあ行こうか」 「ええ」 「行くなあああぁぁぁっ!」 プッチーの突っ込みが寂しく夕焼け空にこだました。
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