作品名:ここで終わる話
作者:京魚
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翌朝のタンラートは最高に寝起きが悪かった。
元々の低血圧に併せ、その睡眠不足に機嫌の悪さが自然と周りにも伝わる。
昨夜宿舎に着いたのは結局二時を回っていた。それからロブの部屋についているシャワーを浴びさせてもらい、礼を言って部屋に帰った。
しかしある程度寝ない時間が続くと寝付きにくくなり、ごろごろと眠れない時間が長引き、ようやく意識が切れたのは四時を過ぎていた。
今朝の起床時刻はいつもより早く、タンラートは朝食もとらずに集合時刻ぎりぎりまで寝ていた。
「ひどいね、その顔」
暫くはたから様子を伺っていたシェイが、ようやく決心して声をかける。
「悪かったな」
互いに自然を装うが、どうもよそよそしい。それは仕方がないことだ。一度でもひびの入った関係程、修復の難しいものはない。
列車までの長い廊下を、並んで歩いたが会話はなかった。二週間分の荷物を肩から提げながら、ただ前だけを見る。
結局列車に乗り、別々の席に座るまで無理に会話を作ることはなかった。
大人の友情を、時は解決してくれない。
元に戻したければ、自分から動いていかなければならないのだ。しかしタンラートに、その気はなかった。彼にとってシェイとの関係は、頭を抱える程重要なものではなかったのだ。
タンラートは頭の隅でそう考えながら、揺れるシートに身をまかせ、程なくして深い眠りについた。列車が首都に着くには4時間半かかる。カードやお喋りに盛り上がる連中も、次第に合宿の溜まった疲れに後押しされ、一人一人と眠り始めた。
合宿に引き続き、日中には強い日照りが肌を焼く。どこからともなく虫の鳴き声が聞こえてきて、暑さが一層する。
「二週間の合宿の後は、五日の休息。詰めて訓練する意味がわかんねーよ」
「どうせ上の連中が有休でもとりたかったんだろ。まったく」
隊員の半数がその足で実家や里に帰った。残りはそれぞれの理由でまたあの寮へと帰ってきた。
タンラートもその残り組の一人だった。やることがなく館内の図書施設に来たてみたが、落ち着ける場所ではない。同様に行く宛もなく暇を持て余した隊員が少しずつ集まって、涼しいこの空間で群れるようにだらだらと世間話をしている。
合宿が終わって二日目。体調は完全に回復し、食欲も大分出てきた。
明日は前々から目をつけていた靴を買いに、遠出をしようと思っている。そのために休み明けに提出する合宿のレポートを、今日中に終わらせなければならない。妙なところで几帳面な性格のタンラートは、やるべき事を終わらせなければ大きな行動に出ることが出来ないのだ。
図書館を出て来た道を引き返す。歩いて七分程してようやく部屋に着いた。
上着を脱いで上半身を裸にした。窓を開けて汗ばむ体を冷やす。しゃがむ必要のある小さな冷蔵庫を開け、少し涼んだ。
中には瓶に入った飲料水が何本も並んでいる。これも軍の支給品で、飲んだ分の瓶を廊下に出しておくと、その分だけ補給してくれる。
ずらりと並んだ内の一本を取り、栓を抜いて口を付ける。一度に半分飲んで残りを机に置いた。冷たい物が食道を通っていくのがわかる。
頭から流れる汗を時折拭いながら、レポート用紙を黒く埋めていく。
昼食をとらなかったのが今更きいてきた。頭がフラフラする。さらに追い撃ちをかけるように聞こえる虫の鳴き声が脳の活性化を妨害する。窓を閉めれば少しはましだが、その前に暑さで干からびてしまうだろう。
タンラートは諦めて夜にやることに決めた。夜になれば暑さはひくし、どうせやることはない。
そして冷蔵庫から三本目の瓶を取り出した。瓶内外の気温さに直ぐさま硝子の表面に水滴がうかぶ。水と硝子に乱反射した光りがまた水滴の表面で輝く。
ふと壁にかかっている備え付けのカレンダーを見た。二ヶ月前から放ったらかしでめくられていない。いらない二枚を破り捨てて見ると、今月はあと五日しかなかった。
「来月の…あたま」
タンラートはしばらくそれを難しい顔で睨んでいた。すると突然ドアがノックされる。
「タナー?」
シェイだった。
タンラートは初め居留守を使おうとしたが、あまりのしつこさにやむを得ず戸を開けた。
「何の用?」
一見冷たい反応だが、これが普段のタンラートだ。彼がただ一人違う反応をみせるのは、ロブ=カバーの前だけだろう。
「少し歩こう」
タンラートは部屋の奥へ戻り、上着を羽織った。綿の生地が汗をすって張り付くのが気持ち悪かった。
僕等が決して心を深く通わせないのには、大きな理由があった。
その理由に至る要員を、OWに入隊した者の過半数がきっと自ら体験しているだろう。
昔の友人は親友だった。
しかし今親友を作る気にはなれない。作ってはいけない。
それは自分を守るために必要な、唯一の自己防衛だったのかもしれない。
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