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ノストイ〜帰還物語〜 作者:紫苑璃苑

第46回   W‐23

 ラルクが教えてくれた道は、三人横に並んでもまだゆとりのある広い洞窟だった。周りも入って来た時と同じような、緑色の光に照らされていたから進みやすかった。

 「ねえナギ、あのスイシュンとか言う奴と何してたの?」
 しばらくして訊いた。ナギは少し笑って答えてくれた。
「あの子ね、私にヤコウ虫の群れを見せてくれたの。そこで、もしよければ私たちの旅が終わったら、私の家を訪ねていいかって、聞かれたの」
「へぇー、それで?」
「私は…私の家、両親が遠くへ働きに行っているでしょう?だから重いものを運ぶ時とか、大変なの。それで、男の子が一人いれば使えるし、エナお婆ちゃんも喜ぶかしらって思って。是非って、言っておいたわ」

 さすがはナギ。相手の気持ちを利用して役立てる気だね。ちょっとかわいそうだけど、あいつならОK。むしろ使っちゃってください。

「あのガキ、結構思ったことがすぐ口に出るようだな。もっと小さければまだ可愛げがあるが…」
「では、ウェーアさんとは正反対ですね」
ナギがクスリと笑う。ウェーアは少しむっとした顔でその理由を聞いた。
「あら、ご自分でわかっていらっしゃるのでは?」
「意地の悪い奴だ――っ!なんだ!?」
「きゃあぁぁぁああ!嫌ぁ!来ないでこないでこないで!」

 突如としてそこら中から甲高い、黒板を爪で引っかくような音がしたかと思うと、黒っぽい何かがこっちに向かって飛び出して来た。ウェーアに続いてナギが叫び声を上げて、わたしはパニックになり、自分が何をしているのかわからなくなった。

 「嫌!やだ!なにこれぇ!うわっ――うえぇ」

 逃げ惑う中、いきなり落ちてきた“それ”をグシャッと踏んじゃって、おまけに白い物が出てきたところを見ちゃった。

 黒っぽい光沢を持つ“それ”は、三十センチぐらいはあるゴキブリに、たくさんのムカデの足を付けたような奴で…ああ、だめだ。気持ち悪くてこれ以上見ていたくない。しかも全体に毛がモジャモジャ生えてるし〜。
 とかなんとか思ってるうちに、巨大ゴキブリもどきが正面から突っ込んできた。わたしはいきなりの事で何にもできず、迫ってくる触覚を――

「――え?」

目の前に銀の閃光(せんこう)が閃いた。かと思うと、さっきまでいたゴキブリもどきがいなくなっていた。
 
 ――ぐるるるるる…

 どこかで低いうな唸り声がして、片っ端からゴキブリもどきを倒していった。

「セリナ、ナギ!伏せろ!!」

 銀色の何かの姿をはっきり確認する前に、ウェーアの警告が洞窟に響き渡った。わたしはなるべくあれの死体が少ないところを選んで、頭を抱えてしゃがみ込んだ。

「いいかげん――消えろ!」

 ウェーアの怒号と共に、剣風がゴォッと唸った。

 そして、一瞬にして静寂(しじま)が舞い戻って――来なかった。そろそろと頭を上げると、ゴキブリもどきの残骸の中、二つの影が対峙(たいじ)している姿が目に入った。その片方が、低く喉を震わせている。

 「あ。あの時のワンちゃん?」
「イトレス・スビート」
すぐにウェーアに訂正された。
「…そうとも言うね」
「そうとしか言わない」
受け答えが冷たかった。ちょっと寂しい。

「セリナが助けたと言っていた、あの子供ですか?ですが、どうしてこのような所に?」
ナギが肩で息をしながら聞いた。彼女の周りには、ゴキブリもどきの累々がたくさん落ちている。カバンがその凶器だったのか、白いモノが所々に付いていた。最初の叫び声からしてナギも相当、こういうたぐい類の虫は嫌いみたい。
「さあな。けど、こいつはずっと俺たちをつけて来ていた。何か目的があるんじゃないのか?」
ウェーアはイトレス・スビートを睨み付けながら答える。なんとも言えない緊張感が、一人と一匹の間に生まれていた。彼は真剣そのものの顔つきだ。

 また、ぐるるるる…とイトレスが唸り声を上げる。と、

『獣、仇討(あだう)ちと恩を返しに来たり』

いきなりラルクの声が頭の中に入ってきた。
「親の仇か。なら、しかたがないな」
ウェーアは火の精霊の、唐突な登場にも怯(ひる)まず一人納得したように頷いた。
「ちょ、ちょっと待ってよ!しかたがないって…どういうことなの」
 彼がイトレスに何をしようとしているのかは、わかってる。けど、わたしは聞かずにはいられなかった。

「…………………」

ウェーアは答えない。無言で銀色の毛並みを持つ獣を睨んでいるだけ。
「ウェーアさん…」
ナギが心配そうな声で彼に近づく。
「獣達の世界に綺麗事は通用しない」
きっぱりと言い切る。彼の足がジリッと間合いを詰める。

「やだよ」

「動くなセリナ」
ウェーアの鋭い眼光に射抜かれた。それでもわたしの足は止まらない。

「セリナ!」

 ゆっくりとイトレス・スビートに近づくわたしを止めようと、横から腕が伸びて来た。するりとそれを躱してわたしは一気にイトレスに飛びついた。
 銀色のワンちゃんは、ウェーアに襲い掛からないようにしっかりと抱きついたわたしに、困惑しているようだった。

「なんのつもりだセリナ!早く離れろ!」

 無言で首を振って答えた。

「ケガをさせられてもいいのか。そいつは一応君に恩を感じているようだが、いつ気が変わるかわからない。離れろ」

「やだ。この子はそんな事しない」
わたしは呪縛から逃れようともがくイトレスを必死に押えた。

「何を根拠にそんな事が言える。――ナギ、どういうつもりだ。君までこの獣を庇うのか!」
「私はセリナを信じます」

 チラッと後ろを見ると、ナギがわたしとウェーアの間に立っていた。ウェーアは煮え切らない表情でナギとわたしを交互に見ている。

「なぜ……もういい。これは俺とそいつの問題だ。そこをどけ!」

ウェーアが怒鳴りつけると、イトレスも後押しされるようにますます暴れ出した。

 わたしは腕を振り切られないように懸命にしがみ付いていた。
 ナギの悲鳴と、倒れ込む鈍い音がした。
 ウェーアの靴音が洞窟に反響する。
 イトレスがわたしの耳元で激しく吠え立てた。そして、

「セリナ」

 怒りを押し殺した無感情な声がすぐ後ろでした。怒鳴られるよりこっちの方が数倍恐い。

「やだよ」

暴れるイトレスに揺さ振られながら、わたしは震える声を絞り出した。
「頼むから」
「絶対やだ」
「どけ。退いてくれ」
「やだ」
「――っ!退けと言うのがわからないのか!」
「やだって言ってるのがわからないの!?」

 今にもこぼ溢れそうな涙をグッとこらえて彼を睨む。ウェーアは怒りに中に困惑を見せて、そこに立ち竦んでいた。

「絶対どかない。復讐なんてさせないから。戦わせたりなんかさせないから」
「…君の言っている事はたんなる戯言だ。奇麗事にすぎない」
わたしは答えず、イトレスの軟らかい毛並みに顔を埋めた。
「なぜそうまでして庇う」
また、硬い声でわたしを責める。
「庇いたいから」
「なぜ俺の邪魔をする」
「ウェーアにこれ以上、無駄に命を奪って欲しくないから」
「君は――!」

「いけない?」

 いくらか暴れるのを止めたイトレスから顔を上げて、わたしは珍しく苛付いている彼を見た。迷っているのか、困っているのか、怒っているのか。ウェーアは眉を寄せてわたしを見下ろしている。

「こうしなきゃいけないって、二人を戦わせちゃいけないって思ったから。それじゃあ、理由にならない?」

 子供の言い訳と同じ。何の理屈もない。けど、それは帰る事のできない事実で、もっと言っちゃえば体と口が勝手に動いたから。
 しばらく睨み合って、恐い顔をしているウェーアが何か言おうと口を開け―――


「――ひっ!」

 引きつったナギの悲鳴に阻まれた。
 


 いったい、どちらが先に動いたのか。

 イトレスがわたしの戒めから脱出するのと、ウェーアが迫っていた危険を察知するのがほぼ同時なら、双方の刃が“それ”に食い込むのも同じぐらいだった。
 巨大なそれは突然現れて、悲惨な事に一瞬にして葬られた。
 胴を切断されて、頭を噛み付かれたそれがドサッと倒れる。よくよく見ると怪物は、カマキリに良く似ていた。大きさは桁(けた)外れにでっかいけど。



「…なんだ。二人とも息ピッタリじゃん」

「……………は?」
倒れたカマキリもどきの前で見詰め合うウェーアとイトレス、そしてナギの視線がわたしに集められた。

「ん?だって、練習もしてないのに同じタイミングでそいつ倒しちゃうなんて。ねぇ?」
「え!?ええと…」
ナギに同意を求めたら、何でか知らないけど苦笑いされた。

「いや、セリナ、今のは――」

「本当は仲いいんだよね?」

「セリナ、人の話を――」

「さ、行こう。いつまでもこんな暑い所にいたらゆだっちゃうよ」
わたしは立ち上がって、先頭を行った。ウェーアが後ろから何か言ってきたけど、あえて無視。

 「…ラルク、今の話聞いていたな?こいつに伝えられるなら、納得のいくように説明してやれ。俺はもう、戦う気も失せた」
『む。承知した』
 
 ラルクのおかげでイトレスにも納得してもらい、妙な緊張感を携えたまま私たちは少し進んで、洞窟の中で一夜を明かした。

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Novel Editor by BS CGI Rental
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