「先程は助けていただいてありがとうございました」 野次馬の輪から抜け出して、少し行った所で一息吐いた。 「いえいえ。こっちもおもしろいものを見せてもらったし」 アーヴは破顔して、灰色の眼を細めた。 「ねえ、アーヴはここの人なの?」 歩き始めながらわたしが聞くと、彼はうん、と頷いた。そして、 「そうそう、昨日親とたっぷり話し合ってね、ウィズダムに行くことにしたんだ。そこに行けばすぐ職に就けると思うから」 どこか、晴れ晴れとした表情で彼は言った。と、言うより、その何とかって言う所にいけることがすごくうれしそうだった。 「ウィズダムにですか。ずいぶんと遠くへ行かれるのですね。何か、伝(つて)がおありで?」 「うん、ちょっとね」 聞くナギにアーヴは口ごもると、そういえば、と話を替えた。 「今日はどうしたの?何かの用事でこっちに?よかったら手伝おうか?」 「いいえ、大した事ではありませんから。――あ、そうだわ。ひとつだけお聞きしてもよろしいでしょうか」 ナギは丁寧に断りを入れて、すっかり忘れていたって感じで、頷くアーヴにこう聞いた。 「どこかで、うつむいて立ち尽くしている私たちと同じくらいの歳の、男の子を見かけませんでしたか?」 「ああ、あの有名な…」 「ええ、あの有名な彼です」 二人はうんうんと頷いているけど、わたしは何の事だかさっぱりわからない。 誰かわたしに情報をください。 「あの子なら、通りをもう二、三本行った所にいたと思うよ。その子に用があるの?」 「と、言うより…本当は彼が迎えに来てくれる予定だったのですが・・・。一応、覚悟はしていたのですけれども、ね」 「まあ、予定は未定だって言うしね。大変だろうけどがんばってね」 「ありがとうございます。アーヴさんも、がんばって下さい。それではまた」 「うん。あ、職が決まったら連絡するよ。それじゃ、また」 「あっ、バイバイ」 わたしは一人、ポツリと取り残されたような感覚に襲われていた。
わたしは再び目的地も知らされずに、ナギの横を歩いていた。 「ああ、やっと見つけた」 しばらくしてナギの足が止まった。ちょっと行った先には、オレンジ色の頭をした男の子が深くうつむいて立っていた。道のど真ん中で突っ立っているその人に人々は、ちらちらと物珍しいような危惧するような視線を投げかけていたけど、大半はいつもの事だとでも言うようにクスクス笑いながら通り過ぎて行った。 ナギはそんな注目の的になっている彼の元へ、慣れた足取りで近づいていった。そして、 「ティワ、ご飯ができたわよ」 彼の肩を揺すってこの場には全く合ってない声をかけた。けど、何にも起こらない。 そこでナギは溜め息を吐くと、 ――ゴン ささやかではあるけど、鈍い肉を打つ音がナギのこぶしとオレンジ色の頭の間でした。 「…な、ナギ…何も、起きないからってグーで殴らなくても…」 わたしが言っている間にも殴られた彼は、鮮やかなオレンジをなびかせてゆっくりと倒れていった。 ――ドサッ ・・・・・・・・ ・・・・・・・・・・・・・・・ 起きない。 あれだけ痛い目にあっているのにピクリともしないなんて、脱帽ものだよ。 そろそろ諦めてもいいのに、ナギは完全に起こさなきゃ納得がいかないみたい。彼の隣にかがみ込むと、彼の背中をボフボフとマッサージするように叩きだした。いや、マッサージにしてはちょっと強すぎるかな? 「ナギ、あんまり叩き過ぎるのは…」 「これぐらいやらないと起きてくれないのよ。引きずって行くよりはましでしょう?」 「まあ、そうだけど…」 わたしは口ごもった。と、そのとき、話しながらも決して叩くのを止めなかったこぶしの下で呻き声が聞こえた。 「―――おう?…あれ?ああ!俺のスダコが消えた!!」 彼の第一声だった。
「いやー悪(わり)ぃ悪ぃ。船着場まで迎えに行くつもりだったんだけどなー」 「今日はまた一段と眠気が強かったのね?」 わたしは楽しそうに話す二人の一歩後ろを歩いていた。 このオレンジ色の髪の彼はナギの同い年の従兄弟で、道端でも食事中でもどこでもすぐに寝られる特技(?)を持つ人だ。名前はティワって言うんだって。ちなみにティワの大好物はスダコ。これから彼の家に行くみたい。 海に近い所に彼の家があった。なんだかすごく変な建物で、今にも崩れそうなんだけど妙に安定感がある。強めの潮風がふく中、防風林の影で洗濯物を忙しそうに干している女の人に会った。 「ああ、来てくれたんだねナギちゃん。ウチのバカ息子は途中で居眠りしてなかった?」 たくましい体つきをしたおばさんは、私たちに気付いて手を止め、エプロンを外しながらこっちへ向かってきた。 「大丈夫ですよ、ちゃんと起きてくれましたから」 「やっぱりか。こんのバカ息子が!」 おばさんはこそこそ逃げようとしていたティワの首根っこを捕まえると、その頭に思いっきりゲンコツを食らわした。ティワは叫び声を上げておばさんの手からどうにか抜け出すと、 「痛えーじゃねぇか鬼ババァ!」 と捨て台詞を吐いて家の中に逃げ込んだ。 「鬼ババだぁ!?誰に飯食わせてもらってんだと思ってんだよ!この腰抜けが!」 彼女はティワの背中に向かって中指を立てる。 「腰抜けだぁ!?俺だって少しは稼いでるだろ!――うわっ!」 窓を開けて言い返した彼の顔に向かって、どこに隠していたのかわからないけどトンカチが回転していった。 「――殺す気かよおふくろ!」 ギリギリ避けたティワの顔は、少し青ざめていた。わたしも同じような感じ。ナギとティワのおばさんだけが平然としていた。 「ちゃんと避けれたんだからいいじゃない」 …本気で言ってる? 「そ、そのうち牢番が駆けつけてくるぞ!」 「ふんっ!」 おばさんは鼻を鳴らして、勝ったとばかりに腕を組んだ。 仲がいいんだか悪いんだか。こういう家族は見てて飽きないかも。 「――っと、ありがとうねナギちゃん。わざわざティワを起こしてきてくれて。ところで…」 薄い茶色の瞳がわたしをとらえた。落ち着いてみると、おばさんは面倒見の良さそうな人だった。 「この子は?見ない顔だね」 「友達のセリナです。今日、一緒に手伝ってくれると言ってくれて」 「え!?」 何を!?わたし一言もそんなこと言ってないよ? 「ね?」 驚いているわたしに対してなぎは、有無を言わせない笑顔を見せた。 「うー・・・ハイ、ソウデス」 「そ、助かるわ。じゃあウチは夕方近くに帰るから、あとは任せた。食事はいつも通りよろしくね」 おばさんはナギに着けていたエプロンを渡すと、洗濯物をそのままにして家の中にとんで行った。かと思うと、すぐに荷物と薄い黄色の髪をしたおじさんを引っ張って出てきた。 「お気を付けて」 ナギが言うと眠たそうなおじさんが力なく手を振った。 「じゃーねー」 おばさんは満面の笑顔で大きく手を振って、やがて見えなくなった。 「さ、お仕事しましょう」 「…ハイ…」 まんまとはめられた。
ウェン家(け)は11人兄弟の大家族だった。上から順にシマ、ティワ、メル、マト、トキ、シズ、ウィム、アル、トト、ヒミ、ズージ。25歳から3歳まで幅広い。それに母親のティファナさんと父親のコセルさんが加わる。でもって、みんなオレンジ色の頭をしていて、それでも微妙に色味が違った。 ナギがここに何しに来たかと言うと、――まあこの状況を見ればもうわかると思うけど――ベビーシッター。ナギは彼女の従兄弟(いとこ)に限らず、誰かに頼まれるとちょくちょくこうして稼ぎに出でいたみたい。少しでも生活が楽になるように、って12歳の時から始めたそうな。わたしにはそんな根性ない。 私たちはとりあえず、さり気なく押し付けられていた大量の洗濯物を全部干す事にした。 「ナギおねえちゃーん!」 高いかわいらしい声がしたかと思うと、餌に飛びついてくるハトのごとく8人ぐらいの子供がナギに群がってきた。 「来てくれたのー?」 「いつまでいてくれるの?」 「お兄ちゃん(ティワ)が遊んでくれないよ〜」 「メルがぶったー!」 「このお姉ちゃん誰?」 次々と繰り出される最後の言葉に、皆が一斉にわたしを見上げた。それがまったく同じタイミングだから、わたしは圧倒されて思わず後ず去った。 「変な髪〜」 「真っ黒ぉ!」 「サキュラーみたい!」 「どこの人ー?」 「きっと怪物が化けてるんだ!みんな!やっつけろ〜!!」 「――ええ!?」 パワフルな子供たちにわたしは、あっけなく倒された…。
「じゃあ皆でお母さんごっこしましょうか。」 子供たちにいいように遊ばれているのを見かねて、ナギはそう言いながらわたしを戒(いまし)めから救ってくれた。子供たちは即座にそれに反応してわたしの上から飛び降りると、わーっとナギの元に駆け寄った。彼女は将来、保育士になってもいいと思う。 「何するのー?」 「そうね。じゃあ、洗濯物を干しましょうか。台を使っていいから、少しでも下に落としてはだめよ?そういう子はお昼ご飯なしにしますからねー」 …前言撤回。やっぱ止めといた方がいいかも。 とはいうものの、ナギはすごく子供の扱いが上手かった。遊びに乗じてしっかり掃除とか、おもちゃの整頓とかやらせていたし、みんなもナギを慕(した)っていた。わたしも、嫌われてはいなかった。むしろ気に入られすぎて、いろんな子に圧(の)し掛かられた。 やがてお昼が近づくと、わたしも子供たちに混ざってナギの指示に従い、昼食の準備をした。今まで寝ていたティワも兄弟に盛大に起こされて、キッチンに引きずり出された。 「なんだよ〜まだ眠いのに〜」 彼は弟や妹達に手を引かれて、目をこすりながらブツブツ文句を言った。 「ティワも手伝ってくれないかしら。さすがに、12人分は辛いのよ」 ナギは主婦みたいに、リズミカルに包丁を使いながら言う。 「え〜」 「今日はね、スダコがあったからそれも出そうかしらって思っているのだけれど…」 「やるっ!!俺は何すりゃあいいんだ?」 “スダコ”という単語を聞いたとたん、ティワの眠気がいっきに吹き飛んだ。 そんなに好きなんだ… 無事(?)昼食を終え、ひと休みしてから私たちは散歩へ出かけた。ティワは、どうせ歩いている途中で寝ちゃうからって置いて来た。 海の方を目指して歩きだした私たちは、浜で開かれている市場を横手に、海沿いをしばらく歩いて公園まで来た。 それなりに大きな広間には、大勢の子供たちが駆け回っていて、ウェン家の子供たちもすぐにそれに加わっていった。 「いやー、疲れたねー」 「そうね。けど、私は事あるごとにこれを1人でやっているのよ?」 「…ご苦労様です」 などと、ちょうどいい木陰で休みながらダベッていると、 ―――ドーン!!! 突然起こった爆音に、わたしは破れそうになる耳を塞いで悲鳴を上げた。けれどもそれは、相次いで起こる爆発にかき消せれてしまう。 「な、何!?」 ようやく収まった爆音に顔を上げたわたしは、公園の森の向こうでわき上る、大きなキノコ型の紫色の雲を見た。 「爆発!?マト君トキ君!みんなを連れて家に戻っていて。ここは危険だわ。」 「え?ナギさんは?」 「早く!」 ナギが急かすと、マト君とトキ君は慌てて皆を連れてその場を離れて行った。 「セリナ、あなたも――」 「え?けど…ナギ、見に行くんでしょ?」 なんとなくわかってた。何で爆発が起こったのか、誰が起こしたのか、そして、自分にできる事がないかを探るためにここに残ったんだ。しっかり従兄弟達を逃がしてから。 「わたしも行くよ。野次馬したいし」 パラパラと何かの破片が降り注ぐ中、ニッコリと笑って言ったわたしは、ナギに呆れた溜め息と小言をもらった。
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