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ノストイ〜帰還物語〜 作者:紫苑璃苑

第9回   U-2
 町の市場は朝からにぎやかだった。たくさんの人が溢れ返っていて、お客を呼ぶお店の人の声が生き生きとしている。
 ナギはそういうお店も覗きながら、途中にある建物の名前とか、どういうときに使うのか、とか丁寧に教えてくれた。
 上の方にガラス張りの出っ張りのある台形の家は、ディスティニ―が言っていた“ラービニ1番のうるさい人”、ユーンがいる科学研究所らしい。
 なんでもこっちの科学者って言うのは、町の人々のためにいろんな便利なものを開発しているみたい。例えばナギの家にあるリフトもここの人達が造ったらしい。科学者は皆から結構人気がある。だから、採用されるには相当の知識と経験が必要で、試験とかもかなり難しいそうだ。
 そこを通り過ぎる前に、ナギと一緒に裏へ回ってそっと窓から覗いてみた。
 たしかにうるさそうな黄色の四角い眼鏡を掛けた、黄土色(おうどいろ)の髪をしたおじさんが、淡いきれいな緑の髪の男の人を怒鳴りつけていた。しかも、外まではっきりと聞こえる。ナギに言わせればこれがいつもの状態みたい。逆に静かな方が気味悪がられる。
 あんまり見ていると見つかりそうなので、私たちはそーっと表通りに戻って―――
「出て行きやがれ!お前みてーなヤローはここにはいらん!!」
――科学研究所の前を通り過ぎようとしたら、階段の上のドアが勢い良く開けられた。
 そこを通りかかった人達の目が一斉に向けられる。
 「どうしてですか!?僕はあなたの間違いを正そうとしただけです。なぜそんな事で追い出されなければならないのですか!」
さっき中で怒鳴られていた人だ。
 ちらっと横顔が見えた。まだ10代後半ぐらいかな?こんなに若い人でも入れるんだ。
「うるせい!10代で科学者になれたからって、いきあがってんじゃねーぞ!お前なんかよりも経験の多い俺が言ってんだ!間違えるはずがねーだろうが!!」
「もうその時点で間違っているのです!経験が豊富だから間違えるはずがない?そんな事絶対にありえませんよ!リーズさんだって、あの方だって間違を起こすことはいくらでもあるとおっしゃっていたじゃありませんか!完璧などありえないんです!間違える事は恥ではないとは言いません。それは当たり前の事なのです!どうしてそれを認めようとしないのですか!」
「うるせい!黙れ黙れ黙れ!!お前に何がわかる若造がっ!」
「あっ!」
男の人がユーンに突き飛ばされた。
 ドンッって痛そうな音をさせてその人は階段から落ちてしまった。
 野次馬からどよめきや悲鳴が沸き起こる。
 ユーンは驚いたように目を見開いて彼を見ていた。
 自分がやったんでしょうが。
 「大丈夫ですか?」
ナギがその人の所に慌てて駆け寄っていた。わたしはユーンとナギを交互に見て、ちょっと迷ったけど結局ナギの後に続いた。他にも何人か近寄ってきて、男の人の状態を診てくれた。
「うぅ・・・」
男の人は頭を押えながらも、すぐに起き上がった。階段が低かったからそんなにひどい怪我はしなかったみたい。けれど、口の中を切ったようで口の端から少しだけ血が流れ出ている。
「あなたは・・・あなたはこうやって自分の地位が取られそうになるのを守ってきたのですか!こんな理不尽な暴力で!―――いいでしょう。辞めます。あなたの下にいたって自分の能力を伸ばす事なんてできない。さぞやうれしいでしょうね。けど、これからもっと、僕よりすばらしい発想や技術を持った若者が出てきますよ。せいぜい今のうちにその地位を楽しんでおいて下さい」
「・・・・・・・・・・」
 男の人とユーンはしばらく睨み合っていた。ユーンが何か言うかなって思ったけど、結局彼の視線から逃げるようにバタンッ!とドアを閉めた。
 「・・・あの・・・」
ナギは固く閉ざされた扉を睨みつけている彼にハンカチを差し出した。
「あ、ありがとう。」
彼は素直に受け取って、口の端の血を拭った。
「気にするなよ若いの」
「そうそう。あいつはいつも、ああなのだから」
「お前さんならどこ行っても入れてくれるって」
「それにしても、なんかすっきりしたなぁ。ありがとよ兄ちゃん!」
どっと笑いが起こった。
 町の人は口々に彼を励ましたり、日頃の鬱憤(うっぷん)を晴らしてくれたお礼を言ったりして、パラパラとそれぞれの仕事に戻って行った。
 「これ、ありがとう。君はどこの家の娘(こ)?後で洗って返すよ。」
「そんな、わざわざ洗っていただかなくてもいいですよ」
「いいんだよ。迷惑掛けちゃったんだし」
ナギはすみません、と謝って家の場所を伝えてその人と別れた。
 
「あの人これからどうするのかな?あそこ追い出されちゃったんでしょ?」
「そうね。けど、頭は良さそうだからすぐに他の研究所に入れてもらえるでしょうね」
それにしても驚いた。公衆の面前で、平気で怒鳴り合うんだもの。怒ると周りが見えなくなるものなのかな?
 「・・・あ。そういえばナギ。ナギ達ってどうやって勉強してるの?学校とかないよね、ここって」
「ガッコウ?何?それは」
「あー」
 わたしはしどろもどろになりながらも、なんとか学校と言うものをナギに教えて、彼女の説明を聞いた。
 なんでもこっちの世界には学校と言う物はなくって、子供は親から字(紋章)の読み書きを教えてもらうらしい。後は自分の家のことを手伝いながら、色々と学んでいくんだって。その他の特殊な人(科学者や画家、作家など)は、誰かの所に弟子入りするか、独学で学ぶしかないみたい。
 ちなみにこっちの世界には王様とか、大統領とかはいない。だから国がない。
 そのかわり、――ラービニのあるこの大陸(だったらしい。知らなかった)、ディバインには居ないんだけど――エウノミアルって言う人達が他の島にはいて、大きな山賊とか強盗とかを人を送って退治したり、いろんな仕事の許可の合否をつけたり、みんなから出された自然災害とかの対策案をまとめて実行したりするらしい。詳しい事はわからないけど、どの人からも尊敬されているらしい。
 ナギの話を聞いているうちに、昨日からわたしが気になっていたお店に着いた。
 ランドールという言うお店だ。
 窓からちょっと古ぼけたいろんな物が見える、いわゆる古道具屋さん。
「こんにちは」
「こんにちはぁ」
開いていたドアから入ると、すぐ目の前にカウンターがあった。渋い抹茶色の髪をした店の主人は、小さな丸眼鏡越しにチラッとこっちを見ただけで何も言わなかった。
 と、
「うわ!――」
入ってすぐの所に人が立っていて、そんな事は知らなかったわたしはびっくりして、
――ガタッ、バサバサ。ドサッ
「――え?ああ〜!」
後ろにあった本の棚に当たって、いくつか本が落ちた。
 わたしは慌ててそれを拾い集めると、
「ご、ごめんなさい!わたしちゃんと見てなくて、人がそんな所にいるなんて思わなくてそれで――」
「何やってるの、セリナ?」
頭を下げて謝ってるところに、ナギの不思議そうな声がかかった。
「へ?」
斜め後ろにいるナギを振り返る。
「人形じゃよ」
「え?」
ナギの奥にいる渋い声にそう言われて、わたしは謝っていた相手をよくよく見てみる。
 黒いフードを被った女の人、じゃない。よく見たら人間そっくりの、等身大の人形だった。彼女の全身を隠すように黒い布が足下まで覆っていた。
「あ。本当だ。すっごいなー人形じゃないみたい」
「でしょう?私も小さい頃騙されていたわ。そうでしたよね、ゲンさん」
「ゲルシュタルトじゃ」
薄茶色の目を持ったお爺さんはすかさず訂正を入れた。
 本名はゲルシュタルト・ランドールさん。みんな長くて呼びにくいと言って、勝手にあだ名(ゲンさん)で呼んでいたら、いつの間にか本名で呼んでくれる人がいなくなったそうだ。ちょっとかわいそうな気もするけど、ゲンさんの方が愛嬌(あいきょう)があっていいと思う。
 「お変わりありませんか?」
「ん」
ナギは右の窓辺にあった椅子に腰掛けると、ゲンさんに話し掛け始めた。ゲンさんはナギの言葉に、ああとか、んーとか、唸るような言葉しか返さなかったけど、心なしか入ってきた時より表情が和らいでいるように思えた。
 わたしはその間、お店の中をじっくりと見て回った。
 綺麗な細工が施された宝石箱。年期の入った小さな椅子。ビンの中に入った船のミニチュア。まだ錆付いていない短剣と長剣のセット。目の所にいろんな宝石がはめ込まれた動物の置物。繊細な描写で描かれた絵画。不思議なことが書かれていそうな古い本。海賊の船長が被るような羽付き帽子もあったし、子供が喜びそうな小物もあった。
 けど、やっぱり1番目につくのがさっきの人形だ。本当に人間にそっくりで、今にも動き出しそうで怖い。
「ゲンさん。この人形って誰かをモデ・・・誰かを真似て作ったの?」
「知らん」
即答された。
「・・・知らんって、これゲンさんのじゃないの?」
「ゲンさんが作ったのもあるけど、ほとんどが買ったりもらったりしたもの――でしたよね?」
「ふん」
悪かったな、とでも言うようにゲンさんは鼻を鳴らした。
「じゃあ、これはもらったの?」
「もらった。ほしいか?」
あ、今ちょっと口の端が持ち上がった。意地悪に笑ったんだと思う。
「うっ・・・遠慮しときます」
部屋にこの人形が置いてあったら、ずーっと見られているみたいで嫌だ。
「気に入ったの?」
ナギが聞いた。
「気に入ったって言うか…気になる」
「そういう物じゃからな」
ゲンさんは本に目を落としたまま呟くように言った。お爺さんは、え?と聞き返したわたしに、
「その布、取って見たらどうじゃ」
と言った。
「いいの?」
「ん」
 わたしはそっとその黒い布を人形から落とした。
「わあ〜」
「本当に、いつ見ても綺麗だわ」
 長い水色の髪を持つ人形だった。綺麗な顔立ちをしていて、物静かな目でわたしを見下ろしていた。それより驚いたのは、彼女に足がないことだった。代わりにあるのは、髪の色と同じ水色の魚のしっぽ。お腹の辺りから徐々にうろこに覆われていくその姿は、まさに人魚だった。
 「昼だ。食っていくか?」
 元々昼を外で食べるようにお小遣いをもらっていたので、私たちはゲンさんの手料理をいただく事にした。

 「あれは、ワシがこの店を開いてばかりの頃じゃった」
 わたしがゲンさんにあの人形のことを話して、とせがんだら、少し唸って話し始めてくれた。



 ――これを買ってくれないか。いくらでもいい。
 そう言って男は突然この店に入って来た。
 妙な奴だった。
 顔が見えなかった。変な帽子を目深に被っていて表情が窺(うかが)えない。生活に困って売りに来たのか、自分が作ったものを買って欲しくて来たのか、邪魔になって売りに来たのかまったく見当がつかなかった。
 言いようのない不安を感じた。
――そこに置いてみな。
とにかく、見てみなければ値段のつけようがない。不安であれなんであれ、これは商売だ。
 男は巻いていた布を取った。
――ほう。
見事な作りだった。生きている人間をそのまま固めたとしても、ここまで生き生きとした人形は造れないだろう。
 水色の長い髪。同じく水色がかった、透き通るような肌。なんとも言えない憂いを含んだ表情。ワシは一目見でこの人形に惚れ込んだ。
――いくらなら譲ってくれる?
熱心にその人形を調べながら男に聞いた。なぜか製作者の名が刻まれていない。
――いくらでも。タダでもいいよ。
男はそう言った。
――タダ?おめぇさん、こんな立派なもんに金も取らないのか?どうしてこれを手放す  んだ。
男はただ、静かに笑っただけだった。
――タダならそんなにありがたいことはないが、俺として納得がいかん。1,000で  どうだ?
――そんなにいらないよ。
男はそう言って、タダ同然の価格で人形を譲ってくれた。
――おめぇさん、これをどこで手に入れたんだい。
――さあ、どこだったかな。
――とぼけるなよ。心配しなくても横取りはしない。ただ、どこなのか知りたいだけ   だ。
 ワシは、何度もこれを作った所はどこなのか聞いた。けれども、男は静かに微笑むだけで話してはくれなかった。
 諦めて金を手渡すと、男はすぐに姿を消した。
 それから何日も、誰が造ったのか、何で造られているのかを調べた。
 木で造られているのではない。陶器でもない。石膏でもない。ありとあらゆる物と照らし合わせてみたが、結局当てはまる物は1つとしてなかった。




 「それ以来、あの人形はこの店の守り主みたいなものになったんじゃよ」
「へ〜ぇ」
「それにしても…あの時は驚いた。アーソーポスにそっくりじゃからなぁ」
ゲンさんがポツリと呟いた。
「アーソーポス?」
「今時の娘はアーソーポスの話も知らんのか」
けしからんとばかりに顔をしかめる。
「セリナはラービニの人ではありませんから、それは致し方がありませんよ」
ナギがフォローを入れてくれた。
「ああ、どうりで―――」
ゲンさんはそこで言葉を止めちゃった。
どうせ珍しい黒い髪だって言いたいんでしょ。
「久しぶりに、お聞かせ願えますか?」
ナギはいたずらめいた笑顔を浮かべてゲンさんに頼んだ。
「エナさんがおるじゃろうが」
「あら、たまにはゲルシュタルトさんからお聞きしたいです。――ね、セリナ」
「はい?あ。うん、聞きたい!」
いきなり話をふられたからびっくりしたー。
「・・・1回だけじゃぞ」
あれ?あっさり引き受けてくれた。見た目だともっと頑固者って言うか、あんまり話してくれなさそうなのに・・・
「ゲンさんはね、本名を出しておねだりするとだいたいいい返事をくれるのよ」
キョトンとしているわたしに、小声で教えてくれた。
 なるほど。
「何をごちゃごちゃ言っておる」
「う、ううん。なあんでもないですよ、ゲルシュタルトさん」
ああ、今もう少しで舌噛みそうだった。確かにこの名前は言いにくい。
「ふん」
ゲンさんは(たぶん)気に食わないって鼻を鳴らして、静かに語り始めた。



 あるところに、アーソーホセアニア”と言う大きな滝がありました。
 そこには“アーソーポス”と言う水の神様が、ずうっと昔から住んでおられました。
 アーソーポスは私達人間にとても興味を持っていたのですが、アーソーホセアニアから出る事は許されませんでした。掟を破ると泡になってしまうと教えられたからです。
 ですからアーソーポスは人間が滝のそばを通っても、その人の姿が見えなくなるまでずっと見守ることしかできませんでした。
 
 ある時、いつものように誰か通らないかと待っていますと、ほどなくして、小さな男の子が水を汲みにやって来ました。
 アーソーポスはそれをじっと見守ります。
 けれども、心の中では今すぐ飛び出して行って、この男の子とお喋りをしたり、子供達の間で流行っている遊びで一緒に遊んだりしたかったのです。
 男の子は上から見ているアーソーポスに気付くはずもなく、滝壷の淵にかがんで水桶を水に浸し、それを持ち上げようとしました。
 ところがその瞬間、男の子はずるりと足を滑らせて、水の中に落ちてしまいました。
 滝壷はとても深く、大の大人でも足がつかないほどでした。
 当然、泳げない子はおぼれてしまいます。
 その子は幸い泳げましたが、服が水桶に引っかかってしまって、すぐに上がってくる事はできませんでした。
 もがけばもがくほど、服は水桶に絡み付いてしまいました。
 アーソーポスはそんな男の子を見て慌てていました。
 目の前で人がおぼれていて、助けないわけにはいきません。けれどもそれは、掟(おきて)を破る事になってしまうのです。
 アーソーポスが迷っている間にも、男の子はどんどん沈んでいってしまいます。
 アーソーポスはアーソーホセアニアを飛び出しました。
 
 男の子が気が付くと、いつまでも帰ってこないと心配して来た人達が彼を覗き込んでいました。
 いったいどうしたと、彼の親が訊ねました。
 男の子は足を滑らせて落ちたと答えました。
 誰が助けてくれた?と、他の人が聞きました。
 男の子は、水色の長い髪の毛をした、手に水掻きのある女の人に助けてもらったと答えました。
 それはきっと、アーソーポスだろうと誰かが言いました。
 それから皆はアーソーホセアニアに向かってお礼を言い、それぞれの家へ戻っていきました。

 アーソーポスは皆に囲まれてゆっくりと去って行く姿を、見えなくなるまでずっと見守っていました。

 

「そう言う話じゃ」
「へぇー。で、あの人形がそのお話のアーソーポスに似てるんだ」
お伽話(とぎばなし)なんて久しぶりに聞いたなぁ。
「もしかしたらあの人形は、アーソーポスのお話を聞いて作られた物なのかもしれないわね」
「うん、そうかもね」
 入り口の所ではアーソーポスの人形が、暖かい日の光に照らされて、きらきらと光っていた。

 

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Novel Editor by BS CGI Rental
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