作品名:芸妓お嬢
作者:真北
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9−1

あたりは、真っ暗で人通りもなくなっている。
湯屋も店じまいの時間になっていた。
大工職人たちも、一日中、診療所を作るのに、大忙しで棟梁の留蔵も、
隠居のみながら、手伝ってクタクタだった。
「さー、旅籠にでも行って、半玉さんたちを呼んで、パーッとやりますか」
などと、職人の一人が言う。
「まだまだ、先だそんなこたぁー。まだ、診療所もできあがっていねぇーし、
いろいろと、やることがあんだからよ」
「留さん、半玉さんを呼んでまでは、しなくてもいいが、一杯くらいは、振舞いたいな」
数馬がそういうと、留蔵はニヤつきながら言う。
「数馬さん。お香さんは、ずっと、お持ちかねなんじゃないのかい。
恋焦がれて、遠い道のりをやってきたんだ。
それなのに、もう、二晩もお預けしているんだから、今晩は、そろそろ」
「止めてくださいよ。留さん……」
酒にも弱いが、女性にも頭の上がらない、数馬だった。
もう、顔から火がでるのではないかと思うほど、真っ赤になってしまっている。
そこへ、大工の一人が駆け込んできた。
「てーへんだ。てーへんだ。棟梁! 数馬様! お香さんが、いねーんだ」
「なに!」
長屋の扉はひらっきっぱなし、木戸の所に木戸番が、倒れこんでいた。
「お香が、連れ去られた。こんな、夜更けに、なんて奴らだ」
「どっちに、いったか見当もつかねー」
木戸番が、意識を取り戻し、ひたすら頭を下げていた。
そこへ、女郎の女房が数馬の前に出てきて言う。
「数馬様。安心してください。お香さんの居所は、見当がついています」
留蔵と、数馬で助け出した女郎の一人が、大工の女房となっていた。
その女房が、言うにはこうだ。
一緒に助け出された、女郎たちは、今回助けられた事で、白木屋門前町の皆さんが、
侍たちに脅かされている事を知って、みんなで、不審な侍が門前町に現れるのではないかと、
交代で見張っていた。
そして、お香が誘拐された後を、しっかりと、付けて隠れ家を見つけ出していると言うのだ。
「数馬さん、人には親切にしておくもんだな。
こんなところで、恩返しされるとは思ってもいなかった」
そう、留蔵は女郎の女房に礼をいい頭を下げた。
「数馬様。あたいら助け出された三十四人の女郎たちは、一生かけて恩返しするつもりでいます。
信州から東海にかけて、あたいらの子孫も数馬様の枕に足を向けて寝るものは一人もいません。
命をかけてお仕えいたします」
「ありがとう。そんな風に思っていてくれたんだな。かたじけない。
お前たちの気持ち、しかと受け取っておく」
数馬は、村正を取り腰にさし、女郎の女房の案内で、連れ去られた、お香の元にむかうのだった。
その頃、裏鴎門流たちは、柱に縛り付けてたお香の口にかました手ぬぐいを外し、
お香の顔を持ち上げ憎憎しげに言う。
「なぜ、一ノ瀬などに、うつつを抜かす。兄の清四郎の仇ではないか。
目を覚まされよ。奴を討ち取り、このわしと祝言をし、裏鴎門流を復興すべきぞ!」
「清四郎は、わたしの兄上です。兄上はわたしに公の試合では命を懸けて臨むもの、
万が一、自分が死ぬことがあっても、恨むではないと、何度もいいました。
わたしは、試合を見ていませんでしたが、兄上の最後は聞きました。
二人とも一歩も引かず、痺れを切らせた、兄上が先に仕掛け、
裏鴎流奥義眠り剣で、兄上は最後を遂げたと」
門下は沈黙が続いていた。

9−2

それは、二人の公開試合。
振り下ろされる清四郎の木刀の力は、返した数馬の裏鴎剣により、ひるがえされ、
清四郎の眉間を突いていた。
数馬が死んでいれば、何もかもが丸く収まっていたのだと、一門の者は思うのだ。
一ノ瀬の家柄は、貧しく、下級武士であり、功績も無い家柄である。
そんな一ノ瀬がお香と心を通じあっている事に、清四郎も悩んでいたと言うのだ。
「お香。一ノ瀬を討ち取り、お家を復興させましょう」
「嫌です! 私は数馬様を小さな時から、ずっと慕っていました。みんなも分かっていたでしょう」
「だから、よけいに奴が、憎いのではありませんか!」
数馬は、女郎の女房に連れられ、古い荒れ寺に案内されてきた。
数馬は女房を帰るようにと一人で、一門のいる寺に乗り込んでいった。
「平八郎、一ノ瀬が……」
「なに、よくかぎつけてきた。お前等、酒は用意してあるか」
「もちろんです。奴から出向いてくるなんざ、手間がはぶけたって言うもんですよ」
裏鴎門流らは、卑怯にも竹筒の先に小さな穴を開け、棒の先に布を巻きつけた水鉄砲に酒を入れ、
数馬に浴びせるつもりだ。
「そんな、剣じゃ敵わないからって、数馬様はお酒が口に入った瞬間に気絶してしまう」
「そうさ。奴の弱点は、酒と女。剣など、なんの役にもたたぬわ」
「卑怯者! もし、あなたが数馬様を殺したら、わたしも一緒に死にます」
「そんな事をされたら、お家復興はできぬぞ。武本の家がこのまま断絶していていいと言うのか」
「家のことなど、どうでもいい! 女は男の道具ではありません」
「黙らせろ!」
お香の口に手ぬぐいをかませられ、門下のものは入り口にひっそりと隠れ、
数馬がお堂の中に入ってくるのを、待ち伏せしているのだ。
酒の入った水鉄砲を小脇に抱え、今か今かと待っている。
人影が入り口に近付いてきた時、近江平八郎が合図した。
「今だ! 酒をぶっかけろ!」
全員で、いっせいに酒の入った水鉄砲で人影の顔めがけ酒を浴びせた。
だが、いっこうに人影は倒れるようすはない。
「うめー。こいつは、うめー! どこかけてんだい。おいらの口はここだぜ」
ガブガブと掛けられる酒を飲むこの男。なんと、棟梁の留蔵だ。
「なんで、きさまが!」
「お前たちの、悪巧みはみんな聞かせてもらったぜ」
そこに、現れたのは、公儀隠密の服部半蔵であった。
「俺の仕事は、与力候補の一ノ瀬数馬が、与力に相応しい男かどうかを、
身辺調査するの隠密の命を受け、お前たちのことも、あらっていたんだ」
「なんでだ。公儀隠密まで一ノ瀬の味方なのか!」
「公儀隠密だけでは、ございませんぬ。わたしたちも、数馬様にお仕えしております」
と、現れたのは尼たちだ。
お香の縛られている縄をほどき、尼たちは門下に詰め寄っていく、
「この荒れ寺は、わたしたちの尼寺でありんす」
江戸に残った尼になった女朗たちの寺だったのだ。
「なんて、奴なんだ。平八郎。一ノ瀬は、こんなに味方の多い人間だったのか?」
門下が、表に出るとそこには、一ノ瀬数馬の他に、大勢の助っ人がいた。
江戸に残っていた女郎たち、やぶ医者が数十人。
白木屋門前町の住人や職人。芸妓置屋の半玉さんやら、姐さんも、来ていた。
そこへ、豪勢な篭が到着した。
篭が開かれると、現れたのは、代理藩主の光政だ。
佐々木六角も一緒にやってきた。
「裏鴎門流たちよ。江戸でこのようなことをしでかし、上様に知られたら、
どんな、処罰を受けるかわかっているのか! 将軍様のお膝元での狼藉
ただではすまされぬぞ!」
藩主光政のお出ましで、全員ひれ伏した。
近江平八郎は、往生際悪く申し出た。
「お言葉では、ございますが、この一ノ瀬数馬は、
年期の空けぬ女郎三十四人の逃亡を手助けし、
江戸から逃がしたのでございます。これは、獄門の罪ではございませぬか?」
「なんだと……」
光政は、一ノ瀬を見た。
そこにやってきていた女郎たちは、顔を伏せ、
尼たちも手を合わせ、光政の次の言葉をまっていた。
近江平八郎は、ニヤリと勝ち誇ったように一ノ瀬を見る。

9−3

藩主光政は、にっこりと笑いうなずいた。
「よくやったぞ。一ノ瀬数馬! 女郎の命といえ、
良くぞ大火から救い出した。あっぱれよ。
人間、他人に善を尽くせば、必ずわが身と帰ってくる。
一ノ瀬が、我が藩で、孤立していたのは、この者たちの悪しき噂を、
真に受け、真実を知ろうとしなかったためだ。そうだな。佐々木六角」
「はっ、その通りでござる。公式試合の一件も、この度の吉原大火の一件も、
みな数馬殿は、よくやりました。見る者は、ちゃっと、見ているのでござるよ」
「そうだな。公儀隠密の服部半蔵」
「ふふふ、そうですとも、この一ノ瀬数馬殿は、
まことに誠実潔白な人間です。自分の欲はまったく、ありません。
与力候補としては大合格でござる」
「お待ちください。女郎を逃がした罪はどうしたんだ?」
「そんな、罪は無い。女郎置屋の証文も雇い主も全員、
大火の犠牲となりこの世から無くなっておる。一ノ瀬数馬に、なに一つの罪もない」
「そ、そんなこと……」
「おいおい、聞いたかよ。晴れて、自由の身だぜ、お前たち」
と、喜ぶのは留蔵だ。
裏鴎門流はみな、藩士たちによって連行されていった
この場にいない、ただ一人、珠姫様だけが、藩邸でむくれていた。
「なんで、あたしだけのけ者にされているの!」
そう、呟いていた。
吉原大火の一件で、一ノ瀬数馬は旗本となり、将軍様の御目見えに預かることになった。
池田屋敷にも、舞台が新築されていた。
一ノ瀬数馬もお香とともに、与力としての要職に付く事となった。
そして、新年になった。
池田屋敷の舞台も出来上がり、初舞台の時がやってきた。
新年早々から、大変な賑わいとなっている池田屋敷だ。
代理藩主の光政が、気さくな性格なだけではなく、実に名君主なのだ。
舞台の客として、一ノ瀬数馬もお香の姿もあった。
江戸に残った、女郎たちまで招待されていたのには、お珠でなくてもビックリしている。
もと、女郎とは言え美人揃いである。
芸妓の姐さんや半玉さん、長屋の職人もおかみさんたちも、池田屋敷に招待されていた。
なにはともあれ、芸妓お嬢の初舞台となるのである。
楽屋裏に、数馬がやってきた。
「お嬢様。お座敷で踊るのとなんら変わらない気持ちで、踊ったらいいでござるよ」
「こんな立派な、舞台ができあがったのですから、もう、れっきとした芸妓ですね」
お珠は、緊張していた。そこへ、半玉さんたちもあらわれ、激励にきた。
「お珠ちゃん。今日は口しゃみせんじゃなく、藩士のみなさんが大勢いるのですね」
「おいおい、そんな事言ったら、よけいに上がってしまうでござるよ」
「ごめんなさい」
「気にしないでね。応援しているからね」
と、半玉さんたちは、客席に戻っていった。
梅の木に蕾がほころんでいる。
紅白幕の裾から、医者に付き添われ現れた、美しい女が現れた。
その後ろには、服部半蔵の姿も見えた。
「お珠さん。あの人はもしかしたら、遊郭で病で倒れていた女郎ではござらぬか」
「あの時、声だけしか聞かなかったから、あんなに綺麗な人とは知らなかった」
「服部殿に聞いてくるでござるよ」
舞台では、口上が始まり、幕が開かれていた。
芸妓お嬢の出番がやってくる。

9−4

備前・岡山藩は、七歳の城主である。
その代行として、因幡・鳥取藩主である池田光政が、池田屋敷に来たのである。
備前・岡山では、それを、よしとしない一味がいる。
現藩主は、側室の子であり、正室の子は、珠姫である。
その珠姫を担ぎあげようとする一味。
また、大名クラスの家臣たちが、藩主の座を狙い、
池田家転覆の悪だくみを考える者もいるようなのだ。
珠姫は、藩邸にいても命を狙われる。
それより、藩邸にいない方が、珠姫の復任無しと
思うのではないかと光政は考えるのである。
また、堅苦しい事が大嫌いな珠姫が、すぐに屋敷を抜け出してしまう癖
も幸いしていたのである。
珠姫を、有力大名に嫁がせ、池田家を乗っ取る計画も
暴かれていた。
藩主不在のこの混乱期を、どう乗り越えるかが、因幡・鳥取藩主の池田光政の
悩みの種だったのだ。
そこへ、剣の達人でありながら、不器用な侍、一ノ瀬数馬が、調度時を同じくし、
下町へと逃げだしたのだが、数馬の忠義は定評もあり、珠姫のお目付け役として、
用心棒をさせることにしたのである。
誘導は、佐々木六角の仕事であった。
我ながら、何もかもが上手くいき、舞台もできあがり、
気をよくする、光政であった。
一ノ瀬数馬は、与力を受理し、年明けよりお目通りも叶うことになっていた。
お香との祝言も、無事、藩邸へ受理されていた。
お披露目のその日、珠姫は金襴緞子の着物で、舞台へと上ったのである。
今日は、藩士の伴奏が三十人以上の三味線や堤と、
大それた中に玉姫様の舞う日本舞踊が披露されていた。
もの凄い、歓声があがり、珠姫は舞い踊るのであった。
一ノ瀬数馬は、珠姫様に向かって合図していた。
確かに、あの時の女郎に間違えない。
病も治り元気になり、自由を手に入れたのだと。
「次に、自由を手にするのは、珠姫様自身だな」
と、一ノ瀬数馬は晴れ舞台の上の珠姫様を見上げるのだ。
与力に抜擢された一ノ瀬数馬。
池田家の姫様のお珠のお話は、いったん終了します。
また、かなりの枚数が書けた時点でお目見えしたいと思います。

おわり
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