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ノストイ〜帰還物語〜 作者:紫苑璃苑

第7回   T-7
 ―――そこには、黄金に輝く草原が広がっていた。
 心地よい光を発する草以外、何もない。
 わたしはぐるりと見回して――
「あれ?」
さっき見ても誰もいなかった所に忽然と、一人の(30後半〜40前半ぐらいの)男の人がいた。
「あの、あなたが…?」
ナギが恐るおそる尋ねる。
「そうだよ、初めまして。僕がディスティニー。改めまして、ようこそナギにセリナ」
そう名乗った彼はふわりと微笑み、紳士的なお辞儀をした。
 「…ねえ、わたしあなたに会ったことない、よね?」
どうにも押さえきれずに彼に聞いた。ナギが視界の隅でこっちを見ているのがわかる。
「んー?ないはずだけど?他人の空似とかじゃなくて?」
ディスティニーは首を傾げ、楽しそうな微笑を浮かべていた。その目の輝きは、中年の男の人というより少年じみたものを感じさせた。
「セリナも、なの?」
おずおずとした声が傍らから流れてくる。
「え?」
「私も、この人に会ったことがあるような気が…いいえ。私はこの人と毎年会っているわ」
ナギも…?と、いうのはいくらなんでもおかしいだろう。わたしはこっちに知り合いなんていない。
「それは本当?二人とも僕が会ったことのある人に見えているんだね?」
ディスティニーは、子供がいたずらに成功した時のように満面の笑みで手を叩くと、くるりと背を向けた。そして、なにやらカタカタと――どこにあったのかは知らないけど――パソコンに何か打ち込んでいる音がした。
「いやー、一回試してみたかったんだよ。ごめんね、混乱させちゃって」
振り返りながら謝る彼の姿が、ゆらりと歪む。徐々に歪みは酷くなっていき、次の瞬間には別人がそこに立っていた。ナギと同じような、けれども少し緑がかった短めの銀髪に淡い緑の目。白いコートを羽織った彼は、中年ではなくどう見ても青年だった。
「さ、こっちに来て。立ち話もなんだろう?」
姿も声も変わっているのに、口調と動作は同じだ。顔は…女か男かわからない。中性的な顔立ちだ。その彼が示した先には、楕円形のテーブルに柔らかそうな肘掛け椅子が三つあった。
「どうぞ。楽にして」
確かに何もなかったはずなのにと首を傾げながらも、わたしは素直に椅子へと身を沈めた。うん、いい座り心地。
「さてと。君たちは僕に何を聞きたいのかな?」
「え?」
「あ、あなたは、私たちが何かを知りたいと思ってここに来たと知っていらっしゃったのですか?そのために私たちをここ(塔の中)に?」
「ここに来る人は大抵何か疑問を持った人なんだけどね。うーん…そうだなぁ、どちらかというと君たちに質問させるために、かな」
微妙なニュアンスの違いだ。良く分からない。
「何でも聞いていいよ。答えられるものはできる限り答えてあげるから」
彼の微笑がもっと柔らかいものに変わった。生まれたての赤ちゃんを見守るような、そんな顔。
「何でもよろしいのですね?でしたらまず、先程姿が変わられたのはどうしてですか?」
ナギはここぞとばかりにハキハキと質問した。
「ああ、さっきのね。あれはね、人の心の底から会いたがっている人物を見せてくれるんだ。君たちにはこう、見えていたんだろう?」
彼はおもむろに片手を上げると、パチンと指を鳴らす。と、わたしとナギの目の前に、人形サイズの立体映像が現れた。
「まあ、どうして――」
「君たちにしか見えていないはずの人が僕にわかったのか、かな?」
ディスティニーはナギの後を継ぎ、うれしそうにニコニコする。
 わたしの前には単身赴任で遠くに住んでいる父が、ナギの方には彼女に良く似た女の人――たぶん母親――がいる。それぞれ相手に手を振ったり笑いかけたりと、ずうっと動いている。
「何でか知らないけど、タイレイム・イザーにはこういう芸当ができるみたいなんだ」
「何でか知らないのに使ってんの?」
あきれて聞くわたしに、彼はなぜか自信満々に頷いた。
「ご自分でなさっていることでしょう?どうしてご存知ないのですか?」
お母さんみたいな言い方をするナギに、ディスティニーはとぼけたように答える。
「僕がやってみたいと思ったから試してみたんだし、知る必要がないから知らないんだよ。まあ、こういう事ができるんだってわかっていれば、それでいいだろう?」
「はあ?」
全くと言っていいほど答えになっていない。変な人だ。
「…もう、聞いても無駄でしょうから次にいってもよろしいでしょうか」
しばらく沈黙した後、ナギが切り出した。
「あなたが私たちをこの中へ導いたのですよね?」
「ふむ、そうだよ」
「でしたら、どうして塔の壁に手を触れただけで中に入ることができたのですか?それに、どうやって外壁に紋章を刻ませることができたのですか?」
そう、それはわたしも気になっていた。ドアも何もない所で、壁に手を触れただけで私たちは一歩も動いていない。なのにいつの間にか中にいた。紋章だって、スクリーンに映し出すようにすれば不可能ではないけれども、あれは壁に直接彫られているようだった。
いったい、どうやったのだろう。
 わたしは期待を込めて彼の言葉に耳を傾ける。が、
「ああ、壁に紋章が出るのはね、僕がこれに向かって喋るとできるんだ」
彼は小さなスクリーンを何もない所から出して言った。結局、どういう過程を得てそういうことができるのかという説明はない。
「それで、どうして中に入れたのか、かー」
ディスティニーは腕を組んでしばらく考え込んだかと思うと、
「それはたぶん、僕が君たちを中に入れたいと思ったからだよ」
「はぁ…」
ナギが珍しく間の抜けた相槌を打った。
「うん、そうだよ!この前もそうだったし。ほら、あのユーンが来たときにね、“ああ、やだなー”って思ったんだ。そうしたらね、ユーンが壁に触った時にね、それはもう!ものの見事に吹き飛ばされてさぁ!それで勢い余って後ろにあった木に頭をぶつけて、気絶したんだよ。そうしたら連れてこられた助手達、どうしたと思う?あの人達、ユーンの顔に消えないペンで落書きしたんだ!その時の顔といったら…君たちにも見せてあげたかったなぁ」
「…あの、そのユーンさんって、ユーン・ウィーゼルさんですか?」
「そうだよ。この町一番のうるさい奴!あれでよく科学者やっていられるよねー」
 急にイキイキしてきた彼を誰も止めることはできず、長々と似たような話を聞かされた。
 「それで、あなたはいつからここにいらっしゃるのですか?ずいぶんと前からあるようですし…」
ずいぶん経ってから、質問タイムが再開された。
「ふむ、いつからかなぁ…。えーっと………………あっ!そうだ、人が生まれてからだ!」
「…はい?」
「だからぁ、僕は、人間が生まれてからずーっとここに居るんだよ」
彼はもう一度、言い聞かせるようにゆっくりな口調をさらにゆっくりにして言った。さすがにナギも二の次が言えない。
「あ、あなたは…」
やっとのことで声を絞り出すことのできたナギは、表情が固まっている。わたしはまだ衝撃から回復していなかった。
「あなたは、人類が誕生してからずっとここにいると、そうおっしゃるのですか?特定の人物が生まれてから、というのではなく?」
彼はさらりとそうだよ、と返す。わたしが正確に言うとどのくらい?と問うと、
「さあ?わからないなぁ。結構いたと思うけどね。いや〜、時間が過ぎるのって速いものだねー」
「仮に、そうだとしまして…。今まであなたは何をなさっていたのですか?」
「んー。まあ、簡単に言っちゃえば人の監視かな」
「何でそんなことするの?」
「そういう使命だからだよ」
即答だ。
「いったい、どなたからそのような事を?それともご自分の意思で行っていらっしゃるのですか?」
「いいや。自分の意思じゃあないだろうね」
また曖昧(あいまい)な答えだ。さっきは即答だったのに。
「えーっとねー。なんて言えばいいのかなー。…………そう、“とてつもなく巨大な力”によって僕は動いている」
「“とてつもなく巨大な力”?」
「そ。」
「それは何なのですか?」
「その事について君たちは知ろうとしてはいけないし、知る必要もない」
ディスティニーの声が氷のように、一気に冷たくなった。背筋がすうっと凍りつく。
 聞いてはいけなかったんだ。彼のバックには何がいるのか。何が動いているのか…。
「なん、で?なんで知る必要がないの?なんで知っちゃいけないの!?」
「セリナ?」
もう少しで掴めそうだったのに。…何を?もとの場所に戻る方法だ。巨大な力について知ったとしても、帰れるとは限らない。なのに何かを掴み損ねたという感覚に苛(さいな)まれる。
「ごめんね。君たちの為なんだ。どうしても僕には答えられない」
「……質問を、」
いつの間にか下を向いていたわたしは、彼女の声にハッとした。
「質問を変えましょう。いたしかたがありませんから」
ナギが諭すようにわたしの方を見たので、感謝の気持ちも込めて頷いた。
「あなたのお話が全て本当だとしますと、その割にはあまりにも―――」
「ああ、それね!そお、そーなんだよ〜。何でか知らないけど、僕は外の人達より時間の進み方が遅いみたいでさー。気付いた時はもう、ほんっとうにびっくりしたよ!!わかるかなぁ?世界で一人にしか当たらない賞品が当っちゃった時の感動だよ!!」
 またしばらく長々とその時の様子を事細かに話され、
「そのお話はもうよろしいですか?私達ラービニの者は誰一人としてあなたを見たことが、というより、塔に人がいるとは知りませんでした。なぜ今まで人と関わらないようにしていらしたのですか?」
「んー?僕は人と関わったことがないなんて言ってないよー?何回か君たちみたいに中に入れたことがあるし。一番最近だと…そうそう、ノインさん!彼とは一番気が合ったなぁ」
ディスティニーの目が虚ろになった。その時の事でも思い出しているんだろう。
「ノイン…?もしかして、ノイン・リーズさんですか?」
「ん?そうだよ。知ってるの?」
「名前だけです。この塔の名前を発見したと…。もしかして、その時に…?タイレイム・イザーとはどういった意味があるのですか?中にお招きする方達には何か共通点があるのですか?」
矢継ぎ早な質問だ。よくこんなに聞きたいことがパッと出てくるなぁ。感心してしまう。
「うん、その時に教えたんだ。ノインさんが塔の噂を聞きつけて来た時にね、“呼び名が欲しいな”って独り言を言っていたから出してあげたんだ。意味はないよ。頭に浮かんだものを付けただけだから。そうしたらね、返事がもらえるってわかったからか、色々聞いてきたんだ。だから、直接会ったほうが手っ取り早いと思って中に入れた訳なんだよ。えーっと、あとは共通点だっけ?――ないね。ただ、僕がお話したいなって思った人、塔に興味を持ってくれた人を主にお招きしているかな」
驚いた。すらすらと一度に全部答えてしまった。
「ただね、今回はちょっと積極的に招待したんだ」
「積極的、ですか?」
「そ。なんせ、いきなりセリナが違う世界から現れたんだから!これはもう、絶対に招待しなきゃって――」
「「え!?」」
二重の衝撃。ナギと声が重なった。
 わたしは“ここって、違う世界なの!?”で、ナギはおそらく“セリナが違う世界から来た!?”と、思った。
「セリナ、僕が君の事呼んだの気付いていたかい?」
「へ?ディスティニーが?……あー、空耳みたいなのなら、何回かあった…かな?」
過去をさかのぼってみると、確かにそんな気がした。
「セリナが、違う世界から現れたとは…その、どういうことなのですか?」
そういえばナギには言っていなかった。かなり混乱していることだろう。わたしがパニック寸前なのだから。
 そんなわたしを尻目に、ディスティニーはお喋りインコのごとくペラペラと今までのいきさつを話した。

 「どうして、どうして私に言ってくれなかったの?私って、そんなに信用ない?」
すっかり話を聞き終えてわたしに向き直ったナギは、傷ついた表情を見せた。
「ご、ごめんなさい…。迷ってたらタイミング逃して、でも信じてくれるかどうか心配で…別に言わなくてもどうにかなるかなって思ったりして……」
どんどん声がしぼんでいく。
「…ごめんなさい」
もう一度、謝った。それぐらいしか言葉が出てこない。
「私がまともに人の話を聞かない人だと思った?」
違う、そうじゃない。
「でも…もし私がセリナと同じような境遇に陥ったら、なかなか話し出せないでしょうね」
「ナギ…」
「わからない事があったら、なんでも聞いていいからね?」
優しい声、優しい表情だった。わたしはほっとして、気まずいながらも笑って、
「ありがと。ごめんね」
心から言った。

「さて仲直りはしたし、僕も君たちとたくさんお喋りできた。――そろそろ家に帰った方がいいんじゃないかな?」
ディスティニーはそう言ってパチンと指を鳴らす。目線の高さに真っ赤に焼けた夕日と、それに照らされる町の風景が現れる。
「まあ、もうこんな時間!?」
ナギは慌てて立ち上がった。
「あの、ディスティニーさん。また来てもよろしいでしょうか?」
「うん、いつでもおいで。話し相手がいると楽しいからね」
わたしが立った後彼も立ち上がり、付け足した。
「そうだ、君たちにいいものをあげるよ。きっと役に立つ。けど、これは貴重なものだから絶対に人に見せたりしちゃだめだよ?」
言いながら、片手のこぶしを私たちに差し出した。手を開くと、雫形をした水色のクリスタルが二つ。
「わぁ〜!きれー」
「で、ですがディスティニーさん、このような高価なものを頂くわけには…」
「いいんだよ。僕には必要のない物だし、君たちはこれを受け取らなくちゃいけないんだ」
と、半ば強制的に押し付けられたので、私たちはお礼を言って受け取った。
 誰にも見せたり今日の事を話したりしないと約束して、出口へ向かう。
 ついさっきまでなかった丸扉の取っ手に手を掛けた時、ふと気になって塔の住人を振り返った。
「ねえディスティニー。ディスティニーって、ずーっと一人でここに居るんでしょう?寂しくないの?外に出たいって思わないの?」
すると彼は大そう驚いた様子でまじまじとわたしを見返したけれど、そのうち満面の笑みをつくって、
「ありがとう、セリナ。僕は平気だよ。こうして時々お話できるし、退屈を苦痛とは感じない性質(たち)なんだ。――さあ、お婆さんに心配させないように、ね?」
「はい。さようなら」
「バイバイ。またね」
黄金色の草原から一歩出ると、私たちは光に包まれた。
 思わずつぶった目をそろりそろりと開けてみると、塔の立つ草原の中にいた。
 振り返ると、夕日色に染まった塔の壁に“また来てね”と、刻まれていた。

    
      
      『二ツノぱーつガ、ユックリト音ヲ立テテ噛ミ合ッテイク』

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