■ トップページ  ■ 目次  ■ 一覧 

月飼い 作者:水野 美晴

最終回   月飼い


【月飼い】







君と出逢ったのは…もう5年ほど前になるのかな。


「昭ちゃん、あたし月を飼いたいな」


そう言い、君はいきなり真夜中にリビングに置いてあった、からっぽの水槽を持ち出した。
少しの水を入れてから、月明かりのよくあたる窓辺に水槽を置いた。
いとも簡単に捕獲された小ぶりな月が輝きをませず水面に浮かぶ。


「…それ、どうするの?」
「ここにずーっとおいておくの。月も一人じゃ寂しいでしょう?」

僕は君がどれだけ本気だったのかわからなかったけれど「そっか」と言い、君の隣に座った。
君は飽きもせずに、触れもせずに、水槽の月を眺めていたね。
そのときの君の横顔に僕は妙にヤキモチ焼いたんよ。知らなかったでしょ?
だってあんまりにも君が月を眺めているから。



東から漕ぎ出した舟は、優しい夜風を受けながら。
西へ行く遙かな時間を、僕のたゆたう想いを乗せて。



「ねぇ、昭ちゃん。この月寂しがりやなの。あたしのかわりに大事にしてあげて」

そう告げ、わしと月を残し誰にも別れを言わずに君は何処へ。
君は僕の事なんてどうでも良かったんだ。
そのときはそう思っていた。だって、僕の事より月の方を大事そうに言うのだから。
でも今思えば、君も僕に劣らず恥ずかしがりやだったんだよね。
本当はこの言葉は僕にじゃなく、月に言っていたんよね。今だったら何となくだけど、わかるよ。



月と僕がふたりきり。
朝陽が僕らを照らし出したら、もう僕ひとりきりで。
君とならば行けると思っていた運命という名の暗雲の先。



「あたし朝が嫌い。だって嘘も、痛みも、何もかも、さらけ出さなきゃいけないじゃない。
…夜は、嘘も痛みも全部全部。綺麗に隠して忘れられるでしょう…?」

そう言い払った君の言葉の先には、君の悲しみの全てが感じとれた。





月を僕に託した夜、君はいつにも増して笑っていた。
君はもしかしてもう月を捕まえたときには、自分がどうなるか悟っていたの?
だから寂しがりやの僕に月を託したの?
ねぇ、答えて…





僕は月明かりのよくあたる窓から、水槽の水を外に捨てた。
月を空に還した。 
刻(とき)はもしかして君が死んだときのまま、止まったままだったのだろうか。
5年もの年月が、早送りする。





東から漕ぎ出した舟は、優しい夜風を受けながら。
西へ行く遙かな時間を、僕のたゆたう想いを乗せて。





恋人よ、最後の恋人。
僕の想いを乗せたその舟にちゃんと乗れた?
恋人よ、そのうち僕も向かうよ。

君を困らせない程度に、歩くスピードでゆっくりと。











〈終〉


■ 目次

Novel Editor by BS CGI Rental
Novel Collections