作品名:転生関ヶ原
作者:ゲン ヒデ
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 翌年、慶長五年(一六〇〇)三月、上杉家の軍備増強の噂がたち、翌月、問罪使に対して上杉家からの有名な返書・兼続状が届けられた。
 家康の野心を当て擦った文面に、内心苦笑いしたが、六月六日、西の丸に集まった諸大名に披露するとき、家康は烈火のごとく怒ったフリをして、上杉征伐のための動員令を発した。
 
 十六日、大阪城を発って伏見に向かった。その途中、大山崎にさしかかり、馬上で、首をめぐらし、周囲の景色を眺めた。十八年前の秀吉と光秀の戦跡・山崎、天王山の手前であるが、ここを通るたび、この時の合戦について、武将として軍略を考える癖があったが、この日は快晴だが、何故か気分が冴えなかった。
 岩清水八幡宮のふもとの村で、軍勢が休息しているとき、世話人らを束ねる石清水八幡宮の神人が家康に挨拶に来る。この男の娘を、石清水八幡宮に参詣に来た家康が一目惚れして側室にしたので、神社の守護寺の住職になれた、この男の羽振りは良い。

 平伏しているこの男に、礼を言った、
「いつもながらの、接待かたじけない……」
「恐れ入ります」と言い、今度の戦での勝利を願う挨拶を、男がしているのを聞いていて、何気なく向こうを見ていると、淀川の向こうの山のふもとの雑木林に何か、にぶく光るものがある。
「あれは何だ」家康が指し示す方を見て、神人は、
「はあ?……雑木林ですが、何か」
「なにか、光る物が見えるが」
「はて?……何も見えませんが。……確か、言い伝えでは、大昔、壬申の乱で敗れた大友の皇子が、あの付近で自殺なされ、今は無くなっておりますが 供養塚があったとか言い伝えがありますが」
「大友の皇子の最後の地か」つぶやくと、光り物は消えた。
  
 水を飲んだ杓を旗本に渡そうとしたとき、家康は急に、幻想の世界に入り込む。
 旗本が控えるところに、古式の甲冑を着た兵士が、ひれ伏し、嗚咽している。
 自分がその男に、おだやかな声で話しかける、
「連麻呂(うらじまろ)よ、『この伊賀(大友)、このような仕儀になったこと、わが不徳から起こったので、恨み辛みは一切、思いません。また大王に即位したこと、後世には伝えないでください』と、叔父上に伝えてくれ。それから讃良の姉に、『この伊賀は因果応報により、有間の皇子と同じく、首吊りで死にますが、妻・十市とわが子・葛野には関わりないこと、二人の将来に情けをかけてください』と言ってくれ。……そこの木が枝振りが良いか」
 大木に近付き、衣を脱ぎ、青々と茂る大木の枝に渡し、考えている、結び目を結いながら、(帝位に就きながら、一年も経たぬうちに敗死に追い込まれるとは、……もう一度、生まれ変わるなら、このような目には、二度と会いたくない)悲痛な思いが襲ってくる。

「大殿、どうかなされましたか」旗本の声で、家康は正気に戻った。
「ああ、少し考え事をしていた」言って、杓を家来に返す。

 休息を終え、軍勢が進むうち、馬上の家康は、思った、
(先ほどの妄想の、伏していた大友の皇子の家来……確か、後に石川麻呂と改名し、大臣まで出世した男だろうが、あの伏した姿 、誰かに似ているが……)
 しばらく思い出だそうとしたが、諦め、今後の軍略を考えようとしたら、ふいに思い出した
(元忠だ、昔、主従してして泣いたときの、元忠にそっくりだ)
 これから、伏見城の留守居役を命じようとする、鳥居元忠の姿が、だぶった。
(転生話からの奇妙な連想か)家康は苦笑したが、竹馬からの友、とともいえる老臣に、わずかの手兵で伏見城を守ることを、命じることを思うと、気分は重くなった。


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