日曜日の午後三時。 その電話は届いた。 あのとき鳴り響いた冷たい音を、私は今でも忘れられない。
「・・・・う・・・、そ・・・・。」 暗く冷たいその部屋の中は、信じたくもないその事実を、私にしっかりと確認させた。 私の目の前に横たわるのは・・・・、本当に愁ちゃんなのか。 突然の電話は、愁ちゃんの死を知らすものだった。 愁ちゃんが病院に運ばれたのは三時半をすぎた頃だった。 成田に到着した愁ちゃんは、しばらく外を歩いてた。 日本を離れる愁ちゃんは、この時何を考えていたのか。 その愁ちゃんの前を横切った一人の少女。 旅行に行く前だったのか、はしゃいでいたその女の子は、両親の元を一人はなれた。 そのまま、車の通る道路に飛び出して・・・。 轟音とともに、宙に浮いたその体は、・・・・女の子ではなく、愁ちゃんの・・・。 寸前でつきとばした女の子は何メートルか先に転がった。 そうして、愁ちゃんは・・・・。 今、私の目の前で冷たくなっている・・・・。 その姿を見て泣き崩れたお母さんを見て、お母さんは・・・、本当に愁ちゃんのお母さんなのだと、この時初めて実感した。 どうしてか・・・、私の目からは涙が出なかった。 これまでのことで泣き枯らしてしまったかのように、涙が出てこない。 自分でも、一体何を考えているのか分からないほど、ただ頭の中が真っ暗になって。 感情が・・・・、止まってしまった。
愁ちゃんのお葬式が行われたのは、愁ちゃんの死の翌日だった。 空にのびた高い煙突は、一体どこに続いているんだろう。 高く、高く昇っていくあの白い煙が・・・、愁ちゃんだっていうの? 「あれ・・・・、美羽は?」 何も言わないまま葬列者の中を離れた私に気付いたのは凛だった。 「美羽!」 一人ぼんやりと歩く私を見受けた凛は、あわてたように駆けよってきた。 「美羽?へいき、・・か?」 お葬式の間でも、涙すらみせなかった私を、凛は余計に心配した。 「・・・・平気だよ。自分でも不思議なくらい・・・・。どうして涙がでてこないのか・・・・。」 「・・・・。」 「・・・・また会える・・・って、言ったのにね・・・。」 凛に言っても分からないことなのに、どうしてか言葉が勝手に出てくる。 感情が、あふれだす。 無意識に閉じ込めていた感情を・・・・、もう、抑えられない。 「・・・・ほんとなの?」 「美羽?」 「愁ちゃん・・・、本当に・・・・!?」 「美羽!」 「愁ちゃんどうして!こんなに悲しい思いをしてるのに!!なんで!?愁ちゃんはどうして来てくれないの!?」 そんなことを、凛に向かって口走った。 愁ちゃんの死が、現実になる。 「・・・・いやだ・・・。いやだよ・・・!愁ちゃんが死んだなんて・・・・、いやだ!!」 「・・・・・!!」 凛の腕が私を抱きしめた。 私の感情を抑えるように、力強い腕で。 凛の前だと、私はいつもこうして感情を表してしまう。 私は時間の感覚もないまま、凛の腕の中で泣き続けた。 その腕の中で、私の脳裏に浮かんだのは、愁ちゃんの顔。 再会してからの短い間、愁ちゃんの笑った顔を見たのなんてほんの何回かのことなのに。 なのにどうして・・・。 私の中の愁ちゃんは、こんなにも穏やかに微笑んでいる。 お願い。 どうかその微笑を消さないで・・・。 いつか、あなたとの約束をかなえられる時が来たら・・・、きっとその微笑を思い出すから。
いつか・・・、きっと・・・・。
「愁ちゃん・・・。久しぶりだね。」 愁ちゃんは今、この冷たい石の下に眠っている。 25歳になった私がここを訪れるのは、九年ぶりだった。 納骨をしてから、私は今まで愁ちゃんのお墓を訪れたことはなかった。 それは愁ちゃんを思い出すのがつらかったからじゃない。 愁ちゃんを無理に忘れようとしていたからではない。 愁ちゃんとの、最後の約束。 『穏やかな心でお互いを見ることができたなら、その時再び会おう。』 九年たって、やっと約束を守れそうだよ。 「愁ちゃん。私ね・・・、結婚するんだ。」 愁ちゃんの墓石に向かってそう言った。 「見て。婚約指輪。不思議でしょ?愁ちゃんが知ってる私は子供のころと、高校生のときのことだけだもんね。」 私は左手をかざすようなしぐさをした。 薬指にはめられた銀の指輪が、日に反射して光る。 「美羽。」 私の名前を呼ぶ声。 振り向いたそこにたつのは、私と同じ九年分の年を経た凛の姿。 昔から変わらない笑顔がそこにあった。 だけど、昔と大きく違うことが一つ。 この九年間、いつも変わらずに私のそばにいてくれた凛を思う気持ちが、いつのまにか変化して。 あの頃愁ちゃんを思っていた気持ちを・・・、今は凛に感じてる。 私、今確かに凛を愛してる。
「・・・・・また、すぐに会いに来るね。」 私はそう呟いて、立ち上がった。 凛のほうをふりむくと、凛は小さく頭を下げている。 「・・・・いこっか。」 その瞬間、私の背中に暖かな光が満ちたような気がした。 私はなぜか、その光が示すものを理解できた。 愁ちゃんが・・・、私を祝福してくれてるんだね。 「・・・・ありがとう。お兄ちゃん。」 心から、そう言えた。
私はそのとき確かに、九年前に見たあの微笑を見たような気がした。
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