「よう」 ウェーアは軽く手を上げて、疲れの色一つ見せずに微笑んだ。片腕に紙袋を持っていた。ずうっとそれをもったまま戦っていたなんて信じられない。 「お怪我はありませんか?」 「あるようにみえるか?」 心配して訊くナギに質問で返した。たしかに、なんともなさそう。 「それにしてもすごいね、ウェーア!ぜーんぶ、ひょいひょい簡単に避けちゃうんだもん」 「いや、まだまだだよ」 感嘆してはしゃぐわたしに、ウェーアは謙虚に言った。けど顔はうれしそうにゆるんでいる。 「それより、例のモノはわかったか?」 彼は無理矢理まじめな顔に戻した。こんな所では誰が聞いているかわからないから、精霊と言うのは避けたようだ。 「そのことなのですが、誰かにお聞きする度に違う場所を言われるのです。ですから、はっきりとした位置がつかめなくて。後で地図に印しを付けてみましょうか」 「そうだな…。ちゃんと怪しまれないように訊いたんだろうな」 歩きだした彼の後に続きながら、わたしは自身たっぷりに頷いた。 「もちろん!“ここら辺に神様がいるって本当!?”って感じに訊いたら、よう知っとるなあ、って誉められちゃった」 「ん。それなら問題ないか。…あるとすれば、宿の方だな」 頷くと彼は大げさに溜め息をついた。宿になんか問題なんてあったっけ?
それは今日、私たちが泊まる部屋に入ってやっと思い出した。部屋には小さなテーブル一つに、椅子二脚とバスルーム。ベッドにいたっては人ひとりがやっと寝られるような大きさだ。 「さてと、誰が床で寝る?」
当然のことながら、ナギと二人でウェーアを意味ありげな目線で一瞥する。 「………ん?―――お、俺か?」 「あら。ウェーアさんは女の私たちを固い床で寝かせる気なのですか?」 彼は、優しい微笑みをたたえたナギに言われると、うっ、と息を詰まらせて、 「い、いや。じゃあ、ここは公平にくじを引こう。な?」 と、提案した。 それでは私が、とナギが置いてあった紙を三枚取ってくじを作った。小さく折りたたまれたそれを机の上でシャフルして、準備完了。 「じゃあ、いいか?―――オンセイユン・アスティー……ディ!」 手を思いっきり伸ばした。 狙うは真ん中のやつ!わたしは横から伸びてきた腕にそれを取られないように、紙を机の上から叩き落とした。 驚愕と落胆の呻きを尻目に、落としたそれを広げて見た。途端にわたしの顔がうれしさに綻ぶ。ナギも余裕の表情をしていた。
「そういえばウェーア。その紙袋はなぁに?」 しばらくして、落ち込んでいる彼に訊ねた。広間で戦っていた時から持っていた物。 「ああ。これな。ここでは使わないんだが・・・」 いまだに沈んだ声で紙袋を手に取ると、開けて中身を出した。 「ソイルのほとんどがナシブになっているらしいからな。向こうは砂嵐がひどいってよく聞く。と、いう訳で買っておいた。――ん」 彼は出した中身を、それぞれわたしとナギに放ってよこした。それはフード付きの上着だった。 「私たちの分も買ってくださったのですか?こんなにお世話になっていますのに」 食事は割勘しているけど、宿の料金はほとんどウェーアが払っていた。ああ、けどその前に――― 「“なしぶ”ってなに?梨の仲間?」 「違うわよ。ナシブって言うのは、えぇっと…」 「土が枯れて、水気を一切含まない砂のような土地が広範囲にわたって続いているんだ。そのような所をナシブと言う」 言いよどんだナギの代わりに、すらすらとウェーアが説明してくれた。砂みたいな土って言うと…砂漠みたいなもんかな? 「そういえば、ここ数年でナシブになったのですよね?」 と、ナギ。 「ああ、そうだ。確か…二年前にはそんな様子は微塵もなかったから、それ以降だな。――いつも肝心な所ばかりを忘れるからな…いっそのこと暇を出してしまおうか…」 「え?何の話?」 小さく舌打ちしてボソリとこぼすウェーアに聞くと、なんでもないと、荷物を持って立ち上がった。 「ま、遠くの事を考えるより、目の前の問題を解く方が先だろう。――と、いう訳で先に入らせてもらうからな」 なにが“と、いう訳”なのかわかんないけど、ウェーアはとにかく問題を私たちに押し付けてバスルームへ向かった。 パタン、とドアの閉まる音がして、またすぐに小さな軋みを聞かせて開かれた。 何気なくそっちを振り向くと、期待に胸を膨らます子どものような笑顔を浮かべたウェーアが、顔だけを覗かせていた。 「一つ言い忘れてた。セリナ、」 「何?」 枕を抱えたまま先を促がす。
「覗くな――よっ」
バン!という硬い音に続いて、いくらか軟らかい物が後を追って打ち付ける。 「あーもう!――なに笑ってんの!?」 忍び笑いに振り向くと、ナギが肩を揺らしていた。 「い、いいえ。仲がいいんだなって、思って」 胸元で手を振ってまだ笑いながら言う。わたしは、どこが!?と、鼻を鳴らして再びイスに腰を降ろした。それからナギがエバパレイトの地図を出して、町の人達に訊いた火の神様の話を基に、それに印しを付けていった。
しばらくするとウェーアがバスルームから現れ、ジャンケンに勝ったナギが、入れ代わりに入りに行く。 地図を見ながら唸っていたら、 「わっ!?――びっくりするじゃんか!」 さっき投げつけた枕が、頭の上から降ってきた。地図の上に落ちたそれを抱きしめて、濡れた頭を拭いているウェーアを振り返る。 「それぐらいで驚いていたら、この先もたないぞ?――で?なんでこんなに印がたくさん付いているんだ?」 「聞くたびに違う所に印付けられたって言ったじゃん」 わたしはプイッと真っ直ぐ座り直して彼に背を向けた。 「ああ、そういえばそんな事も言っていたな。……なんで怒ってるんだ?」 「ウェーアにはわかりません」 移動して前の椅子に腰掛けた。そして彼は、じっとわたしを見てくる。 「……何?」 「君は俺のからかいに腹を立てて、その後ナギから何かを言われた。そして俺に八つ当たりをしている。違うか?」 わたしはウッと息を詰まらせた。当たってるし…。 「ち、違う!人をからかってばっかいるあんたが嫌いなの!」 「…からかわなければいいのか?仕方ないじゃないか。君はからかうとおもしろいんだ」 「おもしろくなんかない!」 わたしは腕の中の枕を目の前の男に投げつけた。 「投げるなよ。危ないだろう?――それとも、今夜の寝床を譲ってくれるのか?」 不意をついたつもりだったのに、ウェーアは簡単にそれを受け止めていた。それが余計にわたしを苛立たせる。 「誰が!」 「君が」 「そういう意味じゃない!」 「そうかそうか」 ニヤニヤうれしそうに笑う彼を見て、ハッとなった。また遊ばれてる。 「う〜もう!ウェーアなんて大っ嫌い!」 ガタンッと立ち上がってベッドの方へ向かった。もう椅子が倒れたって気にしない。 「…あーそうか。じゃあもう案内は必要ないんだな?好きこのんでファスト山脈を案内してくれる者なんかいないぞ?猛獣に出くわしても誰も助けてくれない。――ま、俺の知った事ではないがな」 「…………」 部屋の中に重い空気が流れた。時々バスルームから洩れるナギの鼻歌だけが異様に浮いていた。 「卑怯者」 「事実を言ったまでだ」 「もう口きいてやんない!ウェーアのばか!」 冷静に返されると余計に腹が立つ。なんでそんな事言うのよ。 「人を馬鹿呼ばわりするのはやめろ」 「いくらでも言ってやるわよ!ウェーアのばかばかばか!!!」 枕を投げた。ウェーアは動じることなく片手でそれを取って、 「……な、何?」 すっと眼を細めて見てきた。やばい。怒らせた? 「君は私に借りがあるはずだ。それとこれとは関係ないとは言わせない。わかったら――」
「まあ」
突然声がした。 「まだお取り込み中だったようですね。それではもう少し入っていますので、終わったら呼んで下さい」 ナギは、どうぞごゆっくり、と言い置いてそさくさとバスルームに戻って行った。 彼女の、のんびりな口調に息を抜かれた私たちは、しばらくナギが消えていった方を見つめていた。 ウェーアはちらっとこっちを見ると、風呂場の扉を叩いて、 「もう出てきていいぞ」 と言って、椅子にドサッと腰掛けた。 「早く入ったらどうだ」 ウェーアはわたしに背を向けたままだった。 「もういいの?別に気を使わなくてもよかったのに」 ナギがすれ違いざま声を掛けた。けど、わたしはまだ腹の虫が治まりきらないので、ドアの乱暴な閉め方で答えた。
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