作品名:闇へ
作者:谷川 裕
← 前の回  次の回 → ■ 目次
セルを勢い良く回す音。ロータリーエンジンに火が入ると同時に南は一速に叩き込みスピンターンを決め林道目掛けて突っ走った。一速のままレッドゾーンまで引っ張った。
林道と採石場への交差点。二台の車が向き合った。一瞬早く南がヘッドライトを上向きにした。車内に一人男の姿を確認できた。手でライトを遮る。一瞬の隙、そこを南が突いた。一速のまま限界まで唸りを上げ真正面からロータリーエンジン目掛けてぶちかましていった。ガツンという衝撃を受けながらもAWDのそれは小砂利を巻き上げつつロータリーエンジンをぐいぐいと押し込んでいった。ステアリングをがっちりと固定し一速で九千回転まで引っ張る。激しい唸りを上げながらロータリーエンジンはバランスを崩し採石場への狭い入り口に後輪を落とした。

「行くぜ」

 運転席を飛び出し南は助手席に回り直美の手を引いた。冷たい手をしていた。ロータリーエンジンは亀のように自由を失っていた。その横を二人が駆け抜けた。ドアが開き男が一人。飛び出してくる。林道へ駆け上がる。狭い林道。闇が包んでいた。咆哮。どこかで獣が吼えていた。
 半身に構えた。手を引き、直美の二歩手前に出る南。

 男は言葉を発しない。闇の中でも血走った白目だけは良く見えた。ズボンのポケットから男が取り出したもの。スライドし、闇を白く照らす。ナイフ。刃先は南に向いていた。

「悪いね」

 ブルゾンの内ポケット。鋼鉄の塊。南は両手でそれを構えた。撃鉄を起こす。右手の人差し指。崩れていく。何かが崩れていった。もう元に戻らない何か。そうして絡め取られて行く。冷たい手をしている。不意に南は自分の指先の冷たさを気にした。指先に力を込める。男。ナイフを構えたまま動けなかった。

<カチン>

 南の人差し指は何の反動もなくそれを受けた。もう一度引き金を絞った。

硝煙は上がらず。

南はマガジンをスライドさせた。

「やってくれるぜ、長野さんよ」

 呟いた。空のマガジン。白い刃を持った男はゆっくりとその右手を振り下ろした。投げ付けられた銃。空中で真っ二つに切り裂かれた。下から。振り上げられるナイフ、南の身体に触れる前によろけながらもバックステップでかわした。革のブルゾンを切り裂く。ブルゾンを脱ぎ捨てる南。立ち上がる。冬の夜。Tシャツ一枚の南は汗をかいていた。闇の中でそれが湯気となって上がる。
 来いよ。無言のまま男は手で南を招き入れるように挑発してきた。
 半身に構える南。数メートル背後に直美が居た。表情を見る余裕は無い。ただ動けない。見ていれば良い。思ったが南には言葉にする余裕は無かった。

 半身に低く身構えた。半歩踏み込む。男の鋭い突きが来た。ナイフの下を掻い潜る。髪の毛がナイフに当たり鮮やかに切れた。濡れた南の身体に髪がまとわりつく。小砂利を拾い上げ、更に男と距離を取った。

 闇にナイフの白く鈍い光が際立って輝いていた。男の顔を半分ほど薄っすらと照らしていた。かなりの歳のようにも見えた。身のこなしは鋭い。スピード感があった。鍛えている。ナイフのさばき方が上手いのかどうかは南には判断出来なかった。それでも身体の使い方は上手い。

 じりじりと距離を詰められていた。南は半身に構えたまま後ろ足に体重を掛けていた。下がらない、そう覚悟を決めていた。刃が距離を詰めてくる。南の後方には直美が居た。通すわけにはいかなかった。ある所で男の動きが止まる。空気が圧縮されたような感じを受けた。男と南との距離、二メートルあるだろうか。その間に出来た空気がとても重く感じられた。

 南がステップを踏む、距離を一気に半分に縮める、距離、男の距離になる。刃がすぐそこにある。直線的に突いてくる、右の脇に抱え込む。その時に浅く右脇腹を裂かれていた。南は灼熱感を覚えながらもがっちりと男の右手を脇と肘でロックした。そのまま体重を預け砂利道に引き倒そうとする南。男が左の拳を南のこめかみにぶち込んでくる。

 南は一瞬意識が遠くなった。脇が緩む。男は素早く刃を引き抜く。次の突き、その前に南は拾った小砂利を男の顔に投げ付けた。

 下から上にばら撒くように投げられた小砂利。砂が男の視界を遮る。低くくぐもった声を上げ男が目を抑えた。がら空きになったボディに南は低くタックルを極めていく。ナイフの柄を後頭部に受ける、構わず押し倒す。

 男の上になる形で二人がもつれ合い南が倒れた。すぐさま男はナイフを横に振ってきた。左の肘辺りを切られた。骨までは達していない。皮を切られただけ。闇で見えないが南は痛みに耐えそう思うことにした。まだ動かせる。男がナイフを引くタイミングに合わせ南は身体を九十度反転させる。ナイフを持つ右手、脚を絡ませる。

<腕ひしぎ逆十字>

  南は男の手首を極めたつもりだったが、指先が刃先に当たる。鈍い痛みが南を更に覚醒させていく。直美、見る余裕があった。闇の中でポツンと立っていた。背が高い、砂利道で男の肘に脚を絡ませ下から見上げた。背の高い女だ。車の中に居る時は大して気にも留めなかった。

 渾身の力を込めて絡ませた両足を内側に絞った。丁度南の両膝内側が男の肘に当たる。締め上げる。同時に南は小砂利を背中に食い込ませながら上体を反らせた。ナイフ。まだ男の手の中にあった。更に力を入れる。握る手首。動かすたびにチクチクと刃先が南の指に小さな傷を作っていく。

 獣の雄叫び。違う、男の物だった。南の膝の中で男の肘が壊れた。骨が砕ける感触。次の瞬間、ナイフが力なく南の胸に落ちる。更に膝を絞り上げ肘を容赦なく極めていく。雄叫びは涙混じりの物に変わっていく。

 ナイフ。胸の上のそれを片手でつかみ闇に放る。絡めた脚を解き男に山乗りになった。無言のまま南は拳を振り下ろした。闇の中で男の口から泡のように真っ黒な血が吹き出してくる。髪を鷲づかみにし拳を振り下ろす。男に意識は無かった。無抵抗な案山子のようなものだった。南の傷付いた拳。さらに男の鼻っ面に叩きつける。

「もう良いわ、この人が死んでしまう」

 山乗りになったまま後ろを振り返る。直美、寒いのか? 震えていた。
 南は意識の無い男の両脚を引きづりロータリーエンジンまで連れて行く。亀のように自由を失ったそれのトランクに放り込む。

「そのうち出てくるさ」

 南は言ってトランクを一度軽く蹴飛ばした。中から男が動く気配は見られなかった。身体が熱かった。汗をかいていた。浅く出血している。傷の痛み。それも南を熱く感じさせていた。

「間に合うか? Y駅の最終便だ」

 首を振る直美。林道と採石場への入り口でロータリーエンジンがスタックしていた。これ以上南の車では難しいだろう。

「走るぜ、付いて来いよ!」

 南は血に塗れた掌でがっちりと直美の手をつかんだ。

← 前の回  次の回 → ■ 目次
Novel Collectionsトップページ