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実際、そこまで行くのにどうやって行ったのかほとんど覚えていない。 抜け穴は町の港まで続いており、そこで荷物にまぎれて船に乗り込んだのだと思う。 一番最初に停まった所で降りた。そこはディバインだった。 悪どい商人に捕まり、売られそうになった時もあった。 飢えに負けて盗みに手を出した事もあった。 私の目は、人間の黒い所ばかりを見、心は硬く閉ざされ、気にかけ,食べ物を分けてくれる人にも背を向けた。 もう、何者も信じる事ができなくなっていた。
私の足は知らず知らずのうちにエバパレイトへ、そしてファスト山脈へと向いていた。 幼い頃から好きだった火の神の話の影響だろうか。心の底で火の神に会いたいと思っていたのだろうか。 理由はわからないが、とにかく私はファストの谷に迷い込んで行った。 体力は限界に近かった。その上、山道の途中で雨に降られ、火も炊く事もできず、岩の窪みに身を潜めて夜を明かしていた。 エバパレイト、特にファスト山脈に入ってからはとても暑く、なれない気候に体を壊したり、脱水症状にかかったりした。 ファストに人影はほとんどなかった。時折、例外的に薬草を採取しに来た者を見るだけだった。
どれほどの時間が経ったのだろう。当てもなくさ迷っていた私は、突然巨大な影が落ちたことに驚き、後ろを振り返った。視線を徐々に上げていく。 太い、膝の所で曲がった足を見、黒く筋肉の浮き出た胴体を見た。そして、黄ばんだ牙が目に入った途端、背筋に悪寒が走った。 何かの勘が働いたのだろうか。次の瞬間、私はカクンと力が抜けたように地に伏せていた。その上を何かが風を唸らせながら通り過ぎていく。 私はすぐに起き上がり、その巨躯から間合いを取った。 対峙した相手は、異様な出立ちをしていた。全身黒光りする筋肉の鎧に身を固め、額には鋭い角を持っていた。それは、火の神の話に出てきた獣と、あまりに似通っていた。 獣が低く唸り声を上げる。 まだ幼かった私は、振り下ろされたそれが何なのか悟ることもできずに、地面へ叩きつけられていた。 背中と胸に痛みが走った。獣の爪で裂かれたのだと気付くのに、数十秒かかった。そして気付いた途端、私は空中に放り出され、受身も取れないまま地面に叩きつけられた。 殺されると思った。 この獣に殺され、生を失い、死を、両親と同じように迎えるのだと思った。 それも悪くなかった。全てを失い、生きる気力も失せ始めていた私にとっては丁度いい機会だった。 ゆっくりと歩み寄る黒い足を見た。 ポツリ、ポツリと雨が私の体を濡らした。 ―――いきなさい――― 急に視界が明るくなった気がした。 父と母にもらったこの命。2人を犠牲にして生き延びたこの命。 私はまだ死ぬべきではない。 まだ、行かなければならない所がある。 私は立ち上がり、獣を見据えた。 体のどこかで、“力”が爆発した気がした。
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「〜♪っと。なんや?――ガキ?」 たまたま通りかかった男が、キマイラと呼ばれている獣の下敷きになっている子供を見つけた。 「おい師匠!薬あらへんか?」 彼は担いできたディムロスをそっと寝かし、洞窟の奥で何かをしている男に近づいた。 「ああ?バカに効く薬なんぞ持っとらんわ」 「誰がバカや!ワイやない、ガキが血塗れで倒れとったんや」 「はあ?ガキだと?何でガキがこんな山奥にいるんだ。迷うにも程があるぞ」 そこでようやく男が振り向いた。髭の長い、くすんだ金髪の中年男性だった。 「んなもん知るか。ほれ、さっさと血止めとキマイラの解毒剤出してえな」 対する彼はまだ若い。年の頃は20代前後だろうか。 「それが人に頼む態度か。――拾ってきたからにはしっかり面倒見ろよ。俺は知らんからな」 「へいへい」
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………………………… …………ここは…… 「お、目ぇ覚ましたか?―――師匠ー!おい師匠!目ぇ覚ましたで!」 知らない人の声がした。少し遠い所で別の声がそれに答える。 「うるせーな!いちいちそんな事で呼ぶんじゃねーよ。こっちは忙しいんだからよ」 「あーあー、それは悪うございましたね!――ったく、言わんかったら言わんで怒るくせに…」 ・・・・・僕は…どうしたんだ?…ここは?こいつらは・・・・ 「―――!!」 「あっバカ!まだ起きたら――」 「いっ!!――う、ぅぅ…」 「――あかん言うに…」 全身に刺すような痛みが走った。呻く私の体を支え、茶色のトゲトゲと跳ねている髪をした男が続けた。 「ちょお待っとき。今師匠が薬作ってくれとるで。もうちょい寝とき」 「…必要、ない」 私は再び寝かそうとする手を払った。 「せやかて、そないな体でどないすんねん。お前、名前は?家はどこや?よかったら連絡したろか?」 「・・・・・・・・」 私は俯(うつむ)き、押し黙った。 誰も信用できない。どう言うつもりで私を助けたのか判りかねるが、隙を見せてはいけない。 「無口やなー。ちとでも反応して欲しいわー。あ、ワイ、トルバ・ウィザード言うんや。よろしうな」 「・・・・・・・」 トルバと名乗った男は、私に構わず続ける。 「で、あそこにおるオッチャンが、ワイの師匠のラングール・二ッヒや」 「――誰がオッチャンだ。おじ様と呼べおじ様と。ほら、さっさと包帯とれよ」 髭の男が何かを抱えて洞窟の外からやって来た。 「へいへーい」 トルバが、いつの間にか巻かれていた包帯に手を伸ばした。私はまたその手を払い、二人の大人を睨む。 「ひっでーなー。ワイ、お前さんの手当てしてやろーとしてるだけやで?何でそないに嫌がるんや?――って、おい!どこ行くんや!?」 私は軋む体を酷使し立ち上がると、洞窟の外へ向かって歩き出した。胸には落とさないように、しっかりとウェーアードを抱えていた。 「おいってば!」 「ほっとけ」 外はまだ雨が続いていた。あれ程暑かった空気が、嘘みたいに冷気を帯びている。 洞窟の中から言い争う声が響いてきたが、私は構わず壁伝いに歩いた。 体中が痛かった。痛みはあの獣や披露によるものなのだろうが、この気だるさと言うか、何か物足りないこの気持ちはいったい何なのだろう。 だが、私はすぐに考える事を止めた。考えると言う行為に体力を裂くと言う事がもどかしかった。 何も考えず、何も感じず、私はただ先を目指した。
―――パシャ・・・パシャ・・・ 何かが水面を叩いていた。 ―――パシャン。パシャン。 だんだんと、近づいてくる。 ―――パシャン、パシャッ ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ ・・・・・・・・・・雨が、止んだ気がした。
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「あれ?師匠、どこ行っとったん?」 トルバは作業を止め、しばらく姿を消していた長身を見上げた。その腕には先程出て行ったはずの、そして追うなと言ったはずの小さな子供が抱かれていた。 (なんや。ワレも結局気になっとったやないか) そう思いながらも彼は、黙って子供のために寝床を用意し、夕食の支度を再開する。器は小さなものが1つ追加された。 師匠のラングールと言えば、せっせと薬を調合し、初めと同じように子供が寝ているうちに治療した。 夕食が出来上がる頃、子供は軽く叩かれ目を覚ました。一瞬だけ驚きの表情を見せ、すぐに2人を睨みつける。“何をするつもりだ”という警戒もまだ含まれていたが、“何故”という疑問の方が多い顔つきだった。 「食え」 そこに湯気を立てる器を突き出され、ディムロスはキョトンとした顔でラングールを見上げた。
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(いったい、どういうつもりなんだ?) 私の目線は目の前に突き出された器と、それを持った大きな男との間を行ったり来たりしていた。 (倒れた僕をここまで連れてきたり、叩き起こしたり・・・・) 気が付けば体の傷が治療されていた。気を失っている間にされたようだ。 「さっさと食え。片付けられんだろうが」 男はさらに器を突きつけた。 「いらない」 何も食べる気がしなかった。毒か何かが盛られているかもしれない。それ以前に、私に構って欲しくなかった。一人にして欲しかった。 「食わんと体もたんで?怪我やって、早よう直したいんやろ?」 私の願いに反して、見るからにお節介焼きな若い方の男が脇から顔を出した。 「食べたくない」 私の構うなと言いたかった。どうして一人にしてくれないと。 「無理にでも食え。死ぬのは勝手だがな、拾ったガキを見殺すってのはこっちが後味悪りいんだよ」 男は苦々しげに顔をしかめ、私の手に器を押し付けた。 「ちょっとずづでもええから、な?食おうや」 私は淵の欠けた器を見つめた。この男達を信用してもいいのだろうか。また闇市に売りに出されたりしないだろうか。 「何があったかは知らねーがな、せっかく世話してやろーとしてんだ。人の好意は素直に受け取っとけ」 「・・・・・・・・・・・」 その後、私は半ば強制的にそれを食べさせられた。
それから、奇妙な生活が始まった。 私は休養を強制され、男達は交代で私の世話をしたり、二人でどこかへ行き、必ずトルバだけ疲れた養子で、ラングールは涼しい顔で帰ってきたりした。 2人にどこかで働いている様子は見られなかった。なぜこのような山奥で生活をしているのだろうと思ったことはあったが、聞こうとは思わなかった。 ケガが治ると私も少しずつ二人の手伝いをするようになっていた。決して心を開いた訳ではないが、信用できる者達だと言うことはわかった。 そのうち、私はトルバと同じように、ラングールを師匠と呼ぶようになり、剣術や簡単な薬草の調合を学ぶようになった。リーズ家の血を継いでいた私は剣の腕前をグングンと上げ、すぐにトルバとの勝負もいい所まで持っていけるようになった。 その間、2人は過去に何があったのか決して語ろうとはしなかったし、私にも何があったのか聞く事はなかった。
そして、2人と初めて会った日から、約一年(エアプス)が経った。 私はある日突然、鎖骨の辺りに激しい痛みを覚え、高熱が出た。三日ほど生死の間(はざま)をさ迷った後、ケロリとした顔で起き上がった私の左の鎖骨には、奇妙な形の刺青のようなものが刻まれていた。紅く刻まれたそれは、私をどこか懐かしい気持ちにさせた。 「なんやこれ?なんでこんな突然出てきたんや?なあ、師匠。・・・師匠?」 「・・・・・・?」 師匠は酷く驚いた顔で私を凝視していた。 「なあ師匠!どないしたんや?そないな――」 「――トルバ」 師匠は彼の言葉を遮った。そして見上げるトルバに、 「ウィズダムのエウノミアルが殺されたってーのは、いつの話だった?」 そう訊いた。途端に、私の脳裏にあの日の忌まわしき記憶が鮮明に蘇(よみがえ)る。 「はあ?確か・・・一年前ぐらいやったと思うけど?それが―――って、ディムロス。お前どないしたん?顔色悪りーぞ?」 「・・・・!お前、もしかして―――――」 私は師匠の言葉にハッとして顔を上げた。師匠は何かに気付いた様子で、とても厳しい表情になっていた。 「・・・・・・トルバ、支度をしろ。行くぞ」 突然師匠は身を翻した。 「は?行くって、どこに?」 「リドゥルだ」
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いつ稼いでいたのかは知らないが、師匠は当たり前のように私達の分までルーブルを払い、客船に乗せた。 リドゥルに着くとすぐに馬車に乗せられ、2・3日掛けて一軒の大きな屋敷まで連れて来られた。その間、なぜリドゥルに来たのか、そしてどこへ行くのかという類(たぐい)の説明は一切なかった。 「どちら様でしょうか」 白髪をキッチリと固めた、堅そうな雰囲気の老人が出てきた。 「ラングール・二ッヒだ。クレバーはいるか」 師匠は酷く苛立っているような、困惑しているような感じで、落ち着きがなかった。 「いらっしゃいますが、どのような御用件で?」 「急用だ。手前に言えるようなもんじゃねえ。待っててやるからさっさとクレバーに伝えて来い。俺の名前を出せばすぐにわかる」 「・・・ですが・・・・・・」 明らかに老人は危惧を抱いていた。汚れた衣服に乱暴な口の利き方。加えて子供連れとは、誰だって何事だろうと警戒する。 どうにか老人を動かした師匠は、こっちがハラハラするほど苛立っていた。 「失礼致しました。どうぞこちらへ。案内いたします」 先程とは打って変わって慇懃な態度を取り、老人は深く詫びた。 私とトルバは、互いに顔を見合わせた。
「御連れ致しました」 どうぞ、と中から声が掛かり、私達は大きな部屋に通された。私はよくこのようなやり取りを見ていたので、臆する事はなかったが、トルバは完全に恐縮しきっていた。 「何年も連絡しないでいると思ったら、突然子供連れで訪ねて来るなんてね、二ッヒ。いったいどういう風の吹き回しでしょう?」 部屋の中には、ゆったりと椅子に腰掛けた妙齢の女性が、ニッコリと微笑んでいた。 「どうも。ちょっと訊きたい事があってな。――ディムロス、来い」 突然呼ばれた私は、戸惑いながら師匠の所へ行き、女性の前に立たされた。 「先に確認しとく。これは、お前達の印か?」 そう言って、師匠は私の服の止め具を1つ外すと、あの紅く刻まれたものを見せた。 それを見た女性が、椅子を鳴らして立ち上がる。その目は大きく見開かれていた。 「・・・・そうなのか?」 「ええ・・・間違いないです。――坊や、お名前は?」 彼女は私の肩に手を置き、労わるように微笑みかけた。 「・・・ディムロス。ディムロス・・・リーズ」 「え!?リーズって・・・!」 トルバが叫び、そしてハッとして口を押えた。 「・・・ご両親の事はよく訊いていました。私も、優秀なお二人が亡くなったと訊いてとても悲しみました。けれども、すぐにバタムラバの大半は捕まえられたそうですよ。――ディムロス?あなたはこれから、しばらくここで暮らしていただきます。よろしいですね?」 そう聞かれて、私は師匠を振り返った。 「お前が決める事だ。俺は知らん」 それだけ言うと、師匠は身を翻した。 「二ッヒ、どちらへ?」 「そいつの事は任せた。トルバ。お前、いたけりゃディムロスと一緒にいてもいいぞ」 そう言って、師匠は私達の前から、姿を消した。
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私はクレバー・ミューシャから様々な事を学んだ。先生はまず、私がエウノミアルになったという事を教えて下さった。そして、その仕事の内容や必要な知識、礼儀作法など、先生は教えられるだけの事を私に伝授して下さった。 時間が空くと、私はトルバと剣を交えた。 先生の家にいる間、あれから1度も師匠の姿を見ることはなかったが、いつも通りの生活を送っているのだろうと思っておいた。 ある日、私は先生に、師匠とはどこで知り合ったのかと聞いたことがあった。先生は、年上の幼馴染で、昔から乱暴な性格で喧嘩強く、それでいて一人でいることの多い一匹狼だったと、聞いてもいない事まで話して下さった。私には2人の子供時代を想像する事はできなかった。 やがて一年程が経った頃、私とトルバを連れて、先生はウィズダムへ行くと言った。私は初め酷く戸惑い、逡巡(しゅんじゅん)したが、先生に説かれて乗り気のしないまま、生まれ故郷へと舞い戻った。 家の前に着いた。 両親と過ごした家。たくさんの人が殺された家・・・ あまりにも強すぎる記憶だった。 私はおそるおそる足を踏み入れた。 玄関を過ぎ、1つ目の扉を開ける。中は全く変わっていなかった。両親や手伝いの者達と暮らしていた時のままだ。今にも、私を呼ぶ声がしてきそうだった。 1つひとつ、ゆっくりと部屋を廻って行った。 ひとときの憩いを交わした居間。しばしば覗き見た客室。独特の古い紙の香りを放つ書庫。父と母の最期の部屋・・・・・ 私はしばらく黙祷(もくとう)し、そして前を見据えて2人の待つ所へ戻って行った。 先生は明日、私をエウノミアルに迎える正式な儀式があると言った。ここで行うそうだ。特に準備する物はないらしい。飲み物やお菓子の類は手伝いの者が用意してくれる。会場も適当でいい。私はただ先輩の指示に従い、行動すればいいだけだ。 その日は、明け方近くまで眠ることができなかった。
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奇妙な光景だった。 老人もいれば、働き盛りの体格の良い男もいるし、気の弱そうな者もいる。だがどこか皆、それぞれの強い個性を持っていて、独特の雰囲気を身に纏(まと)っていた。 他の島のエウノミアルが来ると聞いたとき、威厳のある怖い顔をした方ばかりだろうと思っていた。しかし、実際見てみると、そうでもないらしい。私は内心ほっとしていた。 「それでは皆さん、全員揃った事ですし、そろそろ始めましょうか」 先生が時を見計らって彼らに声を掛けた。 世間話をいていた者や、仏頂面で腕を組んでいた者達が腰を上げる。 「今日より私達の新しい同士をお迎えいたします。ディムロス、前へ」 先生の後ろに控えていた私は、一歩前へ出た。 「オーディ・ファルブルケ・リーズ=アライオス・エウノミアルに換わり、ディムロス・ファルブルケ・リーズ=アライオスがエウノミアルに就くことを公認いたします。異議のある方はいらっしゃいますか?」 声を上げる者も、身じろぎする者もいなかった。 「では、異議なしとみなします。今日はご足労いただきまして、ありがとうございました。もしよろしければ、皆様から助言を与えて差し上げてください。私は少々席を外させていただきます」 全く知らない人達の中に取り残される不安を覚えた私は、慌てて先生を振り仰いだ。先生は、大丈夫ですよと優しく、いつもの微笑を残して部屋から出て行ってしまった。 静かに閉められた扉を見ていると、突然頭を上から押さえられた。驚いて、半ば反射的にその手を払い身構えると、服の上からでも筋肉質な体格をしているとわかる、背の高い男がいた。 「いい反応だなぁ。だーいじょぶだ、そんなに怖がるなよ。俺はアレクサンダー・ラズロ。よろしくな」 「…どうも」 私はまた頭に掌置かれ、ぐしゃぐしゃと撫でられた。 「じ、自分はそそ、ソイルのハンコック・キブスです。今後とも、ど、どうぞよよ、よろしくお願いします…」 痩躯(そうく)の、まだ若い男は消え入るような声でおずおずと自己紹介した。 「えっと…こちらこそ、よろしくお願いいます」 「僕はミアルのアラン・ルイス。何か困ったことがあったら、何でも聞いてくれたまえ。できる限りのことはしてあげるよ」 頭のよさそうな、しかしどこか人を見下した所のあるキザな男が手を出した。 「それは…ありがとうございます」 私は、嫌だと思いながらも彼と握手をした。 「私はエーリー・ヴィントンと言います。レジンのエウノミアルをさせて頂いております。どうぞよろしく、ディムロスさん。これからとっても大変でしょうけど、頑張ってくださいね」 ぽっちゃりとした穏和そうな女の人は、私に目線を合わせるように、少し屈んだ。 「はい。ありがとうございます。――あの、一つお伺いしたいのですが、あちらの方は…?」 私は椅子に座ったまま動こうとしない、初老の男を示し、こっそりと聞いた。 「あの方はね、テンペレットのガンドック・ダールスさんよ。あんな怖い顔をしているけど、根は―――」 「エーリー・ヴィントン殿。余分なことは言わずとも良い」 低い、しわがれた声が彼女の言葉を遮った。 「あら、ごめんなさい。私ほら、おばさんですからついつい…」 ヴィントン夫人は笑みを作って、上品に笑った。そしてダールス氏はむっつりと口を閉ざす。 「それにしてもなー。まさかこんなちっこい坊ちゃんが選ばれるなんて、思ってなかったよなー。史上初なんじゃねーの?まあ、漁師の息子だった俺が選ばれたのも驚きだけどよ」 ラズロ氏はまた私の髪をぐしゃぐしゃにする。私は首を押し込められそうになったので、一度屈んで大きな掌から逃げ出した。彼は気を悪くした風もなく、逆にうれしそうに、素早いなと笑った。 それから、格島々のエウノミアルから助言をいただいた。 自分の勘に従えと言う者もいたし、町の人々の意見を聞くべきだと言う人もいた。始めはちゃんと聞き入れようとしたのだが、如何(いかん)せん、人それぞれで言うことが全く違うので、自分で最善だと思えるものを見つけた方がよさそうだった。 やがて先生が戻って来られ、そろそろ出ないと船に間に合わないと言った。もうそんな時間かと、皆が立ち上がる。私は打ち解けて話すことができてきたばかりだったので、少し寂しい思いを感じながら、門まで見送りに行った。 「本当に、わざわざ来て下さってありがとうございました」 私がお礼を言うと、ヴィントン夫人が屈んで、肩に手を置いた。 「初めはね、本当に大変ですから、何か困ったことがあったら遠慮なく言って下さいね?」 「じ、自分もでで、できるだけお手伝い…ししますから…」 「ありがとうございます」 「おうよ!どーんと俺たちの胸を借りちまえや。自分一人でできるようになるには、まだまだ時間がかかるからよ」 「時間が空いたら僕の華麗な仕事捌(さば)きを見に来ても良いからね」 「はあ、もし時間が空いたらお伺いさせていただきます」 「じゃあな!会えることなんて滅多にないだろうけど、とーっくの方で応援してるからなー!」 ガラガラと、薄く積もりだした雪に轍(わだち)を作りながら馬車が着いた。 ひとつ、またひとつと席が埋まっていく。彼の言う通り、全てのエウノミアルが一箇所に集まることはそうそうないだろう。 「―――小僧」 一番最後に馬車に足を掛けたダールス氏は、厳しく、そしてどこか悲しげな瞳で私を捉えた。 「お前の周りには、お前を支えてくれる大勢の人々がおる。お前もそれに答えることができるよう。…体に気を付けてな」 「はい」 この人は師匠と同じような、根の優しい人だと感じた。 白い息がふわりと漂う中、雪の上に土色の轍を残しながら馬車は去って行った。 「さあ、風邪を引きますよ。中に入って、暖かい飲み物でも飲んで、いろいろお話しましょう」 馬車が見えなくなると、先生は私の背中をそっと押し、家の中に促した。 「先生、先生はいつまでここに居て下さるのですか?」 「私も明日には帰りますよ。あまり家を空けてはいられませんからね」
先生は翌日、予定通りにウィズダムを発った。 私はもう小さくなってしまった船を、いつまでも見ていた。 やがて、新しくリーズ家に就いたウォルターと言う執事と共に、我が家へと戻っていった。
〜早いもので〜 このサイトを作ってから早2年。自分ももう××歳・・・。歳を感じる今日この頃です。よく2年も運営できたなと感心しますね。いやはや・・・。 ノストイも残るところ後2章!頑張れ自分! それではまた!ノシ
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