その夜。すだちのメンバーは、地元の放送局を訪れていた。 豪徳寺とニャン子はあるラジオ番組のパーソナリティーを務めている。今日はちょうどその番組が、生放送でオンエアされる日だった。 ちょうどナイターシーズンである現在は、番組が時間通りに始まることなどほとんどない。その日の試合も随分と長引いており、パーソナリティー達はお決まりの待ちぼうけをくらわされていた。 「お前さあ、何かあったわけ?」 煙草をふかしながら、豪徳寺は訊ねかけた。 「何で?」 首を傾げるニャン子。 「お前、最近妙に突然やる気出してない?ほら。さっきのライブだって、結構気合い入ってたろ」 「俺はいつでも真剣やで」 「いや、冗談はいいから」 「冗談やないんやけどな……」 「でも、確かに頑張ってますよね、ニャン子さん」 そう言って、一人の女性が会話に割り込んできた。すだちのメンバーの最年少……唯一の二〇代にして紅一点、プッチーである。ちなみに、彼女はラジオ番組のアシスタントとして働いている。 「な。プッチーもそう思うだろ?」 「ええ」 「突然、柄にもなく真面目になったってか?」 「んなことないって」 ニャン子は笑いながら頭を振った。 「俺はずっと前からこんな調子や」 「……あのさ。絶対に隠しごとはなしだよ、ニャン子」 と、ここで口を開いたのは居村章子。三十路に突入しても、周囲から『お前、絶対に整形だろ!』と突っ込まれるほどの美貌を持った彼女もまた、パーソナリティーの一員である。要するにすだちの相方というわけだ。 「そうそう、隠しごとだけはやめとけよ。後でバレると、アッコが怖いぜぇ」 「豪ちゃんも茶化さないの。今は真面目な話をしてるんだから」 軽く豪徳寺の頭を小突き、居村はニャン子の顔をじっと見据えた。 「ねえ、ニャン子。もしかして……あなた悩んでない?」 「どうしてそう思うん?」 「女の勘。根拠はないわ」 胸を張ってきっぱりと言い放つ居村。 しばしあんぐりと口を開けていたニャン子だったが……やがて堪えきれなくなったのか、腹を抱えて笑い始めた。 「ちょっと、ニャン子!」 「アハハ……ゴメンゴメン。でも、真剣な顔して何言うかも思ったら……」 指摘されて恥ずかしくなったのか、居村の顔が端から見ても分かるほどに赤くなる。 「と、とにかく!何か悩んでるんだったら、一人で抱え込みすぎないでね!ちゃんと私達に相談してよ」 居村の真剣な様子に気圧されたのか、ニャン子も真面目な表情に戻る。 「ああ、ありがとう。 けど……ホンマに何もないんよ。心配かけたみたいで悪いなあ」 「なら、いいんだけど」 「でも、女の勘は傑作だったよなあ」 またまた横からいらぬことを言う豪徳寺。 「コラそこ!茶化さないでったら!」 耳まで真っ赤になって、居村は頬を膨らませた。 『ハハハ……』 部屋の中に、四人の笑いが響き渡る。 そこに…… 「ニャン子さん、ちょっといい?」 スタッフルームから、一人の男がひょっこりと顔を覗かせた。彼の名は大野。彼こそがラジオ番組のディレクター、人呼んで大野Dである。 「ああ、ちょっと行ってくるわ」 仲間達に断りを入れて、ニャン子はスタッフルームの中へと歩いていく。 「……あれで隠してるつもりなのかしらね」 彼の姿が見えなくなったところで、居村は大きな嘆息を漏らした。 「アッコの女の勘がなくても、バレバレだっつ〜の」 「やっぱり、ニャン子さんにはニャン子さんなりの事情があるんじゃないですか?」 「ニャン子なりの事情か……」 すっかり短くなった煙草をもみ消し、豪徳寺はしばし思いを巡らせる。 (ニャン子から連想されるキーワードは、タコ焼きに繊細なブタくらいなもんだよな。あいつに事情なんて、ホントにあるのかねえ) 「あ、もしかして!」 本人が耳にすればたちまち怒り出しそうな事を考える豪徳寺の隣で、プッチーが何やら閃いた様子で立ち上がる。 「ん?何か分かったん?」 「男の人が急に真面目になる理由って言えば、だいたい決まってるじゃないですか」 「……女ね」 納得したように頷く居村。 「なっ……! でも、あいつには奥さんがいるんだぜ」 「だから私達に話せないんじゃない?私達の口から浮気がバレるかも知れないでしょ?」 「浮気ぃ?」 「声が大きい!」 咎められ、慌てて声を潜める豪徳寺。 「まさか、あいつに限ってそんな……」 「けど、あり得ない話ではないわね」 一人納得している様子の居村。傍らではプッチーが何度も首を縦に振っていた。
三人組が良からぬ噂を立てていることなど露知らず。ニャン子は大野に勧められるまま、パソコンの前に 「これ、見て下さい」 「また、例のメールやな」 ニャン子の表情は、先程とはうって変わって険しいものになっていた。 メールに一通り目を通し、ニャン子は腕を組んだまま呻いた。 「……そうか。いよいよか」 「本当にいいんですか?豪ちゃん達に知らせなくて」 眉間に皺を寄せ、大野が訊ねてくる。 「ああ。これは俺の問題やから。他の誰にも手伝ってもらうわけにはいかんのや」 「なら、俺も何も言いませんよ」 予想通りの答えに苦笑いする大野。 「いつもすまんなぁ、大野君。我が儘ばっかり聞いてもろうて」 「あなたのためっていうわけでもないんですけどね」 「……うん、そうやったな」 「リスナーあってこそのラジオですから。そのリスナーの頼みとあらば、無下に断る事なんて出来ませんよ」 それ以上は何も語ろうとせず、大野はディレクターズチェアに腰掛け、ナイターの状況を確認し始める。 「大野君、ありがとうな」 ニャン子の言葉にも、大野は何の反応も示さない。自分の番組に全てを懸ける、ディレクターの姿がそこにあった。
長かったその日のゲームにもピリオドが打たれ、予定より大幅に遅れてその日の放送がスタートした。 『はい、皆さん今晩は。豪徳寺康成です』 『居村章子です』 『ニャン子パパでございます』 ラジオ越しに聞こえてくるパーソナリティー達の声。その内の一人の名前に思い当たる節を感じ、男は唇の端をつり上げた。 「へえ、やっぱりあいつだったんだ」 独りごちつつ、一気にビールをあおる。 「すだち……か。 つくづくふざけた連中だよね」 耳障りなあの声が否が応でも聞こえてくる。彼にはそれがたまらなく不快であった。 「音楽なんかで何が出来る?傷を舐め合って、一体何が楽しい?」 しかし、その一方で…… 「っ……! 壊してやる……何もかも、こいつらみんなっ……壊してやるよぉっ!」 沸き上がってくる興奮を抑えきれない、もう一人の彼がいた。 唾を吐き散らしながら、男は甲高い声で笑い続ける。止まる事を知らぬ玩具のように、いつまでもいつまでも……
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