作品名:芸妓お嬢
作者:真北
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7−1
佐々木六角は、甲賀忍者であった。
「佐々木様。よろしくお願いしますよ。
もし、女郎が生きていたら、居場所を聞いてください。
珠は何か手を貸せることが無いかと思っているのです」
「では、居場所を聞いてきますが、珠姫様は屋敷からいなくなっては困りますよ」
「分かりました。ここで、佐々木様の帰りを待っています」
佐々木六角は、屋敷を出て服部半蔵のもとに向かった。
いろいろな、事のあったここ数日間。
お珠はじっと自室で考えることにした。
芸妓にはなれないものなのだろう。
腹違いの弟が、備前藩主である以上、
町人になることは叶わぬのであるならば、
鳥取藩主の叔父の言う通り、池田藩邸内に舞台小屋を作り、
そこで、藩士相手に踊りを踊るしかないのだろうか。
自分の事も、悩み多きことではあったが、
一ノ瀬数馬のことも、よく考えた。
千両の大金を手にしても、落ち着き払っている数馬の性格には、
何か素晴らしいものを持っていると、感じている。
今、白木屋門前町長屋で無事、江戸まで辿りついた、
お香を持て成し宴会をしているはずだった。
お珠は、中庭に出て、門前町長屋の方角を見上げて羨ましくつぶやいた。
「一ノ瀬数馬。いい男だわ。あたしの亭主にしたい男」
一方、白木旅籠では、ドンチャン騒ぎをしている。
半玉さんたちばかりか、姐さんたちも数人やってきて、
数馬の当てた千両をあてにしてか、それは、すごいもてなしである。
「千両は、どうしましたか?」
「両替商に、預けましたよ」
「それで、使い道は決まりましたか?」
「思案中でござるよ。世の中の困っている人のために使おうと考えています」
「数馬様。今日のこの宴会の御代には?」
「拙者、このようなことを、していただいても、
あの千両から御代を支払うつもりはござらんが、
いったい誰が、このようなことをしだしたのでござるか?」
棟梁の留蔵が、逃げ出していった。
江戸っ子は宵越しの金は持たないと、留蔵はてっきり、
数馬がみんなに大盤振る舞いするに決まっていると
思って大はしゃぎしたに過ぎなかったのだった。
「留さん! きっかり、御代は頂きますからね!」
女将さんは、留蔵を追いかけていった。
半玉さんも姐さんもいなくなり、宴には数馬とお香が取り残されていた。
「さて、長屋に戻るとするか?」
「藩邸の長屋でございますか?」
「九尺二間のここの長屋でござるよ」
「数馬様となら、どこでも、お香は幸せでございます」
「ふとんは、一つしかないが、いいか?」
「まあ……うれしっ」
仲良く、宴を後にする数馬とお香であった。
その日の夜、お珠もその異変に気付いていた。
吉原の方角がやけに明るかった。
半鐘の音が、鳴り出していた。
せっかく、二人きりの静かな夜を過ごそうとしていた、
数馬とお香の部屋の障子にも、異様な光が揺らめきが、影を落としていた。
「数馬様、火事では……」
「吉原の方角のようだ」
「女郎さんたちは、篭の鳥。逃げられるのでしょうか?」
「そうだ。日本橋川から助けに行ってみよう」
数馬は、お珠と吉原に逃げ込んだ、あの木戸のことを思い出し、
船を使って吉原に出向くことにした。
村正を腰に差し、長屋から出ると、長屋の男衆や留蔵が、野次馬で表に出ていた。
「数馬さん、どこへ行くんだい」
「女郎たちを助け出しに行く」
「おいらも、お供しやすぜ」
走り出す数馬の後を、必死に追う留蔵だ。
7−2
もの凄い、人だかりの野次馬たちが、大川の両袂に溢れていた。
大橋の船着場にある、無数の船の中から猪牙舟《ちょきせん》を、
探し出し漕ぎ出していった。
大川は、大火の火で赤々と照らされ、日中のように明るかった。
風も無く、火は真上に上り、吉原のみを焼いていた。
「数馬さん。篭の鳥の女郎たちは、みんな焼け死んじまうぜ」
「大火の時は、逃がしてもらえないのか?」
「それは、火事の時は、小伝馬町の罪人でさえ、
逃がされるのですから、女郎だとしても、逃がされますよ。
逃がしている暇も無しに、火が回ってしまっては、逃げ切れませんや」
日本橋川から、日本橋を通り、吉原の秘密の船着場に到着した。
先日とは様相を変え、木塀は、焼け落ち吉原の町並みが、
そこからも、見えていた。
「数馬さん。あれを!」
篭の鳥常態の女郎たちが、助けを求め手を出していた。
「た、助けて! ここから出して!」
火はもう、そこまでやってきている。
この町並は、吉原の一番奥。
船でやってきていなかったのなら、ここにいる女郎たちは、
全員、焼死していたに違いない。
数馬と留蔵は、あわてて上陸し、格子戸を破壊しようと試みた。
しかし、素手ではどうすることもできない。
「少し、離れよ」
数馬は、村正を正面で構え、格子戸を叩き切った。
切れ味抜群の村正ならではの技であった。
「よし、みんな逃げろ、川に船を着けてあるぞ!」
次々と、女郎を助け出し、船に向かわせた。
留蔵は、船に女郎たちを乗せ、数馬は誰も残っていなか、中を覗いた。
「これで、全員か?」
この楼の女郎全員を助け出したようだ。
火の回りは、激しく、これ以上のものは助けていられないほどになり、
数馬も船に向かった。
数馬は、数十人の女郎を助け出し、大川に船を浮べ、
吉原の燃え尽きるのを見ていた。
そのまま、船を漕ぎ、泣き喚く、女郎たちを連れ、大橋の袂に辿りついた。
猪牙舟に乗り切れない女郎も、船べりにつかまって、
水浸しになりながらも、なんとか、全員を助け。
岸まで帰り、全員を白木屋旅籠に連れ帰って来たのである
「しかし、大勢すぎないですか?」
「とりあえず、湯屋でも、長屋の路地でも、連れて行きますか」
門前町長屋は、女郎で溢れかえってしまった。
その夜、まだ、宵の口でありながらも、
白木屋門前町長屋の木戸は、早々と閉ざされた。
両木戸には見張りが立ち、一切の通行人の進入を拒み、
女郎たちを保護した。
芸妓置屋の女将、旅籠の女将、湯屋の女将も集まり、
古着屋、飯屋、茶屋などから、門前町の女衆が、一同に会し相談をしていた。
「まずは、女郎たちが、今後も女郎を続けたいかどうかが一番の話」
「助け出されたことを知っているものは誰もいないんだろう。
だったら、逃がしてやろうよ」
「本人達に、聞くことが一番だろうねぇー」
「まずは、飯をあげて、あの格好は
見ただけで女郎だって分かってしまうだろう。
古着屋さん、着物はあるのかい?」
「女郎の着物は、高級品だから、いくらでも交換しますよ」
「べっ甲の髪飾りなども、高く買わせてもらうよ。
帯だって上等だしねぇー」
「大工の独り身は、女郎じゃ嫌かねぇー」
そんな、とりとめない事を、女たちは話し合っていた。
7−3
女郎たちは湯屋で、きな臭さを洗い流し、
用意された襦袢や浴衣に手を通し、
案内された、旅籠の大広間には、食事が出されていた。
「こんなに、親切にされるのは、生まれて初めて……」
「また、どこかに売り飛ばされるんじゃないでしょうね」
「怖くて、手が出せないわ」
などと、女郎たちは、戸惑っていた。
そこに、姿をあらわしたのは、芸妓置屋の女将と、
女郎たちを助け出した数馬と留蔵、そして、お香だった。
お香は、女郎たちに櫃《ひつ》から、ご飯を盛り付けだした。
「大変でしたわね。安心してお召し上がれ」
と、声をかけながら、膳の前を移動して給仕をしている。
全員に聞こえるように、一声をあげたのは、置屋の女将だった。
「みなさん」いい。
それから、ちょっと、声をひそめて言った。。
「今後とも、吉原で女郎として働きたいと思う人はいますか?」
女郎たちは、ざわめき、すすり泣く声なども聞かれた。
「よく、聞いてくださいよ。
あなたたちが、助けられたことを知っているのは、
ここにいるこの、お侍の一ノ瀬数馬様と、棟梁の留蔵さんだけ、
もちろん、白木屋門前町長屋の全員が、
あなたがたが吉原の女郎さんだってことは、知っています。でも……」
シーンと静まり返り、女将の次の言葉を、全員が待った。
「誰も、その事を黙っていることにしました。
江戸に残るもよし、故郷に帰るもよし、
大工の若い衆もよりどりみどり、あなたがたの気持ち次第で、
わたしたちは力を貸そうと考えています。どうしますか?」
「見逃してくれると、言うのですか?
もし、それが、分かった時、みなさんは、死罪だわ」
「ええ、死罪になりますが、それは、全員の気持ちです。
全員が、一丸となって、あなたたちを、
生き地獄から救い出そうと言うことになりました。
もう、後には引けません」
黙っていた、棟梁の留蔵が話しに割り込んで言う。
「大至急、結論を出してもらいてぇー。
できたら、今晩中にな。早朝、七つから、旅立つ者は、旅立ってくれ。
もし、吉原に残るってものが一人でもいるなら、
話は無かったことにしてぇーんだ。
おいら、長屋もんを、獄門台【※注意1】
に送るわけには、いかねぇーんで、よく、考えてくんな」
女郎たちは、深刻に考え込んでしまった。
数馬もゆっくりと話を始めた。
「みんな。篭の鳥なんかにもどらなくったっていいんだよ。
誰もおまえたちのことを、しゃべりやしない。
おまえたちを、自由にしてやりたいんだ。
女郎に戻る必要なんてない。早朝、七つに旅立つ者。
ここに、残るもの、そして、働き口を捜すものに分かれることにする。
いいかい。悪いようにしない拙者たちを信じてくれ」
お香も数馬にの言葉に同調して女郎たちを勇気付けた。
「安心して、今夜はお休みなさいな。
もうそろそろ、火事も鎮火しますしね。
大丈夫、数馬様の言う事に間違えはありません」
お香の信じきった言葉が、女郎にも伝わったのか、笑みもこぼれ、
なごやかに食事が始まったのだった。
[# 注意1 牢屋の門を獄門と言い、首が三日三晩さらされた事で、獄門台に送ると言った]
7−4
女郎たちが、寝静まった頃。
裏長屋にやっと戻ってきた数馬とお香だった。
「お香」
「はい、なんでございますか? 数馬様」
「拙者、与力となろう」
「賛成です。数馬様が与力となり、この江戸を世直しなさいませ」
「大変な、初夜となったが、今後とも内助の功で頼んだぞ」
と、言ったかと思うと、せっかくの初夜にも関わらず、
数馬は、もう寝てしまっていた。
「うふふ」
大火の前の留蔵さんがやってくれた宴会は、
ふたりの祝言だったのだろうか。
お香は、その寝顔を見て、嬉しくなったのだ。
「この人ったら、内助の功って、
すでに、お香を妻として見てくれていたのですね」
その夜、お香が、うとうとした時には、
数馬はすでに起きていた。
薄暗の中、数馬が様子をうかがう。
夜七つに女郎の第一陣が、そっと、開かれた、木戸から旅立っていった。
先導は飛脚が勤め、箱根の関所越えをさせ、
浜松で女工をめんどうをみるか、信濃の農家に嫁がせる道を選んでの旅立ちだ。
第二陣、第三陣と、次々と旅立ち、白木屋門前町長屋に居残り組は、十人ほどになった。
「あたしは、尼になろと考えています。
たくさんの女郎が投げ込まれた寺に行き、供養をしとうございます」
そう言って、旅立つ者にも、先導を付け安全を確保した。
居残ったのは、器量のあまりよくない女郎が五人ほど。
「あたしたちは、どこにも勤めることもできませんし、器量もよくないので……」
シクシク泣く女郎たち。
大工の衆が一生めんどうを見ると名乗り出るものがいた。
器量のよくない女郎は大工の女将さんとなり、ここに居残ったのである。
最後まで残ったのは、たった一人。
「どうした。旅にもでず、尼にもならず、嫁にもならないのなら、どうするのだ」
「わたしは、蘭学者になりとうございます」
「医者になる」
この女朗は、若いし器量もいい。しかし、志は崇高である。
「分かった、なんとかしよう」
数馬は、この女郎の志にうたれ、なんとしても、
蘭学者にさせてやろうと考えるのであった。
女郎の少女の名は、お京と言う。
その生い立ちは、元武家の娘であったのだが、
両親ともども急死してしまい、お家が断絶し、
親戚縁者をたらいまわしされた上に、
女郎に売られてしまったという。
彼女の家では、薬草などを栽培し医術に少なからずも、
たずさわっていたのだが、まさか、自分達が病死してしまうなどと、
考えもしていなかったのである。
「なるほど、両親が亡くなったことで、医者になりたいと言うのだな」
「はい。わたしのような子供がひとりでも減るようにと思います」
一ノ瀬数馬は、お京の話に打たれ、お京を町娘の身なりにし、
お京を医者の手ほどきをしてくれる者を、探すべく、
医師の家々を回ることにした。
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