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恋霞み 作者:今井明菜

第6回   夢まぼろし
「うそっ!美羽、片瀬君とつきあうことになったの!?」
私の言葉を聞いたとたん、沙希は目を丸くしてそう言った。
「そういう・・、ことになるのかな・・?あれは・・・。」
お互い、付き合うなんて言葉は一言も口にしなかったけど、凛の気持ちに私が答えたことになるんだもんね・・・。
「そっ・・かぁ。そうなったか・・。」
沙希は呟くように言って、遠くを見た。
「うん・・・?」
「でもさ、美羽はそれでいいの?だって美羽はずっと幼なじみのあの人がすきだったんでしょ?」
沙希はしっかりとした眼差しで私を見た。
「・・・確かに、まだ愁ちゃんのことは全然忘れられないよ。これからも、たぶん・・・そうだと思う。だけどね、・・・昨日、凛に答えた気持ちに嘘はないんだ。私は凛を無碍にはできない・・。だから、これでよかったんだと思う。」
「そっか・・。そういうのもあるよね。まぁあたしは美羽が幸せならそれでいいんだけどね。」
「沙希・・・。」
沙希が目を細くして笑った。
「沙希大好き。」
私はふいに言った。
「なぁに。急に!?」
沙希は笑いながらも少し照れた表情を見せた。
大好きな友達が自分の幸せを願ってくれる。
私はもうそれだけで十分幸せだよ。
みんながみんな幸せになれたなら、どんなにいいだろうね。


「あ・・・。」
そのとき、耳に響いたピアノの音。
前に授業中にも聞こえた曲だ。
「ね、だれが弾いてるのかなぁ?第二音楽室って授業じゃ使ってない教室だもんね。」
沙希は窓から遠くに見える音楽室を覗き込むようなしぐさをした。
「うん・・・。誰なんだろう・・・。」
その悲しげな旋律に、私はすいこまれるような錯覚を覚えた。
お願い、こんな悲しい音で弾かないで。
心に、波がたってしまう・・・。


「ね、最近さ。第二音楽室からピアノの音聞こえない?」
帰り道、そう凛に話す私の口からは息が白く凍って現れる。
空は雪を散らしたように白い。
「んー?俺聞いたことないけど。第二音楽室ってほとんど使われてなくない?第一じゃなくて?」
「でも私の教室から第一音楽室離れてるもん。防音効いてるからそこまで聞こえないよ。」
「そっか。」
「それだけぇ?」
興味なさげに答える凛の腕をトンとたたいた。
その腕を凛は軽く引き寄せた。
「あ・・・。」
その横を車が勢いよく走りぬける。
「・・・・。」
いつもと変わらない凛の優しさが、なぜだか心にしみた。
「じゃ、俺ちょっと本屋よってくから。」
「うん、また明日ね。」
手を振って別れるのも、昨日までと何の変化もない。
だけど、違う。
凛の気持ち答える、って・・・決めたんだもんね。


空はいつのまにか茜色に変化して、私はその中をゆっくりと歩いた。
気温は寒いのに、なぜだかその空気の中に包まれていたいような不思議な気分。
「美羽ちゃん。」
後ろから私を呼ぶ優しげな声。
「――愁ちゃんのお母さん。」
「こんにちは。今帰り?」
そう言いながら微笑む愁ちゃんのお母さんは本当にかわいらしい。
愁ちゃんの端整な顔とはまた違った、綺麗な顔をしている。
「お買い物ですか?」
「えぇ、散歩がてらにね。九年でこのあたりも変わったものだから、驚いちゃって。」
歩き出す私たちの影が夕日に照らされて黒く浮かび上がる。
冬の透き通った空気が鼻を通った。
「あら、ピアノ。」
愁ちゃんのお母さんがふと言った。
近くの家から聞こえる小さな音。
まだつたない、少女が弾いている様子が想像できるようなかわいらしい音だった。
「――愁ちゃん、まだピアノがんばってますか?」
「え?」
「あ、昔からすごく上手だったから・・・。」
「――えぇ、そうね。」
愁ちゃんのお母さんは微笑んで小さくつぶやいた。
でもその微笑には翳りが見えたような気がした。
「・・・愁、むこうでもずっとピアノ続けていてね、高校二年のときにモスクワの音楽コンクールに出場がきまったのよ。」
「え!!すごいっ・・・。」
音楽に全然くわしくない私でも知っている。
愁ちゃん、そんなにすごい人になってたんだ。
ほんとにほんとにすごいこと。
それなのに――。
私の知らない時間の愁ちゃんを知って、うれしくなる一方、一人おいていかれたような寂しさをかんじるのは何でだろう・・・。
「でもね、コンクールの一ヶ月前に・・・、あの子交通事故にあって・・・。」
「・・・・・・。」
「ピアノ、弾けなくなっちゃったのよ。指、痛めちゃって・・・。」
「え・・・・?」
――ウソ・・・。
「私はあの子が無事でいてくれただけでも嬉しかったんだけど、・・・愁はそれまで本当にピアノだけだったから、どんなにショックだったか・・・。事故の後からそれまでの愁とは少し変わったようだし・・。それでも私たちには心配かけまいとしているんだけど。」
愁ちゃんのお母さんは今どんな顔をしてる?
きっとものすごくつらそうな顔。
だけどどうして・・・。
目の前が、見えない。
愁ちゃんが――――。

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Novel Editor