【カルマの坂】
ある時代のある場所。乱れた世の片隅。 昔こそは栄えた綺麗な町だったが、 今は隣の町との戦争が始まって、醜い町と変化した。
「こら!待て!オレの食い物だぞ!!!」 少年は男から奪ったパンを抱き締めたまま、後ろから追っかけてくる男を見向きもせずに前へと走り続けている。 それを見て止める人なんていない。これがこの町で起こる日常茶飯事の事なのだから。
少年は何処に行くかもわからないままひたすら走り続けている。 少年が帰る場所なんてない。 ただ、生きるには食べ物が必要なのだ。 数メートル走ると、もう男は追ってこなかった。諦めたのか、ただ単に走り疲れただけなのか。 でも今の少年にはそんな事を考える余裕さえなかった。
空腹が襲う。早速盗んできたパンを、汚く濁った川にかかっている、橋の下で食べた。 こっそりと、誰にも見つからないように。 誰かに見つかると折角盗んできたこのパンを取り合いしなければいけなくなる。 もし相手が大人だったらその場で持って行かれてしまう。 そんな体力を使う事をしたくはない。
ふと川を見ると、川の水に少し赤みがかかっている。 その近くには人が何人か浮いていた。きっと誰かに殺されたに違いない。 でも今はそんな事なんてどうでもよかった。もう少年は何とも思えなくなっていた。 そんな事、この町ではごく普通の風景なのだから。
パンを食べ終えて一息ついていると、橋の上に銃を構えた人が見えた。 逃げなければ。殺される。ここは戦場? そんな事少年にはわからない。誰が敵で、誰が味方か。誰もそんな事わかりやしない。 ただ逃げなければ、殺される。その言葉しか頭になかった。
少年はいつの間にかボロボロになっている素足を引きずって走った。 昔は母に買ってもらったお気に入りの靴を履いていたのに。今は誰もが素足で、足の裏は真っ黒。血も滲んでいた。 でもそんな事は気にしない。気にしたってどうしようもないのだから。 ただ逃げるだけ。行き先もわからないまま。
清らかな少年の心は穢れもせず罪を重ね続ける。 天国でも地獄でもいい。ここよりマシならどこへでも喜んで行ってやろう。 でも死ぬ覚悟がない。僕は生きたいんだ。心の奥底でそう願ってるんだ。
人は皆平等などと何処の誰が言ったのだろう?そいつに一言、言ってやりたい。 「きれい事だろ?」
盗みをはたらいて逃げる途中、すれ違う子供たちの行列の中の美しい少女に目を奪われた。 少年と同じくらいの年であっただろう。 でもちゃんと食が取れていないだからだろうか、体はやせ細っていて、腕なんか折れそうなほど弱弱しく、顔は青ざめていて同じ年とは思えなかった。 それでも目はキリリと見えない何処か見つめていて、その少女が美しいという事を物語っていた。 少女はきっと遠い町から売られてきたのだろう。 俯いている少女の瞳にはうっすらと涙が。 親に捨てられたのだろうか、それとも有無を言えずだったのだろうか。 その少女の涙は何が悲しいのか。そのときの少年にはわからなかった。
少女をつけていくと、この町の端っこにある金持ちの家にあたった。 少女は少しこの家に入るのをためらった。 すると金持ちの家の奴が少女の顔を殴り、少女の今にも折れそうな細い腕を引っ張って、強引に家の中に連れ込んだ。 その金持ちの家を少年は見届けた後、叫びながら ただ走った。 何故か心の底から熱いものが込み上げてくる。それは心から瞳へ。 こういう事は何回も見た事があるはずなのに。走りながら何処までも遠くへ行きたかった。
清らかな少女の身体にあの金持ちの穢れた手が触れているのか。 少年に力はなく、少女に思想は与えられず。 ただ少年は 見ている だけだった。 何も出来ない、そんな自分に腹が立って仕方なかった。 神様がもしいるとすれば、何故僕らだけ愛してくれないのだろうか。 神様を信じたいわけじゃない。運命というものを信じたいわけじゃない。 もし、神様や運命というものがあるとすれば、 何故僕たちを不幸という筋書きに乗せたのだろうか。
陽が暮れるのを待って、剣を盗んだ。 盗み方なんていつものようにやればいいから簡単だった。 重たい剣を引きずり、少年は一人カルマの坂を登る。
良く考えればもっと良い案はあったはずだ。 でも少年はそれ以外の事を考えられなかった。 少年は一つ深呼吸と間を置き、怒りと憎しみを切っ先をはらった。 血で濡らし辿り着いた少女は、何処にそんな気力があるのだろうか。 壊された魂で微笑んだ。
最後の一振りを少女に。
少年は瞬きを一回もしなかった。少女はその間、ずっと微笑んでいた。 殺った少年さえも恐いと思うぐらいに。
少年は泣く事も忘れてた。ただ空腹を思い出してた。 痛みなら少年もありのまま痛すぎるくらいに感じている。
―お話はここで終わり。 ある時代のある場所の物語―
〈終〉
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