作品名:ここで終わる話
作者:京魚
← 前の回 次の回 → ■ 目次
それは少し前のこと。
僕が彼、ロブ=カバーと出会ったのは、憎しみの残骸がさ迷う小さな病室だった。
「ウルボスの作戦を成功させた奴だから、どんなイカレ野郎かと思ってたけど」
乾いた部屋に、靴音と、朽ちた床の軋む音が聞こえた。そして被さる低いトーンの声音。
「へぇ…泣くんだ」
僕はもう十日間ベッドの上で過ごしている。病室ともいえない、二人部屋で少し広めの仮眠室を、今は一人で使わせてもらっている。
本当は首都の大きな病院に行くはずだったのだが、病状が悪く、絶対安静で体を動かせなかったため仕方がなく応急処置をここで受けた。杖を使えば歩ける程にはなったが、荒れ地を何時間もかけて首都へ行くより、静かなこの場所に留まる事を希望した。
あの日、目が覚めて以来涙を流さなかったことはなかった。自分を心から憎んだ。蔑んだ。手に強く握る金ボタンが転がるたび、後悔が込み上げた。
「…ずっと泣いてるのか?」
そう言った男は、向かいのベッドに腰をかける。僕は言葉に反応するように頭を上げた。すると、一瞬見た男の表情が変わり、さっきとは別物になった。自信に満ちた顔が、一気に無表情へと変わる。
「お前…」
「泣いて何が悪いんですか」
久しぶりに口を開いた。喉が少し掠れている。
彼が驚いたのはわかっている。僕の顔を見たからだ。こけた頬に並ぶ瞳は完全に死んでいる。絶望に影を落とし淀みきっていただろう。
僕は涙で遮られた視界に映る彼をじっと見つめ、小さく言った。
「何の用ですか」
自分でもその声がとても訪ねているようには聞こえなかった。つまらない相槌をうっているような、心のない声。
「別に用はない。ただ見てみたかっただけさ」
僕はとても強く睨んだ。彼が憎いわけじゃない。僕自身が憎い。
「あなたは誰ですか」
「俺?俺はロブ」
低くて、柔らかい声。滑らかで光沢のある、まるで僕の心を落ち着かせるリラクゼーションの音楽ように、微量の響き。
「少し話をしないか」
「お話しすることはありません」
言葉を話すのが億劫で、僕はすぐに断った。とにかく誰にも会いたくなかった。一人になりたかった。
「俺の所属している部隊でも、もう君は有名だよ。ああ、因みに君が今度入る部隊だ」
ということは、この男は僕の上司になる。おおかた部下の見舞いにでも行ってこいと、上官に言われたのだろう。
それがなんだ。
僕はそう思った。つい先日、この重傷を負った直後に僕は今現在所属している部隊の隊長に、言ったことを思い出す。
“偉くなります。偉くなって高いところへ”
しかしその気持ちは、たった十日の内に失われた。角度のついた西日しか当たらないこの薄暗い部屋。漠然と浮かびくるのは心に食らいついた闇の結晶だった。鋭い刺をもったそれは、容赦なく体内を突く。
「よかったな、一階級特進だろ」
さっきとは異なり、今の声は僕をいらつかせた。いや、違う。声と言うより言葉だ。
「帰ってください。話し相手なら結構です」
「そうやっていればラクか?誰に怒りたいんだ。自分か?」
「ほっといてください!あなたには関係ないでしょう!帰ってください!」
どうして僕はこんな事を言っているんだろう。不思議だった。今までにもさんざん偉い人達が見舞いに来た。殆ど知った人間だったが、誰にもこんなこと言わなかったのに。彼は初対面なのに。
だからだろうか、不安と僕は負いを感じた。彼には自分が誰にでも怒鳴り散らしていると思わせているかも知れない。なんとなくそれを訂正したかった。
それでも切り出した言葉は止まろうとせず、エスカレートする一方だ。
「用はないんでしょう!帰ってください!」
「違うだろ。本当はいてほしかったんだろ」
彼は正反対に、どこまでも冷静だった。子供みたいに叫ぶ自分が、恥ずかしくなるほど。
「そんなこと思ってません!帰ってください」
目をつむって大声を出した。空気が震え、打って変わって静寂が訪れる。言葉が帰ってこなくなった。
立ち上がる音と、また床板が軋む悲鳴が。それはどんどん近づいてくる。
「責めてほしかったんだろ」
――え?
僕は頭を上げて彼を見た。悲しい瞳があった。
「お前がやったことは間違いだって、責めてほしかったんだろ」
「違う…」
違う僕は…ただ。
「わかるよ、俺もそうだった」
頬を伝うものが、涙だと気づくのに時間がかかった。何度も何度も涙を流し、その感覚は十分わかっていたはずなのに。
しかしいつもと違う。湿っぽくうらうらと泥沼を泳ぐような不愉快さはなく、もっと熱を帯びた感じがする。
そんな涙は顎まで伝い、シーツへ染み作った。染みはしだいに増え口元が緩む。
何年ぶりかに声を出して泣いた。こんな泣き方をすれば、この後はきっと頭痛がして熱っぽくなってしまう。それでも抑えられない。
「どうして、どうして誰も責めないんだ!僕は悪い事をしたのに。どうして皆誉めるんだ!僕は人を殺したんだ!あんなに正しい人を殺したんだ!なのに…なのにどうして優しい言葉をかけてくれるんだ…」
視線を膝辺りのシーツに移し替えた。
彼はどんな顔をしていただろう。まだあの悲しい瞳のままだろうか。僕は恐くて、彼を見ることが出来なかった。またあの瞳を見るのが恐かった。
「どうして誰も責めないんだ!僕がおかしいのか!もう何が正しいのかわからない」
「正しい事に気づける奴なんてそうはいないさ」
本当は気付いている。彼の言ったことは全て正解で、僕の心の奥底に眠る本音であることを。
彼を一目見た瞬間から、僕は彼に惹かれていた。
なぜだかはわからない。しかし彼は僕の中の闇を知っている。それは確かだったかもしれない。
後で見舞に来た隊長に、彼の事を聞いた。
「ロブ?ああ、ロブ=カバーのことか?」
「…ええ」
「そうか。タンラートが今度配属される部隊の隊員の一人だ。お前も階級が上がるが、それでも彼はまだ二つ上にいる。最若年で即位した、たしか年は二十歳。ルッカレイヤターカの剣(つるぎ)と呼ばれる男だ」
ルッカレイヤターカとは、昔行われた大戦の渇中にあった、古しえの地の名だ。
土壁でできた赤茶の民家が立ち並ぶ古い大国で、土地と権力の誇示のため、四方八方から国に戦いを強いられた。市民は殺され町にも沢山の武器や火の跡が残った。しかしやがて戦いが終わってみると、そこに壊滅した土地はなかった。あれほどの攻撃を直に受けたというのに、崩壊した民家は両手で数える程しかなかったという。
どれだけ戦力的に弱い国だとしても、ルッカレイヤターカは強かった。崩れるたびに何度も塗り重ね修理に補修補強し続けて来た土壁は、まるで何度も火にかけ叩いて強くする剣のように崩れることなく彼らの生活の場を守り抜いた。
ルッカレイヤターカの剣。広大な地に降り立った強靭な力。
その偉大な名で、かつて呼ばれた者がいた。武道を心得た者で知らぬ者はいない。ルッカレイヤターカの剣と始めて呼ばれたのは、アリバ=カイトという男だった。
知らぬ地から突然現れ、あっという間にその名で呼ばれるにひとしい人物である証拠をみせた。それはコンコトル大戦だ。
コンコトルという戦争の時代があった。平和という言葉を忘れ、力に飢えた国の長たちがあらゆる手段をつかい常に戦を欲していた時代だ。そのコンコトル時代の最後の戦争で平和を宣言し終止符を打たせたのが彼、アリバであった。それ以来彼はルッカレイヤターカの剣と呼ばれるようになった。
誰もに勝る鋭い切れ味の剣。それは時に誰にも敗ることのできない盾となる。選ばれし者の呼び名として、百年ぶりに再び舞い降りた。
「ロブ=カバー…」
彼は自らを語らない。だから僕に、彼を知る術はなかった。
← 前の回 次の回 → ■ 目次
Novel Collectionsトップページ