エウノミアルの息子として生を受けた彼は、ちょうど十歳の時に両親を失った。その後、彼はどこかへ姿を消し、ひょっこりと帰って来た時にはもう、すでに鎖骨の辺りに刻印が刻まれていた。わずか十二歳の少年がエウノミアルに選ばれたのだ。そして今、傑物(けつぶつ)として知られる彼の名は ―――ディムロス―――
私は当時エウノミアルだったリーズ家の長男としてそこにいた。 父はウィズダムの科学者で、母がエウノミアルだった。 エウノミアルとは、簡単に言えば“なんでも屋”だ。資金援助から災害対策への提案をまとめること、様々な仕事の許可に対しての合否、大きな賊の排除など。人々の危険を除する仕事と言ってもいい。 父は母の仕事を手伝う傍ら、よくいろんな物を作っていた。小指の爪ほどの小さな映写機や、耳にはめるだけで周りの音を全て遮断する物など、役に立つ物から首を傾けたくなるものまで様々だ。 二人とも優しい人だった。母は忙しいのにもかかわらずよく遊んでくれたし、今から思えば父は変わった人物だったが、私は彼のことをよく慕っていた。 私には人並みに友達がいて、よく遅くまで遊び、家に帰れば両親が暖かく迎えてくれた。 そんな日々がこれからもずっと、続くと思っていた。 そう、あの日までは……
その日はウィズダムの雪祭り(ヤリメーカシ)で皆うかれていた。朝から明け方まで飲めや歌えやの大騒ぎだ。そして、翌日は島中で昼間まで寝る。 当時十歳だった私も、その日だけは夜遅くまで起きていても怒られなかった。両親や友達と出町を歩き、露天を冷やかし、遊び疲れて家へと帰る。そして幸せな気分のまま、次の日を迎えるはずだった。
「―――ん?」 母に起こされた訳でもないのに目が覚めた。不思議に思って、何でだろうと考えようした時、何かいつもの家と違うような気がした。家の中がやけによそよそしい。急に不安を覚えて怖くてたまらなくなった私は寝床をそっと抜け出し、なだ下の階にいるだろうと踏んで両親の所へ行った。 部屋の外は暗かった。 必要最低限、足元の明かりは点けてあるものの、子供だった私は意味もなく息を潜めて壁に寄り添うように進んだ。 ―――ビーッ ビーッ ビーッ 「――!?」 私は叫びそうになって、慌てて口を押さえた。 (この音……父さんのけいほうそうち?) 父はリーズ家が代々受け継いできたこの家に、いろんな仕掛けを仕組んでいた。その一つがこれだ。門を通ってこなかったり、玄関以外の所からこの家に住んでいない者が侵入したりすると、自動的に警報が鳴るようになっている。 (これが鳴ったらなるべくだれにも見られないように、父さんか母さんの所に行けって言ってたっけ) 私はそれに従って、急いで両親を探した。 どこか遠くの方で窓の割れる音がした。少しずつ家全体が喧騒に包まれる。 「ディムロス」 小走りに壁際を進んでいた私を、そっと呼ぶ声がした。 「母さん!」 小声で叫び、走り寄る。母は古い書物が置かれた部屋にいた。 「一人で着たの?ごめんね。迎えに行こうとしたんだけど、お父さんがまだ来なくって」 母は私に怪我がないか調べると、優しく微笑んで頭を撫でてくれた。 父は家に住まわせていた手伝いの者を逃がしているのだろう。おそらく、母は自分がやると言い、父が反対したので強引に手分けをしてか…。 その頃の私にそこまでわかりはしなかったが、なんとなく不安を感じてはいたのだろうか。私は母の腕に体を預け、少しの間休んでいた。 ――ガチャッ 私は父と思い立ち上がろうとしたが、母がそれを止めた。扉の方を睨みながら、そっと家宝の長剣に手を添える。 扉を軋ませながら入って来た者は、逆光で顔は見えなかったが父ではなかった。男は中をざっと見回し、すぐに出て行った。どうやら気付かれずに済んだようだ。 だが、私がほっと息をついた途端、今度は音もなく同じ扉が開かれた。 「――オーディ、いるか?」 低い、聞きなれた声が母を呼んだ。
「下はもうだめだ。もうすぐ大勢来る」 父は私達を引き連れて、廊下を小走りにある部屋を目指していた。 後でわかった事なのでが、手伝いの者や雇っていた牢番人はどうやらほとんど殺されてしまっていたらしい。 「何者かしら」 「わからない。皆顔を隠していた。手際もいいし、かなり組織化されているな」 「…バタムラバ、かしら…」 「何それ?」 「バタムラバって言うのは――っ!」 母の顔が急に厳しいものに変わった。暗い廊下を振り返る。背後から複数の足音が迫ってきていた。 「急ごう」 父は私を抱きかかえて母と走り出した。景色がどんどん後方へ流れていく。 背後からは、叫び声や怒鳴り声が私達を追ってきていた。 「オーディ、先に行け」 しばらく走り、角を曲がった所で父がそう言った。 「え?」 「ディムロスと連れて先に行け。奴らは私が食い止める」 父は私を降ろすと、背を向けた。 「父さん?」 「ノイン、あなた何を言っているの?一人では無理よ」 母が必死に止めようとするが、頑として聞かなかった。 「早く行け。追い付かれるぞ」 「でも…」 「行け!君達を必要としている人は大勢いる。ここで捕まってしまったら意味がないだろう。…さあ、早く。後で私も行く」 父は微笑んで私の頭を撫でた。私はその腕を両手で掴むと、力いっぱい引いた。 「いやだ!父さんも行かなきゃだめだ!」 「母さんの言うことをよく聞くんだぞ」 だが、私は無理矢理母の腕に押しつけられた。 「ノイン…」 「行くんだ。早く」 「――――」 母は何かを呟くと、身を翻(ひるがえ)した。 「いやだ!父さん―――父さん!!」 必死に伸ばした小さな手は、決して届くことはなかった。
「いい?真っ直ぐ行くと下に降りる梯子があるから、そこを降りてね。後は迷路みたくなっているけど、あなたなら大丈夫よ。きっと正しい道を見つけられる」 私はある部屋の天井の穴から見下ろしながら、母の説明を聞いていた。ここは、今回のように出入り口を塞がれた場合の緊急脱出路。つまり抜け穴だ。 「母さんは?」 「お父さんを迎えに行って来るわ。後で必ず行くから、先に行ってて」 そして、これも持って行ってねと、母は家宝の長剣“ウェーア―ド”を私の手に押し付けた。 「いやだ」 「ディムロス、いい子だから、ね?お願い」 「いやだ!父さんや母さんを置いていくのがいい子なら、僕はいい子じゃなくていい!」 「ディムロス……ごめんね」 私は闇に閉ざされた。 「母さん!」 私は蓋を開けようと何度も試みた。だが、いくらやっても一向に開く気配はしなかった。 ふと、少し離れた所に、下から洩れる光があることに気が付いた。私はいそいそとそこへ移動した。 そこで、惨劇の一部始終を見ることとなった。
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オーディはディムロスをなんとか抜け穴に押し込めると、息子が無事生き延びられるよう、そっと胸の中で祈った。 しばらく上でがたがたとしていたが、声は決して洩れる事はなかった。 オーディは、侵入者達にこの部屋を調べられる前に立ち去ろうと踵を返した。と、 ――バンッ! 勢い良く目の前の扉が開かれた。 彼女は自分の失態に舌打ちした。急いでいた為、扉に錠を下ろす事を怠っていたのだ。 「おー、いたいた」 彼女にあらゆる武器を向ける男達の後ろから、まだ若い巨漢が現れた。男は、無精ひげを生やしており、右の頬に刺青があった。 この男だけが、顔を隠していなかった。態度からして、彼が賊の頭だとオーディは推測した。 「あんたがエウノミアルのオーディだな?一人だけ隠れて生き延びようなんざァ、いいご身分じゃねーか」 男は刃物のような灰色の目で彼女を睨んだ。 「あら、これから狩りに出ようと準備をしていた所なんだけど?」 「おお、これは失礼。んで?獲物はなんだってんだ?」 「バタムラバと言う凶暴なネズミよ」 彼女の目に、危険な炎が灯った。 「武器も持たずにか?」 男はニヤニヤと笑っていた。 彼の仲間達が少しずつ部屋の中に入ってくる。 だが、広いとはいえ、全員が入ることは出来ない。半数程が入り口を塞ぐ形になった。 「あなた達に武器は必要ないわ」 オーディは、この状況でも毅然としていた。単なる強がりでもない。下っ端相手なれば、それで充分だと確信しているのだ。 「へっ。俺達もやすく見られてもんだなァ。あんまし見くびってると、後でやべーことになるぜ?」 「どうかしら。――試してみる?」 「おもしれー。やってみろよ」 「では、お言葉に甘えて…」 言った瞬間、彼女の周りに突如として、幾本もの竜巻が起こった。それは辺り一面に鎌鼬現象を生じさせ、男達に牙を剥く。 遠い昔、アライオスとして旅をしていた頃から、リーズ家は優れた風使いと評されていた。その力は、代々受け継がれていた。 「へへへ・・・やるじゃねーか」 半数の仲間、つまり部屋にいた手下が痛みにうめく中、一人だけ爛々と双眸を光らせていた。 「――頭」 扉の後ろに控えていた手下が、刺青の男に指示を仰ぐ。 「おう」 頭と呼ばれた男は顎で合図した。すると、廊下で待機していた者達の中から―― 「――っノイン!」 彼女の夫が血を滴らせながら、乱暴にオーディの前に突き出された。 酷い有様だった。全身に無数の傷が走り、元は白かった上着が赤黒く染まっている。その上、彼の右腕は奇妙な方向に曲がっており、白い骨が突き出していた。荒く呼吸をするその青ざめた顔は、屈辱と悔恨に色取られていた。 「すまない…君だけでも――っ!!」 「やめて!!」 2つの叫びがディムロスの頭にガンガンと響いた。バタムラバの頭は、父の折れた腕を蹴ったのだ。 ディムロスの口の中で、鉄の味が広がった。 「おー、悪りー悪りー。つい、な?」 頭は下卑た失笑を浮かべ、手下に目線を配る。彼らも同じような笑いを返した。 「彼を、開放しなさい」 オーディは飛び出していきたい衝動を抑え、震える声で命令した。 「いいぜ。ただし、交換条件だ。――宝の在りか、教えな」 「…リーズ家の財産なら、もうあなた達の手の中にあるはずよ?もうこれ以上はないわ」 オーディは男を睨みつけながら言う。だが、それはすぐに否定された。 「あれだけじゃねーんだろ?知ってんだぜ、お前がすっげー名刀持ってるってことはよ。俺様はなァ、欲張りだから全てを手に入れたいんだ。富、名誉、金(ルーブル)、女、力。そして、それに合った最っ高の武器だ。さあ、こいつの命が惜しかったら、在りかを言いな」 彼の言っている剣とは、ディムロスが胸に抱えているウェーア―ドのことだ。これは昔、祖先のキリト・リーズが火の神から頂いたとされているワグナー・ケイがはめ込まれている。これだけは、このような悪党に渡すわけにはいかなかった。 オーディは夫を一瞥し、自分にも聞こえない程の小さな声で“ごめんなさい”と呟くと、意を決したようにキッと男を見据えた。 「ここにはないわ」 「場所は?」 「私が、あなた達なんかに教えるとでも?」 「へっ。だってよ、ダンナさんよ。残念だったなァ。お前この女に命売られたぜ?」 男は手にしている剣をギラつかせながらノインを見下ろした。その灰色の双眸が、深い緑の瞳とぶつかる。 「オーディは、彼女は正しい事を、した。…あれだけは、お前達のような者の手に、入れてはならない。私の命でそれを阻止できるのならば――安いものだ!!」 「なっ!?」 男は珍しく驚愕した。よもや重傷の彼が動けるとは思っていなかったのだ。 ノインは最後の力を振り絞り、隠し持っていた小刀で、男を狙った。 「っ!このやろう!」 ――ドシュッ ノインは、刺青のある頬を深く切り裂かれた男に胸を貫かれ、その場に膝を付いた。 たまらずオーディが駆け寄り、彼の体をそっと抱く。 2人に言葉はなかった。 ただ、涙を流すオーディに誇らしげな笑顔を見せ、ふとディムロスのいる天井へ目をはせた。 ノインは長くゆっくりと息をつくと、そのまま、動かなくなった。 「・・・・・・・・」 そんな彼らを男は無表情に見下ろしていた。そして、おもむろに手下から長剣をひったくると、勢い良く振り下ろし、オーディの心臓を貫いた。
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私は何もできず、惨劇を見ていることしかできなかった。 ただただ恐ろしく、歯の根が合わないほど震えていた。 父と母を殺した者の顔は良く見えなかった。その右頬にある刺青がチラッと見えただけだ。私はそれを一生忘れまいと誓った。 しばらくすると、バタムラバの一味は頭と呼ばれた男の合図で、今私が持っているウェーアードを探しに出て行った。 私はそこを動かなかった。いや、動けなかった。 当時はまだ、死と言うものを――言葉としては知っていても、意味するところを理解していなかったので、両親が今にも起き上がって“もう大丈夫だよ”と笑いかけてくれるのだと思っていた。 当然のことながら私の期待は見事に裏切られ、二人は2度と動く事はなかった。
明け方近く、ようやく喧騒を聞きつけた町の人々が牢番人を連れて来た。だが、時既に遅く、バタムラバは全員逃げ出した後だった。 町の人達がこの部屋を見つけ、しばらく黙祷した後、両親の遺体をそっと持ち上げた。と、 ―――いきなさい――― 母と、父の声が聞こえた気がした。 ―――風の導くままに…いきなさい・・・いとしい風よ・・・――― 「・・・・・・・」 私は彼らを見送り、ゆっくりと踵を返した。
〜つづく〜
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