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数日後。 コダマに連れられて歩き回った私たちは、やっとのことで森を抜けることができた。 ゆっくりと薄れていったコダマと別れ、光の下へ飛び出す。太陽の光をさんさんと浴びた砂浜はきらきらと輝き、海上には何隻かの舟がある。漁船のようだが、人影は見られない。 高い陽の光を存分に浴びながら、ゆっくりと波打ち際を歩いた。ひどく久し振りに静かな心休まる時間に出会えた気がする。 二人の間に会話は無かったけれども、ナギは穏やかな表情をしていた。きっと、わたしもそうなんだろう。
しばらくすると、小さな集落が見えてきた。人間のシルエットもちらほら見受けられる。 「すみませーん」 せっせと大きな網を修繕していたおばさんに声を掛けた。おばさんは驚いてピタリと手を止め、まじまじと見つめてくる。 「私たち宿を探しているのですが、どこか安くて良い宿はないでしょうか?」 「あんたら、どっから来ただん?」 ナギの質問はそっちのけで、目をまんまるにして逆に尋ねてきた。 「えっと…ディバインのラービニから…」 「違う違う。あたンしが言いたいのは、どこを抜けてここまで来たってことだに。どこで舟降りたン?あんたらが来た方にゃ、船着場なん、ありゃせんに」 おばさんの表情が、徐々に変わっていく。驚きから、見てはいけないものを見てしまった恐怖・畏怖に。 「ええと…」 「森からかね。黒森から来たンかね」 戸惑っていると、おばさんは追い討ちをかけるように重ねて聞く。 ウグトの森は確かに濃い木肌をしていた。たぶん、それを“黒”と言っているんだろう。そう思って頷くと、おばさんは飛び上がって、 「ちょっとぉ、あんたら〜!来んしゃい!早く、早く来りんてばっ!!」 点々と離れた所で仕事をしていたおじさん、おばさんが呼び声に集まって、あっという間に人だかりの完成だ。 「どーしただァ、トメさん」 「この子達が何かしたンか?」 「旅の子か?どっから来た?」 「あ―――」 「黒森抜けて来たって言ってンだよぅ、この子達はっ!あたしゃ、おそんがくておそんがくて…」*怖くて怖くて 「なんとまァ!黒森から!?こンりゃーいかん。あいつ呼べあいつ呼べ!!」 彼らはものすごいスピードと音量で喋るものだから、私たちが口を挟む余裕がない。今、事情を説明するのは無理そうだ。 「お・おーぃ!おぉーぃ!!ラーズローぉ!しーごとじゃ仕事―!!早よう来りん!!」 そうこうしている内に、スピーカ内蔵してるんですか?ってぐらい馬鹿でかい声のおじさんに応えて、遠くの方から返事があった。 「ちゃーんとやってるよーぉ!!」 「バーカ!本業じゃ本業!!さっさと来ンしゃい!!」 「……あ、あのう……」 「話したいことがあるんだろ?そりゃ、全部あいつに話しン。わしらは聞けん事になっとるで」 恐るおそるなナギに、一人のおじさんが優しく教えてくれた。 「なんでおじさん達は私たちの話を聞けないの?」 「おめーさんらー、アルケモロスじゃろ?」 「ここんとこ、なんかおかしいって思っとったがなァ…」 「言い伝え通りだねぇ」 「語り継がれてきたおかげで、わしらは命拾いするんじゃよ」 「年寄りの言葉は、馬鹿にするモンじゃねえなあ」 「んだんだ」 猟師さん達は言いたいことだけ言って、去っていった。入れ替わりに、三十代中ほどのおじさんがこちらへ向かってくる。 「ちわ」 背の高いおじさんが軽く手を上げて挨拶してきたので、私たちも返した。 「あの、あなたは…?」 「俺ァラズロってんだ。よろしく。おっちゃん達から話は聞いたぜ。黒森、抜けて来たんだって?」 「そう、だけど…いけないことだった?」 「いいや。悪いことじゃねえんだ。むしろ良い事?――で、さ。森ン中で誰かっつうか、何かに会ったよな?」 質問…と言うより、確認作業のようだ。この人、何かを知ってる。 「なぜそう思われるのですか?」 ナギが訝しげに聞き返した。ま、あれだけ危ない目に遭ってきたんだから、警戒心は湧きやすい。けれども彼は、そんな事にはお構いなしで、さらに問い詰める。 「そいつに何か言われなかったか?言伝みてーな、さァ」 「なぜ、そう思われるのですか?先に答えて下さい」 あ〜…ナギさんちょいとキレ気味です。眉間にしわ寄せて、ムッとした顔でラズロを見上げてます。 「あーワリイ。先に話してくれないか?後でちゃんと説明すっからさァ」 彼は愛想のいい笑顔でナギの頭をぐしゃぐしゃにかき回す。すると、彼女はそっぽを向いてしまった。 「(あ〜ぁ…)言伝ならもらってるよ。ラズロはあの森に神様がいること、知ってるんだね?」 勝手に答えたから怒られるかな?って思ったんだけど、予想外にもナギは拗(す)ねているだけだった。 「おう。昔っからそういう話があるからな。それで…なんて言ってた?」 「えっとね…“人間が生きるために木も必要だという事はわかる。だが、我々が苦しんでいるのも事実だ。我々から奪った分、何らかの形で返して欲しい”って。やたらに森林伐採してるって怒ってたよ」 「あぁ。皆どうしちまったのか知ンねーけどさ、この頃利潤のことばかり考えて昔の教えを忘れちまってるみてーなんだ。うん。ちゃんと他の仲間にも伝えて対策立ててもらうからな。あンがとな。――しっかし、アルケモロスねえ…。ただの昔話だと思ってたぜ」 ラズロは無精ヒゲをさすりながら、うんうん頷く。 「ねぇ、ちゃんと説明してくれるんでしょ?このままじゃ、ナギむくれたままだよ?」 「セリナ!」 ずうずうしいと叱られた。話してくれないと怒るくせに……。 「わははははっ!おう、そいつぁー悪かった悪かった。えーっと……なにから話しゃいいンかな……」 「あ、あの…質問してもよろしいでしょうか?」 「おう!何だ?」 「先ほどの方達もおっしゃっていらした言い伝えとは、どのようなものなのですか?それとアルケモロスを知っていらっしゃるのは、関係があるのですか?」 彼女の切り替えは早い。挑みかかるように長身の、紺色の頭を見上げる。対する相手は人懐っこい笑みを浮かべながら答えた。 「そうだなァ。簡単に言っちまうと……森に大きな変化が現れる頃、アルケモロスっちゅーヤツが来て、誰も通り抜けたことのねェ黒森を抜けてくるんだ。んで、そいつは木の神から俺ら人間への伝言を頼まれてて、それをいっち番最初にエウノミアルに伝えなきゃいけねーンだと。そうしねーと、俺らにも他の島の連中にも災いが降りかかるンだとよ」 「エウノミアル……」
って、なんだっけ?
「まあ!で、ではあなたはこの島(キーリス)の――」 「おう!キーリスのエウノミアル、ラズロ・アレクサンダーとは俺のことよ!!」 キョトンとしたわたしに対し、ナギは驚愕してオロオロ慌てだした。ラズロは豪快に笑いながら、“気にしない、気にしない”と非礼を詫びるナギの頭をぐしゃぐしゃなでる。 「ふうん…。エウノミアルって、偉い人なんでしょ?なんか…あんまりそうは見えないね」 「セ、セリナ!?」 「わははははっ!!正直者だなァ嬢ちゃんは!そりゃそうだ。俺、もともと漁師の息子で、今だって皆に混ざってそっちの仕事もしてんだ。じーさま連中にゃぁ、まだまだ子供扱いされてるんだぜ?偉い人の貫禄があるエウノミアルなんか、二・三人だぜ。堅っ苦しい性格のヤツとか、代々続いてるリーズ家とかよ」 「ウィズダムのリーズさんにお会いしたことが……?」 「おう。有名だかンなー、あいつ。最年少にしてエウノミアルの座に就き、その功績は数知れず。加えて人望も厚いときた。俺なんか敵わねーよ」 「へぇ。すごいんだ?」 こちらにきて間もないわたしには、“エウノミアル”がどれだけ偉いのか、いまいち掴めない。かなり前にナギから聞いた話だと、この世界には七人のエウノミアルがいる。リーズと言う人はその中の一人だ。王様とは違った存在で、友達の中のリーダー格みたいな?人々の意見を聞いて、最良の方法や道を選ぶらしい。七大賢人みたいだね。 「まあ、そうなんだけどな……俺から見りゃ悲惨な人生だよ。あいつがエウノミアルになったのは、両親が殺されて一年ぐらい経った後なんだ。当時まだ十二歳でだぜ?それからずーっと仕事に縛られてんだ。ま、ちゃっかり抜け出してどっか行ったりしるみてーだけど…。それでも、俺だったらあそこまで立ち直れねーだろうし、十二でいきなり選ばれたら逃げるぜ?」 ラズロは同業者を労うように、同情するようにしみじみと頷いた。たぶん、彼らの苦しみは彼らが一番理解できるのだろう。 「……強いんだね」 「まー…そう、見えるわな。俺にはめっちゃ無理してるようにしか見えねーンだわ。長い付き合いだけど、しょっちゅう会ってる訳じゃねェからなー。本当はどうだかわかんねーけど」 「そう、なのですか。それであの……もうひとつお伺いしたい事があるのですか」 ラズロが先を促し、続けた。 「ここ(キーリス)からウィズダムへ行く船はいつ頃着きますでしょうか」 「あー。小せぇ島だかンなァ。あと…四・五日待ちゃあ来ンだろ。―――急いでンのか?」 「う〜ん…とりあえず休憩してから、行けるモンなら行きたいなー」 今はとにかく疲れてる。早く行きたいのはやまやまだけど、体力が持ちそうにない。黒森の霧のせいでろくに休めなかった私たちは、精神的にも削られていた。 「なら、俺が乗せてってやろうか?狭っ苦しい舟でよけりゃ」 「ええ!?で、ですが…そんな……」 わざわざエウノミアルが送ってってくれるなんて。 「遠慮しなくていいって。どっちにしろ俺が世話するんだし」 「なんで?他の人は?」 「漁師町みたいなもんだかンなァ。お前ら二人をもてなすような家は俺ン家ぐらいしかねぇんだよ。住民は朝早くからずーっと海に出ちまうような奴ばっかだし」 「ふうん。けど、仕事はいいの?忙しくないの?」 首を傾けると、彼はもったいぶった口調で喋りだした。 「そう、問題はそこなンだよ。もちろん俺はメッチャ忙しい。机の上は書類の山だ」 「でしたら――」 「まァまァ、最後まで聞きなって。大半のエウノミアルはこういう用事――実際のところ重要なんだけど――は他の奴に言いつけて、仕事に専念すンだろう。けど、俺は心優しいエウノミアル。そんな仕事なんかいつでもできるっつって、嬢ちゃん達をウィズダムまで送ってってあげちゃうもんねー」 「“送ってってあげちゃうもんねー”って…ただ単に、仕事したくないから送ってくれるだけなんじゃないの?」 「うっ!グサッときた!背中まで突き抜けた!!」 「セリナ!失礼でしょう!?」 また怒らせちゃった。 「だーって、ウェーアと一緒じゃん。仕事放り出してさ。あっちはもっと投げやりだったけど」 「ウェーア?」 同士に興味を持ったのか、わたしの反論に反応した。 「途中からソイルまでご一緒した方です。剣術がとても秀でていらっしゃって、何度も助けていただきました」 「へぇ。強ぇーのか。会ってみてーな。どんな奴?どこに住んでんの?」 「家は教えてくれなかった。格好はね…金髪に絳い眼、濃い緑の帽子とマント着てる奴」 「絳い眼…?」 ウェーアのルックスを思い出していたわたしは、ハッと息を呑む声に視線を戻した。 「どうなさったのですか?」 「知ってんの?」 「あっ!?あーいや、絳い眼なんて珍しいなァって思ってよ」 「あぁ、やっぱ珍しいんだ。まあ、わたし程じゃないだろうけどー」 「ラズロさ―――」 「いやあ、そうだよなー。嬢ちゃん真っ黒だもんなァ、うん。珍しい珍しい。天然記念人物ってやつか?」 「なによそれー」 「本っ当、セリナは天然だわ」 「あれ……?え?なんで怒ってんの?」
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