ラルクが教えてくれた道は、三人横に並んでもまだゆとりのある広い洞窟だった。周りも入って来た時と同じような、緑色の光に照らされていたから進みやすかった。
「ねえナギ、あのスイシュンとか言う奴と何してたの?」 しばらくして訊いた。ナギは少し笑って答えてくれた。 「あの子ね、私にヤコウ虫の群れを見せてくれたの。そこで、もしよければ私たちの旅が終わったら、私の家を訪ねていいかって、聞かれたの」 「へぇー、それで?」 「私は…私の家、両親が遠くへ働きに行っているでしょう?だから重いものを運ぶ時とか、大変なの。それで、男の子が一人いれば使えるし、エナお婆ちゃんも喜ぶかしらって思って。是非って、言っておいたわ」
さすがはナギ。相手の気持ちを利用して役立てる気だね。ちょっとかわいそうだけど、あいつならОK。むしろ使っちゃってください。
「あのガキ、結構思ったことがすぐ口に出るようだな。もっと小さければまだ可愛げがあるが…」 「では、ウェーアさんとは正反対ですね」 ナギがクスリと笑う。ウェーアは少しむっとした顔でその理由を聞いた。 「あら、ご自分でわかっていらっしゃるのでは?」 「意地の悪い奴だ――っ!なんだ!?」 「きゃあぁぁぁああ!嫌ぁ!来ないでこないでこないで!」
突如としてそこら中から甲高い、黒板を爪で引っかくような音がしたかと思うと、黒っぽい何かがこっちに向かって飛び出して来た。ウェーアに続いてナギが叫び声を上げて、わたしはパニックになり、自分が何をしているのかわからなくなった。
「嫌!やだ!なにこれぇ!うわっ――うえぇ」
逃げ惑う中、いきなり落ちてきた“それ”をグシャッと踏んじゃって、おまけに白い物が出てきたところを見ちゃった。
黒っぽい光沢を持つ“それ”は、三十センチぐらいはあるゴキブリに、たくさんのムカデの足を付けたような奴で…ああ、だめだ。気持ち悪くてこれ以上見ていたくない。しかも全体に毛がモジャモジャ生えてるし〜。 とかなんとか思ってるうちに、巨大ゴキブリもどきが正面から突っ込んできた。わたしはいきなりの事で何にもできず、迫ってくる触覚を――
「――え?」
目の前に銀の閃光(せんこう)が閃いた。かと思うと、さっきまでいたゴキブリもどきがいなくなっていた。 ――ぐるるるるる…
どこかで低いうな唸り声がして、片っ端からゴキブリもどきを倒していった。
「セリナ、ナギ!伏せろ!!」
銀色の何かの姿をはっきり確認する前に、ウェーアの警告が洞窟に響き渡った。わたしはなるべくあれの死体が少ないところを選んで、頭を抱えてしゃがみ込んだ。
「いいかげん――消えろ!」
ウェーアの怒号と共に、剣風がゴォッと唸った。
そして、一瞬にして静寂(しじま)が舞い戻って――来なかった。そろそろと頭を上げると、ゴキブリもどきの残骸の中、二つの影が対峙(たいじ)している姿が目に入った。その片方が、低く喉を震わせている。
「あ。あの時のワンちゃん?」 「イトレス・スビート」 すぐにウェーアに訂正された。 「…そうとも言うね」 「そうとしか言わない」 受け答えが冷たかった。ちょっと寂しい。
「セリナが助けたと言っていた、あの子供ですか?ですが、どうしてこのような所に?」 ナギが肩で息をしながら聞いた。彼女の周りには、ゴキブリもどきの累々がたくさん落ちている。カバンがその凶器だったのか、白いモノが所々に付いていた。最初の叫び声からしてナギも相当、こういうたぐい類の虫は嫌いみたい。 「さあな。けど、こいつはずっと俺たちをつけて来ていた。何か目的があるんじゃないのか?」 ウェーアはイトレス・スビートを睨み付けながら答える。なんとも言えない緊張感が、一人と一匹の間に生まれていた。彼は真剣そのものの顔つきだ。
また、ぐるるるる…とイトレスが唸り声を上げる。と、
『獣、仇討(あだう)ちと恩を返しに来たり』
いきなりラルクの声が頭の中に入ってきた。 「親の仇か。なら、しかたがないな」 ウェーアは火の精霊の、唐突な登場にも怯(ひる)まず一人納得したように頷いた。 「ちょ、ちょっと待ってよ!しかたがないって…どういうことなの」 彼がイトレスに何をしようとしているのかは、わかってる。けど、わたしは聞かずにはいられなかった。
「…………………」
ウェーアは答えない。無言で銀色の毛並みを持つ獣を睨んでいるだけ。 「ウェーアさん…」 ナギが心配そうな声で彼に近づく。 「獣達の世界に綺麗事は通用しない」 きっぱりと言い切る。彼の足がジリッと間合いを詰める。
「やだよ」
「動くなセリナ」 ウェーアの鋭い眼光に射抜かれた。それでもわたしの足は止まらない。
「セリナ!」
ゆっくりとイトレス・スビートに近づくわたしを止めようと、横から腕が伸びて来た。するりとそれを躱してわたしは一気にイトレスに飛びついた。 銀色のワンちゃんは、ウェーアに襲い掛からないようにしっかりと抱きついたわたしに、困惑しているようだった。
「なんのつもりだセリナ!早く離れろ!」
無言で首を振って答えた。
「ケガをさせられてもいいのか。そいつは一応君に恩を感じているようだが、いつ気が変わるかわからない。離れろ」
「やだ。この子はそんな事しない」 わたしは呪縛から逃れようともがくイトレスを必死に押えた。
「何を根拠にそんな事が言える。――ナギ、どういうつもりだ。君までこの獣を庇うのか!」 「私はセリナを信じます」
チラッと後ろを見ると、ナギがわたしとウェーアの間に立っていた。ウェーアは煮え切らない表情でナギとわたしを交互に見ている。
「なぜ……もういい。これは俺とそいつの問題だ。そこをどけ!」
ウェーアが怒鳴りつけると、イトレスも後押しされるようにますます暴れ出した。
わたしは腕を振り切られないように懸命にしがみ付いていた。 ナギの悲鳴と、倒れ込む鈍い音がした。 ウェーアの靴音が洞窟に反響する。 イトレスがわたしの耳元で激しく吠え立てた。そして、
「セリナ」
怒りを押し殺した無感情な声がすぐ後ろでした。怒鳴られるよりこっちの方が数倍恐い。
「やだよ」
暴れるイトレスに揺さ振られながら、わたしは震える声を絞り出した。 「頼むから」 「絶対やだ」 「どけ。退いてくれ」 「やだ」 「――っ!退けと言うのがわからないのか!」 「やだって言ってるのがわからないの!?」
今にもこぼ溢れそうな涙をグッとこらえて彼を睨む。ウェーアは怒りに中に困惑を見せて、そこに立ち竦んでいた。
「絶対どかない。復讐なんてさせないから。戦わせたりなんかさせないから」 「…君の言っている事はたんなる戯言だ。奇麗事にすぎない」 わたしは答えず、イトレスの軟らかい毛並みに顔を埋めた。 「なぜそうまでして庇う」 また、硬い声でわたしを責める。 「庇いたいから」 「なぜ俺の邪魔をする」 「ウェーアにこれ以上、無駄に命を奪って欲しくないから」 「君は――!」
「いけない?」
いくらか暴れるのを止めたイトレスから顔を上げて、わたしは珍しく苛付いている彼を見た。迷っているのか、困っているのか、怒っているのか。ウェーアは眉を寄せてわたしを見下ろしている。
「こうしなきゃいけないって、二人を戦わせちゃいけないって思ったから。それじゃあ、理由にならない?」
子供の言い訳と同じ。何の理屈もない。けど、それは帰る事のできない事実で、もっと言っちゃえば体と口が勝手に動いたから。 しばらく睨み合って、恐い顔をしているウェーアが何か言おうと口を開け―――
「――ひっ!」
引きつったナギの悲鳴に阻まれた。
いったい、どちらが先に動いたのか。
イトレスがわたしの戒めから脱出するのと、ウェーアが迫っていた危険を察知するのがほぼ同時なら、双方の刃が“それ”に食い込むのも同じぐらいだった。 巨大なそれは突然現れて、悲惨な事に一瞬にして葬られた。 胴を切断されて、頭を噛み付かれたそれがドサッと倒れる。よくよく見ると怪物は、カマキリに良く似ていた。大きさは桁(けた)外れにでっかいけど。
「…なんだ。二人とも息ピッタリじゃん」
「……………は?」 倒れたカマキリもどきの前で見詰め合うウェーアとイトレス、そしてナギの視線がわたしに集められた。
「ん?だって、練習もしてないのに同じタイミングでそいつ倒しちゃうなんて。ねぇ?」 「え!?ええと…」 ナギに同意を求めたら、何でか知らないけど苦笑いされた。
「いや、セリナ、今のは――」
「本当は仲いいんだよね?」
「セリナ、人の話を――」
「さ、行こう。いつまでもこんな暑い所にいたらゆだっちゃうよ」 わたしは立ち上がって、先頭を行った。ウェーアが後ろから何か言ってきたけど、あえて無視。
「…ラルク、今の話聞いていたな?こいつに伝えられるなら、納得のいくように説明してやれ。俺はもう、戦う気も失せた」 『む。承知した』 ラルクのおかげでイトレスにも納得してもらい、妙な緊張感を携えたまま私たちは少し進んで、洞窟の中で一夜を明かした。
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