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SU・DA・CHI 作者:殻鎖希

第10回   それぞれの闘い
 看護婦の怒声に胸中で詫びを告げ、スピードを緩めることなく数段とばしに階段をかけ登る。
 ニャン子が何者かに襲われ、意識不明の重体となっている。そのことが尾崎の耳に入ったのは、事件から一夜が明けた日のことであった。知らせを受けた彼女は、急ぎニャン子の入院している病院へと駆けつけたのであった。
 走りながらも、尾崎はかつてニャン子に言われた言葉を頭の中で反芻させる。
『あんまし自分を卑下するもんじゃないさ。
 それにこうも考えられるやろ。自分にしかできないこともある、ってね』
(私にしかできないこと……)
 それはあの日以来、ずっと考え続けていたこと。しかし、尾崎自身まだ答えを掴めてはいない。
 それでも尾崎は走らずにはいられなかった。果たして自分にどれだけのことができるのか分からないとしても。
 廊下を駆け、病室の前に辿り着く。ノックをすることも忘れ、尾崎は扉を開いた。
「ニャン子さん!」
 部屋に一歩踏み入る尾崎。その目に真っ先に飛び込んできたもの……それはもぬけの殻となったベッドだった。
「……?」
 狐につままれたような顔をして、尾崎は室内を見渡す。だが、愛くるしい男の姿はどこにも見受けられない。
 あるはずの主を欠いた病室、それはより一層閑散としているように見えた。

 それからおよそ十時間ほどが過ぎた頃。
 放送局内のスタジオで、大野はある決断を迫られていた。
 ふと思い出したように大野は時計に目をやる。針が指している時刻は八時半。この日のナイターは中止となったため、番組は定刻……九時よりスタートすることになる。皮肉にもそれは最悪の偶然だった。
 どうしようもない焦りを抑えきれず、大野は頭を抱え込んだ。
「ねえ、どうするつもりなの?」
 居村の問いかけにも大野は反応を示さない。
「時間がないわ。今日の予定を組み直さないと」
「………………」
「大野君」
 と、なおも居村が口を開きかけたその時。
「大野さん、居村さん」
 スタジオの扉を開けてプッチーが入ってきた。
「どうだった、プッチー?」
「駄目です。豪徳寺さんとは連絡がつきません」
「そっか……」
 二人は顔を見合わせ、大きく嘆息する。魚住という男の暴走を知った今、豪徳寺がどこで何をしているのかは容易に想像が付く。そしておそらくは、豪徳寺が今日この場にやって来ることはないだろう。
「とんだ大番狂わせね……パーソナリティーがこれだけ揃わないなんて」
「……」
 居村の呟きを耳にしたのか。大野は重い口を開く。
「今日は……ニャン子さんにとって大切な日だったんですよ。だから、俺は今日の放送をニャン子さん一人に任せることにした……」
「そちらの詳しい事情は分からない。けど、よほどのことがあったんでしょうね」
「ええ。ですから俺は、ニャン子さんの意志を無駄にはしたくない」
「……私だってそう思うわよ」
 苦虫を噛みつぶしたような表情を浮かべる居村。それもほんの一瞬のことで、すぐさま気丈さを取り戻す。
「でも、このまま悩んでても何も進展しない。できることだって限られているはずよ。
 私、リスナーを裏切るようなことだけはしたくないの」
「………………」
 その言葉で踏ん切りがついたのか。大野は面を上げた。
「分かりました」
 ある種の決意のこもった眼差しではっきりとこう告げる。
「俺達で、できるだけのことをしましょう。
 居村さん……今日の放送、お願いします。それから、プッチーもトークの方に参加してほしい」
 大野の指示に首肯する居村とプッチー。
「もう時間がない。急ぎましょう」
 重い腰を上げ、大野がスタッフ達に指示を与えようとした直後。
「ちょっと……待てや」
 ドアの開く音と共に、耳に馴染んだしゃがれ声がスタジオの中に響き渡った。

 遠くからドォン、という音が聞こえてくる。それに気付いた拓也は頭を上げ、窓の外に目を移した。
「あ、花火」
 夏の夜空に咲く花火。それは決して大きくもなければ、とりたてて派手というほどのものでもない。
「しょぼ……」
 カーテンを閉めようと手を伸ばす拓也だったが、何か思うところがあったのか、その腕を引っ込める。
「ニャン子、一体何を……」
 窓の外を眺めながら、ぼんやりと拓也は独りごちる。
「……聴かないってわけにはいかないか」
 番組の開始時間が近づいているのを確認し、拓也はラジオのスイッチを入れた。ほぼ同時に聞こえてきたのはリズミカルなCMソング。しかし今の拓也にとって、それは鬱陶しいものでしかなかった。
 CMが終了し、九時を知らせる時報が鳴り終えた直後。
「……これは」
 その音楽を耳にして、拓也はハッと目を見開いた。

Time goes by もう少し君だけ見てたかった
Ah...時が速すぎて この指をすべりぬけた


「どういうことだ!」
 ラジオから流れてくるその音楽を耳にし、魚住はまだ中身の残っているビールの缶を思い切り壁へと叩きつけた。
 豪徳寺とニャン子という二人のパーソナリティーを失ったラジオ番組が壊れていく様を嘲笑う……そんな目論見が容易くも崩れ去り、魚住は冷静さを欠いてしまっていた。
「何故だ……何故この男が歌っている?
 こいつは、身動きすら取れない重傷だったはず……」
 落ち着かない様子で、魚住は部屋の中を右往左往する。
「焦るな……そうだ、こいつはCDだ。そうに違いない!」
 結論に至ったところで、しゃがれ声の男の歌が再び耳に入ってくる。
『さよなら優しい人よ 誰よりも大切に思うよ』
「歌詞を……間違っている?」
 自分の結論が誤っていたことを知らされ、さらなる驚愕にうち震える魚住。
 魚住の記憶が正しければ、この部分の歌詞は『優しい人』ではなく『愛しい人』であるはずだった。無論ながら、あらかじめ収録してあるものを流しているのだとすれば、このような間違いなど起こるはずもない。
「そんな……馬鹿な」
 苦悩の呻きを漏らす魚住。
「ぎゃあああぁぁぁ……」
 突如、凄まじい絶叫が魚住の鼓膜を震わせる。
「な……」
「う、魚住さん……!」
 それに少し遅れる形で部屋のドアが開かれ、顔を腫らした男子生徒が飛び込んできた。
「チーム……全滅……させられました。
 それに……こ、ここも……………」
 最後まで言い切ることができぬまま、男子生徒はバタリと床に倒れ伏す。その背後からサングラスをかけた一人の男が現れた。
「よう、久しぶりだな」
「豪徳寺!」
 憎き相手との数十年ぶりの邂逅に、魚住は大きく息を呑む。 
「少しばかりお痛が過ぎるぜ。
 魚住、お前よくもニャン子に手ぇ出しやがったな」
 セリフと共に、豪徳寺はくわえていた煙草を吐き捨てた。
 一瞬、呆気にとられていた魚住であったが、すぐさま余裕を取り戻した様子で唇の端をつり上げる。
「……もしものために準備しておいて良かったよ。安い買い物じゃなかったけどね」
「?」
 言葉の意味が解せぬらしく、眉をひそめる豪徳寺。
「分からないかい?まあ、すぐに教えてあげるよ」
 嘲笑の笑みを浮かべたまま、魚住は背後のドアを荒々しく開いた。
「出番だ……来い」
 その声に呼応するかのごとく、隣りの部屋から数人の男達が姿を現した。いずれも強面で、引き締まった身体つきをしている。
「まだ残ってたか。お前のお抱えチームならほとんど潰したってのに」
 臆することもなく、いかにも面倒臭いといった風に豪徳寺は肩をすくめた。
 彼の態度に不満を覚えたのか、魚住は舌打ちをして背後の男達に指示を出した。
「金ならいくらでも出す。だからこの男を倒してくれ」
 その言葉に従い、男達は豪徳寺の方へと歩み寄った。
「学生にしとくには老け顔が多すぎるな。
 なるほど、あんたらのことか。山下さんが言っていたOB連中ってのは」
 豪徳寺はかけていたサングラスを外す。露わになった彼の瞳には、紛れもない怒りが込められていた。
「けどよ……それがどうしたってんだ?
 金に尻尾ふってる野郎なんざ、今も昔も俺の敵じゃねえんだよ」

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Novel Editor