「佐野夕夜の大馬鹿ヤローーー!!」 ここが誰もいない山奥やだだっ広い原っぱだったら、私は間違いなくそう叫んでいた。 だけどここは京都の小旅館。 そんなことができるはずもなく、私はトイレの個室で一人声を堪えて泣いていた。 部屋に戻らなかったのは、なんとなく紀子とは顔を会わせずらかったから。 もしかしたら紀子は、廉が私のことを好きだということに気づいていたのかもしれない。 でも今はそんなことを考えている余裕はなくて、ただ佐野の言葉だけが私の涙を促した。 鈍感男、無神経男、大馬鹿男!! 心の中でそう叫び続けた私は、もう辛いという感情を通り越して佐野を憎らしく思った。 私の気持ちに気付きもしないであんなこと言って。 廉の気持ちを悟る前に私の気持ちには気付かなかったの!? 私は自分の膝を思い切り叩いた。 私のさっきの行動を、佐野はどう思っただろう・・。 あれでもいいかげん気付いてないなら、佐野は本当の大馬鹿野郎だ。 それでも・・・。 ・・・・それでもやっぱり、佐野は私の好きな人。 こんなに悲しいのも、胸が痛むのも・・・、全部私が佐野を好きだという証明だから・・・。
それからようやく涙を止めて部屋に戻ると、紀子は泣き疲れたように机につっぷして眠ってしまっていた。 次の日の朝、いつもと同じように笑顔で私に「おはよう」と言った紀子を見て、私は余計に切なくなった。 廉も同じように、私に会った時はいつもと変わらない態度だった。 紀子は、さすがに廉のことをさけていたようだったけど・・・。 佐野とは何回か目があったけど、私はすぐに逸らしてしまい、結局帰りは最後まで一言も話せなかった。 昨日なぐったことを謝ろうかとも思ったけど、どうしても昨日の佐野の言葉が思い出されて私はそうすることができなかった。 最後の思い出作りの旅行のはずだったのに・・、こんなことになっちゃうなんて・・・。 そんな状態で、私たちは冬休みを迎えてしまった。
廉からの電話を受けたのは、それから一週間後のことだった。 廉に呼び出されて、私はすぐ近くの土手の上に行った。 午後四時半。 冬の今はこの時間帯でもあたりは夕焼け空の色を反射している。 その光に照らされた廉の姿は、ものすごくきれいだった。 「おす。」 私に気付いて廉が振り返った。 あの旅行から、こうして二人きりで顔を合わせて話すのは初めてだ。 「いきなり呼び出して悪かったな。」 私はうつむいたまま首を横に振った。 「・・・佐野が、何か変なこと言ったんだって?」 廉が少し声を低くして言った。 あの時の佐野の言葉がよみがえる。 私の心臓が、握りつぶされたように痛んだ。 「ホントあいつって呆れるくらい鈍感だな。ゆきと同じ。」 「え?」 思わず聞き返した私に、廉は小さく笑った。 「あ・・・。」 私ははっとして、口を抑えた。 私だって・・、廉の気持ちになんて全く気付いてなかったのに。 佐野のこと言える立場じゃないじゃない。 今あらためて実感した。 「冗談だよ。」 私の様子に廉が目を細めて笑った。 「ゆきは、佐野に告白しないの?」 廉がふいに言った。 「・・・私、どうしたらいいのか分からない・・。」 正直な気持ちだった。 「佐野に告白しても・・、結果は分かってるし・・。だからってこのまま卒業したら・・・。」 「俺は、ゆきに自分の気持ちを告げたことを後悔してないよ。」 私の言葉をさえぎるように廉がはっきりと言った。 「たとえ結果は分かっててもさ。自分が好きな相手に好きだって言えて、俺はそれだけでもう十分。」 「・・・廉。」 「でもそれは俺の考えだから、ゆきはちゃんと自分のすきなようにするべきだよ。自分が一番納得できる方を選んだらいい。」 廉の言葉が、私の心の奥にまで届く。 私のしたいように・・・。 廉にそう言われて、心が軽くなった気がした。 「・・・ありがとう。廉。」 私は廉の顔を見上げて言った。 本当は、ずっと前からどうするべきかは判っていたような気がする。 ただ、前に踏み出す勇気がもてなかっただけで。 廉の言葉で私やっと、そのことを自覚できた。 私のその表情に、廉は優らかな微笑みを返した。 「最後に、お願いしていい?」 「え?」 廉が私の方に体勢を整えた。 「俺のこと、ちゃんと振ってくれる?」 廉の顔が、黄昏色に染まる。 私は自分勝手さに腹が立った。 廉は私に気持ちを告げてくれたのに、私何もそれに返してなかったんだ。 「・・・あたし・・。」 今までの廉の優しさが、鮮明に私の頭に浮かぶ。 思い返してみれば、どうしてこの人を好きにならなかったのか不思議なくらい・・・。 本当に心からそう思うのに・・・。 だけど私が好きになったのは・・・。 「ご・・、ごめんなさい・・。」 その声は息のように掠れた。 廉は一瞬切なそうな顔をした。 だけど、それを私に気付かせないようにすぐに笑顔に変えて・・・。 「ありがと。これでやっとけじめがつけられる。」
そうして、ついに迎えた卒業式。 何度も予行で練習したことなのに、それでもやっぱり本番はみんなの様子が違っている。 胸には卒業の証に白い花。 いつもは見慣れているみんなの顔が、やけに立派に見えた。 一人一人呼ばれていく名前。 最後の時に一歩一歩近づいていくかのように。 そうして振り返る、この三年間。 きっとここにいる生徒みんなが、それぞれの高校生活を思い出していると思う。 目をつぶれば、今でも鮮やかに浮かぶその時その時の場面。 辛いことや悲しいこともたくさんあったのに、今になれば全部が、宝物のようにキラキラと光る。 ずっと前から、この時のことを想像していたのに・・。 なのにやっぱり、涙が出て。 終わりを告げる合唱は、涙のせいでうまく歌えなかった。
最後のホームルームが終わり、私たちの学校生活は本当に終わりを告げた。 それぞれが、最後のときを確かめ合う。 昇降口から校門につながる道は人が溢れ、私はその中に佐野の姿を探した。 『・・・いた。』 こんなにも大勢の人の中、佐野の姿だけは容易に見つけられる。 「・・・さ・・」 「ゆき!」 私が佐野に声をかけようとしたその瞬間、佐野が私の名前の声を呼んだ。 「・・・。」 私はそのことに驚いて、一人放心してしまった。 走りよって、私の前に立った佐野。 久しぶりにこんなに近くで見る、佐野の顔。 「・・・俺、やっぱりこんな状態のまま卒業したくない。」 佐野が真剣な顔で言った。 「俺が・、お前と廉のことに口をはさんだのは悪かったと思ってる。でも俺・・、お前も廉も大切な友達だと思ってるから・・、だから幸せになってほしいと思って・・。」 やっぱり・・、佐野ってばまだ私の気持ちに気付いてなかったんだ。 でも、もうそんなこといいよ。 私がほんのちょっとの勇気をだせば、伝えられたことなんだから・・・。 「・・・私、佐野のことが好き・・・。」 佐野の目を見て、はっきりと言えた。 佐野は突然の告白に、驚きを隠せないようだった。 だけどしばらく考え込んだようにし、それで納得をしたようだった。 「1年のときから・・、ずっと好きだったの・・。」 今まで押し殺してきた自分の気持ちを、やっと伝えられた。 私は絶対に泣かないと決めていたのに、やっぱり堪えることができなくなった。 「・・ありがと。」 佐野が小さく言った。 「ゆきに好きっていわれたのが今までで一番うれしい。ありがとう。」 佐野は照れたように笑った。 眩しく感じるくらい、大好きだった佐野の笑顔。 どんな答えでも、私自分の気持ちを告げたことを後悔しないよ。 「でも・・、ごめん。」 「・・・・。」 「俺にとって、ゆきは大切な友達だから・・。だから俺は・・。」 涙が、落ちた。 私のではなく、佐野の涙。 私の目の前で、佐野が泣いている。 それはものすごく、きれいに見えて。 「俺は・・、お前の気持ちには答えられない・・。」 「うん・・。」 精一杯の気持ちで答えてくれてありがとう。 それだけでもう十分。 この三年間、佐野を好きだったことを誇りに思える。 だから最後に、あなたに伝えたい言葉。 「ありがとう・・、佐野。」 あの時廉が、私に「ありがとう」と言った気持ちが、今初めて分かった。 こんなに人を好きなれてよかった。 佐野を、好きになれてよかった・・・。 私はいつかまた、誰かに恋をするだろうけど、だけどきっと、佐野に恋をして、佐野を想っていたこの時間は、いつまでも決して忘れない。 心の奥の一番大切な場所に、大事に大事にしまっておくよ。 だから今、何よりも“永遠”を信じられる。
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