作品名:吉野彷徨(V)大乱の章
作者:ゲン ヒデ
← 前の回  次の回 → ■ 目次
 数日後、額田からの進物を届けにきた名目で、猿は吉野宮に来た。
 故・中臣鎌足邸(不比等の屋敷)での話を、正殿奥で仏事をしていた大海人に、こっそり伝えた。
 
 だが、大海人は半信半疑だった。その表情を見て、猿、
「大殿には、天照大神のご加護により即位なさると、大宮司が言われているとか」
「そのうわさ、近江にも伝わっているのか!」
「いえ、伊賀からの租の運び人が、話しておりました。大殿の御寄進が多かったのよ、との訳知り顔の者が、うち消しもしましたが」
「困ったことよ」
「ですが大殿は、天照大神だけでなく、草薙の宝剣のご加護も受けておられます」
「草薙の……何のことだ?」
「その掲げた仏絵の奥の板壁の中に、草薙の宝剣が安置されています」
「ばかなことを」大海人は呆れた。
「いえ、新羅僧・道行が盗み出しに成功し、受け取った嶋さまが、そこに隠しました」
 釈迦三尊の仏絵の方を見て、あ然としている大海人に、猿は続けて、
「大殿は天照大御神とヤマトタケル様のご加護で、必ずやスメラミコトになられます。ここを脱出するときは、宝剣の包みを、間近に仕える舎人に持たせ、御身の側に常にあるようになさいませ、……これは嶋さまからの言付けです」

 翌日、猿は伊賀へ赴いた。藤原家の配下に、鏡王女からの言付けを伝えるためである。
 その日、神器と仏具を一緒に置くわけにはいかないので、大海人は舎人三人とともに、仏間の場所替えをしていた。
 急いで寄った、讃良の問いかけに、家相から見て、いい方に移すのだよと、とぼけた。

 で、どうしたのだと、大海人が問えば、大伯に熱があり、伏せているという。
 慌てて、大海人が、寝所を見舞い、麻疹(はしか)と分かった。
 他の子から離し、この正殿で、懸命に讃良が看病をする。
 病が癒えかけたころ、村人が醍醐を持ってきた。牛乳を煮詰めたコンデンスミルク風の物である。大海人が頼んで作らせたのである。
 それを、大伯に飲ませ、
「どうじゃ、大伯、書物にあった乳の薬じゃ。これを飲むと元気になるぞ」
「おいしい……」飲んだ大伯は呟く。
「そうじゃろ、それのうまさは、醍醐味と言ってな、仏の教えにも例えられておるのじゃ」

 
 翌日には、ぼちぼち大伯は起きだす。讃良はやれやれと、寝所を片づけはじめた。わらの入ったぶとんを除けようとして、醍醐が入っていた小壺を見つける。味に興味を持った讃良は持ち上げ、しずくを二,三滴、飲んだ。何だか懐かしい気がする。
 ふいに、詩斐の声がした。
「姫様、また!……下品ですよ」
 苦笑いして、詩斐に謝ると、彼女は寝具を干しに出ていく。
 と、大伯の病が癒えた喜びの和歌の創作意欲が生まれそうになり、急に窓近くの書台に行き、墨を擦りだした

 筆で思いついた和歌を書こうとしたとき、サーと桜の花が舞い込んだ。何気なく窓の外を見上げると、吉野桜が満開の二つの山の間から、青ヶ峰が見える。条件反射のように『風』の歌を口づさびはじめたら、いきなり、あの倉造の独り言が聞こえてきた、

『えーと、六七二年、大友皇子は、壬申の乱で敗れて、自絞?……首つり自殺のことか、御稜が、滋賀県大津町御稜町、御陵だから御領町か、まあ、書いとくか』
 放送局の資料室での、歴史大全の拾い読みでの、独り言と思考が伝わってきたのである。あの時の、有間の皇子の続きである。
 思わず讃良は、(六七二年 大友皇子 壬申之乱 自絞 滋賀県大津市御陵町)と書きなぐる。間が空き、また聞こえる、

『六九六年に亡くなった高市皇子の墓は、大和国広瀬郡三立岡…現在不明か、ふーん、壬申の乱で大功があったが、母親の身分が低いから天皇にはなれなかった……と、』
(六九六年 高市死去、壬申之乱大功 非即位、由母身分低 広瀬郡三立岡)と讃良、続けて書く。次に、
『六八六年に大津皇子は持統天皇に殺されて、葬られたのは二上山か』
(六八六年 大津 以持統天皇被殺 二上山)

『えーと、草壁皇子は六八九年』と続いた後、『すみません。すぐ行きます』で幻聴は途絶えた。
 待てども幻聴はもう起こらない。
 やがて讃良は、書いた紙面をあらためて眺めた。

     …  …  …  …  …  …  …  …  …  …
     六七二年 大友皇子 壬申之乱 自絞 滋賀県大津市御陵町
     六九六年 高市死去 壬申之乱大功 非即位 由母身分低 広瀬郡三立岡
     六八六年 大津 以持統天皇被殺 二上山
     草壁 六八九年
     …  …  …  …  …  …  …  …  …  …
 
 (この年号は何だろう……)讃良は、考え込んだ。
 ふと、倉造が言った、年号の語呂合わせを思い出す。
(確かあの時、入鹿さまは……)
(虫殺し……たしか?……六四五年、入鹿さまが殺された年、で、わたしの生まれた年…すると六七二年は今年、それも壬申の年、年号は合っている! となると……)
 讃良は、思案をしだす。
(高市は、二十三年後に亡くなるとしたら、えーと……)指を数え、四十一歳と出した。
(これからの働き盛りに亡くなる! それにしても、大津は、持統とかいう天皇に十四年後に殺されることに、……何者だろう、まさか殿が、我が子を……)
 むりもない、当時の人に、孝徳、斉明、天智、天武と言っても、誰のことか分からない。百年後の大友皇子の子孫・淡海三船の一括撰進までは、漢風諡号は、存在しないのである。
(草壁は、十七年後にどうなるのか……)
 不意に、大海人が入ってくる。慌てて讃良は紙片を胸元にしまい込んだ。
「ん、……紙を隠したが、何を書いたのだ?」
「いえ、鼻水を拭きまして」

 ちらっと、書台を見て、大海人、
「お、墨が擦られいる。丁度いい、手紙を書かせてくれ」
「何をお書きに?」
「舎人たちにいろいろ指図する。近江朝廷が兵を集めているか、を確認させる事と、諸国の国司や豪族で、わしに味方しそうな者へ、それとなく協力を頼まさせる」
「反乱の指揮をなさるので」
「いや、もしそうなれば、なんとしても美濃へ逃げる。だが、担がれて反乱軍の総大将にされても、……」苦悩の表情の大海人に、
「高市に総大将を命じて、あなたさまは、戦場の遙か後ろで、勝利を待たれたら」
「高市は十八だぞ、若すぎる」
「大丈夫ですよ、彼は伊賀(大友天皇)に、勝ちます。敗れた伊賀は自絞します」
「ジコウ?」
「首つり自殺ですよ」
 言って讃良は、後悔した。啓示には半信半疑だったのに、夫を力づけるため、つい、しゃべったのである。
 大海人は、あきれ
「怖いことを言う、大友はお前の弟、それにわしの娘婿で、初孫の父親、よくまあそんなことを、……。万一の場合のためだぞ、言葉を慎め」
「すみません」

 大海人が文案を練りながら、十数本の手紙を書き終えたとき、すでに昼を過ぎていた。
 すぐさま、舎人らを手分けして各所に届けに行かせた。

← 前の回  次の回 → ■ 目次
Novel Collectionsトップページ