「美羽。」 私を呼ぶ声の主に、教室中の視線が集まった。 目を引く容貌の彼に、昼休みの騒がしい教室は一瞬で静まり返る。 「・・・愁ちゃんっ。」
女の子たちのまとわりつくような視線を背に教室をでた私は、愁ちゃんと共に屋上に立っている。 誰かと話があるにつけて、屋上ばかりにきていることをふと思った。 「愁ちゃん?どうしたの、急に。」 昨日の夜のことが思い出されて、私の胸はつい高鳴ってしまう。 「手紙のこと、おばさんには?」 話したのか、と愁ちゃんは聞いたのだろう。 「・・・話してない。昨日、顔あわさないで寝ちゃったから・・・。」 お母さんが同窓会から帰ってきて、私の部屋を訪れたのに私は寝たふりをした。 もしあの時お母さんと何か話していたら、私は何を言ったか分からない。 「昨日、家に帰ってから・・・探してみたんだ。」 「・・・。」 「・・・あった。お前の手紙。」 愁ちゃんが低く言った。 「・・・え?」 「引越しの時のダンボールに入ったまま、物置部屋においてあったよ。」 私の・・・手紙が・・・? それって、愁ちゃんのお母さんたちが隠していたってこと・・・? だって愁ちゃんのお母さんは、私に愁ちゃんと仲良くしてって・・・、そう、言ったのに・・・。 「どう・・・して・・・。」 私の声は震えた。 どうしてか、足の震えも止まらない。 「・・・・聞こう。二人に。」 私がなぜだか言い出せなかったことを、愁ちゃんが言った。 お母さん、達に・・・。 そうだよ。 それが一番いい。 お母さんたちに聞かなきゃどうしてそんなことをしたかなんていつまでも分からない。 でも・・・。 このいいようのない不安は・・・、一体何なんだろう・・・。
「愁、くん・・・・!どうしたの?急に・・・。」 突然、家を訪れた愁ちゃんに、お母さんは驚いているようだった。 愁ちゃんと会うのはお母さんも九年ぶりだろう。 だけどこの時のお母さんの様子は、久しぶりに会う親友の息子に会ったという驚きとは、また違っているような気がした。 「いきなりだから驚いちゃったわ。それにしても愁くん、すっかり立派になって。」 お母さんはいつもの様子に戻り、愁ちゃんの姿を見つめながら言った。 「今日は・・・・どうしたの?」 そう尋ねたお母さんの瞳がすこし不安げに見えたのは、私の気のせいだったのか。 「おばさんに、聞きたいことがあってきたんです。俺の、母さんでもよかったんですが。」 愁ちゃんが大人びた口調で答えた。 やっぱり愁ちゃんは私よりもずっと大人だ。 私なんてさっきからお母さんの顔も見ることができないでいるのに。 「・・・・聞きたい、こと?」 その一瞬、空気が張り詰めたように感じた。 顔を上げて見ると、お母さんの表情がこわばっている。 「・・・何かしら・・?あ・・、コーヒーでもいれるわね。」 あきらかにお母さんの様子はいつもとは違う。 なんとなく、お母さんもすでに気付いていたのか。 「手紙のこと・・・!」 その場を立ったお母さんに、私は思わず叫んだ。 「・・・・。」 お母さんの背中が、動きを止めた。 「・・・愁ちゃんが、私に書いた手紙・・・。どうして隠してたの・・・?」 「・・・美羽。」 小さく声を発したまま、お母さんの足は力なく崩れ、その場にしゃがみこんだ。 「お母さん。」 思わず私はお母さんのそばに駆け寄った。 肩が小さく震えていることにも、その時気がついた。 「・・・大丈夫よ。大丈夫・・。」 そういうとお母さんは体勢を起こし、電話を手に取った。 「お母さん?」 「麻里華も・・・呼んだほうがいいわね。」 「・・・・・。」 「あなたたち二人に・・、話、しなくちゃ。」
それからしばらくして、家のチャイムが鳴った。 部屋に入ってきた愁ちゃんのお母さんは急いできたのか、息が荒い。 顔色が少し青ざめて見える。 私と愁ちゃんの姿を見とめると、お母さんと二人顔を見合わせた。 「昨日、物置部屋で見つけた。美羽からの手紙。そのことを今日聞くために来たんだ。」 愁ちゃんの低い声がよく通る。 お母さんたちは深く息を吸い、静かに座り込んだ。 「・・・・・麻里華が引っ越していく時に、二人で約束していたことなの・・・。あなたたちの手紙を・・・、お互いの手に渡らせないようにしようって・・・。」 話をはじめたのはお母さんだった。 「どうして・・・、そんなこと・・・・?」 「始まりは・・・・、いつだったかしら・・・。」 そうしてお母さんは、その答えを求めて、時をさかのぼり始めた。 「お母さんにはね、お父さんと出会う前に直樹っていう恋人がいたの。同じ大学で、私と直樹、麻里華と麻里華の今の旦那さんである徹。四人いつも一緒だったわ・・・。大学を卒業してもその関係はかわらなくて、ずっと幸せは続くんだと信じて疑わなかった。だけど・・・。」 お母さんの瞳が翳る。 私の知らないその時代が、今、お母さんの目には移っているんだ。 「23の時、直樹は事故で亡くなったの・・・。」 「・・・・・。」 「それからしばらくだったわ・・・。私が・・・、妊娠していることに気付いたのは・・・・。その子はまぎれもなく直樹の子だった。そのことを知った時、私は絶望の中に光が差し込んだように思えたの。直樹は死んでしまったけど、その分身ともいえる子が自分の体内に宿っていると知ったんだもの。産もうと思ったことに迷いはなかったわ。・・・・だけど、不幸・・・って続くのね・・。お腹の子が九ヶ月に入った時に・・・、私の肺に悪性の腫瘍が見つかったの・・・。どうして私だけが・・・って狂ったように泣き続けたわ。それでもお腹の子供のことを考えてなんとか立ち直ることができた。それからまもなくよ。早産で子供が生まれたのは・・・。元気な・・・・、男の子。」 「おと・・・この子?」 お母さんが産んだって・・・一体どういうこと・・・・。 私には男の兄弟なんていない。 そんなこと、いままで聞いたこともなかった。 じゃあその子は? その子はどこにいるの? 混乱する私をお母さんは見つめて、切なそうに顔をしかめた。 やめて・・・。 私は何を想像してるの? 考えたくないことが、頭をよぎる・・・。 続くお母さんの言葉を聞いてしまったら、すべてが終わってしまう気がした。 「それでもその時私の癌は治っていなくて、完治の見込みはまだついていなかった・・。莫大な入院費と手術費で、先の見えない病気の中、子供のことを考えた結果・・・、人に預けることにしたの。・・・・養子として。その子供を引き取った相手が・・・、麻里華と、徹よ。」 「・・・・・・っ。」 「私はね・・・、生まれつきホロモンの問題で子供が生まれない体質だったの。徹もそのことは理解してくれていて子供のことはあきらめていたんだけど・・・・、やっぱりさびしかったのね。子供連れの家族を見たりすると胸が痛んだわ・・・。」 愁ちゃんのお母さんが口を開いた。 ちょっと・・・、ちょっと待ってよ・・・。 一体何の話をしているの? 愁ちゃんは黙ったままで聞いている。 愁ちゃん。 愁ちゃんも私と同じことを・・、考えてるの・・・・? 「今のお父さんとであったのはその時なの。その病院で働いていたお父さんはね、病気の私に本当によくしてくれて、お父さんがいたからお母さんはがんばれたんだと思う・・・。私が退院したのは子供が生まれてから一年後のことだったわ。それからしばらくして・・・・、お父さんにプロポーズされたの。直樹のことはもちろん忘れていなかったけど・・、その時の私にとってお父さんは誰よりも大切な人になっていたわ。そうしてお父さんと結婚して・・・、麻里華たちに預けた子供を引きととることも考えたんだけど、麻里華たちは本当に幸せそうに暮らしていたし、子供のためにもそのままでいることが一番だと思ったの。それから一年後に、美羽が生まれたの。」 「・・・・・。」 「そして麻里華に託した子供が・・・・・。」 「・・・・・愁、あなたよ。」 愁ちゃんの大きな背中が、小さく揺れた。 時が・・・、止まったように思えた。 誰か、嘘だといって。 こんなの、・・・夢だって言って・・・・! だって・・・、 だってそれは、つまり・・・・。 「だから・・・、あなたたち二人は兄弟なのよ・・・・。」 「・・・・・・。」
時は、動かない。 そのまま私は・・・、暗闇に落ちていった・・・・。
|
|