「やだよー、あたし愁ちゃんと離れたくないー・・・」 小さな女の子が泣いている。 あぁ、あれはあたしだ・・・。 七歳の時、二つ年上で幼なじみの梨木愁ちゃんが引っ越してしまうことを聞いて、いつまでも泣いていたっけ。 子供ながらに、あぁあたしはなんてかわいそうな子なんだろうって思ったのを覚えてる。 優しくて大好きで、それからすごくピアノが上手だった愁ちゃん。 泣きじゃくるあたしを宥めながら、絶対手紙を書くよといってくれた。 だけど、それから何度も彼に手紙を書いたけど、愁ちゃんからの手紙が届くことはなかった。
「夢・・・。」 頭の上で目覚まし時計の音を聞きながら目が覚めた。 カーテンの中からやわらかな光がさしこむ。 一見春の日差しのように穏やかだけど、気温はたしかに12月、冬のさむさを表している。 私は瞼をこすりながら、ゆっくりと体を起こした。 愁ちゃんと別れてから、9年。 私は十六歳になっていた。 「お母さん、おはよう。」 階下におりて台所にたつお母さんに声をかけた。 お父さんは内科医師として病院で勤めているため朝が早い。 私が起きる時間まで家にいることは、ほとんどないといっていいくらいだった。 「おはよう、美羽。めずらしく早いわね。いつもはめざまし時計だけじゃ絶対におきないのに。」 「夢みたから目がさめちゃったんだもん。」 私は椅子に腰掛けお母さんが入れてくれたコーヒーを口に運んだ。 ひんやりとした空気の中、やわらかな湯気が香った。 「ねぇ。お母さん?」 「なあに」 「愁ちゃんから…、どうして手紙が来ないのかな。」 お母さんのもつ包丁の音がとまった。 「どうしたのよ?急に。最近は愁君のことなんて口にしなかったのに。」 「夢に見たから。久しぶりに思い出しちゃった。」 久しぶりなんて嘘だった。 あんなに小さいころに別れて以来なのに私は愁ちゃんのことを忘れたことなんてなかった。 「愁君はあんたよりに二歳も年上だし男の子だもの。引っ越してあっちでの生活がはじまったら手紙なんて書いてる暇はきっとなかったのよ。」 「…そんなもんなのかな。」 私はため息交じりにそう答えた。 そのため息が目に白く映ったのを、私はぼーっと見つめていた。 「ほら、早くご飯食べて。凛君が迎えに来ちゃうわよ。」 片瀬凛は私のもう一人の幼なじみだ。 高校が同じになった今でも仲良くて、一緒に学校に行っている。 凛と愁ちゃん。 同じように仲良かった二人だけど、二人に対する気持ちはなんでか違う。 凛は昔から今もずっと、仲のいい大好きな男友達。 どっちも、同じくらい大好きなんだけど・・・。 今ここに実体がないからなのか、愁ちゃんのことを思うといつも胸が痛くなって。 言葉に表せないような、そんな気持ちなんだ。
「凛、おはよっ。」 玄関の扉をあけると門の前にいつものように凛がたっている。 「珍しい!美羽が時間通りに出てくるなんて!傘もってくるんだったかな。」 「もう、いちいちそうなんだから。」 昔からちっとも変わらない笑顔で凛は笑った。 「そういや今日転校生くるんだって。昨日職員室で聞いたんだ。」 「へぇ?うちの編入試験って難しいのに。めずらしいね。こんな時期に。何年生?」 「さぁ、そこまでは聞いてないよ。」 「なんだ、違う学年とかだったらまったく関係ないじゃない。」 「ま、そうか。」 その話はそこで終わってしまい、あたしもそのことを気に留めることはなかった。
「ねぇ、美羽!見た!?今日転校してきた転校生!三年生なんだけどすっごくかっこいいの!」 クラスに入ったとたん、女の子たちが興奮して声をかけてきた。 朝、凛が言っていた転校生は三年生だったんだ。 「もうあたしわざわざ三年生の教室にまでみにいっちゃったぁ!」 「へぇ、そんなに?」 私はあまり興味なさげに答えた。 「もう、そりゃ片瀬君っていうかっこいい彼氏がいる美羽には関係ないだろうけどさ!」 「え?ねぇ、何回も言ってるけど別に凛は…。」 全部聞く前に他の子たちと転校生の話をはじめてしまった。 クラスの子たちには私と凛が恋人同士だと思ってる人も少なくない。 幼なじみでも高校まで一緒に来るのは変だとみんなが言うけど、私はそれが不思議だった。 「しょうがないよ。美羽たちって本当に仲いいもん。」 「沙希。」 中学からの親友の根本沙希が私の前の席に腰をかけた。 長い黒髪がさらさらと揺れる、きれいな女の子。 「ね、それよりさ。みんなが騒いでる三年生。私も朝偶然見たんだけどさ、あれは騒がれるのも無理ないよ。すっごいかっこよかったもん。」 沙希は昔から男の人の理想が高い子だから、そんな風に言うことはめったになかった。 「へぇ、そんな人なら一回見てみたいな。」 「美羽の自慢の幼なじみの愁君とどっちがかっこいいかな?」 沙希はそんな冗談をいって笑った。
「美羽―、彼氏がお迎えにきてるよー。」 帰りのホームルームが終わり廊下側にいた女の子が私をそう呼んだ。 その後ろには凛がたっている。 いい加減女の子が言った言葉を否定する気もなくして、そのまま廊下にでた。 「ね、朝言ってた転校生。すごい人気みたいだよ。三年生だって。」 「あぁ、クラスで女子が騒いでたな。」 「そんなかっこいい人ならみてみたいよねぇ。」 「男の俺に同意を求められてもなぁ。」 私たちが昇降口をでてすぐに、女の子たちの騒ぐ声が聞こえた。 前にはその子たちが集団をつくっている。 その奥に人影が見えた。 「あ、ねぇ。その転校生じゃない?こっから見えないけど。」 そして少しだけ人ごみが割れ、その向こうに立つ人の背が私の目にうつりだされた。 「あ、少し見え…。」 私の呼吸が一瞬止まったような気がした。 「・・・・・。」 すっとのびた高いシルエット。 風になびくさらさらの髪。 整った目鼻立ち。 でも私が目をうばわれた理由はそんなことじゃない。 どうして分かってしまうのか。 あの日別れてからこんなにも月日がたっているのに。 だけど・・・。 「愁ちゃん!!」 わたしの目の前に立つその人はまちがいなく、ずっと会いたかった大好きな愁ちゃんだった。
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