「ゲッシシシシシシ。ここに来りゃあかならず会えると思ってたぜ」 「俺は会いたくなかったんだがな」
濁声(だみごえ)に黒い肌を持つ男。バーベリアズの頭(かしら)が、広間の真ん中で刃先の反り返った剣を片手に、俺の行く手を阻(はば)んでいた。我々がエバパレイトへ来る事など誰にでも容易に予想がつくが、あの一撃を受け、一晩で回復するとはそうとう腹の皮が厚いのだな。それとも、皮下脂肪が多いのだろうか。 「なぁにをニタニタ笑ってやがる!」 表情には出すまいと思っていたのだが失敗したらしく、濁声を赫怒(かくど)させてしまった。
まったく、器の狭い族(やから)だ。少し笑っただけではないか。 ま、余談は置いておこう。さて、どうしたものか…。
「昨日はずいぶんやってくれたなあ!しかーし!!この二アクル様が子分達の分までてめぇをたたっ切ちゃる!覚悟せいや!」 濁声は唾をまき散らす。
よく吠える犬はなんとやら。
「ちなみに、その子分とやらはどうした」 辺りを一瞥(いちべつ)したが、それらしき人影は見当たらない。想像はつくが。 「てめぇが治療所送りにしたんやろ!あとの奴らはほとんど逃げちまいやがった!てめぇのせいや!!さっさと剣ぬきやがれ!」 二アクルと名乗った男は怒りと敵愾心(てきがいしん)を言葉にのせ、私にぶつけてきた。
「遠慮するよ」
二アクルの怒気を肩をすく竦めて躱(かわ)し、このような人集りの中で血生臭いことをしたくはないと思う。それに、言ってしまえば抜く程の相手でもない。
その時、男の背後の人ごみからセリナとナギが姿を現した。そして、セリナが何か言おうと口を開いたところで、ナギの手がそれを阻む。あの表情からして俺の名前を出そうとしたのだろうが、ありがた迷惑だな。ナギに感謝しつつ、さり気なく左足を引いた。
「てんめぇ!俺様を馬鹿にしてるやろ!!――ゲッシシシシシシシ。いいやろう、抜かへんかった事をあの世に行ってから後悔するんやな!」 よく回る舌だとつくづく感心する。
二アクルは言い終えると同時に雄叫びを上げながら真っ直ぐこちらへ肉薄してきた。おまけに芸のない太刀筋だ。これでは準備運動にもならないではないか。億劫(おっくう)だが、放っておく訳にも行かない為、しかたなく相手をしてやった。
「噬臍(せいぜい)するのは貴様の方だ」
そう男にだけ聞こえるよう言うと、俺はただ振り下ろされるだけの単調な攻撃を軽く躱し、足を引っ掛ける。すると男は踏鞴(たたら)を踏んで転倒し、強か顔を打つ。まさか受身もとれないほどとは。 「こ、こここのにゃろ〜!!」 どうやら転んだ拍子に鼻も打ったらしく、不様にも鼻血が鼻孔から流れ出ていた。額には暑さのためだけではない汗が噴出させたまま、なりふりかまわず突進してくる。
観客からは忍び笑いが洩れていた。
服が汚れてしまうのは避けたいものだ。俺は飛び散る血が服に付着しないよう、細心の注意を払いながら、左上から降ろされる刃を後退して躱した。二アクルは依然として連続で打ち込んでくる。
縦、横薙ぎ、すくい上げ、そのまま振り下ろし…。
俺は集っている者達に被害が及ばぬよう、円を描くように避けていった。それにしても、この男の攻撃は単調すぎてつまらない。
と、怒り狂う男が胸の辺りを突いてきた。別にそれでなくともできた事なのだが、少しは遊んでやらなくては見物人もつまらないであろう。
俺は突き出される切っ先を、体を横に捌いて躱し、二アクルのあご顎目掛けて蹴りを放った。
ゴッと、鈍い衝撃が走り、男は声もなく倒れる。
一瞬の空隙の後、歓声と拍手の渦に巻き込まれた。 元々喧嘩好きな町の民だ。こういう事は日常茶飯事で、珍しいわけでもない。誰かか喧嘩を始めれば、はやし立てようとすぐに人だかりができてしまう。そういう所はあまり好きではないのだが、まあまあここは気に入っている。
「こいつはバーベリアズの頭なんだが、誰かこいつを牢へ連れて行ってくれないか?」
観衆に負けぬよう声を張り上げると、途端にどよめきたった。
「わしらが連れてゆこうかのぅ」
人ごみから現れたのは、真っ白に染まった髪を持つ背の高い老人だった。歳のわりに腰が曲がっておらず、炯々(けいけい)とした目を欄(らん)と光らす。両脇には、筋肉だらけのすごい体をした男を連れている。よく見ると、牢番人の印しを付けていた。 三人は歩み寄ると、男達は二アクルを、牢番のおさ長は彼の剣を拾い上げた。そして去り際に、 「助かったわ。こいつにゃあ、借りがあってのう。なにしろ、逃げ足が速うて、はようて」 と、重い皮袋を手渡し、続けた。 「こいつの首に懸かっちょった賞金じゃ。さぁて、こいつはどないして痛めつけたろうかのう。ヒョッヒョッヒョッヒョッヒョッヒョッ…」 不気味な笑いを残し、彼らは消えた。 なんとも酷薄な老人だ。殺す事はないだろうが、処罰は厳しそうだな。だが、これでもうエバパレイト付近にバーベリアズが現れることはなくなるだろう。
しばらくそこに立っていたが、人が散始めたのを見計らい、待ち人の所へ向かった。
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