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ノストイ〜帰還物語〜第三部 作者:紫苑璃苑

第42回   XIII-5

・・・

 夕食後、わたしとナギはディムロスに連れられて、二階にある彼の書斎へと足を運んだ。
 円形の部屋には、本がぎっしり詰め込まれた本棚や何に使うのかわからない物、植物や液体の入った密封ビン、積み重ねられた紙の束などで一杯だった。まるで研究者の部屋だ。
「汚い所だが……まあ適当に掛けてくれ」
促されて、わたしとナギは中央辺りにあるソファーに遠慮がちに腰掛けた。
「さてと、―――なにをそんなに硬くなっているんだ?」
デスクチェアーに上着を掛け、向かいのソファーに座ったディムロスは、不思議そうに首を傾げた。
「硬くって言うか…なんか緊張するっていうか……。ねえ?」
「あのウェーアさんがエウノミアルの、しかも有名なディムロス・リーズさんだとは思いもしませんでしたので……」
言って、ソファーの上で小さくなった。
「何を言っているんだ、俺は俺だろう?エウノミアルだとか、そんな事は関係ない。――まぁ、君達の好きなようにしてくれ」
そう言った彼は、どこか悲しそうに顔を曇らせた。
「好きにって……敬語とか、サン付けとかしなくてもいいってこと?」
「当たり前だ」
「で、ですが、あなたは――」
「“エウノミアル”はただの役名だ。俺はただの人間だろ?君達と同じで歳も近い。なぜそんな差別を受けなきゃいけないんだ?」
「じゃあ……“ディムロスのバカ!”とか言ってもいいの?」
「いや、それは……まぁ、そんな感じだ。無理にとは、言わないが」
「そうおっしゃって下さるのは嬉しい限りですが……」
彼女の性格上、どうしても受け入れられないようだ。
「だから、それは君が決めてくれて構わない。――それより、君達は俺に何か聞くためにここまで来たんだろ?」
ディムロスは諦めたように溜め息を吐き、すっと正面に向き直った。その表情は、ウェーアが時折垣間見せた、優しい微笑みに彩られていた。
「何で知ってんの?シビアさんから聞いた?」
「いや。ディスティニーを紹介してもらった時に、ウィズダムへ行くと聞いた。何か精霊について聞きたそうだったからな」
わたしとナギがそれぞれ毒づくと、笑いを含めた声が“何を聞きたいんだ?”と問う。
「ナギからどうぞ」
「…私は、もう少し整理してからお伺いするわ。セリナ、お先にどうぞ」
って言われても……わたしだって何から聞こうか悩んでるんだ。
「え〜っと…あんまり関係ないかもしれないけど……。わたし、ここに来る前にオジサンに絡まれたんだ。その時助けれくれた人がいたんだけど……ディムロス、じゃないよね?」
「ああ、」
やっぱ違うか。ウェーアと同じ香りがしたから気になってたんだけどなー。
「よくわかったな」
・・・ん?
「まあ!あれはディムロスさんだったのですか?でしたらなぜ、声を掛けてくださらなかったのですか?それに、お声が違っていたと思いますが……?」
「ああ、それな。科学者が遊びで作ってくれたんだ。奥歯に仕込んでおくだけで他人の声にしてくれるらしい」
「なんでそんな……わざわざ」
「エウノミアルだとバレると色々動きにくくてな。外出するときは大抵変装して出かけるんだ。あれは今日届いた物だから試したくなってな。しかし……声が違うだけで皆わからないものなんだな。まぁ、それでも顔は隠さないといけないんだが」
その辺もどうにかできるといいんだけどなと、残念そうに溜め息を吐く。
「ウェーアさんの時は変装していらっしゃらなかったのですか?」
「ん?あの外套と帽子だけでも、他の島の者ならバレないかなと……。ま、ギリギリ?よく似ている人だ、ぐらいには留められたろ」
「なんか、めんどいね」
「有名人は色々と大変なのだよ、セリナ君」
ニヤリと口の端を吊り上げる彼は、とても楽しそうだ。
「そういえばあの時、ディムロスさんはなぜエバパレイトへ?視察のためですか?」
「あ〜、そうだな……葬儀がてらに視察、かな」
「知人がお亡くなりに……?」
「俺とトルバの師匠だ。と、言っても俺は一年しか彼の教えを受けていないがな」
ディムロスの顔にすっと影が差す。悲しいけど、悲しんでいいのか迷うような……。
「それでも、ディムロスは師匠の事好きだったんでしょ?悲しかったんでしょ?だからあの時、すごく苦しそうな顔をしていたんだね」
彼は一瞬だけ驚いて、そうだなと頷いた。
「セリナ、君のおかげでずいぶんと俺は―――」
「あら、私の知らない所でずいぶんと仲良くなられていたのですね」
あっ、しまった。ナギにはまだマンティコアの洞窟での事、話してなかった。―――あれ?けど、ナギの顔……怒ってない?
「ごめんね、ナギ。言うの忘れてた。ファスト山脈でさ、マンティコアに襲われたでしょ?あの夜、ナギが寝てる時に――」
「――いろいろあったんだ」
止められた。知らないよー?せっかく怒ってなかったのに。
「“いろいろ”、ですか?」
ナギの笑顔が変わった。すさまじい怒気が伝わってくるよう……。
「ああ」
「他人には言えないような事でしょうか?」
「……私の面子に関わるな」
「先程、“エウノミアルはただの役名だ”とおっしゃったのはどなたですか?」
「な、謎が多いほど魅力が上がるって言うだろ?」
引きつった笑みと、完璧な微笑みが衝突している。まあ当然、ナギが優勢。
「では、ディムロス・リーズさんにお尋ねしたい事があるとご存知でしたのに、なぜ私たちに何も聞いてくださらなかったのですか?」
「そ、それは……」


  バーン!!


「時は夜なり日は明日!!雪ィ積もっとるでディムロス!!今から皆で雪ガはっ!?」
ドアを壊す勢いで突然乱入したトルバ。不法侵入者は額のド真ん中に鉄球をクリーンヒットさせられ、騒々しく倒れた。
わたしとナギが状況を理解する前に、
「いきなり何するんや!死ぬとこやったやないか!!」
ガバリッと飛び起きたトルバは、おでこからダラダラ血を流して叫ぶ。あ〜血、苦手なのに……。
 反対にディムロスは、そんな茶飯事……と、無関心。何事もなかったかのように私たちに向き直り、
「さて、今度は君達の話を聞かせてくれないか?」
「その前にディムロスさん、トルバさんの手当てを――」
「必要ない」
ナギの心遣いは一蹴された。とことん、トルバをイジメたいらしい。
「ひっでーやろ、こいつ。いつもいつもこんなんでさ。ワイが怪我しても知らんぷりや」
垂れてくる血を手で拭うが、なまじ額の傷だけに次から次へと流れ出る。
「ディムロス、止血ぐらいさせてあげて?」
「…………」
彼はむっとした顔で押し黙ると、不意にツイッと棚の一角を顎(あご)で指した。トルバはニカッと笑って礼を言うと、救急箱を手にして治療し始めた。わたしはほっと胸をなでおろす。
「……セリナ」
顔を上げると、絳(あか)色の双眸(そうぼう)と目が合った。
「顔色が悪い。疲れたのか?無理をしないで、今日はもう休んだ方がいいんじゃないか?」
「あ〜、大丈夫。血が苦手なだけだから。なんともないし」
へーき、へーきと、手をひらひらさせる心内では、そんなに顔に出てたのかと驚いた。
「セリナ、血が苦手だったの?今までなんともなかったじゃない」
「そうだっけ?それどころじゃなかったから、平気だったのかな?」
確かに、今思い返してみれば流血沙汰が結構あった。本当に、よく平気だったなぁ。
「こいつよう怪我したやろ?意外と向こう見ずなところもあるんよ」
「確かにそうですね。見ているこちらがハラハラして、よく怖い思いをさせられました。
「せやろ〜?ワイと仕事するときもガフッ」
「セリナが平気と言うのなら、話を続けようか」
「………うん」
クッションショットを喰らったトルバは置いておいて、わたしとナギはディムロスと別れてからの話をした。

「あっ、そうだ。ラズロがよろしく言っといてくれって言うの忘れてた」
キーリスの黒森(ラビュリントス)を抜け出した後、お世話になったラズロの件(くだり)で思い出した。彼の話をしてあげると、ディムロスはうれしそうに“あいつらしい”と柔らかな表情で聞いてくれた。
「そういえば、ラズロさんがおっしゃってましたが……。ディムロスさんのエウノミアルの刻印とは、どのようなものなのですか?一人ひとり違っていらっしゃるのでしょう?」
「ああ、俺のは――」
と、いきなりワイシャツに手を伸ばしてボタンを外す。
「な、何して///」
「何って……」
「こいつの刻印はここにあるんや」
いつの間にか復活したトルバが、自分の鎖骨をトントン叩いてニヤついた。
「なんや、セリナ嬢ちゃん照れとんのか?乙女やなぁ」
「別に、照れてなんかないもん!」
「三十路オジサンのたるんだ体よりはいいだろ?」
「どぁ〜れが三十路やて〜!?まだ三年あるわ!!」
「ほら、これだ」
「って、無視かいな!!」
 真っ先に飛び込んできたのは深い絳だった。白い肌に、立体感のある中心の球。それを取り巻く四つのクリスタル・ダイヤに曲線という紋様が色鮮やかに刻まれている。
「こいつの内面、よぉ表してる思わんか?真っ赤っかで血ィみたいやけど」
トルバは面白そうにディムロスの頭をぐしゃぐしゃと撫で回した。金髪の彼はその手を鬱陶(うっとう)しそうに払う。いつまでも子ども扱いされるのが嫌なんだろう。
「仲、良いんだね」
「「――――はぃ?」」
じゃれあう二人を見ての、素直な意見だ。二人は拍子抜けした顔で声を揃えた。
「?だって、トルバもディムロスも一緒にいると楽しそうなんだもん。お互いに相手のことをよく理解しててさ、喧嘩しても互いに酷い怪我しない程度に抑えてるし。すっごく仲がいいって事だよ。ね?」
「……さ、さよか………?」


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Novel Editor by BS CGI Rental
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