作品名:吉野彷徨(U)若き妃の章
作者:ゲン ヒデ
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 間人がたずねた、
「でも、婆さま、母(斉明)は、なぜ讃良を選んだの。私でも、太田でもいいのに」
「おそらく、天照さまのご加護で、讃良に、未来の幻を見る力を得させたいのじゃろう」
「ああ、母の神懸りね。この頃外れるから、讃良にさせたいのかなあ」
「あんなものは、よくない。人は、暗い夜道を、手に掲げた松明で、目の前だけしか分からず、精一杯進むように、生きておる。先は暗闇じゃ。なのに、宝(斉明)は時たま夜目が利き、先のある所だけ見えて、急いで行こうとする。途中には、毒蛇が居たり、穴ぼこがあり、付いて行く者たちが倒れる事も多い。どうも、行く末には、崖があるように思えてならぬ。国の行く末を、予知やら、占いなどに頼るのは、よくなかろう。よいか讃良、天照さまにそんな力を得るようには、祈ってはならぬぞ。そんなことのため、お前を伊勢に遣るのではない」
 間人が、またたずねる、
「大婆さま、では母さまは、どうして、あのような不思議な力を得たの」
「間人、お前、宝から聞いていないのか」
「全然」
「ならば……」と話そうとしたが、巫女らに気づく。巫女らは、気を利かして退いた。

「夫(押坂大兄皇子)が大王(おおきみ)になるのを断ったことを、茅渟(ちぬ)は残念がってのう……」
 崇峻天皇が三韓朝貢の儀式の場で暗殺されたとき、押坂大兄は、次期帝の最有力者になったが、目前の惨劇に怯(おび)え、諸臣がいかに勧めても、皇位を辞退した。で、中継ぎとして、初めての女性天皇が即位した。推古である。
 推古の時世中に、廐戸(聖徳太子)系に、皇位継承が行くように思われだした。
 押坂大兄の長男・茅渟王(糠手にとって義理の息子)は皇位継承に外れそうで、心中、穏やかではなかった。で、天皇になれるように超能力を得たいがため、徐福の子孫といわれる熊野の道教の巫女を招いて、修行をしたが、厳しさに根を上げ、止めてしまった。  
 その後、茅渟王の里に滞在していた巫女は、十歳の少女の宝姫(斉明)を可愛がる。修行の真似事をする宝に、目を細めたそうである。
 ある日、近場の滝に打たれに、巫女が行ったとき、宝姫も付いて行った。
「その日、にわかに空が荒れ、雷雨が鳴ったが……」
 滝の上流に雷が落ち、滝業をしていた二人が倒れたのを、偶然、木こりが見かけ、助けに行ったが、巫女は亡くなっており、宝姫は、意識不明で助かった。
「それから、宝に予知の力が付いていたが……。讃良には、そんな目にはさせられぬから、天照さまのご加護でとの、目論見じゃろう」
「へえ、そんなことがあったの」間人は目を丸くした。

「ああそれからな、我が子、田村(舒明天皇)が大王になるのに、宝は予知の力をつかった。妾を利用してな」
 さらに話を続ける、
「お前たち、人が居ないとき、妾がこっそりとしている、動作を見たことがあったろう」
「ああ、婆さまが、ときたましている体を反らしたりしている動作ね」
「あれはユーガ(ヨガ)という仏の教えにある導引術だそうじゃ。女帝さまは悩みが多く、体の不調もあって、恵慈(高麗僧)が教えたそうじゃ。当然、賢所では異教の仏教の作法は出来ぬので、人払いして、こっそりとなされ、瞑想とかいう心持ちで、祈りを始められていたらしいがな」

 糠手皇女は十六歳で田村皇子を産んだのだが、子の急な発熱の処置法を聞きに、賢所に入り込み、推古女帝のヨガを見てしまう。見られた女帝は怒ることも出来ず、
「あら、糠手!……これは内緒の作法なの。誰にも話したらたらだめよ」
と言い、のちに、姪にヨガを伝授した。

「年老いた女帝(推古)さまが亡くなる前、宝は、『お義母さま、女帝さま直々に教わった作法で、伊勢の天照さまに女帝さまの病平癒をお願いしたら』というので、あの導引術をしてから祈り始めたが……」
 ふと、人の気配がして、後ろを見ると蘇我蝦夷が、驚愕した顔で糠手を見ていた。 
 皇嗣の件を教えてもらいたい、と宝皇女は蝦夷を自宅へ呼んでいたのである。

「女帝さまの導引術を、かいま見たことがある蝦夷は、妾の動作をみて、妾が、秘伝の神事の儀式を伝授されたと、勘違いし……」
 蝦夷は、大勢の意見「山背大兄を次帝に」に同調していたが、推古女帝の皇嗣の意が、糠手の子・田村(舒明天皇)にあると思い込んでしまい、田村皇子擁立に走ったのである。
「運が良すぎるので、あとで宝に聞くと、『ああ、お義母様の、おかしな導引術を見て、蝦夷が驚ろく姿が浮かんだので、試したの』と悪びもせず言いおった。蝦夷に、よりを戻す振りをして、呼び寄せたのじゃろう」
「じゃあ、母は、予知を利用して運命を!」
「アア、自分が皇后になるために、誰も彼もの運命を変えた。山背皇子、蝦夷、古人、他にも数えきれぬ者らが、悲運な目にあったのは、お前たちも、よく知っておろう」

「でも、お父様は、帝になれたから良いのじゃないの」
「田村(舒明天皇)か……、あれも悩みの多い立場になり、四十九で亡くなったのう。温泉につかり、悩みを忘れるのが、唯一の楽しみじゃったが……即位した時、香具山に登り、国見の歌を希望に燃えて詠ったのを、昨日のように覚えておるが」
 
 老婆は、目をつぶり、詠う。

「♪大和には群山(むらやま)あれど とりよろふ 天(あめ)の香具山 登り立ち 国見をすれば 国原(くにはら)は煙(けぶり)立ち立つ 海原(うなはら)は かまね立ち立つ うまし国ぞ 蜻蛉島(あきづしま) 大和の国は♪」

(大和には、多くの山があるるが、とりわけてりっぱに装(よそお)っている天の香具山、その頂に登り立って国見をすると、国土には、炊煙がしきりに立ち、海上では、鴎が翔(かけ)りつづけている。美しい国だよ、蜻蛉島大和の国は)      *注3

 侍女が迎えに来ていますと、巫女が知らせに来ると、老婆は、立ち上がり、
「田村はな、妾の心の中では、いつまでも生き続けておるが……。さて戻るか。讃良や、暇なとき、妾の所へ寄って祝詞の口調を学べや」
 三人が外へ出ると、西は夕焼け空に染まっていた。

  *注3(原文、訳、共に『平成万葉・千人一首』さまのサイトからの引用)        
 
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