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ノストイ〜帰還物語〜 作者:紫苑璃苑

第22回   W-2
                                       
 あくる日、私たちが起きて(さすがに今日から半袖)荷造りをしているとノック音が部屋に響いてきた。ナギが鍵とドアを開けると、ウェーアがおはよう、と顔を出した。
「よく眠れたか?そろそろ出かけるぞ」
 宿の食堂で朝食を取ってすぐに町を出た。そこからは草原と岩の宝庫だ。
「ねえ、今日中にはエバパレイトに行けるんだよね。どのくらいで着く?」
「そうだな…何事もなければ暗くなる前には着くと思う」
何事もなければって…
「なにか、問題でも?」
ナギが心配そうに聞いた。
「…君達は、もし俺に会わなかったらそのまま二人だけで歩いてエバパレイトに行くつもりだったのか?」
ウェーアは逆に質問してきた。なんだか目つきが鋭くなっている。
「そうだけど、なんで?二人だけで行っちゃだめなの?」
「いけないわけではないが。大の男が、それも大勢の者から自分の身を守れるぐらいの剣術や体術を持っている者じゃなければ無事、エバパレイトへ着く事は稀(まれ)だろう。大抵の人は馬車で町へ行く。しかも、この道を通らずにな」
ああ、無事に着けるかどうか不安になってきた。なにかあるの?と恐る恐る訊くと、
「“バーベリアズ”。ここ最近この辺りを通る者を片っ端から襲って、ルーブルになりそうな者は全て取る兇賊(きょうぞく)らしい。時には馬車をも襲うそうだ。それに加え―――」
そこでわざと一拍置いて嘲(あざけ)るように口の端を吊り上げて、わたしの顔を見て、
「女、子供は拉致(らち)して闇市で売りさばく、という噂もある」
眼を細めた。
「大丈夫でしょうか私たち」
「ま、いざとなったら俺が叩き切ってやるから、安心しろ」
自信満々に明るく笑う彼をよそに、わたしはさっきより不安が増した。


 太陽が少し傾き出した頃。

「伏せろ!」

 突然叫んだかと思ったら、ウェーアは私たちの肩を掴んで下に押しやった。
 あまりの勢いにわたしとナギは悲鳴をあげ、多い茂る草の中に顔を突っ込まれた。
 そしてすぐに頭の上をブンッと、何かが通り過ぎた。
 ウェーアは舌打ちして私たちを立たせると、なるべく速く走れ、と言って走り出した。
 わたしは訳もわからず彼の後を追う。いったい、今のはなんだったんだろう?
 次の瞬間、疑問は晴れた。
 前方に、みてくれでも“俺達悪党です”って主張している男達が姿を現した。それぞれ刃の反り返った剣・ナイフ・こん棒・などなどありとあらゆる武器を手にしていた。
 ウェーアは左右に目を走らせて逃げ道がないと確認すると、面倒だとばかりに溜め息をついた。
 三人をぐるりと囲んだ人達はざっと二十人ぐらい。ああ、どうしよう。
「よぉ。こにゃにゃちわー兄ちゃんと譲ちゃんたち。こっからは通行料ってもんがいるんや。わかるよなぁ?」
どやら、この濁声(だみごえ)の男がリーダーっぽい。背が低く、ずんぐりしていて色黒で、顔中傷だらけのすごい形相をしたクマみたいな人だ。
 ウェーアは無言でルーブルを一掴みばらまいた。それに下っ端が飛びつこうとするのをクマが止めた。
「これじゃあ、たんねえな。もーちっとねえか?兄ちゃん」
クマは嫌味たっぷりに言いながら、ウェーアではなくわたしとナギを無遠慮にジロジロ眺めている。
「彼女達を売るつもりはない」
その視線に気付いたウェーアは、はっきりと言った。
 だみ声は驚いたように、器用に片眉を上げて、
「へへッ。言ってくれるやないか。けどよぉ、てめえの女って訳じゃねーんだろ?そうやなぁ…てめえがその小娘を置いてく言うんなら、無傷で通したらあ。悪い取引やないやろ?そいつら置いてきゃあ、自分は助かるや。安いもんやろ。ゲッシシシシシ」
変な笑いで肩を揺らした。なんてサイテーなやつ!
「…確かに、悪い取引じゃないな」
上の方からウェーアの落ち着ききった声がした。わたしは、そんな事したら七代先まで呪ってやろうと、ゆっくりと歩き出した背中を思いっきり睨んだ。
「悪い取引じゃないが…そんな事すると、二人に呪詛されそうでね。――――その話はなかったことにしよう」
ウェーアの後の言葉はずっと前の方で聞こえた。
 一瞬、彼の姿が消えたかと思うと、クマリーダーの前に忽然と出現した。と思った時には、もうリーダーは体を“く”の字に曲げて、後ろにいた手下達を巻き込みながら倒れていた。そして次には右の男のおなかに剣を、鞘に入ったまま突き刺していた。その人はカエルがつぶれた時のような声をあげて倒れこんだ。
 そこまでやって、ウェーアは動きを止めた。そして、
「どうした。来ないのか?とんだ腰抜け共だな」
あからさまな挑発だった。
 周りの男達が雄叫びを上げてわたしとナギの横を素通りしてく。
ウェーアはどうするつもりなんだろう?こんなに大勢の人が相手じゃ、それこそボコボコに・・・   
 実際そんな心配は必要なかった。次から次へと倒れるか、逃げるかしている。よく見ると自滅したり、攻撃が仲間に当たってしまったりしているのが一番多い。ウェーアがこの人達の動きを操っているみたいでもあった。
 やがて、バーベリアズ達はむやみに攻撃しなくなった。輪の中心に立つウェーアから距離を取って機会を窺(うかが)っている。
 不意に、その中の一人が呆然と立ち尽くしている私たちを振り返った。ニヤリといやらしい笑い方をしたそいつは、身をひるがえすとこっちに走ってきた。
「あっ……」
体を動かそうとした。けど、筋肉が固まっちゃって動かない。地面と足の裏がくっついたみたい。
 わたしが見ている間にも、ごつい顔をした男が勝ち誇った表情を顔一杯に広げ、大きな剣を振り上げて―――
「「セリナ!!」」
2つの叫びが聞こえた。



 不意にわたしは背中を引っ張られた。
 スローモーションのように目の前の出来事が動いていく。
 振り下ろされた刃(やいば)はワグナー・ケイの入った袋の紐を切り、通りすぎる。
 男は悔しそうに顔を歪めた。
 その後ろではウェーアがバーベリアズをなぎ倒しながらこっちに来ようとしていた。何か叫んでいたけれど、聞き取れない。
 わたしが地面に倒れこむとゴスッと鈍い音とともに目の前の男ががっくり膝をついた。男の後ろになにかが落ちた。―――ウェーアの剣の鞘だ。男は頭を抱えて唸りながら首を振った。かなり痛そう。
 そこに、容赦ない一撃を食らって横様に崩れ落ちる。
 気付いたら、さっきまであんなにたくさんいたバーベリアズが一目散に逃げ出していた。倒れた仲間を残して。
 
「セリナ、大丈夫か?…おーい」
目の前で手を振られてはっとした。いつの間にかウェーアが横にいる。ナギも反対側にいた。
 今のは何だったんだろ。夢を見ていたみたいに頭がボーっとしていた。バーベリアズに囲まれて、ウェーアが戦って、わたしが…この、オトコに…
 そうだ。この男に殺されそうになって―――
 そう思い出したら、急に涙が溢れてきた。今頃恐怖がこみ上げてきた。死が、こんなにも恐いものだとは思わなかった。考えてもみなかった。
 泣き出したわたしをウェーアはそっと抱き寄せ、落ち着くまで背中をたたいてくれた。
何も言わないでくれた。





 赤い太陽が沈み、夜の帷(とばり)が訪れ始めた。気温も少し下がって、だいぶ涼しい。
 やっと泣き止んだわたしにウェーアは、もう平気だな?と言って、右腕にできていた傷を手当てしてくれた。小ビンの液体がすごくしみた。

 今夜はもうエバパレイトの門が閉まる時間を過ぎてしまったので、真っ暗になるまで歩いて、ここにテントを張った。忘れ物、と言って戻って行ったウェーアが貸してくれたものだから少し狭いけど、ないよりはまし。ウェーアは外に寝ると言っていた。
 
「ねえ、ナギが後ろに引っ張ってくれたの?」
わたしはふと思い出して訊ねた。
「……ええ」
彼女は短く答えた。わたしにはそれで充分だった。
「じゃあ、ナギはわたしの命の恩人だね」
「そう、なるのかしら…」
ナギは照れ笑いをして、顔をそむけた。
「そうだよ。…ありがと。また、一緒に旅できるね、ナギ」
思ったまま言った。すごくうれしかった。今度ナギが同じような目に会ったら、絶対に助けよう、と心の中で誓った。
「セリナ、私……本当によかった。セリナが遠くに行ってしまうのかと思ったわ」
ナギは泣いていた。ぽろぽろ涙を流して、無理にでも笑おうとして一生懸命ふいていたけど、止まらなかった。
「…ありがとね。本当に、ありがと…」

 いつの間にか泣き疲れて寝てしまったナギを残して、そっとテントを抜け出した。
 眠れそうになかったから、ウェーアの帰りを待つことにした。
 ぼーっと満天の星空を見ていると、小さな青白い光がユラユラ近づいて来た。
「なんだ、まだ起きてたのか」
もう一人の恩人はわたしに気が付くと、なぜかぎこちない声で言う。
「うん。ちょっとね、眠れなくって…後、お礼が…」
今が夜だということに感謝しつつ、ナギを起こさないように声を落として言った。
「お礼?」
彼はわたしの隣に座りながら小声で聞き返した。わたしもウェーアにならって地べたに腰を下ろして、
「ありがとう。助けてくれて」
前を向きながらポツリと呟いた。とてもじゃないけど、相手の顔を見ながらなんて言えない。言った途端に顔が熱くなるのを感じた。
「あ、あぁ。バーベリアズのことか…別に、礼なんか言わなくても、よかったんだが…」
ちらっと彼の方を見てみた。どっか向いてる。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・
・・・・・・・・・
「ああ、そうだ」
長く感じられた沈黙をウェーアが破った。わたしはドキッとして弾かれたように声に振り向く。
「忘れ物のついでに拾ってきたんだが、これは君のか?」
マントの裏から出てきたのは、ワグナー・ケイの入った袋だった。
「あっ」
そっか、あの時切られて、そのまま置いて来たんだ。忘れていたわたしはそれを受け取ると、両手で大切に包み込んだ。助かった。これをなくしていたら帰れなくなるところだった。

「……君達は何者だ?」

低く静かな、それでいて鋭い刃物のような声が鼓膜に響いた。
「え?」
唐突なその問いに、疑問と嫌な予感を抱きつつウェーアに向き直ると、わずかに細められた赤い瞳と出会った。
「どういう意味?」
わたしはその目に危険を感じて、白を切ろうとした。きっと拾った時に中身を見たんだ。けど、ならなんで返したりなんかしたんだろう?
「嘘を言っても無駄だ。その石が何なのか俺は知っているからな」
言いながら、ウェーアはすっと腕を伸ばしてわたしの手首を掴むと、引き寄せた。
「なぜ君は――いや君達はなぜワグナー・ケイを二つも持っている。普通の者ならありえない事だ。君達は親を探しに旅をしている訳じゃないんだろ?何が目的だ。答えろ」
「は、離してよ」
わたしは抵抗したけど、力の差がありすぎる。痛くても、振り切ることはできなかった。
「君が全てを話すまでこの手は離さない」
ウェーアは本気だ。目つきがいつもと全然違う。
「じゃあ、わたしもこの手を離してくれるまで何も言わない」
食い下がった。ウェーアを、本当に信用していいのかわからなかった。また、ダーユのときのような事が起こるかもしれない。
 そうやってしばらく睨み合っていると、薄闇の中からした唸り声が、静寂を破った。
 ウェーアはよく見えるようにさらに目を細めて辺りを見回すと、舌打ちして立ち上がった。
「中に入ってろ。絶対に顔を出すなよ」
開放された手首をさすっているわたしに命令すると、彼はすらりと剣を抜いた。
「なな、何あれ」
急いでポケットにケイを押し込んだわたしは、月明かりに照らし出された銀色の巨軀(きょく)に目をうばわれた。綺麗な金色の眼を持つ狼のような動物だった。立てば二メートルはありそうな大きさで、それが……いったい、何匹いるんだろう?そこら中から唸り声がして近づいてくる。
「イトレス・スビートだ。こんな所にまで来るとはな…。セリナ!早く中に入れ!」
悪態をつくウェーアに怒鳴られて、慌ててテントの中に引っ込んだ。中ではナギが気持ちよさそうにすやすや寝ていた。ある意味すごい。
 ハラハラしながら縮こまって聞き耳を立てていると、静かな足音がたくさんしだした。それはしだいに速くなる。
 遠吠えのような澄んだ音が空気を震わせた。かと思うと、リンゴを勢いよく切ったような音がして、テントの幕にパタタッ……と何かが着いた。それは、まるで水のように垂れ、黒い跡を残して落ちていく。
 痛そうな鳴き声がしても、わたしはそれが何なのかしばらくわからなかった。
違う、わかりたくなかった。けれど、
「――――っ!」 
気付いてしまった自分を呪った。体に戦慄(せんりつ)が走った。
 今思えばウェーアは剣を抜いていた。なんで?と問えばこの状況ですることは一つしかない。
 また、嫌な音がした。
イトレス・スビートの咆える声・・・ドサッと倒れる・・・ウェーアの叫び・・・空(くう)を切る鋭い音・・・その繰り返し・・・
 そっと顔を出してみた。恐いもの見たさ、と言うよりテントの中でじっとしていることが我慢できなくなったから。
「――――――!!」
声にならない叫びが頭の中で木霊した。
 体温が一瞬にして冷えていくみたいだ。
 銀の毛並みが赤く染められたピクリともしないイトレス・スビート。地面はすでに赤く染められ、ウェーアの剣からは鍔についている宝石の色と同じような雫が滴り落ち、残った数匹がそれでも戦意を失わずに唸りを上げる。その中にはいくらか体の小さな獣もいた。
「顔を出すなと言ったはずだ!」
わたしに気付いたウェーアは怒鳴った。
 その隙を突いて、一匹が彼の死角で体勢を低くした。
 教えようと口を開く。が、向こうの方が早かった。
 「っつ!」
ウェーアは、痛みに顔をしかめながら体ごと旋回して剣を振り下ろした。
 月が雲に隠れた。液体が飛び散る音までは隠してはくれなかった。
 ――もう、やめて!
声を出そうにも、喉の奥が張り付いてしまって出ない。
そうこうしているうちに、二匹の大きな獣が同時に襲い掛かった。ウェーアはそれを素早く躱し、すぐ反撃にうつす。2匹はしばらく痙攣(けいれん)していたけど、しだいに治まり動かなくなる。
 残るは小さな(多分)子供と親の二匹だけとなった。
 体が動かない。眼を背けようにも、ナギを起こそうにも、金縛りになったかのように指一本動かせずにただただ、その光景を凝視することしかできなかった。

 
 ――動いてよ!


ウェーアが残る二匹の元へ歩み寄る。親が子供を庇(かば)いながら姿勢を低くした。
 

 ――なんで動いてくれないの!?


イトレス・スビートがすごい速さで狩人に肉薄する。


 ――お願いだから立って!


ウェーアは鋭い攻撃を避け、それと同時に剣を横薙(よこな)ぎにした。


 ――だめ!!


足に傷を負った獣はすぐさま方向を転じて高く跳躍した。


 ―――動け動け動け!動いてよ!!


二つの影が交差した。親のイトレス・スビートは着地すると崩れるように倒れた。子供は慌てて擦り寄って、クンクンと泣く。


―――動け!!


子供が毛を逆立てて威嚇する。ウェーアが近づいて剣を振りかざした。
 そして――――


「待って!」
あと数ミリという所で止まった。彼は自分の腕を抱きつくように止めているわたしを見下ろすと、少しだけ目を見開いた。
「何のつもりだ」
けどすぐに細めて静かな激昂(げっこう)をぶつける。わたしは身を震わせはしたけど、絶対に腕は放さなかった。
「もう、やめて」
懇願(こんがん)の思いて言った。喉が掠(かす)れて上手く喋れなかった。
「何を言っている。どのみち一匹だけでは生きていくのは困難だ。いっそのこと、この場で楽にしてやった方がいい」
ウェーアは視線をイトレス・スビートに戻し、冷たく言い放った。どこまでも無表情だった。その声さえも。
「そんなことさせない!」
わたしは力任せに腕を上へ押しやった。予想外の事にウェーアの体は揺れた。その隙にわたしは彼と子供の間に立ち塞がった。
「絶っ対どかないからね!」
わたしは、彼が何か言おうとした所を捻じ伏せるように言った。
 ウェーアは剣を下ろし、わたしの目を真っ直ぐ見つめた。怒っているような、じっと考えているような不思議な視線だった。
「運良く生き延びられたとしても、今のように人間も襲うんだぞ。それでも君はあの獣を庇うのか」
ようやく発せられた言葉は、質問と言うより確信に近かった。
「もちろん!」
子供しか救う事はできなかったけど、わたしは安堵の溜め息をついた。
「……君の行動は理解し難いな」
ウェーアは諦めて剣の液(つゆ)をはらい、鞘に収めてくれた。
「セリナァ〜?」
テントの方から眠たそうなナギの呼ぶ声がした。
「なんだ?今までずっと寝てたのか?」
ウェーアも信じられない、と驚いていた。確かに、あれだけ騒がしかったのになんにも気付かないでずっと寝ていられたなんて。まるでテントの中だけ“無音円錐域(コーン・オブ・サイレンス)”にでもなっていたのか、ナギは何にも知らなかった。
 空は静かに白み始めていた。ふと後ろを振り向くと、イトレス・スビートはいなくなっていた。きっと逃げたんだろう。ウェーアすっごく恐かったし。
 無事、生き延びてくれることを祈りながら、なぜか灰になっている亡骸の間をぬって、テントへとわたしは戻った。


   『生トハ何カ。死トハ何ヲ意味スルノカ。人間ニハ
               決シテ完全ナ答エヲ出セハシナイダロウ』

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