「うそっ!美羽、片瀬君とつきあうことになったの!?」 私の言葉を聞いたとたん、沙希は目を丸くしてそう言った。 「そういう・・、ことになるのかな・・?あれは・・・。」 お互い、付き合うなんて言葉は一言も口にしなかったけど、凛の気持ちに私が答えたことになるんだもんね・・・。 「そっ・・かぁ。そうなったか・・。」 沙希は呟くように言って、遠くを見た。 「うん・・・?」 「でもさ、美羽はそれでいいの?だって美羽はずっと幼なじみのあの人がすきだったんでしょ?」 沙希はしっかりとした眼差しで私を見た。 「・・・確かに、まだ愁ちゃんのことは全然忘れられないよ。これからも、たぶん・・・そうだと思う。だけどね、・・・昨日、凛に答えた気持ちに嘘はないんだ。私は凛を無碍にはできない・・。だから、これでよかったんだと思う。」 「そっか・・。そういうのもあるよね。まぁあたしは美羽が幸せならそれでいいんだけどね。」 「沙希・・・。」 沙希が目を細くして笑った。 「沙希大好き。」 私はふいに言った。 「なぁに。急に!?」 沙希は笑いながらも少し照れた表情を見せた。 大好きな友達が自分の幸せを願ってくれる。 私はもうそれだけで十分幸せだよ。 みんながみんな幸せになれたなら、どんなにいいだろうね。
「あ・・・。」 そのとき、耳に響いたピアノの音。 前に授業中にも聞こえた曲だ。 「ね、だれが弾いてるのかなぁ?第二音楽室って授業じゃ使ってない教室だもんね。」 沙希は窓から遠くに見える音楽室を覗き込むようなしぐさをした。 「うん・・・。誰なんだろう・・・。」 その悲しげな旋律に、私はすいこまれるような錯覚を覚えた。 お願い、こんな悲しい音で弾かないで。 心に、波がたってしまう・・・。
「ね、最近さ。第二音楽室からピアノの音聞こえない?」 帰り道、そう凛に話す私の口からは息が白く凍って現れる。 空は雪を散らしたように白い。 「んー?俺聞いたことないけど。第二音楽室ってほとんど使われてなくない?第一じゃなくて?」 「でも私の教室から第一音楽室離れてるもん。防音効いてるからそこまで聞こえないよ。」 「そっか。」 「それだけぇ?」 興味なさげに答える凛の腕をトンとたたいた。 その腕を凛は軽く引き寄せた。 「あ・・・。」 その横を車が勢いよく走りぬける。 「・・・・。」 いつもと変わらない凛の優しさが、なぜだか心にしみた。 「じゃ、俺ちょっと本屋よってくから。」 「うん、また明日ね。」 手を振って別れるのも、昨日までと何の変化もない。 だけど、違う。 凛の気持ち答える、って・・・決めたんだもんね。
空はいつのまにか茜色に変化して、私はその中をゆっくりと歩いた。 気温は寒いのに、なぜだかその空気の中に包まれていたいような不思議な気分。 「美羽ちゃん。」 後ろから私を呼ぶ優しげな声。 「――愁ちゃんのお母さん。」 「こんにちは。今帰り?」 そう言いながら微笑む愁ちゃんのお母さんは本当にかわいらしい。 愁ちゃんの端整な顔とはまた違った、綺麗な顔をしている。 「お買い物ですか?」 「えぇ、散歩がてらにね。九年でこのあたりも変わったものだから、驚いちゃって。」 歩き出す私たちの影が夕日に照らされて黒く浮かび上がる。 冬の透き通った空気が鼻を通った。 「あら、ピアノ。」 愁ちゃんのお母さんがふと言った。 近くの家から聞こえる小さな音。 まだつたない、少女が弾いている様子が想像できるようなかわいらしい音だった。 「――愁ちゃん、まだピアノがんばってますか?」 「え?」 「あ、昔からすごく上手だったから・・・。」 「――えぇ、そうね。」 愁ちゃんのお母さんは微笑んで小さくつぶやいた。 でもその微笑には翳りが見えたような気がした。 「・・・愁、むこうでもずっとピアノ続けていてね、高校二年のときにモスクワの音楽コンクールに出場がきまったのよ。」 「え!!すごいっ・・・。」 音楽に全然くわしくない私でも知っている。 愁ちゃん、そんなにすごい人になってたんだ。 ほんとにほんとにすごいこと。 それなのに――。 私の知らない時間の愁ちゃんを知って、うれしくなる一方、一人おいていかれたような寂しさをかんじるのは何でだろう・・・。 「でもね、コンクールの一ヶ月前に・・・、あの子交通事故にあって・・・。」 「・・・・・・。」 「ピアノ、弾けなくなっちゃったのよ。指、痛めちゃって・・・。」 「え・・・・?」 ――ウソ・・・。 「私はあの子が無事でいてくれただけでも嬉しかったんだけど、・・・愁はそれまで本当にピアノだけだったから、どんなにショックだったか・・・。事故の後からそれまでの愁とは少し変わったようだし・・。それでも私たちには心配かけまいとしているんだけど。」 愁ちゃんのお母さんは今どんな顔をしてる? きっとものすごくつらそうな顔。 だけどどうして・・・。 目の前が、見えない。 愁ちゃんが――――。
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