愁ちゃんは本当にピアノが上手だった。 私が悲しくて泣いていると、いつも陽気な曲で慰めてくれて。 今でもピアノを弾いているのかな・・・。
「あ、何だろ、この曲。だれかが弾いてるのかな。」 四限の授業中、どこからかかすかなピアノの旋律が鳴り響いた。 静かで、どこか悲しいそんな曲。 『愁ちゃんも、ピアノ上手だったな・・。』 私はふとそんなことを思い出した。 愁ちゃんは小さいころから近所のピアノ教室に通っていて、そこでもずば抜けた才能を見せて、先生たちからも期待されていた。 転校先の小学校は音大付属の学校って聞いたけど、今はあのころよりももっと上手になっているんだろうな。 ピアノの音は第二音楽室から聞こえてくるようだった。 私の窓際の席からはその教室が見える。 だけどピアノの前に座る人の姿までは見えなかった。 『・・・愁、ちゃん?』 一瞬思った。 だけどきっと違う。 愁ちゃんはもっと明るく、楽しげな曲をひくのが好きだった。 このピアノの曲はまるで、今にも泣き出しそうな音をしてる・・。 だから・・・。
「ただいまー・・。」 私が家についたのは四時ちょっと前くらいだった。 いつもは友達と話したりしてもっと遅くなるけど、今日はそんな気分にはなれなかった。 「お母さん、ただいま・・」 そういいながらリビングのドアを開けたとき、お客さんがきていたことに気付く。 「あ、ごめんなさ・・」 そういおうとした私の言葉をその人はさえぎった。 「美羽ちゃん!?まぁ、大きくなって・・・。すっかり美人になってみちがえちゃうわ!」 「・・・。」 その人の顔には見覚えがあった。 私の最後の記憶のころよりかは年を経ているけど、それでもすごくきれいな女の人。 「愁ちゃんのお母さん!?」 私はおもわず大きな声をあげた。 「お久しぶりです!おばさん。おばさんもこっちにもどってきたんですね。」 「えぇ!あ、愁に会った?あの子、美羽ちゃんと同じ高校に入学したのよ。」 「あ、はい・・。会いました、けど・・。」 「あら、美羽。お帰り。」 お母さんが台所のほうから顔をだした。 どうやらお茶を変えに行ってたみたいだ。 「お母さん、お母さんは知ってたの?愁ちゃん家がこっちにもどってくる事・・。」 お母さんと愁ちゃんのお母さん、それから愁ちゃんのお父さんも同じ大学の同級生だった。 お互い結婚した後も仲良くて、だから私は愁ちゃんと幼なじみという関係になることができた。 愁ちゃん家が引っ越す前まですっごく仲良かったけど、それ以来連絡をとってる様子はなかったのに・・。 「いいえ、麻里華がこっちに戻ってきてから急に連絡が来たのよ。だから今日久しぶりに会うことになって。」 「そうだったんだ・・。でもびっくりしました。愁ちゃんがいきなり目の前に現れるんだもの。」 明るく話そうとしたのに、私の声は無意識に沈んでしまっていた。 「えぇ、急に主人の転勤で戻ることになってね。前と同じ家に住んでるのよ。ねぇ、愁とは何か話した?」 「あ、いえ・・。愁ちゃん、なんだかすごい大人になってて・・・、もう私なんか仲良くできない感じで・・。」 「まぁ、そんなことないわよ。あのこったらきっと照れてるんだわ。美羽ちゃんがあんまりきれいになっちゃったから。ね、どうか昔みたいになかよくしてやってね?」 「・・はい。」 私はおもわずうなずいた。 笑顔がひきつってしまって、もうここから離れたかった。
「愁ちゃんのお母さん、あいかわらずきれいだったな。」 私はぼーっとしながら夕暮れで赤く染まる町を歩いていた。 空には大きな雲が流れてく。 あの場にいたら涙がでてきそうで、思わずうそをついて家をでてきた。 『そういえば、こっち愁ちゃんの家がある方だ・・・。』 私はそのことに気付いて引き返そうとしたけど、足はおもわずそっちのほうにむいてしまっていた。 愁ちゃんの家は大きくてきれいな家で、引っ越す時も壊さずに他人に貸したりしていたらしい。 愁ちゃんの家に知らない人が住んでいるのがいやで、わざと家の前を歩かないようにしてたっけ。 「あ・・・。」 私は愁ちゃんの家の前より少し手前で足を止めた。 「愁ちゃん・・・。」 愁ちゃんが玄関の前に立っていた。 それから・・。 すごくきれいな女の人。 愁ちゃんと同じくらいの年の。 「あら。」 私の声に女の人がふりむいた。 正面から見ると、もっときれい。 夕日に照らされてきらきら光って見えた。 「愁の知り合いの子?」 そう愁ちゃんに聞くと、愁ちゃん少しだけ私のほうをみて、小さな声で返事をした。 「こんにちは。」 その人はにこにこと笑いながら私に挨拶してくれた。 「あ、こんにちは・・。」 声、裏返った・・・。 愁ちゃん。 この女の人、誰? この綺麗な人、愁ちゃんの何? そんなことが頭のなかをまわって、心臓の音が耳に響いた。 私はおもわず愁ちゃんの顔を見た。 愁ちゃんは私の聞きたいことが分かったのか。 一言こう言った。 「俺の、彼女。」 「・・・・。」 足もとが、崩れていく感じがした。 愁ちゃんがその人をつれて歩き出したのを、呆然とながめているだけだった。 愁ちゃんの「彼女」が、さよなら、と言っていたのが、すごく遠くに聞こえた。 もう、何も考えられない。
「愁、さっきのどういうこと?私とやり直してくれるの?」 「お前とはこっちに来る前にきっぱり別れただろ。わざわざこられても迷惑だ。」 愁はそう冷たく言い捨てた。 「・・ねぇ、さっきの子でしょ?愁がずっと思ってた幼なじみって。」 「・・・。」 「あいかわらず何考えてんのかわかんないやつ。自分が好きな子にあんなこと言って何になるのよ。」 「・・・もう帰れよ。」 「言われなくても帰るわよ!もうしつこく追ってきたりしないから安心して。」 そう言って駅の方角に早足で歩いていった。 愁はそのまま立ちすくみ、沈んでいく夕日を一人眺めていた。 『自分の好きな子にあんなこと言って何になるのよ。』 その言葉が思い出されて。 「・・・しらねぇよ・・。」 そう、小さくつぶやいた。
「愁ちゃん、彼女いたんだ・・。」 そりゃあそうだよね・・。 学校の女の子たちが騒いじゃうくらいかっこいいし、それに・・・私以外の子には昔みたいに優しいのかもしれないし・・・。 でも・・・。 「やっぱり・・悲しいよ・・っ。愁ちゃっ・・・!」 私は子供みたいに声を出して泣いた。 でも、こんな風に泣いても愁ちゃんは来てくれない。 ピアノをひいてもくれない。 愁ちゃんはもう、私が大好きだった愁ちゃんじゃないんだ・・・。 だから・・、 もう愁ちゃんの思い出とは、・・・さよなら・・・。 さよならしなきゃいけないんだ・・・。
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