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SU・DA・CHI 作者:殻鎖希

第12回   新たなる夜明けと共に
 夏の蒸し暑い一夜を過ごす様々な人々の元に、その歌声が届けられる。

「行かなくて、いいのかい?」
「うん」
 山下に問いかけられ、尾崎は少し赤くなった顔を頷かせた。
「あの人は今、あの人にしかできないことをしている……私が行ったとしても、何もできないから。
 それに、他にあると思うの。私にしかできないこと」
「そうか」
 アルコール臭い溜息をつき、山下は頭を掻く。
「今日は、とことん飲むか」
 そう言って山下は空になった尾崎の杯に酒を注いだ。そんな山下に対して、尾崎は尋ねかける。
「ねぇ……どうしてそんなに飲むの?」
「忘れるためさ」
 顔を見合わせて、二人はフッと相好を崩した。

 闇の中、一際大きく咲き誇る花。制服姿の少女もまた、街の一角から夜空を見上げていた。
 花を愛でる心がまだ自分にも残っていたのか……少女は少なからず驚きを覚える。この街で出会った人々との思い出が少女の胸を駆け巡っていた。
「でも、これでお別れね」
 明日からは少女はまた仮面を被ることになるだろう。
 少女は過去を持とうとしない。過去を捨て去ってしまうのは他ならぬ少女自身なのである。
「さよなら、魚住……さよなら、プッチー」
 思い出に別れを告げ、制服姿の少女は新たなる一歩を踏み出した。

 ふと錯覚を感じて、プッチーは周囲を見渡した。
「どうしたの?」
 そんな彼女に声を潜めて訊ねかける居村。
「あ、いえ……誰かに呼ばれたような気がして」
「誰かに?」
「うん……でも気のせいだったみたいです」
「そう」
 納得した様子で、居村は自分の仕事をすべくスタジオへと戻っていった。
 プッチーは窓の外に視線を移した。バイパスを走る車の群れを眺めながら、ぼんやりと独りごちる。
「さよなら、か」
 プッチーは考える。自分とすだちのことについて。
 彼女自身の卒業の時は、少しずつ近づいてきていた。

「馬鹿な……」
 大の字に転がったまま、魚住は呻くようにして言葉を絞り出した。
「豪徳寺、お前は衰えというものを知らないのか?」
「ああ……と言いたいところだがな」
 サングラスを胸元から取り出し、豪徳寺は苦笑する。その顔からはもはや怒りの色を窺うことはできなかった。
「さすがにあの頃のようにはいかないな。無茶はできんよ」
「その様でよく言うよ」
 怪我らしい怪我をほとんどしないない豪徳寺を前にして、呆れ返ったように魚住は頭を振った。
「よく言うよ……本当に」
 同じ言葉を反芻しつつ、魚住は床に落ちたラジオを指差す。
「あいつが、お前の相棒なんだよな」
「ああ」
「全く……かなわないな」
 虚ろな表情で魚住は淡々とそう呟いた。
 豪徳寺は仰向けになったままの魚住に手を差しのべる。しかし、魚住はその手を取ろうとはしなかった。
「馬鹿だよ、お前」
「お前にだけは言われたくなかったね……」
 起きあがろうとすることもなく、魚住は大きく嘆息する。
 そんな彼の姿を目の当たりにし、これ以上留まる理由もないと判断したのだろうか。豪徳寺はくるりときびすを返した。
「行くのか?」
 魚住のセリフに振り返らぬまま答える。
「俺の気は済んだ……後は警察に任せる」
「いいのか?
 またいつか……僕はお前を狙うかもしれないよ」
「ハッタリはよせって」
 豪徳寺は口元を微かにほころばせる。
「面見れば分かんだよ」
「何でもお見通しってわけか……」
 やれやれと言わんばかりに魚住は二度目の嘆息を漏らした。
 ゆっくりと歩を進めながら、豪徳寺は最後にこう語りかける。
「またいつか出てきたら、一度俺達の音楽を聴きに来いよ。
 待ってるからな、魚住」
「フン」
 小さく鼻を鳴らし、魚住はそっぽを向く。
 ほんの一瞬、寂しそうな笑みを浮かべ、豪徳寺はその場から去っていった。

 そうして夜は明けてゆく。いつもと変わらぬまま、何の変哲もなく。
 だが、それは終末を意味するのではない。新たなる夜明け、それは新たなる物語の始まり。人は日々を重ねる毎に様々な物語を積み重ねていくのである。
 そう……彼らもまた。

 暮れなずむ空の下。多くの人々が行き交う街の一角にて。奏でられるギターの音色と共に、その歌が聞こえてくる……

憶えているかい バカやってたあの頃を
ロックンロールはシンプルでね いかしていた
忘れたふりして変わってゆく それもいいさ
でもあのメロディ  今も君の心の中
見果てぬ夢が一つ またしぼんでゆくけど
言葉にできぬ思い また失くしてゆくけど
もう一度 あの頃の 声が聞きたいけど
もう一度 切なさに 胸を焦がしたいけど

 演奏をしているのは二人組の男だった。サングラスをかけた背の高い男が一人。やや太った体型ではあるが、どこか愛くるしさのある顔立ちをした男がもう一人。
 ほとんどの人々は、二人のストリートミュージシャンを見ようとすらしない。それでも彼らは、ただひたすらに歌い続けた。まるで、そうする事が義務であるかのように。

 平日の午後。街を歩く人々の中に一組のカップルの姿があった。
「ねえ、どこに連れてってくれるの?」
「いいとこ」
 女に訊かれ、男は悪戯っぽく笑みを浮かべてそう答える。
「焦らさないでよ。
 それともまたゲーセンでも行く気?」
「それもいいけど、最近金欠なんだよなぁ。だから、ツケの利く所に行きたいね」
「じゃあどこよ?」
 男の態度に女は頬を膨らませる。
「拗ねんなよ。もうすぐそこだって。
 ……ほら、あそこ」
 女の頬を軽くつつくと、男は街の一角を指差した。その先にあるのは、ギターを持った二人組のストリートミュージシャンの姿。

 一曲が終わり……満足しきった様子で、男達はギターを爪弾く手を休めた。
 彼らは気付いていた。先程から離れたところで自分達をじっと見ている、男女の二人組がいることに。
 目を合わせてニッと笑い、彼らは二人組へと歩み寄っていった。

みんなの心を ときめかせたかわいい娘
名前だけ何故か 出てこなくて苦笑い
もう二度と会えぬ奴も一人 いるけれど
至福の時代を 共に生きた悪ガキども
見果てぬ夢が一つ またしぼんでゆくけど
言葉にできぬ思い また失くしてゆくけど
もう一度 あの頃の 声が聞きたいけど
もう一度 切なさに 胸を焦がしたいけど
もう一度 あの頃の 声が聞きたいけど
もう一度 切なさに 胸を焦がしたいけど

「俺達はすだちっていうんだ」

                     《完》

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Novel Editor