【月飼い】
君と出逢ったのは…もう5年ほど前になるのかな。
「昭ちゃん、あたし月を飼いたいな」
そう言い、君はいきなり真夜中にリビングに置いてあった、からっぽの水槽を持ち出した。 少しの水を入れてから、月明かりのよくあたる窓辺に水槽を置いた。 いとも簡単に捕獲された小ぶりな月が輝きをませず水面に浮かぶ。
「…それ、どうするの?」 「ここにずーっとおいておくの。月も一人じゃ寂しいでしょう?」
僕は君がどれだけ本気だったのかわからなかったけれど「そっか」と言い、君の隣に座った。 君は飽きもせずに、触れもせずに、水槽の月を眺めていたね。 そのときの君の横顔に僕は妙にヤキモチ焼いたんよ。知らなかったでしょ? だってあんまりにも君が月を眺めているから。
東から漕ぎ出した舟は、優しい夜風を受けながら。 西へ行く遙かな時間を、僕のたゆたう想いを乗せて。
「ねぇ、昭ちゃん。この月寂しがりやなの。あたしのかわりに大事にしてあげて」
そう告げ、わしと月を残し誰にも別れを言わずに君は何処へ。 君は僕の事なんてどうでも良かったんだ。 そのときはそう思っていた。だって、僕の事より月の方を大事そうに言うのだから。 でも今思えば、君も僕に劣らず恥ずかしがりやだったんだよね。 本当はこの言葉は僕にじゃなく、月に言っていたんよね。今だったら何となくだけど、わかるよ。
月と僕がふたりきり。 朝陽が僕らを照らし出したら、もう僕ひとりきりで。 君とならば行けると思っていた運命という名の暗雲の先。
「あたし朝が嫌い。だって嘘も、痛みも、何もかも、さらけ出さなきゃいけないじゃない。 …夜は、嘘も痛みも全部全部。綺麗に隠して忘れられるでしょう…?」
そう言い払った君の言葉の先には、君の悲しみの全てが感じとれた。
月を僕に託した夜、君はいつにも増して笑っていた。 君はもしかしてもう月を捕まえたときには、自分がどうなるか悟っていたの? だから寂しがりやの僕に月を託したの? ねぇ、答えて…
僕は月明かりのよくあたる窓から、水槽の水を外に捨てた。 月を空に還した。 刻(とき)はもしかして君が死んだときのまま、止まったままだったのだろうか。 5年もの年月が、早送りする。
東から漕ぎ出した舟は、優しい夜風を受けながら。 西へ行く遙かな時間を、僕のたゆたう想いを乗せて。
恋人よ、最後の恋人。 僕の想いを乗せたその舟にちゃんと乗れた? 恋人よ、そのうち僕も向かうよ。
君を困らせない程度に、歩くスピードでゆっくりと。
〈終〉
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