本当に、久し振りだ。この緊張感、心地良いほど。 死との距離は縮まるが、その間(はざま)に立っている時が一番俺の心を躍らせる。 “お前は根っからの戦士なんかもなー”――幼い頃、言われた事があった。
“ならば何故、私は両親を守れなかった”――そう、言い返したこともある。
あの頃は大切なものを失った痛みで荒れていた。師匠とあいつに出会ったのも、丁度同じ頃。あの時も、こうして生と死の間に立っていた。 そして重い傷を負ったが、今は違う。
俺はもう、あの頃の俺ではない。
迷う必要はなくなった。
今を、この瞬間を生きる為に――――
猛烈な勢いで振り下ろされるその一撃は、硬い岩石をも軽く砕く。まともに当たればまず助からないだろう。 俺は振り切られたこん棒の上に乗り、獣の顔面を横に割る。 筋肉が硬質と化したキマイラの肌を切り裂く事は不可能に近い。ならば、急所を狙えば済むこと。双眸(そうぼう)、口、耳朶(じだ)、間接など、鍛え様のない個所を狙えば動きが止まるはずだ。もしくは、狂気に走り仲間同士で勝手に自滅する。
元々キマイラは単独行動派。それが集団で仕掛けてきたのだから、やはり何者かが――おそらく火の精霊だろう、そいつが仕向けたに違いない。 隻腕(せきわん)の一匹が闇雲に突進してきた。
躱せるだろうか。
俺は獣の目を狙い、小型の刀を放つ。――見事命中した。そいつは苦痛に苦しみもがき、暴れまわる。と、残ったもう一つの目で俺を捕らえ、残る腕で攻撃を仕掛けてきた。 「――っつ!」 片目片腕とはいえキマイラの腕力は恐ろしく強く、そして速い。俺はとっさ咄嗟に飛び退きながら腕で頭を守ったが、その腕に傷を負ってしまった。ま、利き腕でないだけマシだが。
キマイラの爪には即効性ではないが、死に至らしめる毒がある。幸い、解毒剤は持っているので死ぬ事はないだろうが、
「この服、気に入っていたのだがな…」
俺は容赦なく、鉄をも切り裂く真空刃を放った。しかし―――
□□□
「……ウェーア…大、丈夫…だよ、ね?」 息を切らしながら、わたしは口に出して言ってた。 「…ええ…」 ナギも相当息が上がってた。全速力の上、この暑さ。二人とも汗が滝のように流れてる。
私たちは走り続けた。ウェーアに教えられた場所はまだ見えてこない。
「!…あ、あそこ…」
やっと見つけた。左に曲がる道。私たちはそこに着いた途端、地面にへたり込んだ。 もう体力の限界。しばらく無言でゼーゼー息を整えながら、ウェーアが追いついて来ないかと今来た道を見ていた。 「…ウェーアさん、遅いわね」 ポツリとナギが言う。 「大丈夫だよきっと」 半分はナギに、半分は自分に。
「……きっと……」
□□□
「とりあえず、これでいいか」
俺はキマイラの群れから充分に離れた所で傷口を治療した。
一頭を倒したあと、一斉に襲い掛かってきたのには正直驚いた。だが、何とか無事に抜け出せた。
さて、先を急がなければ。何が待ち受けているのか判ったものではない。あの二人が心配だ。 立ち上がり、走り出す。
しかし、暑い。 それだけ火の精霊に近づいているという証拠なのだが、このマントを着ているのにもかかわらず気だるい暑さが伝わってくる。いったい、ラルクとやらがいる所はどれほどの暑さなのか…。慄然とさせられる。
祈ろう。無事、着けるよう……
□□□
「痛っ!」
ボーっと道を見ていたわたしは、ナギの悲鳴にハッとした。 「ど、どうしたの!?」 彼女は足を押えていた。ズボンには赤い染みが広がっている。 「切られちゃった」 痛いはずなのにそれでも笑みを浮かべるナギに、わたしはオロオロとどもる。 「だ、だ大丈夫?な、訳ないよね。血、出てるし…。何にやられたの?」
どうすればいいんだろ。応急手当なんて授業でしかやった事ないし…。た、確か止血は傷口を圧迫して―――
「平気よ、毒はないと思うから。たぶん、トロガイよ。速くて、上から狙ってくるから気を付けて。…でも、人間を襲うなんてこと、ないはずなのに…」 ナギはわたしが取り出した布を受け取ると、自分で止血し始めた。
また襲ってくるかも。
そう思ったわたしは、エナさんから借りた短剣を鞘から抜いて、頭上を見渡す。 と、ひし形っぽい何かが、シューッと降りてきた。これがトロガイとか言う奴だと思う。今度はわたしを狙っている。 トロガイは、短剣を持つ右手を狙っていた。慌てて避けると、厚紙を切るような手ごたえがあった。ぐらついたトロガイは不時着すると、片羽だけを閉まってくるりとこっちを向く。避けた拍子に偶然羽に当たったようだ。
「うわ!キモっ…」
わたしは思わず叫んで後ずさりした。シャカシャカと、トロガイはでっかいムカデみたいな多さの足を動かして、顎の牙を鳴らしながら来た。
やだよ。何でこんな奴が出てくるの!切っても何にも出て来ないでよ?
わたしはナギを後ろに庇って、短剣を振り下ろそうかやめようか戸惑っていた。 すると、突然強い風が吹いて、わたしはとっさに顔をガードした。 目を開けたときにはトロガイはもう真っ二つに割れて、紫の液体をまき散らしながら朽ち果てていた。
「二人とも無事か?」
曲がり角にいたのはウェーアだった。
「これでいいだろ。――しかし、トロガイまで出てくるとはな。あれは自分より大きな生き物を狙うことはないはずなんだが…」 ウェーアはナギの足を治療すると、彼女と同じことを言った。 「そうなんだ。…そういえばウェーアはなんとも――って、ケガしてるじゃん」 彼の左袖は三つに裂かれ、下には真新しい包帯がしっかりと見えた。 「あ…いや何ともない。本当に」 ギクッとしたウェーアは、パッとマントで腕を隠した。 「キマイラの爪にですか?解毒は――」 「塗った。治療もしっかりしたから絶対大丈夫だ。――さて、今日の寝床はどこにするかな…」 せっかく人が心配してあげてるって言うのに、彼は逃げるように立ち上がるとスタスタと行ってしまう。 もう夕暮れが迫っていた。そういえば、走ってばかりでお昼食べるの忘れてたや。今日はもう、疲れ果てて食べる気なんかしないけど……
「む〜」
だめだ。疲れてるはずなのに暑くて眠れない。
わたしはのそのそ起き上がって、辺りを見回した。
暗闇。
明かりの光だけが私たちを優しく包んでいた。 ナギはいつも通りぐっすり寝てる。 ウェーアといえば、岩肌にもたれて下を向いてる。あんな格好で疲れが取れるのかな?
ふと、道の隅っこに今まで気が付かなかったでっぱりがあって、目に止まった。明かりから離れているからよく見えないけど、かすかに動いているように見える。 理由はわからないけど、わたしはそれにひかれるようにそっと近づいていった。すると、いくらも行かないうちにパッと、それは消えてしまった。
「……なん、だったんだろ?」 首を傾げて独り言を言うと、
――ガシッ
「――ふわぁあ!!」
突然肩を掴まれて、心臓が飛び跳ねた。
「……なにも、そこまで驚く事ないだろ。――それより、あんまりうろうろするなよ?何が出てくるかわからないからな」 わたしのリアクションに肩を掴んだウェーアは、逆に驚いた顔でそれだけ言うと、さっさと寝床に戻ってしまった。 「ちょ、ちょっと待ってよ。ねえ、さっきの見た?なんだったかわかる?」 今頃になってこの暗さが恐くなってきた。慌てて光の元に駆け寄り、彼に聞く。 「…さっきのってなんだ?寝ぼけてたんじゃないのか?」 そう言うと、ウェーアは下を向いて黙り込んだ。
わたしはしかたなく自分の場所に戻って、何度も寝返りを打ちながら必死に眠ろうとした。
□□□
無論、警戒はしていた。
だが、まさか彼女があれに気付き、ましてや近づこうとするとは思わなかった。 あれが去るとき一瞬見えた銀色の――。
あれは…。 しかし、いったい何のつもりなのだろうか。 我々がファウスト山脈に足を踏み入れた頃からずっと後を追ってついて来ていた。 我々を殺そうと付け狙っているのだろうか。 否、殺気は感じられなかった。
…いずれにせよ、気を抜く事は許されない……
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